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16.木曜日午後6時
午後になって編集部にもどっていた翔子は、日が暮れるまで調べ物をしていた。
先輩編集者に第四の事件である『足立区会社員行方不明事件』のことをたずねたのがきっかけだった。ほかの同僚はだれも、その事件のことを知らなかった。その先輩だけが、おぼろげながら知っていた。先輩は、足立区在住なのだ。だから記憶のすみに残っていた。
概要は、こうだ。
江北に住む会社員(三九歳)が、帰宅途中、突如として行方不明となった。千代田区にある会社を出てからの足取りはわかっておらず、自らの意思で失踪したのか、それともなにかの事件に巻き込まれたのかも特定できていない。行方不明の翌日に家族によって捜索願いが出されているが、結局、事件事故なのか、失踪なのかもわからないまま時だけがすぎた。
なぜ、この事件が選ばれたのだろう?
事件……ではないかもしれないのだ。
この疑問をもっているのは、自分だけではない──そう翔子は思っている。きっと、長山も同じことを考えているだろう。
先輩の話だけでなく、パソコンで検索をかけて、できるだけ行方不明事件の情報を集めた。とくに有用なものはなかった。いや、とあるスレッドで、失踪した男性の住所を書き込んでいるものがあった。日付は二〇〇三年十月になっているから、事件が起こってから二年ほどが経過していることになる。その当時は、インターネットの普及率が五〇%を超え、ようやく一般に浸透したころだ。だいぶ古い書き込みということになる。その住所をメモした。
長山に協力をあおげば、その程度の情報は瞬時に知ることができるだろう。だが、いかに財団から許可を得ているといっても、個人情報を警察官が簡単に教えてくれるとは思えない。それに、自分一人で調べてみたい衝動にかられていた。
編集部を出たのは、六時半を過ぎていた。雨が降ったようで、道路が濡れていた。集中していたから、まったく気づかなかった。
電車を乗り継いで、足立区の西新井駅で降りた。さらにバスで十数分。住所を頼りに行方不明となった男性の住居についたときは、八時を大きく越えていた。
住宅街のなか、そこだけが不自然に風化していた。
ボロボロの一軒家が残っている。両脇や後ろには普通に家が建っている。その一軒だけが、ボロ屋なのだ。あきらかに人は住んでいない。ここだけ、時代が止まっているかのようだ。
窓は割れ、小さな庭には瓦も落ちている。どうして、こうなっているのだろう?
引っ越しをしたのだとしても、次の買い手に渡ったはずだ。それとも、残った家族が売却しなかったのだろうか。
「あの……」
声をかけられた。右隣の住人らしい。五〇代ぐらいの主婦だった。
「なにか御用でしょうか?」
「あ、いえ……あやしいものではありません……わたしは、こういうものです」
名刺を差し出した。
「マスコミの方?」
「そうです。この家なんですけど……」
「ああ、なるほどね。懸賞金だっけ? だから、いまになって取材に来たのね」
「ここには、だれも住んでないんですか?」
「見てのとおりよ」
「行方不明になったのは、ご主人なんですよね?」
「そうよ」
「残った奥さんと子供は?」
同じ歳の妻と、当時中学生の女の子がいたはずだ。
「さあ……まあ、逃げたくなる気持ちはわかるけどね」
「逃げる?」
その言葉に引っかかった。
「どうして、逃げなければならないんですか?」
自らの失踪にしろ、事件に巻き込まれたにしろ、逃げる理由にはならない。それどころか、もどってきたときのために、この家を守ろうとするのが普通ではないか。
「……あくまでも噂だから、大きい声じゃ言えないんだけどね」
そう前置きしてから、主婦は語ってくれた。少し声はひそめたが、充分大きかった。
「この地域でも、何人かやられたのよ」
「やられた?」
「詐欺よ、詐欺」
「え?」
「実際に、被害にあった人に会ったことはないんだけど……どうやら、かなりいるみたいなの。ほら、世間体もあるし、なかなか言い出せないじゃない」
思わず翔子は、ジッと主婦のことを見てしまった。
「わたしは、ちがうわよ」
大げさに、彼女は否定した。
「でね、そういうわけで、この土地は買い手がだれもいないのよ。一応、売ろうとしたみたいなんだけど、不動産屋にも断られたみたい。結局このままにして、夜逃げ同然に引っ越しちゃったってわけ」
どうやら行方不明になった男性は、いわくつきの人物だったようだ。上辺だけの検索では、そんなことはわからなかった。
「何人か自殺者もいるみたいだから、根は深いわね。だからこの近所では、だれかに殺されたんじゃないかって、みんな言ってるわ」
「あの、警察はその詐欺事件の捜査はしなかったんですか?」
「してないんじゃない? わたしはわからないけど……そんな様子なかったわ」
もし、行方不明の男性が詐欺犯だったとしたら、自らの失踪ではなく、事件に巻き込まれた可能性のほうが高くなる。事件の発覚を恐れて逃亡しようとするのなら、家族もつれていくはずだ。
詐欺の被害者に会って話を聞いてみたい。
翔子は、強くそう思った。




