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7.水曜日午後4時
三鷹ディスカウントストア射殺強盗事件。一九九七年の七月に起こった。閉店後に侵入した犯人よって、三人の女性店員が射殺されている。開けられた金庫から、売上金など三〇〇万円が盗まれていた。被害者を襲った弾丸は、7.62㎜。当時、闇で多く出回っていたトカレフが使用されたと思われる。発射された五発とも被害者に命中し、さらに至近距離で明確な殺意を感じさせることから、最初から殺害するつもりで押し入ったと推理される。これまで、捜査線上には数百人がリストアップされていた。強盗の前科のある人間が大半だったが、いずれも重要参考人までには至っていない。
練馬の事件と同様に、その残虐性から外国人犯行説が広くとなえられていた。長山も、事件発生当初はそう考えたものだ。正式に捜査を担当したことはない。が、警視庁に所属する警察官ならば、解決を願わない者は存在しないはずだ。
「長山さんは、当時から刑事だったんですよね?」
「ええ。新宿にいました。刑事課で盗犯担当でしたので、前科者の情報など捜査本部に協力したことはあります。すぐに、べつの署の生安に移動したので、その後はよくわかりませんがね」
「証拠とかは、なかったんですか?」
竹宮翔子の質問が、とても素朴に感じられた。
「指紋や慰留物などはなかったはずです。弾丸の線条痕からも足はつかなかった」
「お手上げだったんですね」
足はつかなかった──に、かけたのだろうか。その表現に、少し皮肉が込められていたような気がした。だが彼女の表情からは、そんな深い意味はなかったようだ。
今回の懸賞金がかけられた四件のうち、概要のわかる三件の説明を終えたところだった。そのなかで、やはり三鷹の事件に彼女の関心はあるようだ。犯人らしき人物からの電話を知っているのだから、それも当然だ。
「どう思いますか?」
場所は、コールセンターのとなりにある部屋だった。ビル一棟が財団のものだから、とにかく無駄に広い。使用していない空き室のほうが多いのだ。
長山は、翔子からの問いに、すぐには答えられなかった。
「一億円の話にのってくると思いますか?」
「さあ……」
あの電話の主に金が支払われるかどうかは、どうでもよかった。
「もし犯人だったとしても、簡単には支払われないんですよね?」
それは、久我がさきほど約束した、懸賞金とはべつの一億の話ではなく、懸賞金十八億のことを言っているようだ。
「もちろんです。その話が本当かどうか、こちらで深く精査します。その結果、情報提供者が犯人であると確定しても、われわれはすぐに逮捕できません」
「懸賞金が支払われてからなんですよね?」
「そうです。正確には、支払いの契約が結ばれてから、ということになります」
まだ始まったばかりの制度だから、警察としても難しい対応を迫られることになるだろう。犯人を知っているのに逮捕できない状態が長期間続いたとしたら、警察の存在意義に関わってくる。契約前に逮捕はできなくとも、身柄の確保はしておくことになるはずだ。この制度を定着させるためには、その部分を明確にしておくことは必要なのかもしれない。だが、犯人は金目的で名乗りをあげるのだ。そういう狡猾な人間に、警察官が遠慮するというのはいかがなものか……。
おそらく、と思う。長山の立場では、上の魂胆など計り知れないが……上は上で、苦悩しているはずなのだ。この制度は、警察の威信を失墜させるものだ。多額の──途方もない大金で、凶悪犯を釣ろうとしている。警察が、この制度を容認するということは、正規の捜査の敗北を認めることだ。
財団へ──久我猛へ協力をすることに、反対意見のほうが多かったのではないか。にもかかわらず、警察組織は財団と組むことを選んだ。根回しに、久我はいくらの金をばら蒔いたのだろうか。犯人に数十億をためらいもなく渡そうとするほどだから、それ以上のご褒美を関連する政治家に献上しているはずだ。
「あの……」
遠慮がちに、翔子がなにかを切り出そうとしていた。
「はい?」
「捜査活動……に、わたしも……」
彼女の言わんとしていることはわかった。
「捜査ではなく、私の役目は裏付け調査ですよ」
「そ、その調査に……わたしも同行させてもらえませんか?」
困ったことをお願いされた。
「ダメですか?」
警察の捜査にマスコミの人間が密着することは、それほどめずらしいことではない。テレビ改編期の目玉番組として、警察への密着企画をどこの局でも放送している。
しかし彼女はテレビではなく、雑誌記者だ。テレビの場合、警察としても良いPRの場として、むしろ利用している部分が強い。が、雑誌となると、どうだろう。誌によってはガセネタも多いから、テレビや新聞にくらべて下に見ていることはまちがいない。
久我の意向もあるし、許可したいところだが、警察的には遠慮願いたいところだ。せめて彼女が、新聞記者であったなら……。
「まあ、いいでしょう」
長山は決断した。
「本当ですか!?」
今回の話は、警察の長い歴史のなかでも特別なことだ。政治的な意味合いも強い。いち公務員が判断できることではないのだ。それは長山だけにとどまらない。特命捜査対策の室長もしかりだ。室長は、広報課および刑事部長におうかがいをたてるだろう。だが、そこでも決断までには至らない。
刑事部長は、警視総監に話をもっていく。総監も、判断しかねるだろう。そうなると、警察庁へゆだねるかもしれない。警察庁は警察庁で、話を振られても迷惑するだろう。前例のないことは、許可をしない。が、そもそも財団と組んだ段階で、前例から大きくはずれている。頭の固い首脳陣の思考は、すでに停止していると思っていい。そのままたらい回しにされれば、話は与党の幹事長クラスにまで行き着くかもしれない。久我が政治家たちにこの制度を飲ませた時点で、彼らは同時に《毒》も飲んでいる。
久我の意向を無下にはできないはずだ。
「ですが、すべてを記事にされても困ります」
「わかってます! 長山さんの指示には従いますから」
聞き分けの良い生徒のように、翔子は返事をした。長山は、まるで教師になったような心境になっていた。
* * *
セミの声であふれている。
あれは、いつの夏だったか……。
場所も、いまではあやふやだ。土にまみれた感触だけが、身体に染みついている。
あのときから、自分は《悪》の側に堕ちたのだ。たとえ、悪魔を成敗するためだとしても……。胸の奥に、まだ黒々とした怒りは残っている。それを吐き出したくて、こんなことをしているのか……。
いや、ちがう。それは自分が《悪》だからだ。
あの土のなかに、ヤツは眠っている。いつか眼を醒ます夢を、幾度となく見た。
セミの声。遠い、遠い……。
あばかれる日が、いずれ来るだろう。
それを恐れているのか……待ち望んでいるのか……。
自分でも、わからない。