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幽霊少女とエルフの旅人

作者: 幽々自敵

 白い岩肌がむき出して見える山道を、二人の少女が歩いていた。


 邪魔な草や石を除いて踏み固めただけの道は、うねるような線を描きながら頂上へ向かって伸びている。

 道の外れや斜面には、少女の膝丈にも満たない短い草花が所々に生い茂り、思い思いに緑色の絨毯を敷いている。

 太陽は連なる山々の向こうへと姿を隠す手前であり、開けた景色から覗く雲海は茜色に染まっていた。

 そんな日の暮れかけた時刻に、少女たちはゆっくりとした足取りで岩山を歩いていた。


「ねえー、まだ着かないの?」


 白いニット帽をかぶった少女が退屈した様子で、前を歩くもう一人の少女に尋ねる。厚手の青いコートを着込み、首には白いマフラーを巻いている。しっかりと防寒をしているおかげか、寒さを感じている様子は見られない。


「もうすぐだよ」


 前を行く少女がさらりと答える。

 所々岩が出ているため歩きにくいのだろうか。一歩一歩確かめながら歩いているため、足元から目線を外すことはない。

 白いニット帽の少女は「えー」と口を尖らせる。


「さっきももうすぐって言ったじゃん、スミレちゃん」


 スミレと呼ばれた少女は、背中まで伸びた長いブロンドの髪をたなびかせながら振り返る。流れる髪の隙間からは長く尖った耳が窺える。『エルフ』と呼ばれる、森に住む種族に見られる特徴である。

 好きな色なのだろうか、腰まである長めのケープとショートパンツ、ロングブーツまで茶色一色で揃えている。


「そうだっけ? じゃあ、次こそもうすぐだよ」


 スミレは軽く苦笑いしながら返すと、再び前を向いて歩き出す。

 後ろの少女はしばらくの間愚痴をこぼしていたが、数分も経たないうちに飽きたのか無言になった。


 沈黙が流れ、二人が砂利を踏みしめる音だけが岩山に響く。

 日は徐々に傾いていき、辺りに夕闇が訪れようとしていた。

 やがてスミレがおもむろに口を開く。


「ほら、見えたよ、アルカ」


 アルカと呼ばれたニット帽の少女が、足元に向いていた顔を上げる。道から外れた場所に立つスミレが、口元を綻ばせて右手で先を指さしている。

 アルカは早足で隣まで追い付く。岩の途切れたその場所からは、夕闇に照らされた雲が一面を多い尽くしていた。橙色と藍色で鮮やかなコントラストを描いた幻想的な世界に、思わず声を漏らす。


「綺麗だね」


 隣に並び立つスミレが、同じく景色を眺めながらぽつりと尋ねる。


「……うん」


 先ほどまで不満を並べていたとは思えないほどに、黒い目を輝かせて景色を眺める。コートが山風ではためくが気にする様子はない。

 その様子を横目で見たスミレは、肩をすくめつつも穏やかな表情を浮かべていた。


「さ、暗くなる前に準備するよ」

「えー! もうちょっと感動を味わわせてよ」


 アルカが拗ねた様子で抗議するが、「はいはい、また後でね」と返しながら、道を挟んだ向かい側へ歩いていく。

 以前にも野宿した人がいるのであろう――他の場所とは違い雑草や岩を避けて均されている。隅には物を置くのに適した膝丈ほどの平らな岩がいくつか置かれていた。

 スミレはその岩の一個に背負った大きな茶色のリュックを置くと、上に括り付けられた別の鞄を外す。その中から丸められたマットや組み立て式のテントを取り出し、空いたスペースにマットを広げる。続いて慣れた手つきでテントを組み立て始めた。

 アルカも相変わらず文句を言いながら他の岩の上にリュックをおろすと、中から円柱型のランタンを取り出し近くの岩の上に乗せる。

 そのままきょろきょろと辺りに視線を走らせた後、難しい顔をしてスミレに話しかける。


「薪になりそうな物、落ちてないね。使う?」

「もったいない……けど、ランタンだと心もとないし……」


 アルカの問いに、フレームを組み立てる手を止めるスミレ。眉間にしわを寄せ、赤茶色の目を伏せて悩み始める。その様子を見たアルカは、後押しするように一言、


「ちなみに今日は冷え込むそうだよ」


 と付け加えた。


「――よし使おう」


 顔を勢いよく上げて即答したスミレに、今度はアルカが苦笑を漏らした。


 ◇◇


 夜も更け、夜闇が辺りを覆い隠した頃。

 とある岩山の山頂近くで、赤々と燃えるたき火の灯りが、並んで座る少女たちを照らし出していた。

 ぱちぱちと薪のはぜる音に紛れて、話し声が聞こえてくる。


「はー、おいしいかった……幸せ……」


 スミレが目を閉じて満足そうに顔を綻ばせている。膝の上で抱えたカップからは、白い湯気と花のような優しい香りが漂っている。


「それは良かったね」


 アルカは笑ったような、しかしどこか陰りのある曖昧な表情を浮かべて、相槌をうつ。

 そのまま座る岩に後ろ手を付き足を伸ばすと空を仰ぎ見る。ショートカットに整えられた黒い髪が、重力に従ってうなじへとさらりと流れる。

 夜空には無数の星々が一面にきらめき、各々にキャンパスを彩っている。


「あ……流れ星」


 ふいに呟くアルカ。


「知ってる? 流れ星が消える前にお願い事を三回言うと、そのお願い事は叶うんだって」

「……なにそれ」


 スミレは目を開くと、左に座るアルカへ怪訝な顔を向ける。

 空を見上げたまま、アルカはぽつりぽつりと独り言のような口調で呟く。


「私の生まれた国の言い伝え。っていうか、風習? みたいなものかな」

「……へえ」


 スミレは静かな声で短く返す。

 しばらくカップを啜る音と、たき火のはぜる音だけが響く。

 アルカは普段の表情豊かな姿とは似つかず、儚げで今にも散ってしまいそうな空気を纏い、星空を見上げ続けている。

 スミレはその姿に思わずカップを持ち上げたまま見惚れてしまう。


「やっぱり、故郷に帰りたい?」


 そんな言葉がスミレの口から漏れた。

 アルカはすぐには答えず、上を向いたまま目を瞑る。

 故郷のことを思い出しているのだろうか。どこか遠くへ意識を向けるような様子からは、何を考えているのかは窺えない。

 やがてゆっくりと瞼を開くと、表情を和らげてスミレの顔を見る。


「……ううん。スミレちゃんと旅しているの、楽しいよ」


 はにかんで答えるその顔は、たき火の灯りに照らされて、少し陰って見えた。


「そっか。私もアルカと旅するの好きだよ」


 何気なく、しかし心から思ったことを、そのまま返事にする。

 するとアルカはにやりと意地の悪い微笑みを浮かべる。


「そんな「大好きだ、結婚してくれ」だなんて言われても、私困っちゃう!」

「言ってないし」


 両頬に手をあてて身体をくねくねと動かすアルカに、いつもの口調で突っ込むスミレ。

 寒く湿った空気を吹き飛ばすように、アルカは「あはは!」とおかしそうに笑い声を上げ始める。

 スミレも小さく吹き出すと、釣られて肩を震わせる。

 たき火に照らされたその場所で、しばらく少女たちの楽しげな笑い声が響いた。


 笑い声が治まったころ、スミレが長い髪を揺らしてふと尋ねる。


「ところで、流れ星って一瞬しか見えないけど、願い事三回も言えないよね」

「――え、今それ言う?」


 ◇◇


 太陽が昇る少し前、東の空に薄く白銀の光が広がり始める。

 野草に付いた朝露は、出したままのカップや、二人用の黄色いテントを逆さまに映している。

 火の消えたたき火の灰が、風に揺れている。


 やがてテントの中から、「んんー」と伸びをする艶やかな声と、もぞもぞと動く音が聞こえ始めた。

 音が止むと、長いブロンドの髪をシンプルに後ろで縛ったスミレが、入り口部分の布を手で避けて顔を出す。

 そのまま視線を動かして、何かを確認するかのように東の空の様子を窺う。

 吐く息が澄んだ空気を白く染める。

 ぶるっと身を震わせると、テントの中に顔を引っ込めた。


「アルカ、朝だよ。そろそろ起きなよ」


 テントの中から柔らかな声が聞こえる。


「うーん……あと三時間……」

「長いよ」


 寝起きのためか、どこか覇気のない突っ込みが、夜明けの冷たい風に乗って流れていく。

 しばらくすると再びもぞもぞと動く音が聞こえ、黒い髪をぼさぼさにしたアルカが寝ぼけ眼でテントから這い出てきた。

 テントから靴を出して履くと、のっそりと緩い動作で立ち上がる。そのまま道の東側――昨日雲海を見た場所まで歩いていく。

 両手を広げると大きく息を吸い、続けてゆっくりと吐く。


「空気はおいしいなー」


 雲海が紫色から薄いクリーム色に染まっていき、徐々に光が溢れてくるのが見える。


「そろそろかな」


 いつの間にかコーヒーの入ったカップを持って、スミレが右隣に並ぶ。

 二人の間には会話はなく、しかし心地の良い緩やかな時間が流れる。

 時折スミレがコーヒーを啜る音だけが聞こえる。


「あ……!」


 足元に広がる雲がまたたく間にオレンジ色の絨毯へと姿を変えていく。

 琥珀色の光の柱が、雲の平線を貫き、まっすぐ天頂まで延びる。

 太陽が歩く道のように一筋に延びた光の様子に、


「太陽の……柱」


 どちらともなくそう口にする。


 やがて光は黄色に変わっていく。

 徐々に光の柱が消えていくと、かわりに朝日がその顔を覗かせる。

 太陽が半分ほど昇った頃、スミレが尋ねる。


「来て良かったでしょ?」

「うん……。来て良かった。ありがとう、スミレちゃん」


 スミレに向けたその顔には、昇った朝日と同じくらい眩しい笑顔が浮かんでいた。


 ◇◇


 身支度を終え、たき火の後始末をし、テントや道具を片付けた二人は、来た時のようにリュックを担ぐ。


「さ、次はどこに行くの?」


 アルカが軽く弾んだ声で尋ねる。スミレを見つめる黒い目が、次の目的地への期待のためか、一段と輝いている。

 スミレはすっと目線を逸らして、


「えっと……実は決めてない」


 言いづらそうに声を小さくして答えた。

 アルカはまたしても「えー」と口を尖らせる。しかしその声はどこか弾んで聞こえる。


「じゃあ、アルカはどこへ行きたいの?」


 目線を戻してスミレが尋ねる。


「えーと。あ! じゃあ海が見たいかな」

「……海、かあ」


 腕を組んで少し考え込んだ後、屈んでリュックの脇に挿さった地図を岩の上に広げる。

 懐から取り出した手のひらサイズの方位磁針を乗せると、方角を確かめながら方位磁針を回して地図と見比べる。


「あっちかな」


 やがてスミレが顔を上げると北西――岩山を越えるように道が続く方角を指さす。


「どれくらいで着く?」


 スミレは「さあね」とあっさりと答えながら地図と方位磁針をしまう。

 遠くを見ようと岩に登ろうとするアルカを横目に、さっさと歩き出す。


「あ、待ってよ、スミレちゃん!」


 慌てて岩から飛び降りると、小走りで追いかけるアルカ。


 太陽に照らされた岩山に、二人の足音が響く。

 少女たちは、今日も世界を旅する。

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