百鬼夜行ノ呼ビ声
「今朝未明、東京都ーーで、会社員の小鳥遊飛鳥さん(34歳)の死体が発見されました。死因はわかっていないとのことです。同様の事件が相次いでいることから、警視庁は連続殺人事件の可能性もあると見て、捜査を続けていますーーーーーー」
バゴッと何かを叩きつけるような音のあと、カランという音と共にれんげが宙を舞った。
綺麗な放射線を描いたれんげは、見事、のんきにラーメンを食べていた私の額にクリーンヒットしたのだった。
あまりの暴挙に呆けていた私をーーーーカランカランと、床に落ちたれんげの奏でる音が現実に戻させた。
「センパイ……いくらイラついたからって、どんぶりをテーブルに叩きつけないでくださいっ!!」
地味に痛かった、という話以前に、他人の……いや、センパイだがまあそこは置いておこう。ともかく、おっさんの唾液の付いたれんげなど、即座に消毒したいものなのだ。それが私の、スキンケアを毎日3時間は欠かさない、この私のお肌に触れたなど、記憶から直ぐに消し去りたい。
とりあえず額をティッシュで拭いたものの、綺麗になった気がしない。…………アルコール消毒でもしたいなぁ。
「あぁ!? お前はコレを見ても、イラつかねーのかよ!」
また私につばが飛んでくる。華麗に避けた私を誰か褒めて欲しいものだ。……食べかけのラーメンは被害にあったけど。もう食べる気が失せましたよ、ええ。
「私だってまあ、ちょっとは、気にしちゃいますけど……」
もう一度テレビの方を見ると、既に別のニュースになっていた。これ以上センパイの機嫌を損ねる心配がなくなり、ひとまずほっとする。
「チッ、あのつるっぱげ野郎め!」
「センパイ、未来の自分に還ってきますよ、その発言」
失言だった。言ってからヤバイ、とは思ったものの、もう遅かった。
「あ゛あ゛!? 何か言ったか?」
「な、何も言ってませんとも、ええ」
だくだくと汗が流れそうなほど焦る。なにせ、このセンパイ、警察官のくせに暴力沙汰を起こした事もある(勿論常勝)、それはそれは腕っぷしの強い人なのだ。
「おいおい、そこの『正義の味方さん』たち。あんまりうるさくされると、客が入んないだろ? あと、ここはラーメン屋じゃなくてカフェなんだけど……なんでラーメンしか注文しないのかなあ?」
店長ーーーー警察官が正義の味方、と言われることはわかりますが……それでもツッコミましょう!
コレが正義の味方の態度でしょうか!? コレが正義の味方の顔でしょうか!?
「けっ、なーにが正義の味方だよ! 結局、都合の悪いことは揉み消すだけだ、あのつるっぱげ共は」
「センパイ……」
悪口とはいえ珍しく真面目に言うセンパイに感動しつつ、てめえ仕事を真面目にやれよ!上司の文句言える立場じゃねぇよ!と言いたい口を抑えた。
「いや、スルーしないでね? ここはオシャレなカ「お前だって今回の事件、怪しいと思うだろ!? 俺が見つけた死体なのに、なんで捜査させねーんだよ」
「正確には、というか普通に私が第一発見者です」
勝手に事実を脚色しないでください。センパイは……えっと、確か第五ぐらいでした。
「おーい、そこ。物騒な話を飲食店でするんじゃないよ。それとここは、居酒屋でもラーメン屋でもなくて、オシャレなカフェなんだけど……」
「いやいや、お前コーヒーよりラーメンの方がうまいって。ほら、ここの閑古鳥感からわかるだろ? ま、お前んとこが寂れてたってどうでもいいか。んで、元と言えば此奴がホテルなんて小洒落たところに泊まったことからなんだよ!」
悪かったですね! 合コン帰りだったんですよ! 馬鹿にされそうだから言いませんけど……
それと店長、貴方様のコーヒーはぶっちゃけ……まずいです、ええ。ラーメンはとっても美味しいのにーーーーだから客が来ない、っていうのもあながち嘘でもないですね。まあ後は、立地とか。なにせこのお店、道の奥にポツンとあるし。よほどの物好きか、迷子くらいしか来ませんよね、そりゃ。
「か、閑古鳥……」
ズーんとネガティブオーラを発する店長に合掌。ごめんなさい、センパイはいつもこんなんです。
「んでなあ、合コンで失敗してすごすご帰って悲しく独りでホテルに泊まる事になった哀れな女刑事が朝、これまた独り寂しくバルコニーに出るとーー」
「センパイ。『合コンで失敗してすごすご帰って悲しく独りでホテルに泊まる事になった哀れな女刑事』って誰のことですか?」
……なんでセンパイが知ってんですか!? 記憶から直ぐに抹消してください、ええ。
「誰のことだろうな。んで、なんと驚き! 聞いて驚け! 向かいのバルコニーに男が倒れてたんだよ、これが。合コ……言うのメンドくせえな。女刑事Aがホテルの人に事情を話して部屋に入ると、もう死んでたんだってさ」
あっさり死んでたとか言うなーっ! そこはお亡くなりになってたとか言ってくださいよ。……まあ、くたばってたって言われるよりはましか。
「んで、連絡を聞いて駆けつけてやったこの俺が華麗に捜査でもしてやろうと思ったのに……あのつるっぱげが、『この事件はもっと上へ持っていくから。君たちは忘れなさい』なんてぬかしやがったんだよ」
完全に落ち込んでいる店長を尻目に、得意げにペラペラと情報を店長に話すセンパイ。流石にそろそろ情報漏洩の恐れがありますね、ええ。
「センパイ。流石に一般ピープルに話し過ぎかと」
「お前まだパンピーとか言ってんのか? 死語だぞ、死語」
あんた私より何歳年上だよ!と首元を掴んでシェイクしたい衝動をどうにか堪え、お年寄りを労わる笑顔をつくった。まあ、そこまで歳の差は無いんですけどね。
「センパイ……そろそろせっかくの休みを満喫したいんですけど」
「んー、そうだなあ」
愚痴を言っても無駄であるとはわかっていたらしい。わりと帰って良さげな雰囲気に、やっと遊べる! そう思った。しかしそんなタイミングに邪魔とは現れるものだ。
カランカラン、とベルが鳴り、このカフェ?に珍しく客が入って来た。
「いらっしゃいませ!!」
とたんに元気になった店長がきりっとした顔で応対しようとして……固まった。
入って来たのは小学生くらいの女の子。どう考えても、迷子でしょう、ええ。長い黒髪に、綺麗な着物、上流階級のお嬢様を想像させる子だ。
「えーっと、お嬢ちゃん、迷子かな?」
「ここはガキの来る場所じゃねーんだよ、しっし」
大人げない大人がここにいるぞ……
大丈夫かな、この子。怖くて泣いちゃったりしないかな。そう思い見てみると、女の子は気にした様子もなくただぼーっと佇んでいた。
「ラーメン……」
「えっと……ラーメンを、食べに来てくれた、ということかな?」
流石店長。どっかのセンパイと違って、子どもにも丁寧な応対だ。
こくりと女の子が首肯したのを見て店長は、嬉しそうに、それでいてどこか悲しそうに、店の奥へとラーメンを作りに行った。
「一人で来たの?」
何かしゃべろうと、とりあえず当たり障りのないことを聞くと、女の子はまたこくりと首肯した。
「お名前、なんて言うの?」
できる限り優しそうに言った私に、女の子は表情をピクリともさせず、無表情のまま声を発した。
「一応、土御門瑞稀」
一応? 子供特有の、習った言葉を使ってみたいってやつかな?
使い方間違ってるけど……微笑ましいなあ。この子もませてるけど、やっぱり子どもなんですな。
「そっか。瑞稀ちゃん、お姉さんの名前は……」
「ぶほ、お、お姉さんーーククク、お姉さん。ククク、クプ、クハッ」
おいそこ。爆笑するな。自分でもちょっとアレかな、と思いましたよ、ええ。
「ほいよ、ラーメン一丁お待ちッ」
微妙な空気の中、やたらラーメンを作るのが早くなった(主に私とセンパイのせいだろう)店長がやって来た。
瑞稀ちゃんは無言で受け取ると、マイ箸をどこからか取り出して、これまた無言でラーメンを食べ始めた。
…………
麺をすする音だけがするこの無言空間の中、私も店長も何をいえばいいか戸惑っていると、相変わらずのセンパイが口を開いた。
「そういや、死因はホントにわかんなかったのか?」
近くでいたいけな子どもが食事しているのに、なんてことを口にしやがんだ!とは、当然ながら言えず。
「外傷はなかったです。顔が恐怖に引きつってた所からすると、心臓麻痺とかでしょうか。まあ、毒の可能性もありますけど。
とりあえず、あそこのバルコニーは隣の部屋から飛び移るには、オリンピックの器械体操の選手並の運動神経が必要ですし。上から飛び落ちるのは自殺行為に等しい造りになってましたし、下からはしごで……というのも無理な高さでした。なので自然死か自殺が妥当、と思っていたんですけどね。血文字だけ気になってましたけど」
そう。上下左右の部屋の人達は、勿論オリンピック選手どころかただの会社員だった。変な物音も聞いていないという。部屋の鍵は勿論閉まっていたし、ルームキーは部屋の中にあった。ホテル側のマスターキーも絶対に使われていないと証言されているし、擬似的な密室、という訳だ。血文字さえなければ、自殺か自然死と信じて疑わなかったでしょう。
「報道の、連続殺人事件か」
「はい。管轄外の事件だったんではっきりとは知らないですけど……ガイシャの状態といい、密室ということといい、謎の血文字といい、状況がそっくりだったみたいですね」
状況は同じ。あっちは家の中で死亡、だったけど。密室。死因不明。そして、血文字。多分、これが京都連続殺人事件の、初めての違う地域での犯行、ということになるのだろう。
「んー。もういっそ、魔法で殺されましたぁでいいんじゃねーの? ホシも挙がってねーしよ」
「ホント、4人も、今回のガイシャも含めるなら5人も被害が出てるのに、一向に解決の目処が立ってませんからね。課長がそう嘆いてましたよ」
「つるっぱげが!? イイな、もっと嘆け! さらに禿げろよ!」
そんなん言っていいんですか……上司ですよ、一応。
「ん」
声の方を向くと、瑞稀ちゃんがラーメンを見事完食してた。な、中々食べるの早いのね、現代っ子は。
「あ、食べ終わったのね、瑞稀ちゃん」
「ん。美味だった」
また無表情で言っていたが、心做しか、瑞稀ちゃんの声はさっきよりも弾んでいた。
「そう言ってもらえると嬉しいよ」
店長……ラーメンばっか頼んでる私が言うセリフじゃないけど、それでいいの!? カフェなんでしょ、一応。
「誰か、お迎えとかはいないの?」
「婚約者が来る予定。心配無用」
婚約者……小学生なのに、私より進んでるのね。流石、いいトコのお嬢様。
でも、小学生以下……ヤバイ、泣きそう。
「婚約者……最近のガキはませてんなあ」
しみじみと言うセンパイは、顔立ちはいいくせに彼女とかいないんだろうか……ま、いないんだろうな。この性格じゃあ。いくら顔がよくても、ええ。
「これ。あげる」
唐突に言い出した瑞稀ちゃんから、可愛いブレスレット?をもらう。い、いきなりどうしたんだろう。まさか、私を哀れんで……そういえば、この石の色はピンクだし、恋愛運上昇の効果とかあるのかもしれない。
「私に? えっと……ブレスレット?」
「五芒星……」
なるほど、確かに1番大きな石には、赤い星のマークが付いている。
「あ゛!? ごぼう?」
野菜じゃないですよ。大丈夫ですか、センパイ。小学生に知識量で負けてるって……
「五芒星です、センパイ。星形のことですよ」
「魔除けにも、使われる。晴明九字、呼ばれたりもする」
魔除け。もしかしたら、瑞稀ちゃんのお守りだったかもしれない。そんな物を、こんな見ず知らずの大人にーーーー
「そんな物を……ありがとね」
「ん。ただ、逆さ、するな」
子どもとは思えない真剣な様子で言う瑞稀ちゃんの剣幕に、思わずゴクリと息を呑む。
「どうして?」
「悪魔の象徴…………なる」
「わかった。気を付けるね」
軽く返事はしたものの。子どもっぽくない。かといってませてる、と言うには何かが違う。そんな瑞稀ちゃんの言葉は、吸い込まれそうな黒い瞳はーーーー不思議と、脳裏に焼き付いていた。
「会計」
そう言って差し出した瑞稀ちゃんの手には……諭吉さん!?
「こんなに受け取れないよ」
「ん、いい。受け取れ」
さらっとそう言って、瑞稀ちゃんはスタスタと去って行ってしまった。
カランカランとベルが鳴った。
「どうしよう、コレ」
「金持ちそうだったし、受け取っとけよ。それに……カタギのもんじゃ、なさそうだしな」
「え?」
「お前なあ。腐っても刑事なら、そんくらい気づいとけ。ありゃ、相当やべえ奴だったよ」
センパイが言うならそうかもしれないがーーーー私にはどうしても、あんないたいけな子どもが、とは思いたくもなかった。
「というかセンパイ。なら、事件のこととか目の前で言ってて良かったんですか?」
「え? ああ、さ、作戦だ、作戦!」
絶対になんも考えちゃいなかったな、このダメ男……