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消えない刻印:ヴィンセント

ヴィンセント視点です。

 ボウガンの矢で、右腕と左太腿と右脇腹をそれぞれ貫かれて壁に縫い止められた薄藍色の人型が項垂れた。

赤く細い血管が体中に透けて見えていたが、そこに流れていた血が黒く濁っていく。

その足先から、薄藍色のドロドロした粘つく液体が広がっていった。

今、私の手の中には、淡く白光する小さな星がある。

八つの棘がある星型の小さな塊を強く握ると、手の中で微かに砕けて少し開いた手の隙間から粉がこぼれ落ちていった。

 「これでおしまいかしら?」

ルセイラが、自分の手に付着したドロドロを払いのけながら隣に立ち、私の手の中を覗き込む。

彼女の目の前で手を開いて粉々になった欠片を、すべて床の上へと落としていった。

「ああ、このとおり核を潰せば終わりだ」

人型が崩れていき、ドロドロの液体となって壁を滑り落ちて床へと広がっていく。

壁にはボウガンの矢だけが数本残った。

「この方、元は人間だったのでしょう?」

「だろうな。元の姿がどんなだったかは知らないが……まあ、たぶんコイツ自身も忘れてる」

「わたくしもこうなるのかしら?」

ルセイラが、足元まで床を伝って寄って来たドロドロを見つめて呟いた。

そのドロドロは、時間が経つ毎に水分が蒸発していき固まって、やがて黒い塊になっていく。

「いいや、お前はあいつらの仲間にはならないと言ったはずだが」

「でも、それが失敗したから、わたくしは生き返ったのではないのですか?」

「いや、成功だ。大成功」

「そう……なのですか? でも、わたくしは死ぬのだと思っていました」

「一度は死んだ。私と同じだ」

 ベストとシャツのボタンを外し、胸元が彼女に見えるようにする。

ルセイラがおかしな顔つきをしていたが、心臓の上にある黒い点を指し示すと真剣な表情になった。

「その点は何です?」

「心臓を突いた時に出来た傷跡だ。これだけは永久に消えない。お前にも出来ているはずだ、確認してみろ」

ルセイラが自分のドレスの胸元を見下ろし、それから顔を上げた。

「確認は、あとでしておきます」

「ん? ああ、確認するもしないも好きにしてくれ。強制はしない。ただ……あー、ちょっとだけ注意点がある」

ルセイラが、眉間に皺を寄せて険しい表情を浮かべる。

そうして、私の左手を指差した。後ろに回わされかけているその手を。

「その手は一体何です? 何が貴方にとって都合が悪いのですか?」

「い、いや、都合が悪いってわけではないが」

「いいえ、都合が悪いに決まっています。貴方、そういう時にはいつもお尻を掻いているか、掻こうとするかのどちらかをするではありませんか」

 言葉に詰まる。

都合が悪い時というか、言いにくい事を言おうとするとってのが正確な条件だが、そんな事はまあいい。

彼女にとっては、どちらもあまり大差のないことだろう。

「先に話しておけたら良かったんだが、そんな余裕も時間もなかったので勝手ながら後回しにさせてもらった。まあ、落ち着け。とにかく落ち着いて聞いてくれ」

「ええ、落ち着いています。ですから、さっさとおっしゃい」

 尻から手を離す。言い出す覚悟はちゃんと出来た。

軽く咳払いをする。

胡散臭そうに見つめてくるルセイラの目を、反らさずしっかり見つめ返した。

「最初の数年は、ほんのちょっとした違和感を覚えるだけだ。傷の治りが早いだとか、光に対して過敏になるだとか。曇りの日は特に駄目だな。晴れている日は平気なのに、何故か曇りの日には目が痛くなる。それから十年も過ぎれば……慣れってのは怖いな、その違和感が消える。その代わりに、変化に対して鈍くなる。周囲は変化し続けるのに、自分は変わらないからかも知れない。何年も何十年も何百年も変わらなくなる」

 バンガムと出会い友人となり、そして互いの道へとそれぞれ別れてから35年の月日が経っている。

その間、遠く離れていながらも手紙のやり取りは何度もしているので、気持ちの上でのズレは生じていない。

しかし、手紙で呼ばれてやって来て、いざ顔を突き合わせてみれば、バンガムは年月を経たその分だけ年を取っていた。

それを目の当たりにさせられた。

生きとし生けるものは年を取る。だから、そうなるものと頭では理解している。

けれど、記憶の中のヤツは青年の時のままだったから驚きがあった、違和感があった。

そして、もう、昔と同じように彼と行動することはないのだと思えば、さみしくなった。

 大きく息を吸う。

一時期は、変化のない己の、生きた年月を数えるのは無駄と切り捨てていたが、最近ではまた数え始めている。

それに何の意味があるのかと人に問われれば、上手くは答えられない。

ただなんとなくだ。

年齢を数えなくなることで、自分を疎かにしているような気がした。

疎かにしながらでは、自分を忘れては生きてはいけないような気がしたからだった。

 「私は、今年で71歳になる。普通に生きていれば、棺桶に入っていてもおかしくない年齢だ」

「あら、貴方はお父様よりも年上でしたの。それにしては、落ち着きも思慮も全然ありませんけれども」

「だから鞭の事は悪かった。素直に非を認めよう。うっかり失念していたのだ。入れてさえいれば、今頃は私の助けなどいらなかったよな? それはわかっている」

ルセイラが、小さくため息をつく。

「それはもういいのです。けれど、ああ……お父様も人が悪い。貴方に近づいてはいけないなんておっしゃらなければ、わたくしだって……」

「ああ、バンビィのヤツは一応言っておいたのか……」

「ええ。でも、近づくなと言われれば、気になるではありませんか。しかも、こそこそと何かしているとなれば、尚更何をしているか突き止めたくなる。結局、わたくしは、お父様に嵌められたのかしら」

「おいおい、嵌められたなんて言葉を使うな。女の子が下品だぞ」

ルセイラが、睨みつけてくる。

「お黙りなさい。年の功で優れているのは、その憎まれ口だけですか? もう少し役に立つ他の技術を身につけたらどうです?」

「わかったわかった、そう怒るな」

「怒ってなどいません。ああ、それから、貴方に先に言っておきます。わたくしは、結果としてこうなりましたが、今までの行動を少しも悔いてなどおりません。わたくしは、わたくしに出来得る限りを尽くしました。それでこうなったのですから、後悔などするはずがありません。ですから、この件についてはわたくしに二度と謝らないで下さいな。わたくしは、自身の行動の結果を他人に押し付けるような卑しい真似は、それこそ死んでもいたしませんので」

 ルセイラが、にやっと笑う。

その親父譲りの笑みを見て、ふいに昔の記憶の断片が脳裏を過ぎった。

それに懐かしさを覚える。

彼女と肩でも組んで大いに笑って、ジョッキから溢れんばかりの酒で乾杯したい気分になった。

「なぁ、一緒に酒でも飲むか。祝勝会だ」

ぽつりと呟くと、ルセイラが訝しげな顔をする。

「御冗談でしょう? わたくしは、お酒など飲めません」

「そうか。それなら水、美味い水を用意してやるぞ」

彼女の目が、鋭さを増した。

「貴方、さっきの偽物と同じ事を言っておりますわよ。しばらくの間は、わたくしに水を勧めるのはやめていただけるかしら? わたくし、偽物の貴方に水を勧められたことで、ちょっとしたトラウマになってしまったのですから」

 暴れまわった後だったので、テーブルの上にあった食器もグラスも砕けて散らばっている。

床にこぼれ飛び散った水の染みへと視線を向けた。

「ほう? 勧められて、水は飲んだのか?」

「飲むわけがないでしょう? 貴方なら、あの水を飲みましたか?」

「ああ、何てことはない水だ。喉が渇いていれば飲み干したことだろうよ」

「あら、おかしな臭いがしていてもですか?」

「私やお前には特に害はない。それに、普通の人間が飲んだとしても、腹痛ぐらいで済む。あれをヤツらが定期的に飲まなきゃ干からびて死ぬってだけだ」

「干からびて? それなら、あの水の出所を探り、そこを潰せば終わりになるのではありませんか?」

至極真面目な顔をしてそう言うルセイラの頭の上に手を置いて撫でる。

「よしよし、優等生らしい答えだな」

「なんです? その手をどけてくれませんか? 貴方の手、少しベタベタしていますわよ」

そう言われて手をどける。

ルセイラの銀色の髪が、皮の手袋にくしゃくしゃになって数本くっついてきた。それも丁寧に引き剥がす。

「そいつは悪かったな。だが、物事はそう簡単にはいかないってのをこれから説明するところだ。なぁ、ルセイラ。今まで誰も、あの水の出所を探ろうとしたヤツがいなかったと思うか?」

「いたとしても突き止めるまでには至らなかったというわけですか?」

「ああ。水の出所を探るチームも少数存在しているが、相手も必死だ。探索チームの人員は、とにかく死亡率が高い。死んだヤツの殆どが、いいところまで突き止めかけたと思ったら、突然消息を絶つ。しばらくして、異常に気付いた別のチームがそちらの探索に加わるが、そこで消えた奴らの遺体を見つけるってのがお決まりのパターンだ。で、肝心の出所の方は移動でもしているのかして、また場所を変えてしまう。ここ数十年は、そんな風にずっと鼬ごっこだよ」

「探索は、どうせ戦闘に向かない人にさせているのでしょう?」

「お、なかなか鋭いな。情報収集と分析に優れた人材を多くあてている。まあ、戦闘には向かないヤツが多いな。だが、それも仕方がない事でもある。そっちにばかりかまけていたら、仲間を増やされて私達の方が根絶やしにされ兼ねない。第一、狩る方だって命がけだ。ただ、戦い慣れをしている分だけこっちの方が、まだ死亡率が低いというだけさ」

「貴方は、今年で71歳ですものね」

「私は、この業界に入ってから50年。普通の人間の感覚からすればベテランなのかも知れないが、まだまだ新米だ」

ルセイラが、少し考えるように時間をおいてから目を伏せた。

「そうですか、50年も……」

「そうだ、50年だ。けれど、あっという間だったぞ」

 ルセイラが伏せていた目を開いて目を合わせたと思えば、何故か視線を下げて両手の位置を確認してくる。

おそらく、尻を掻いているのかどうかを確認しているのだろうが、私とてそうしょっちゅう尻を掻いているわけではないし、発言の全てが言いにくい情報というわけでもない。

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