ハルカの名②
『――そんな退屈そうな顔をして、どうしたの?』
あれは、一年半前。中学二年の、秋に訪れた出来事だった。
授業が、学校生活が、あまりに退屈過ぎて。全てのカリキュラムが終わった事にすら気付けなかった放課後。
日が傾き、黄昏に染まった静かな教室に、一番星が輝いた。眩い光が退屈な日常を覆い隠し、オレの目を見開かせる。
まるで、夜空を滑り落ちる流れ星の引いた残光。そう思わせる真っ白な長髪と、宙の深みを感じさせる藍色の瞳。その特徴的な外見をした、女の子が立っていた。
『……君、は……?』
『わたし? わたしは、ええと……そう、ここの学校の生徒です』
『いや、それは分かるけど……それ以上はあんまり分からないかな……?』
その身を包む制服によって、ある程度までは情報が得られる。彼女のスカーフの色が、オレの学ランに付いた校章の色と同じだから、二年生である事までは分かっていた。
『ふうん、そうなの? わたし、これでも学校の有名人なんだけどなー』
確かに、有名なのかもしれない――同学年だと言うのに、女生徒の中でも群を抜いて大きな胸の膨らみに目を奪われる。黒地に赤いラインの入った制服が、不自然な程に盛り上がっている。彼女が普通に呼吸をするだけでも、ふるり、と過剰に揺れ動いた気がする。
――ごくり。あの時のオレは、自然と唾を嚥下していた。
『……あははっ!! アナタ、意外とえっちさんなんだね!』
『え、えっちさんっ!? いや、その……ごめん……つい、見惚れたって言うか……』
目のやり場に困って教室を見渡すが、注目すべきものは何も見付けられなかった。そもそも、会話をしているのが彼女しかいないのだから、目を向けるべき場所はそこしかない。
『いいよいいよ、おっぱい見ながら話しても。流石に、もう見られ慣れてるもの』
男女を問わずに見惚れ、憧れてしまう星のような乙女が机に腰掛けて笑う。ドギマギしながら、顔より上だけを見るように心掛けて話しかけた。
『それで、貴女はいったい、どなたなんですか……?』
『あれ……もしかして、ホントに自己紹介が必要な感じ?』
『……出来れば、お願いします』
頬を掻いている、謎の女生徒に頷く。彼女は指で髪をかき上げて、薄く微笑んだ。
『わたしは――――――。ただのしがない、中学二年生よ』
薄暗い教室に夕陽の輝きを散りばめながら、彼女はそう名乗った。
それよりも、『しがない』とは。他の誰よりも派手な見た目と体つきのクセに、何を言うのか。そう思わなくもなかったけれど、オレは芽生えた感情に思考を奪われてしまった。
今まで、ただそこに存在していただけのオレが、見つめられている――認識されている。
それを自覚しただけで、何かが大きく変わった気がした。
『……うんっ。良い顔になった。今のアナタ、生きているって感じがするわ!』
彼女の放つ輝きに照らされたオレの顔を見て、満足そうに笑う。
生きている。彼女が口にしたそれは、ただ生命活動が続いている事ではなさそうだった。
『そうだ! これから、アナタが二度と元の顔が出来ないぐらいにしてみましょうよ!』
どこまでも楽しそうに、彼女がそう言ったものだから。
『退屈なんてさせないわ。わたしの人生に、退屈なんて無かったから』
その言葉に、期待を抱かずに居られなかった。座ったままでなんて居られなかった。
『アナタに教えてあげるわ。この世界の持つ輝きを』
立ち上がったオレと同じ高さにある目が、無限の広がりを彩っていく。
――思えば、この時からだ。オレが『運命』なんてカタチの無いモノの存在を信じるようになったのは。
『それで、今から大切な事を一つ聞くわね?』
呆けるオレに向かって、小首を傾げた少女は続ける。
『アナタの名前は、何て言うのかしら?』