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深い闇に没するとき:ヴィンセント

ヴィンセント視点になります。

 ウェスタニアの屋敷に滞在するようになって一月が経つ。

バンガムの娘と共闘するようになってからは数日後、ベッドに横たわっている娘に囁くようにして言う。

「おい、聞こえているか? まだ、生きて……いるか?」

声をかけると、それまで伏せられていた瞼が持ち上がった。

澄んだ碧い目が、ベッド脇にいる私を見る。

「ええ……そうですわね。体中が痛くて息苦しくて今にも死にそうなのに、まだ残念ながら生きていますわね」

「なんだ、結構元気じゃないか」

「今は、でしょう? でも、いずれ体中に毒が回って息絶えます。ですから、わたくしが死ぬのは、もう確定しているというわけです」

 「悪ぃな。巻き込んじまってよ」

そう言うと、娘がほんの少し口元に笑みを浮かべた。

死に瀕して尚この気丈さ。

まったく恐れ入る。

こんな女と添い遂げられたら、それだけで人生が良きものとなるやも知れない。

「好きで巻き込まれたのです。貴方のせいではありません」

「いや、それだけじゃなくってな。もう一個だけ残念なお知らせがあってよ、そっちはもっと言いにくいんだが……」

 言いにくい事を言おうとすると、どうして尻が痒くなるのだろう。

後ろ手で左尻を掻く。

すると、娘の目つきが鋭くなった。

死にかけている女の前で、尻をこっそり掻いている事にでも怒っているのだろうか。

「さっさとおっしゃい、それはなんですか?」

「お前……このまま死んだら、ヤツのお仲間になるぞ」

「はい?」

娘が、呆気にとられたような顔をする。

尻はもう痒くない。言いにくい事だが、腹はくくった。全部このまま言い切っちまう。

「どうもヤツに気に入られたらしいな。お前を仲間というか、花嫁にする気らしい」

「なんですって? それこそ死んだ方がマシというものですわ」

「いや、死んだらヤツの仲間として復活するだけだ。それでなんだが、悪いけれども、そうなったら私はお前を躊躇なく殺す。だから、今からそのつもりでいてくれ」

「そのつもりでいろとは何事ですか。貴方、わたくしを救おうともせず、この成り行きのままに死なせる気でいるのですか。しかも、その後に貴方が殺すつもりでもいる」

「うん、まぁ、そうだな」

「まあ、貴方はもう! 何という男! 最低の男です」

「だから先に謝っているじゃないか。すまねぇってよ」

「謝って済む問題ですか。短い間でしたが、わたくしは貴方を相棒と思ってきたというのに。背中を預けて戦える同志とまで思っていたのに。それに、単なる事故でしたが、わたくしのファーストキスまでも捧げた相手だと思っていたのに、扱いがひどすぎますわ」

「事故で唇が軽くくっついただけだろ? あんなのノーカウントだ、気にすんな。そういう小さい事を気にしていたら生きていけないぞ。って、お前は今、死にかけているんだっけな。軽いジョークのつもりだったが、今はこのネタは間が悪かった。すまんすまん」

 娘の鋭い眼光が突き刺さる。

流石に、こんな時にふざけ過ぎたと反省した。

この娘といると、ついうっかりバンガムといるような気になって、男同士のデリカシーに欠けたおふざけをしてしまいがちになる。

これでもレディに対しては、割と紳士的に接している方だというのに。

 私は、軽く咳払いをした。

「それで私なりに対策を考えていて、お前には別の方法で死んでもらおうと思うんだが、どうだ?」

「あぁら、わたくしの死に方にはバリエーションがあるのですね。死に方を自ら選べるとは、随分と贅沢な事ではありませんか」

「皮肉じゃねぇからな。このまま何もせずに死んでいけば、ヤツのお仲間。それを思えば、私の提案の方がまだいい。まあ、死にはするが、ヤツの仲間にはならなくて済む。それは保証する」

「わぁ、うれしい。ありがとうございます、ヴィンセントさん」

「だから皮肉じゃないと言っている。それに時間がない。毒が、お前の体中に回りきる前にやっちまわなきゃならねぇんだ。やるんなら、さっさと決めてくれ」


 娘が、急に冷静な表情となり、何かを言いかけて開いた口を噤んだ。

時間がない事を一番わかっているのは、本人自身だ。

もう、この理不尽さに怒って浪費する時間すらない事をわかっている。

「そうですか。では、貴方は今すぐわたくしに死ねと言うのですね」

「どちらかと言えば、そちらを勧めると私は言っている」

「では、お聞きします。わたくしに、時間はあとどれくらい残されていますか?」

 娘の顔色を見る。

さっきまでは頬にまだ赤みがさしていたが、今はもう青白い。

通常よりは進行が遅いようだが、それでも明日の朝は迎えられなさそうだ。

「そうだな、おそらく夜までだな。真夜中まではたぶんもたないだろう」

「あと数時間ですか。それでは、今すぐハンナにマルガレーテを呼ぶよう言ってください」

 マルガレーテという女。

そう言えば、いつかこの屋敷の廊下ですれ違った事があった。

かなり背の高い女だったが、美しい女だったと記憶している。

「あの女か。呼ぶのはやめとけ。狙いを定めた獲物であるお前の周りをうろちょろさせたら、次の獲物として目をつけられることになるぞ。花嫁には侍女が必要だからな」

娘が、目元だけで微笑む。

それだけで彼女の意図を悟ってしまい辟易した。

「おいおい、まさか次はその女を囮にする気かよ。お前、まさしくバンガムの再来だな。腹黒すぎるだろ。てめぇの友達を犠牲にする気でいるのか?」

「いいえ、それは貴方が止めて下さるのでしょう? わたくしが別の方法で死んでも、それをアレは知らないのですから、わたくしが仲間になったと思って、きっと迎えに来るでしょう。もしかすると、大胆にもわたくしの葬儀に、やって来るかも知れません。アレは賢い。だからわたくしは負けたのです。でも、やられっぱなしは性に合いませんの。ですから、今度はこちらから仕掛けてやるのです。アレは、きっとマルガレーテに印をつけようとするでしょう。そうして触れた瞬間に、逆に印をつけてやるのです。どんなに姿を変えようとも追跡できるように、必ず仕留められるように。ヴィンセントさん、どうか頼みます。わたくしの仇をとってくださいませ」

「はいはい、わかったわかった」

「そんな風に、やる気のない返事をするのではありません。わたくしの尊い命が消えようとしているのですよ。もっとやる気を出して、はいは一回にしなさい」

「あぁ、くそっ。あの化物は、こんな女のどこが気に入ったんだ。うるせぇし、指図はするし、面倒くせぇ。まぁ、お前の鞭さばきは嫌いじゃないが」

「鞭は自己流です。いつか冒険の旅に出られたらと思って、ひそかに訓練を重ねてきました。わたくし、いつか飛行機に乗って遠くの国々を見てまわり、素敵な遺跡で命がけの冒険と謎解きと発掘をしたいと思っておりましたの」

「できるさ。その鞭の腕があれば、それぐらいのこと」

「嘘おっしゃい。もうすぐ死ぬ人間に、そんな風に夢を見させるような事を言わないで。いいからハンナに伝言して下さいな。マルガレーテに最後に会っておきたいのです。貴方にわたくしの最期を頼む前に」

 尻を掻く。

伝えなければならない事がある。

けれども、それは今でなくてもいいような気がしている。

これからまた、落ち着いて話す時間がある時にでも言おう。

「ああ、わかった」

 部屋を出て行く。そうして、扉の向こうに控えていたメイドの女に娘からの伝言を告げた。


 やがて、呼ばれてやって来たマルガレーテという女も足早に帰っていった後。

夜、再び娘の部屋に入る。

ベッドの側に置いてある円台の上にはカップが置いてあり、そこから微かにミルクの臭いがしていた。

メイドが、目に見えて弱りきっている娘に飲ませたのだろうか。

娘は上半身を起こし、ベッドのヘッドボードに背中を預け、どこか遠くを焦点の合わない目で見つめている。

その青白い顔をした娘の目が、白く濁ってきていた。

もう時間は残り少ない。

この状態では、言葉を解せるかどうかも怪しいところだ。

 「ルセイラ」

呼ぶと、うっすらと娘が微笑む。

もう、半分夢の中に落ちている。

死の苦しみが和らぐよう、体に注がれた毒には幻覚作用が付随しているのだ。

こうして、毒が全身に回り死にかけているところに楽しい夢をみせて抗う力自体を削ぐ。

こんな状態になった人間を、一体今までに何度、何人見てきたことだろう。

楽しい夢を見ながら、微笑みながら犠牲者はゆるやかに死に落ちてゆく。

そして、次に目が覚めた時には、自分の身に何が起こったのかを忘れているのだ。

忘れて困り果てているところへ、まるで救世主のように奴らが現れ、仲間に引き入れる。

それが長年見てきた奴らの手口だった。

 「これで終わりじゃない。だから、恐れずに前へと進め」

麻痺している感覚に訴えかけるように娘の耳元に囁く。

そう、これは終わりではない。長い長い始まりだ。

いつか奴らをすべて狩り尽くして平和になったら、彼女の望むように素敵な遺跡で命がけの冒険と謎解きと発掘に付き合ってやる気でいる。それがせめてもの償いだ。

だが、そうなるまでの間は、しばしの我慢をしてもらおう。

娘の後頭部を手で引き寄せるようにして抱きしめる。

娘が近づく毎に、その胸に深く細い糸のような長い針が沈み込んでいく。

そして、それが心臓にまで達すると、腕の中の娘が小さく痙攣して呼吸を完全に停止した。

抱き寄せる腕を緩めて確認すると、微笑んだまま濁りきった目をうっすらと開いて娘が息絶えている。

それをゆっくりとベッドに下ろし、そっと手で撫でるようにして目を閉じさせた。

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