懺悔
※ 【俺】は女の子です。
※※ 女子校です。
以上の注意を見ても大丈夫な方はこのままお進みください。
ある昼食時。
いつものように、いつものメンバーで昼食後の駄弁りを楽しんでいた。
「帝王さんの手って温かいよね~」
ある時期から『帝王』と呼ばれるようになって、何となく周りに人が増えた。此処で飯を食べる人間も昔の五人から随分と増えたように思う。
まあ、この事はいったん横に置いといて。
左にいた『見た目はかわいいけど口を開くと毒舌の嵐』と言う表現がよく似合う友達が俺の手を握ってきた。昔からオールシーズン手の温度が高い俺は、冬は寒がりの人間には何故か重宝されてきた。これ、身体にとっては悪いことなんだが………。
すると、俺の右隣にいた女子も俺の手を握ってきた。
一瞬、ドキリとした。
「そうそう、この時期にはホントにちょうど良いんだよね」
そう言いながら彼女は微笑んでいた。
彼女は、俺の『元彼女』。
一ヶ月前、別れを告げられた。理由は至極簡単。
『好きな人ができた』。
俺はそのとき、笑顔でそれを受け止めた。
と言うより、その話ならもう既に知っていた。
彼女のブログに書いてあったからだ。『この夏休みに告白してOKして貰った』と。
これを見た瞬間、身体中の血が凍った気がした。
怒りと憎しみで気が狂いそうになる自身を無理矢理押さえ込み、その日記にコメントを入れた。
『おめでとうございま~す(^_^)』と。
そして俺はその日を限りに、自らの中にある怒りと、憎悪と、醜く歪んだ欲の獣を心の奥底に押し込めた。それはもう一生、この世界には出るはずのないモノだった。
「帝王さん?」
彼女が顔を覗き込んできた。意識が戻ってくる。先程まで考えていた事などおくびにも出さず、何時もの笑みを顔に浮かべる。
その後、彼女と『友達同士』の話をしていたが、彼女は俺の手を離さなかった。
漸く離してくれたのは次の授業の予鈴が鳴った後だった。
じゃあまた後で、と彼女に一時の別れを告げて、移動教室へと向かう。
その時、彼女に握られていた左手は、火傷をしたかのようにジンジンと疼いていた。
そしてそれは、
あの日無理矢理押し込めた獣の檻を綻ばせるのに十分なモノだった。
・・・・・・
次の日、放課後。
彼女は俺の前で、スカートをたくしあげていた。まあ、確かにここは共学ではないし、少し暑いからこれぐらいのことは普通なのかも知れないが、昨日の所為で基盤がぐらついている俺からすると、かなりの責め苦だ。
「スカートおろしなよ」
「何で? 誰も困んないじゃん」
………違う意味で困ってる人間ならここに居るがな。
と言ってやりたくなったが、流石に喉から出ることはなかった。
だがその代わりに余計な言葉が口から出てきた。
「────襲うぞ」
一瞬の間の後に、ガンッ!と鈍い音が頭からした。彼女に殴られてしまったらしい。
「何言ってんだこの馬鹿ッ!!」
本当に馬鹿だった。もっとも言うべきじゃない台詞を吐いてしまった。彼女の言葉が完全な罵倒ではないと分かっていても、気落ちしてしまった。
あんな事を言ってしまっても俺を嫌わない彼女に、胸がズキリと痛んだ。
獣は檻の中で暴れていた。緩んだ檻は獣がぶつかる度に大きく軋んだ。首、身体、手足につけた鎖も強く引き伸ばされる。
引き千切られるのは、もう間近。
・・・・・・
内にいる獣の影響なのか、その日の俺は疲れ切っていた。いっそのこと休みたい。もしくはこんな身体なんか潰してしまいたかった。
時間割変更で木曜なのに月曜授業の今日は、少々身体に負担のかかる時間編成だった。そんな日の朝、俺は彼女に「今日の放課後、屋上に行かない?」と提案した。彼女は快く受け入れてくれた。
その時、この夏休みに仲良くなった友達も誘った。そいつも了承してくれたが、彼女は不服そうだった。
今思えば、彼奴はある種の抑止力だったのかも知れない。
午後は、身体がほとんど言うことを聞いていなかった。ぼぅっとした感覚が抜けきらない。それに加えて暇が襲ってきたため、築三年の校舎のコンクリートの壁を壊していると、彼女が手を掴んで止めてきた。
「止めなよ」
「君が教えてくれたんでしょーが」
そんな他愛もない話をしながら、俺は自分の中で獣が檻を壊したのを感じていた。
必死で理性が止めにかかる。それでも、檻から出た獣は俺の口から言葉を吐き出させた。
「俺ね、少し傷心気味なんだよ」
そんな事を言わせて俺の身体に彼女の髪を撫でさせた。それでも必死に、彼女の皮膚に触れないように。
「撫でても何にもないよ」
俺の行動に、不思議そうにそう言う彼女の言葉に、俺は少し笑った。でもうまく笑えない。恐らく、今にも泣きそうな顔になっていると思う。
そうこうしているうちに予鈴がなった。
「なんか困ってるなら相談に乗るよ」と彼女は言って次の授業に行ってしまった。
…………困ってる事?
俺 ノ 困 ッ テ ル 事 ッ テ ?
この後の授業が全く身にならなかったのは皆様のお察しの通り。
獣は鎖を引き千切ろうとする。咆哮し、身を揺すり、暴れまわる。自らが傷つくことも厭わずに、自らが解放されることだけを望み、ただ闇雲に暴れる。
怒りも憎悪をも食らって巨大化した獣は、次は理性を喰らおうと吼えた。
この身体はもう持ちはしない。
・・・・・・
授業がすべて終わると、俺は早々に荷物をまとめて彼女と一緒に屋上に向かった。階的に五階に相当する此処は、体力の落ちた人間には相当疲れるモノだった。
監視カメラのあるこの屋上の死角たるその真下のベンチに腰を下ろし、俺は息を整えた。持久力系の体力には自信はないのだ。
漸く息が整うと、心地よい秋風が流れてきた。彼女は寒いと言っているが、俺にとっては少し肌寒い程度で問題はなかった。
だが、それが油断になってしまった。
彼女を触りたい、とふと思ってしまった。
思わず頭の中で打ち消す。だが次々に浮かんでくる。少し視線を落とすと、彼女の手。握りたい衝動に襲われる。それを打ち消し、勝手に動きそうな手に爪を立てた。
その時、彼奴がやってきた。
少し救われた思いがした。彼女はあからさまに嫌な顔をしていたが。
彼女は「面接がある」と言って入れ替わりに屋上から去っていった。此奴はそのまま彼女の座っていた場所に座った。
俺は少しむっとしたが、まあ許すことにした。此奴と話していれば、あの獣も温和しくするだろう。
どれ程話していただろうか。彼女が帰ってきた。当たり前のように俺の隣に座っている此奴に睥睨した後、「退いてくれない?」と言って無理矢理退かせた。
此奴は大人しく席を立って俺の前のベンチに座った。そして「そう言えば私、面接行ってないなぁ~」と間延びしたことを言い出した。
彼女と二人で「行けよっ!」と叫んで行かせた後、再び二人きりになった……と思ったら、彼奴の後輩がやってきて、彼女も含めて三人で少し駄弁った。
「それじゃあ私、先輩の事見てきます~」
そう言って彼奴の後輩は行ってしまった。
漸く、二人きりに。
少しさっきの後輩くんの話をして笑いあった後、話が無くなってしまった。
むしろ俺は彼女から顔を背けていた。もし見てしまったら折角治まった獣を起こしかねないと思ったからだ。
だが、もしかしたらこの時、俺は相当弱っていたのかもしれない。
あんな弱音を吐くなんて。
「───理性で抑え込むのって大変だな」
思わず、口から出てしまっていた。自分で気付いたときにはもう遅かった。
「ふーん」
彼女は意地悪い声でそう言うと、俺の肩に手を置いてきた。
「何を理性で抑え込むの?」
「いや……その……思わず口から出てしまいましたスイマセン……」
そう言いつつ、身体が彼女とは反対方向に傾く。少しでも彼女と接触しないように。そんな事をされたら、獣が目覚めてしまう───!
ギリリッ、と身体に爪を立てる音が聞こえそうな程、俺は身体に力を込めた。
「ねえ、何で?」
答えを分かり切っている声。随分昔に俺も彼女に対して同じ声を出した。思えば既視感のあまり笑いそうになるが、そんな余裕すら今の俺には無かった。
「ッ……分かってるだろッ……俺はまだ未練たらたらなんだよ……ッ!」
心の底からの言葉を、絞り出した。恐らく自分の顔は紅くなっている。彼女は心底嬉しそうに笑っていた。
自分の言葉か、それとも彼女の笑顔かは分からないが、恐らくそれらが引き金になった。
抑え込んでいた獣が、目覚めてしまった。
獣が暴れる。それを抑え込もうと、俺は一層身体に力を込めた。歯を食いしばり、掌に爪を立て、腕にも爪を立てた。
「そう抑え込まなくってもいいのに」
彼女はそう言うが、俺は頭を振った。そんな事をすれば、俺が何をしでかすか分からない。
獣を抑え込む鎖が千切れかけていた。もう無理だ、そう思った瞬間の事だった。
「ただいま~」
彼奴が帰ってきた。何時の間にか俺の手を掴んでいた手が離れる。
どっと疲れがきた。神経を張っていた分、その反動なのだろう。持久走を走った後のような疲れだった。
彼女と彼奴が何かを話しているらしいが、内容が頭に入ってこない。こんな醜態を晒したくないのもあって、俺は「荷物を取りに行けば」と息も絶え絶えにそう言った。隣で彼女がクスクスと笑っている。
彼奴が去ると彼女はアハハッ、と笑った。
弛みきった神経をまた張り直さなければならない。まだこの攻防は続くのだから。
その時ふと、死の誘惑が俺に誘いをかけた。
そうだ。ここから飛び降りれば、この身体を引き替えに獣を殺すことができる。この醜い獣を殺せるなら、こんな身体など必要ない────!
「……飛び降りる」
「え?」
「飛び降りる、こっから───」
そう口走って、俺は目の前のフェンスへ手を伸ばした。でも身体は前に進めない。
彼女が、腕を掴んでいた。
「ダメ」
「何で──」
「もし飛び降りたら、私もあと追うよ」
俺は驚いた。もう俺と彼女を繋いでいるモノは無いはずなのに、彼女ははっきりとそう言った。
「でも君は……」
「目の前で友達が死ぬのは見たくない」
毅然とした声で、彼女はそう言った。
俺は苦しかった。獣が暴れ狂い、この身体を壊そうとしている。それに加えて彼女のこの言葉は、俺の思考を壊すのに十分な甘美な何かあった。
だが俺はそれをぐっと堪え、壊れる代わりに弱音を吐いた。
「……俺さ」
「ん?」
「君にアレ言われたじゃん」
「うん」
「あの後さ、吐いちゃったんだよね」
アレというのは、別れの言葉のことだ。
あの時、俺はその場では気丈に振る舞った。だが家に帰った後、急激な吐き気に耐えきれず、トイレに駆け込んで吐いた。胃の内容物は全て吐き出し、ともすれば内臓すら出てしまうのではないかと思わせる程に吐き気は長く続いた。
そして全てを吐き出した後、俺はその理由も分からず泣いていた。
ごめん、と彼女が言った。
「君が謝る必要ない。悪いのは俺なんだ。俺が弱いから」
「ううん。帝王さんは何も悪くない。帝王さんをこんな風にした私が悪い」
「違う」
「違わない」
「ちが───」
「帝王さん」
彼女は俺の肩を掴んで顔を向かせた。真剣な表情の彼女がいる。
「現実を見て。帝王さんは何も悪くない。全部私が悪いの。私が告っといて勝手に別れたんだから。帝王さんは全然悪くないんだよ」
「違う。君は悪くない。悪いのは───」
「帝王さん!」
彼女は、俺を抱き締めてきた。一瞬俺は、心臓が止まりそうになった。
彼女が何かを言っている。だが理解は出来なかった。
その瞬間、獣を抑えつけていた鎖がとうとう千切られた。
俺の両腕は彼女の身体を捕らえると、強く抱きすくめた。「キャッ!?」と彼女の悲鳴が聞こえる。急なことに驚いたのだろう。
俺は、泣いていた。
彼女を抱きすくめて、泣いていた。
ごめん、ごめんと何度も繰り返し、彼女の肩に顔を埋め、泣いていた。
彼女は俺の背を優しく撫でてくれていた。
神様。
この人を愛しています。
心の底から、深く愛しています。
もしこれが叶わない恋であるならば、
赦されることのない愛ならば、
俺からこの感情を消して下さい。
それが叶わないならば、
今この場で、俺を殺して。
これらの登場人物はすべてフィクションです。