第四容疑者:友人マルガレーテ
友人のマルガレーテ視線になります。
私は、マルガレーテ=オルソワ。
大商人の父と元は貴族の令嬢だった母から生まれた身分卑しき商人の娘。
街中では、その裕福さからいろんな人達がお嬢様と呼び媚びへつらってくれるけれども、貴族の娘達が集うお茶会なぞに招待されて出席しようものなら蔑まれて嫌味を言われるだけの半端者。
フン、馬鹿な女たち。
貴女方が言う、その「所詮は商人」に上辺だけでも媚びへつらっておかなければ、貴女方が着ているドレスの1着、いいえ、そのレースのついた手袋ですら今後は身に着けられなくなると言うのに。
気位だけが高くて無能な貧乏貴族が、何を偉そうなことを、といつもそう思っているけれど、商人ゆえの用心深さでそれを口にする事はない。
聞こえないフリをして、微笑んだまま軽く聞き流す。
それが商人の娘としての私の処世術だ。
口は災いの元。お嬢様方、それをお忘れなきよう。
いずれ、その報いはめぐってくることでしょうからね。
ルセイラと出会ったのは、そういったお馬鹿ばかりが集っているお茶会か夜会のいずれかであったように思う。
各々がそれぞれテーブル上の華やかな食事や飲み物を楽しんでいたり、2人か3人で固まってこそこそと何やら噂話に興じていたりと、和やかに過ごしているところへ彼女がやって来たのだった。
初めてルセイラを見た時、私は不思議な女性がいると思った。
銀色の髪に碧い目をしたお人形のようなこの少女には、まったく現実感が伴わなかったのだ。
こんな女性が、現実に存在しているわけがない。
ルセイラは、それほどまでに誰もが夢見るような美しい少女だったのだ。
実際、彼女が現れると、会場がしんと静まり返った。
誰も彼もが、示し合わせたわけでもないのに彼女を見て口を噤んだ。
けれど、皆のその反応を、ちょっと笑って彼女は受け止めると、一人ぽつんと誰とも群れず語り合わずにいた私の方へと真っ直ぐにやって来た。
そして、まるで古くからの友人のように気後れなどせずに堂々と話しかけてきたのだ。
そうして話した結果、ルセイラは、ただのお馬鹿なお嬢様ではない事がわかった。
当然のことながら、それなりの身分があるので気位は高い。
知的で好奇心も強い。
それに、悪戯好きでお転婆で、豪胆な女性でもあった。
何故ならあの時、大勢の貴族の娘達がいる中で、それも私達がどんな話をしているのか聞き耳を立てられている中で、皆に聞かれている事を充分わかっていて、ルセイラはわざとこう言ったのだ。
「わたくしが気に入ったものは、それが何であろうとも関係ないのです。たとえば、あなた。商人の娘だからと小うるさいお馬鹿さん達は言うでしょう。でも、そのお馬鹿さん達の事は放っておいてわたくしと存分に仲良くして下さいな。わたくしは、あなたが好きなのです。だって、あんなお馬鹿さん達よりもずっとあなたの方が賢いのですもの。お付き合いをするのでしたら賢い人の方がいいですわ。お馬鹿さんほど、他の人の足を引っ張るもの。足手まといって、わたくしは大嫌い。ねぇ、マルガレーテ、わたくしをどうかガッカリさせないで下さいましね。わたくし達、長くお友達でいて、お互いに支え合いましょう」
ルセイラの友人になって以来、いろいろな場所へと引っ張り回されて、私の交際の範囲は大いに広がった。
ルセイラには先見の明があり、彼女が私に紹介する相手は才能ある人ばかり。
そう、才能はあってもお金のない人や機会に恵まれない人。彼女は、そういう人達と私とをめぐり合わせてくれたのだ。
商家である私の家にはうなるほどの資金があったので、私は父に働きかけてそういう人達に積極的にお金を回した。また、彼らの発想や商品が表に出る機会を与えた。
すると、ルセイラに紹介された才能のある人達の発想や商品は、あっという間に巷に知れ渡るようになり、それを広めたという事で私の家は、ますます商人として成功し繁栄していった。
しかし、それだけではなく、ルセイラと私が友人となった事で、私をただの商人の娘と軽んじる輩はいなくなった。
もう、どこの集まりに顔を出しても、その場で私に対して蔑むような事を言う相手はいない。
私自身が偉くなったわけではないけれども、最低限の敬意を払われるのは悪い気分ではなかった。
ある日、彼女が紹介したい人がいると言って、突然アルフレッドを紹介してきた。
顔を合わせた瞬間に、短い黒髪をした美青年がその灰色の目を細めて微笑む。
気が付くと私は、彼を凝視していた。
彼は、どんな才能を持っているのだろう。
いつものようにそう考えるよりも先に、私は彼に目が釘付けになってしまっていた。
そして、彼の才能云々よりも、なんて素敵な人だろうという想いで頭の中をいっぱいにしてしまったのだ。
愚かにも、彼がルセイラの婚約者であることなど知らないで。
私は馬鹿だ。
アルフレッドが、ルセイラを心から愛しているのはわかっている。
ルセイラの方は……どうにもよくわからない。
私には時々、彼女の考えている事がわからないのだ。
ただ、ルセイラはアルフレッドを嫌いではない。
おそらくは好いているはず。
それぐらいはわかる。
けれど、それが愛だと言えるかまでかはわからなかった。
しかし、二人の間に愛がなくても、ルセイラとアルフレッドの間に割り込むのは無理だと思った。
アルフレッドが、常に目で追っているのはルセイラであって私ではない。
私はルセイラのおまけ。彼もルセイラの友人として私にやさしく接してくれているだけに過ぎない。
しかし、そういった諦めの気持ちで鬱々としていると、ルセイラが私に軽くウインクをしてみせた後で、謎めいた微笑みを浮かべる。
私の気持ちなどお見通しだとでも言うように。
そして、わざと私とアルフレッドだけになる機会を作る。
どうして?
私には、ルセイラがどうしてそうするのかがわからない。
叶わぬ恋心を抱いて苦しむ私を、彼女は嘲笑っているのだろうか。
いや、まさか。ルセイラがそんな事をするわけがない。
慈善活動が彼女の趣味なのだ。彼女は、偽善活動家ではない。
また別の日、ルセイラに呼ばれてウェスタニア家の屋敷に遊びに行くと、美しい青年と廊下ですれ違う。
すれ違った時に彼から妙な臭いがしたような気がして、私はルセイラに青年が一体何者なのかを尋ねた。
すると、彼はルセイラの父親の友人なのだと言う。
「だから妙な臭いがしていたのね」
そう言うと、ルセイラが少しだけ狼狽えたような動作をした。
左手の薬指の指先がほんの少しだけピクリと動いただけだったが、長年一緒にいた私にはわかる。
あれは彼女にとっての動揺のサインに他ならない。
私が、ルセイラに動揺したであろう事を詰め寄ると、彼女は軽く肩をすくめてみせた。
「まいりましたわ。あなたには何でもお見通しなのですね。でも、この事は他言してはなりません」
何を他言してはならないのだろう。
あの男が、この屋敷に滞在しているという事だろうか。
それとも、ルセイラの部屋の方から歩いて来たということの方か。
「ルセイラ、あなたまさか……」
「ええ、わたくし今少しだけあの方の事を調べておりますの。どうも近頃、この近辺で人が亡くなり過ぎていると思いますので。それとあの方にどう関係があるのかまでは未だ突き止めてはおりませんが、あの方は何かがおかしいと、私の感覚がそう警告しているのです」
「危ない事ならやめた方がいいわ。あなた、この前も命を狙われたでしょう?」
先日、彼女が試作品の飛行機に乗った時、それが突然落ちたのだ。
それを作った者の見解では、部品がはずれての事だったそうだが、きっとそうではない。
勘がよくない私だって、ルセイラが今危うい立場にいる事にはすでに気づいている。
偶然通りかかった街中の店の看板が、強風でもぎ取られ彼女の方へ飛んで来たり、強盗に襲われかけたり、急に暴れだした馬に蹴飛ばされそうになったりとルセイラだけが不自然な不運に次々見舞われていれば、どんなに鈍くとも気づくというもの。
ルセイラは、何者かに命を狙われている。
それがあの男でないとは言い切れない。
あの男、いつまで屋敷に滞在し続けるのだろう。
あいつがいる間は、用心しないと。
数日後、再びルセイラから屋敷に来て欲しいと呼ばれたのでやって来た。
メイドに案内されて彼女の部屋へ行くと、ルセイラが青白い顔をしてベッドに横たわっている。
私は、驚きながらも慌てて彼女の元へと駆け寄った。
「マルガレー……テ」
ルセイラが、乾いた唇からか細い声を出して私の名前を呼ぶ。
その、あまりのやつれて生気のない彼女の様子に、私は不安を覚えて思わず声を荒げた。
「医者は? 医者はどうしたの?」
「平気ですわ、マルガレーテ。診察は、さっき終えたばかりなのです。ちょっと貧血気味なのですって。だから安心して……」
「貧血? 貧血ですって? 大怪我をしたの?」
「いいえ、怪我は……ないわ」
「だったら、そいつはやぶ医者よ。大怪我をして出血したわけでないのなら、あなたの症状が貧血だなんてそんな馬鹿な診断をするわけがない。待っていて。私の父の伝手で、どんなに遠い国からでも名医を連れて来てみせるわ」
踵を返して部屋を出て行こうとすると、袖を掴まれてそこから動けなくなる。
掴んでいたのは、ルセイラだった。
いつにも増して白く透き通る肌が、見ているのも痛々しい。
けれど、病身にしては掴む力が強かった。
それほどまでにルセイラが必死なのだとわかる。
「待っ……て。あなたに渡したい物があるのです。そこの引き出しを開けて。そこの2番目です」
ドレッサーの側に置いてあるテーブル上の、ルセイラに示された宝石箱の2番目の引き出しを開けると、赤い柔らかい布の上に十字のネックレスがあった。
言われるがままに、中心に小さな赤い宝石がはめ込まれ、細かい細工を施された銀の十字を手に取る。
それを持ってベッド際まで戻って来た私を見て、ルセイラが弱弱しく告げた。
「わたくし達……お友達ですわよね?」
今更、何を言うのだろう。
そんなの友達に決まっている。
仮にルセイラが私の事をそう思ってなかったとしても、私はルセイラを親友だと思っている。
「ええ、そうよ」
「でしたら、それはお友達の証。ずっと身につけていて。起きている間も、眠る時も……肌身離さないで。それからアルフレッドを……お願いしますね」
途切れ途切れになりながらもそれだけを言うと、ルセイラが苦しげな重い息をつく。
ぜいぜいひゅうひゅうという音が呼吸音と共に聞こえた。
「ルセイラ……」
「駄目よ。今、つけて見せて……ええ、それでいいのです。ありがとう、マルガレーテ」
ルセイラの望みの通りにネックレスを身につける。
すると、ルセイラが満足そうな顔をした。
いいえ、それよりもどこか得意げな表情を浮かべていた。
「今までありがとう」
「やだ、そんな最後のお別れみたいな事を言わないで。私、家に戻ったらすぐに父に言うわ。名医をかき集めて来てって。だからそれまで頑張って。それまで諦めては駄目よ、ルーシー」
ルセイラが、少し驚いたような顔をしてからにっこりと微笑む。
「ええ、そうですわね。わたくし、頑張りますわ。ですから、あなたは今後もわたくしをその愛称で呼ぶのです。ルーシー……ルーシーですか。気に入りました。あなたは、いつでもとても素晴らしい事を考えますわね。流石はわたくしの親友です」
ウェスタニア家の屋敷から慌てて帰った次の日、ルーシーが亡くなったとの連絡を受けた。
夜の間に彼女の容態が急変して、朝にはもう息をしていなかったらしい。
当然のことながら、名医は間に合わなかった。
父に徹夜で何通も手紙を書かせたけれど、それが彼らの手元に届くことはなかったのだ。
だって、ルーシーはその前に死んでしまったから。
「うそつき……」
頑張ると言ったのに。
棺の中で青白い顔をして眠っているルーシーを小声で罵る。
「うそつき、うそつき……」
棺の側で膝をついて泣き崩れる私の肩に、誰かがそっと触れた。
同じく彼女の葬儀の出席者の内の一人なのだろうが、その手が触れた途端に驚いたように離れる。
誰だか知らないけれど余計な御世話だ。
親友を失ったのだから、今は思う存分泣かせて欲しい。
慰めなんて必要ない。
それよりも、私にはこれから慰めてあげなければならない相手がいるのだ。
死の床でルーシーから頼まれたのだから、何をおいても優先しなければならない相手が私にはいる。
明日からはその人の為に頑張らなければならない。だから、今はどうかそっとしておいて。
今だけは私自身の悲しみにひたらせて。
ふと、強い視線を感じて私は振り返る。
ルーシーの親戚達がひしめく奥に、彼女の父親の友人だというあの男の姿があった。