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悪辣な金  作者: てんの翔
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        10.金曜日午後9時


 樺島という仲間の素性は、すぐに割れた。片桐茂男の二度目の服役で、同じ房にいた男だった。樺島哲也。現在、五五歳。所在は不明だが、もともと関東近郊を縄張りにした窃盗の常習犯だった。おそらくいまでも東京周辺に潜伏しているものと思われる。だが三鷹の事件が懸賞金の対象になったことで危険を感じ、遠くへ逃げていることも考えられた。

 以上の情報は、特命捜査対策室経由で捜査一課に伝わっている。情報提供者である片桐茂男の逮捕には動けないが、その共犯者である樺島の身柄確保に関しては、なんら問題はない。長山は、捜査一課からの吉報を待っていた。

 夕刻、竹宮翔子の報告をうけてから、財団への出向を早めに切り上げていた。警視庁本庁舎に到着してからすでに四時間ほどになるが、こんなに長く本庁に詰めるのは久しぶりのことだった。練馬一家殺害の犯人かもしれない情報提供者・服部幸弘から電話があるかもしれないが、いまは樺島のほうが気にかかる。それに、もし電話があれば、すぐに財団から連絡があるはずだ。

 特命捜査対策室のオフィスに、室長の郡山がもどってきた。

「いま聞いた。捜一が引っ張ったそうだ」

「樺島を、ですか?」

「そうだ」

「逮捕ですか? 参考人ですか?」

「パクったということだろう」

「罪状は?」

「そこまではわからないが、窃盗の常習犯だから、もしかしたら三課がマークしてたのかもしれん」

 長山は、ちがうとふんだ。樺島も片桐茂男と同じで、三鷹の事件以降に逮捕されていない。つまり、樺島もおとなしくしていたのだ。

 あまり褒められた手ではないが、公務執行妨害などで別件逮捕したのだろう。もしくは窃盗は窃盗でも、万引きの容疑かもしれない。いかに我慢していたとしても、手グセのある人間ならば、やっている可能性のほうが高い。いずれにしろ、別件だ。だが、それでもいいと思った。あの凶悪事件が解決するのなら、多少のルール違反も許されていいはずだ。

「本格的な取り調べは、明日からになるだろう」

「身柄は、どこかの所轄ですか? ここですか?」

「ここだ。もうじき、つくだろう。どうする?」

「一目、確認しておきたいですね」



 それから一時間ほどで、樺島哲也が連行されてきた。留置施設に移されるまえに、長山は廊下で樺島の姿を視界に入れた。

 片桐茂男は、どこか脱け殻のような印象だったが、樺島はいまだ「現役」だった。

 眼が、邪悪のままだった。これまで犯罪行為を控えていたのは、改心したのではなく、ただのめくらましだったようだ。とはいえ、二〇年近く辛抱したのは評価できることなのかもしれない。もちろん、まったくの聖人君子の生活ではなかっただろう。発覚はしなくとも、軽犯罪はやっているにちがいない。それでも、凶悪事件を起こした人間がここまで息を潜めていたのは、なんとしても捕まりたくない、その一心だったはずだ。もっといえば、極刑を免れるため。

 明日からの取り調べでも、絶対に自供はしないだろう。はたして、それをどうやって引き出していくのか……。

 樺島がもっているという凶器。

 拳銃を、いまでも樺島が隠し持っていれば、それで事件は解決できる。処分されていれば、それは夢と消える。片桐の犯罪立証も難しくなり、懸賞金の支払いもなくなる。

 もし懸賞金のことがなければ、片桐の自供はそれだけで有効だ。だが十八億がかかっていることを考慮すると、途端に信憑性はなくなる。金のために嘘の供述をしている可能性を視野に入れなければならないのだ。懸賞金が犯人を呼び寄せたのは事実だが、同時にそのことが自供の信用度を曇らせる結果となってしまう。皮肉なものだ。

 立証するためには、なんとしても樺島を落とすか、凶器を発見するしかない。これ以上なにもできないことに、長山はもどかしさを感じていた。


        * * *


 土曜日──。片桐茂男と遭遇した翌日、翔子は朝からある場所に向かっていた。

 千葉県の松戸市。住宅街のはずれに、一軒の花屋があった。

 開店の準備をしている女性がそうだろう。年齢は、今年で三〇歳になる。片桐茂男の娘である、持田香澄。

 昨日、片桐茂男から、娘の様子を見てきてほしいと頼まれていたのだ。自らの素性や犯行を翔子に告白したのも、そのことへの交換条件だったかもしれない。

 以前は隠れて様子を見に来ていたそうだが、病気がわかってからは来ていないという。ここに花屋を出したのは、六年前だそうだ。夫婦で営んでいる。

 娘の母親──片桐茂男の別れた妻は、すでに他界している。残った父親が、自分たちの花屋に興味を抱いていることなど、彼女たちは夢にも思っていないはずだ。片桐の話によると、子供のころを最後に、ちゃんと会ったことはないそうだ。

 駅前など立地条件の良い店であるならば、それなりの収入も見込めるだろうが、町の小さな花屋では、それも難しいのではないか。もちろん、翔子には花屋の経営状況などわからない。想像でしかないが、細々とやっている。きっと片桐茂男も、そう感じていたにちがいない。

 だから、金を残したいのだ。

 だが、はたして彼女たちは、その金を受け取るだろうか? 自分なら、どうするだろう……翔子は、ふとそんなことを考えた。

 金を受け取るということは、そのときには父親が犯人であるということが世間にも発覚しているということだ。懸賞金がだれに渡ったかわからないシステムになっていようとも、受け取ったのが肉親だとすれば、いずれは発覚することになるだろう。そうなったら、この近所では暮らしていけなくなるかもしれない。

 十八億。

 一生、遊んで暮らせるだけの金額だ。だれも知らない土地に渡って、第二の人生を歩んでいくという方法もある。

 もし、彼女たちが受け取りを拒否したとしたら、どうなるのだろう?

 財団側は、片桐茂男本人に懸賞金を払う。その片桐が死刑、もしくはそのまえに病死すれば、十八億の相続権が娘に発生する。が、懸賞金を受け取らないのなら、相続も放棄するはずだ。結局は金が宙に浮く。片桐茂男が遺言書を残してどこかへ譲渡しないかぎり、いずれは国庫へ行き着くことになる。

「……」

 翔子は、考えることをやめた。それは、当事者たちが考えればいいことだ……。

 いつのまにか、開店時間をむかえていたようだ。翔子は、花屋に近づいた。普段から植物との接点はまるでない。店頭に置いてある花々が、なんという品種なのか見当もつかなかった。大学時代、それで彼氏に愛想をつかされたことがある。

「いらっしゃい」

 控えめな声がかかった。

 近くで見ると、清楚で真面目そうな女性だった。店の奥では、旦那さんと思われる男性が作業をしている。

「贈り物ですか?」

「……そうです。わからないので、お薦めはありますか?」

「花束にしますか?」

「あ、いえ、鉢植えがいいです」

「じゃあ、これなんかはどうですか?」

 小さな鉢植えだった。黄色い花が咲いている。

「それでいいです」

「ありがとうございます」

 お金を支払い、商品を受け取った。

「あの……」

「はい?」

「あ、なんでもないです。すみません」

 なにかを言おうとしたが、なにも言えずに店を出た。

 お父さまが心配していました──そんな言葉を口にできるわけもない。でもせめて、父親に死期が迫っていることだけは、伝えてあげたかった。


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