プロローグ:珈琲
都会の街角で
ある夜の星の下
少年は風のように にげてゆく
都会の汚い大人たちには
決して捕まることはない
都会に慣れた大人たちは
決して追い付くことはない
少年の涙は雨となり
渇いた大地を潤すだろう
少年の声は唄となり
渇いた街に響くだろう
カランカラン
店の扉が開く音がして、椅子に座っていたフェリアは読んでいた新聞を置くことも顔をあげることもせず、カップの中のコーヒーを啜った。
こんな時間に来る客に、素面がいるはずもない。
どうせどっかの酔っ払いが迷いこんできたんだろ。
フェリアはそう結論づけ、そういう輩専門の番犬に声をかけることにする。
「青、客だぜ」
フェリアの声に反応し、飛び出してきたのは店の奥からまだ幼い、13.4歳の少年で。
金髪碧眼の愛くるしい少年は、今街で流行りの薄い翠のハイネックシャツに深い緑茶の中華風の服を被っていて、腰に巻かれたアクセントスカートや少し大きめのロングブーツパンツととてもよい組み合わせとなっている。
その瞳は、好奇の期待で輝いていた。この目でねだられて断ることができるのは、恐らくこの玄武の国内ではフェリアだけだろう。
それをフェリアは自負している。
「お客?誰だろッ」
一つにまとめた金髪を翻し、客の元に走り寄った青は、客の顔を確認すると満面の笑みを浮かべてその人物に抱き着いた。
「テラのじっちゃん!」
「青、久しぶりじゃの」
テラが青の頭を押すように撫でると青はくすぐったそうに笑顔を零した。
『テラ』という言葉に反応し、フェリアは新聞を二つに折って投げ捨てた。コーヒーを飲み干し、うっとくる吐き気をこらえて立ち上がると紛れこんだトカゲの駆除にいくようなきつい目をして客間に向かう。
「厄介なことになりそうだ」
「なァに笑顔の大安売りしてんだ、青。蒲焼きにして食っちまうぞ?」
青に続いて奥から出て来たフェリアの言葉に、青は勢いよくフェリアの顔を睨み付けた。
「俺はウナギじゃないってば!」
そういってテラに抱き着きつつ、フェリアにむかって舌を出してやれば、フェリアは青をバカにしたようにため息をつきながら肩をあげてみせる。
「はいはい。ところでじいさん、わざわざこんなクソ汚ねぇ小屋までようこそ。今なら青が、他では味わえない唐辛子風味の熱いコーヒーをお出しするぜ?」
そこまで言うなら飲むなと言い返したかったが、テラの手前あまり喧嘩するのもどうかと思い、口から出掛けた言葉を胸にしまい込んだ。
そんな青の心情をわかっているのか、フェリアは挑発するように笑っている。
「それじゃあ、その自慢のコーヒーを一杯もらおうかの」
優しく笑うテラに催され、青は頷いて奥へと走り、台所のドアを捻る。
そこは、いつもならミュランが管理していて、いつもキレイに保たれているはずの場所だが、今はどこからゴ○○○が這い出して来ても可笑しくない、まさに不解の森と化していた。
青はそれをまったく気に止めず、まだ辛うじて無事なカップを発掘し、すでに引いてあるコーヒーの豆を手にとり、慣れない手つきで必死に自慢のコーヒーをいれはじめた。
台所から湯の沸かす音がしはじめると、フェリアはテラを客間へと連れ込んだ。
「前回のツケは払ったはずだぜ?」
テラの顔をチラリと伺い、フェリアはテラと机をはさんで向かいの椅子にどかりと腰を下ろした。
フェリアからテラにあいにいくことはあっても、テラがフェリアの店を尋ねてくるのは初めてのことだ。
「今日はミュランはおらんのか?ついに逃げられよったのかのぅ」
「そりゃ大変だ。そんなことになったら、青を捨てなきゃならなくなる」
フェリアは真顔で受け流した。
ミュランがフェリアから逃げるわけがない、その場合原因は青だ、と。
「用件を聞こう。あんたがコーヒーのんで倒れないうちにな」
「そうじゃったな。今日はおまえさんに仕事をやろうと思っての」
フェリアは、ぴくりと眉を歪ませた。
「情報?そりゃ有り難いが、どういう風のふきまわしだ?いつもは俺がわざわざ尋ねてってがっぽり儲けてからじゃないとその石のようなおもーい口を開けようともしない頑固ジジイが」
フェリアの鋭い目が、テラの目から何かを読み取ろうとしている。
「フォフォフォ、人の親切は素直に受け取るがよいぞ、フェリア。なぁに心配するな、これは青に免じてのちょっとした気まぐれじゃ。情報料も安くしておくぞ」
チッ。やはり情報料とるんじゃねぇか。
心の中で悪態をつきながら、フェリアは頭をフル回転させる。
テラがなんの理由もなしにフェリアに情けをかけるとは到底思えなかった。むしろ、情けにかこつけて厄介事を持ってきたと考えるほうがよっぽど自然なのである。そういうジジイなのだ、テラは。
その時、客間の扉を足で開けて、両手に盆を抱えた青が入って来た。
盆の上では噂のコーヒーが二つのカップに注がれて、なんとも微妙な風味をかもしだしている。
「おお、青。ご苦労じゃのう」
「てかおめぇ、オレのンまで持ってきたのかよ」
青がもってきた二人分のコーヒーに悪態をついてみせると、これは自分用だとコーヒーが飲めないくせに言い張った。テラは青に礼をいいながらすばらしい笑顔で隣に座った顔の頭を撫でている。
猫かぶりやがって、この爬虫類どもが。
お互いに猫をかぶりあっている二人を冷たく一瞥するが、フェリアのことは、まったく気にしてないらしく、なんの反応もなかった。
「さて、どうじゃファリア?この情報、買うか買わないか」
青に笑顔をむけたまま、穏やかな声色でテラがフェリアに再び話題を振った。
買うか 買わないか
そう言われて、買わない盗賊がいったいどこにいるのだろう。
フェリアからは青のせいでテラの顔はよく見えないが、テラがフェリアの答えを知っていながら質問しているのは間違いない。
たとえ、どんなに怪しい情報でも……質問の答は決まっているのだ。
「青、書斎から契約書もってこい。インクとペンを忘れるなよ」
青は、フェリアに不平の言葉を吐きながらもしぶしぶと書斎に向かっていくところが素直でいい。
「随分と飼い主になつくようになったのぅ」
テラもフェリアと同じ思いだったらしい。
だが、そのテラの言いように、フェリアはちらりとテラを睨んだ。
「あいつをそこいらのペットみたいに言うな」
「フォフォ、動物扱いされるのが我慢ならんとは。大盗賊フェリアもあの瞳には勝てんらしいのぉ」
「言ってろよ。それで、その情報ってのは何についてだ?報酬も大まかに決めときたいんだが」
テラは、フェリアの顔をちらりと見上げ気味の悪い愛想笑いを浮かべた。
先程までのやさしい顔との違いに戸惑うほどの不気味さ。
例えるならカメレオンのようだ、とフェリアはいつも思う。
「よかろう。情報は、玄武の神殿に幽閉されている、一人の少女についてじゃ」
「神殿?神官か?」
「……神じゃよ」
「神?」
「青のよい遊び相手になるじゃろうて」
まさか、本当に青に遊び相手を見つけるために情報を与えたわけではあるまい。
フェリアはなんとはテラの心を読もうとしたが、彼の石のような分厚い皮からは何も読み取ることはできないし、目は爬虫類のような輝きをもつばかりだ。
「まぁいい。んで?報酬は何が欲しい?」
「…報酬は…… 」
フェリアはあからさまに顔をしかませた。
「最悪だわ」
ミュランは、思わず今の心境を口に出してしまったが後悔する気も起きなかった。
そんなミュランの前にいるのは、うるうると目を潤ませた幼い少年とミュランとまったく目をあわせようとしない相棒。
いや、今は相棒と呼ぶことも躊躇うような状態で。
「さようなら」
そういって出て行こうとしようものなら…今にも泣きそうな麗しい瞳と哀れみを誘う無言の訴えとがミュランの行く手を阻んでくる。
「ごめ〜ん、ごめ〜んミュラン!怒らないでぇ」
ついに泣き出し、抱きついてきた青を抱きとめながら、仕方なさそうにため息をつくとミュランはフェリアを盗み見る。
何か言うことがあるだろう、と。
「悪かった」
そっけない一言。しかもミュランをまったく見ず、感情もなくもれたその言葉。それだけで、ミュランにとっては十分なもの。
「いいわ。青、とりあえず台所を探検してカップを発掘してきて頂戴。私が入ると、いろいろと崩れてきそうだから。それからフェリア、あなたはもっとよく説明して」
青は素直にミュランの指示に従い、台所へと駆け出していったが、フェリアはまだ、椅子の上で口を濁している。
青は素直なだけマシだ。
「だから…じいさんから情報買った」
「あのテラがここに来たんでしょう?それならただ事ではないわ。それくらいあなたにならわかるでしょう」
逃げることはゆるさないとでもいうように、ミュランはフェリアの向かいの席に腰掛けると、鋭い視線をフェリアに向ける。
まったく、冗談ではない。
ミュランは、1日という短い時間この店を離れたことを後悔する。たった24時間自分がいないだけだ。
出かける時、青は家事は任せておけと、エプロンを片手に張り切っていたし、フェリアと絶対にテラの店を訪ねないと約束してから店を出た。
二人を信頼し、なにも心配しなかった自分はなんと愚かだったのだろう、と後悔せずにはいられない。
まさか
まさか帰ってくると台所のドアは開かず壊れた掃除機と洗濯機が奇妙な音をたてているとは…
まさかテラが自ら店を訪ねて、フェリアに情報を持ちかけるとは
テラが悪いわけではないのに、テラへの恨みを募らせ、台所のブツたちをどうしようか考えながら、ミュランの口からははさらにさらに深いため息がもれる。
そのミュランの様子に、フェリアがそうとう気まずい思いをしたのは言うまでもない。
ミュランがため息をついたところで、フェリアはひとつ咳払いをすると、重い口を開き始めた。
「爺さんが言ってきた情報はだな……一人のオンナについてだそうだ。玄武の神殿に閉じ込められてるらしい。そいつが、青のいい遊び相手になるそうだ」
「…テラが紹介する女…。かなりの重要人物かしら。青の遊び相手ってことは、青のかつての友達ということもあるわね。まあ、テラが紹介するんだから、ただの神官ではないことはたしかよ」
「ああ。それは間違いないだろ。神官でもなようだし、かわいかったら売ったらいい金になる」
「……問題は、報酬よ。…あなたのことだからまたとんでもない要求を安請け合いしたんでしょう?テラの要求を素直に飲むことなんてないわ、無理な要求なんだもの。あのトカゲ…」
最後の部分は、フェリアにも聞き取れないような小さな声で濁す。どうやら本当に聞こえなかったようだ。
「それが…報酬はオンナをテラのもとに連れてくだけだとよ」
「……どういうこと?」
「こっちが聞きてぇよ」
フェリアの様子からして、彼もテラの真意を測りかねているようだ。
テラの報酬は今までとんでもないものだった。今までフェリアとミュランはテラに島をひとつ与えたこともさえある。
一番高価だったものは、確か玄武の王宮で頂いた先帝正室の形見の王冠だった気がする。
それなのに、そのテラの報酬がこんなに軽いものだとは。
「青ん時と似てる…か?」
やはり彼も同じことを考えていたらしい。今までで一番安くて、一番困難だった報酬を
「でも、青のときとは違うわ。その子を手にいれたら、その子をテラに会わせるのなんて簡単よ」
「ああそうだ。その子の手を引いて3軒隣の戸をたたきゃぁいい」
「何か裏があるとしか考えられないわね」
明らかなテラの作為。
まさかミュランが今日出かけることすら見越していたのではないか、とそう思うのは考えすぎなのだろうか。
とにかく、テラへの怒りと不信感ばかりが募る。
「引き受けてしまったものはしかたないわ。」ミュランが立ち上がると、ちょうどカップを発掘してきた青からカップを受け取り、魔術でカップに水をため、一気に飲み干した。
「いくわよ、二人とも。あの性悪策士の巣へ」
これが
俺達の
一年間の
長い 長い旅の はじまりだった
もし
ミュランが出掛けていなかったら
もし
青のコーヒーがあとちょっとだけまずかったら
もし
フェリアが契約書を破っていたならば
俺達は今頃
どうなっていたんだろうか
これは
すべてのはじまり
そんなこと
あのときの俺達は
考えもしなかった