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受け継がれたもの:バンガム

バンガム=ウェスタニアの視点になります。

 十年以上も昔のことになる。

書斎の机の前に座って、届いたばかりの手紙の封をペーパーナイフで切ったところで、5歳になる幼い娘がその小さな手でドアをノックして入って来た。

そして今は、その娘を膝の上へと乗せてやって手紙を読んでいる。

わたし個人に宛てて届いたものだから遠慮するようにと言ったのにこうなってしまったのは、この娘に、場合によっては墓まで持っていかなければならないような秘密を握られてしまっているからだ。

父親を軽く脅して言う事をきかせるとは、我が娘ながら末恐ろしい。

 「お父様、この方は今どこにいらっしゃるのですか?」

「さぁ、彼は移動してばかりだからね。それに居場所を知られると、困るようだよ。だから、どこにも書いてはいないな」

「あら、お父様に知らない事はないでしょう? この屋敷の中の事も、外の事も。手紙に書いていないからといって、お父様が知らないわけではない。そうでしょう?」

ため息をつく。

使用人に紛れさせてはいるが、何人かは諜報活動をしている者達がいる。

その者達に、屋敷の内外の様々な事を探らせている事を娘は言っているのだ。

敵は多い。用心するに越したことはない。

そうやって我が一族は、何百年も安全に生き延びてきた。

何もせずとも安穏に暮らしていける御身分だと思ってくれているのは、実情を知らない平民くらいのものだ。

 「ルセイラ、察しなさい。わたしが知っていても、きみには話せない。そういう事だよ」

「まあ。お父様ったら、わたくしに隠し事をしようだなんて愚かをなさるの? それでしたら、わたくし自身でこの方の居場所を探り当ててみましょうか?」

「やめなさい、わたしの使用人達を勝手に使うのは。いけない事だ」

「いいえ、それは仕方がない事だと割り切って下さい。彼らは、いずれわたくしに仕えるのです。今の内からわたくしに取り入っておきたいことでしょう。それは当然の事ですわ。そして、わたくしも早い内から彼らの使い方を理解していた方がいいのです。ですから、どちらにも御咎めは無しにして下さいね」

「ルセイラ……」

「それとも、彼らをわたくしではなくお兄様に託しますか?」

「いいや、それは駄目だと言った。何も知らないでいるのをわざわざ引きずり込む事はない」

 ルセイラが、子供らしくないため息をつく。

わたしそっくりの諦めたようなため息を。

「いずれ向こうは知りたがりますわ。あちらのお母様はとても良い方ですが、病弱で長くは生きられないでしょう。お母様を亡くせば、お兄様は一人ぼっちになってしまいます。そうなった時、お父様はお兄様を見捨てられますか? 御自分が、そこまで非情になれるとお思いですか? お父様、いつまでも黙っていられるとは思わないで下さいね。そもそも、お母様と結婚される前の事なのでしょう? 言えば、確かにお母様は傷つくことでしょうが、知っていながら黙り続けていればいるほどに知らされた時のお母様の傷は深くなります。ですから、なるべく早めに白状することをおすすめしますわ」

「ルセイラ」

「何ですか?」

「今のきみは、子供らしくなかった。気をつけなさい。5歳の子供など、不慮の事故が起こったとして簡単に葬れるのだから」

 ルセイラが、再びため息をつく。

「お父様、わたくしは話す相手と内容をきちんと選んでおりますわ。お父様が愛情深い方だという事を、誰よりも、それこそお母様よりも理解しているつもりです。お父様が、お母様を傷つけたくなくて言い出せない事も、そのお母様に瓜二つのわたくしに手も足も出ない事を、よく理解しております。よく理解した上で、わたくしはお父様の力になろうとしているのです」

「そうだな。いつかはきみの力が必要になるだろう。そんな気がするよ」

「いいえ、きっと近いうちですわ。お父様、わたくしどうしてだかあまり長く生きられない気がするのです。いずれお兄様が、このウェスタニア家に必要になる。そんな気がしているのですわ」

 娘の額に、そっと手を当てた。

微熱がある。ここしばらくずっと微熱が続いているのだ。

「ルセイラ、もうベッドに戻りなさい。このままでは熱が上がってくる」

「ええ。ですから、もう少しだけ。この方の手紙を最後まで読んで下さい。そうしたら、わたくしは潔くベッドに戻ります。そうして、きっとこの方を夢で見ますわ。どんな方なのかはわたくしもよく知りませんが、きっと茶色い髪と茶色い目をしているのでしょうね。お父様、そういう容姿の方を見かけると、つい見つめてしまうようでしたから、何となくそうではないかと思っておりましたの」

「正確には、彼の目は赤茶色をしているよ」

「そうでしたか。では、わたくしの頭の中の彼のイメージを赤茶色に変更しておきます。さあ、お父様つづきを読んで下さい。熱が出て、わたくしが動けなくなってしまう前に」

 娘の額からゆっくりと手を離し、手紙を両手で持って固定する。

今、彼のいる場所はわからない。そういう事になっている。

しかし、そこで彼は、夕食に美味い魚介を食べたそうだ。

それから、海の近くにしばらく滞在することになったので、潮風のせいで髪が傷んでしまったと書いてある。

また、美しい女性と出会い、祭りの日には踊り明かしたとも書いてあった。

 「この方、さみしそうですわね」

「おや、楽しそうではなくて?」

手紙の内容は、その場所で起こったことばかりだ。

こんな事があった、あんな事もあったとそれだけで彼の心情を綴った部分はない。

どこにもさみしさを匂わせる箇所など見当たらないのに。

「ええ、お父様にはおわかりになりません?」

「わたしには、きみのようには読み解けないよ」

「そうですか。では、もしかすると、わたくしの思い違いなのかも知れません。わたくしにはこの方が、この手紙で遠く離れたお父様と、起こった出来事を共有したいと思っていらっしゃるように思えたのです。同じものを見て、同じものを分かち合いたい。そういった想いがあるのではないかと、わたくしには感じられたのですわ」

「そうか」

 かつてわたしは、彼とは一方的に距離を置くと決断した。

彼の進もうとしている道と、わたしが進まなければならない道に大いに隔たりがあるのを確信した時にそう決めたのだ。

仕方のない事でもあった。彼と違って、わたしの時間は有限だ。

留まらない上に、無情な程に次第に勢いを増しながら進んでいく。

だからあの時に決断したのだ。

「ねえ、お父様。いつかこの方を屋敷に招いて下さるのでしょう?」

「うーむ、それはどうだろうな」

彼をこの屋敷に招くような事は、なるべく起こらない方がいい。

招かざるを得ない危機的状況になど、最初からならない方がいいのだ。

「あら、お父様だって会いたいと思っていらっしゃるのに?」

「会いたいと思ってはいても、そう簡単にはいかないよ。きみもウェスタニアの娘ならば、それはわかるだろう?」

 ルセイラが、母親の違う兄に会いたいと心から願っているのを知らないわけではない。

けれど、娘もわたしも自制心で以って己を律している。

会う事それ自体は簡単だ。

しかし、その結果が引き起こすだろう被害が悲惨すぎる。

彼と会えば、もれなく再びアレらと関わる事になる。そうなれば、妻と娘を危険に晒すことになるかも知れない。

また、ルセイラと異母兄を引き合わせれば、それでいらぬ争いを生む。

何も知らないからこそ母子二人で支え合いながら幸せに暮らしているというのに、事実が知れ渡ることで彼らを無理矢理に引き離すことになるだろう。

そして、被害はそれだけに留まらず、何も知らないでいる妻をも深く傷つけてしまうに違いない。

わたしにとっては、彼女の涙を見ることは何よりつらいし耐え難い事だった。

 「お父様のとわたくしのとでは違いますわ。わたくしは、会えなくともいいのです。お兄様は、素直で良い方ですもの。つらい思いなんてさせたくありませんわ。ですから、わたくしの個人的な意見としましては、お兄様がお幸せそうでしたら、そっと陰で見守るだけでいいのです。でも、お父様はその手紙の方とお会いになるべきですわ。でないと、心残りになってしまい、このままでは死んでも死に切れませんわよ?」

「うむ……」

煮え切らないわたしの態度に呆れたのか、ルセイラがまたもため息をついた。

「お父様、この際はっきり言いますわ。お父様には、男色疑惑があるのです。この前、お母様とご一緒に行かれたオペラ鑑賞の時にすれ違った男の方を舐めるように見ていたそうですわね。お父様が、そういった男性が好みなのだという噂がまことしやかに囁かれているのですわ。それにお母様も少なからずショックを受けているのです。ですから、心残りはさっさと解消した方がいいとわたくしは言っております。そうでないと、あらぬ誤解を生みますわよ。それとも、まさかお父様にはそういうお気持ちがありますか?」

「いや、ない。わたしは女性しか愛せないタイプだ」

「それでしたら」

「いいや、駄目だ。彼は呼ばない。会うつもりもない。わたしを疑うのならば、好きにすればいい。ルイザにはわたしが直接伝える。噂など宛てにならないと」

 「そうですか」

ルセイラの声に張りがないのに気付く。

膝の上に乗せている娘の体温が熱い気がして、再び娘の額へと手を置いた。

「熱が上がってきている」

「ええ、そうだと思いました。お父様すみません。お話の途中でしたが、わたくし部屋に戻らせていただきます」

膝の上から降りようとするルセイラを引き留め、再び膝の上へと抱き上げる。

「何でも一人でやろうとしなくてもいい。わたしがきみの父親だ。具合の悪い娘を、部屋に連れて行くぐらいの事はさせて欲しい」

ルセイラが、小さく笑う。

「では、お言葉に甘えます」

くるりと反転して首に両腕を回してしがみ付いてくる娘を支えるように、わたしはしっかりと腕に抱いたのだった。

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