8.なんということはない日常
『』内は過去の会話となります。
カララン
ドアベルが鳴る。
「いらっしゃいませ!」
今日も、“コレットの菓子工房”には、店主の明るい声が響く。
「あ、クラウス様! こんにちは。昨日はすみませんでした」
開店してすぐにやってきたのは、ティル・ナ・ノーグ天馬騎士団第六師団十八分隊長のクラウス=アルムスターだ。濃紺の長衣をはためかせ、腰には剣を帯いている。
「いや」
クラウスは、首を振って短く答える。昨日はコレットの店が二週間に一度の定休日で、クラウスと共にカフェめぐりに出かけたのだ。一軒目はいまいちで、ではもう一軒行ってみようと通りを歩いているところに、クレイアに会った。
『コレット! 奇遇だね!
これから友達とお茶するんだけど、一緒に行かない?』
『え……』
コレットが傍らのクラウスを仰ぎ見る。クレイアは、視界のはるか上に顔があるクラウスには気づいていなかったようで、
『あれ、二人でお出かけ? なんで? この間も一緒じゃなかった?』
と不思議そうに尋ねた。
『あ、えっと、これは、その……』
コレットは、クレイアの直球過ぎる問いに真っ赤になって言い淀む。それを見たクラウスは、助け船を出した。
『見回りの途中で、会った。では、コレット、また』
『え、あの』
『楽しんで来い』
クラウスは、軽く手を振って歩いてしまった。もう一軒行こうと言っていたのに、とコレットは少し悲しくなる。
『大丈夫? 何か用があった?』
『ううん、平気』
沈むコレットの顔を、クレイアが心配そうに覗き込んでくる。もう別れてしまったのだし、楽しんで来いと言われたのだから、落ち込んでいても仕方ない。
『カフェ・エリンって知ってる? 通称もふカフェってとこ。
あそこでこれから女子会するんだ。クラウスさんと同じ騎士団で騎士やってる女の子も来るよ。あと藤の湯のパティ。
みんないい子ばっかで、絶対仲良くなれるから! ね、行こ?』
『う、うん』
クレイアに手を引かれ、コレットはカフェ・エリンに向かう。雑踏の中振り向くが、広い背中はもう見えなかった。
「あのあと、大変だったんです。話が盛り上がって、お店の閉店時間になっても全然終わる気配がなくって。結局、アイリスさんのお屋敷にお邪魔して、夜通しおしゃべりしちゃいました」
アイリス、と聞いて、クラウスは一人の女性騎士を思い出す。女性と言うより、まだ少女といったほうがいいような彼女は、正義感の強い、真面目な努力家であったと記憶している。孤児院の子どもたちに勉強を教えることもあったはずで、コレットのいい友人になりそうだった。
しかし、夜通しということは、今朝帰ってきたのか? と思い、クラウスはコレットの顔をじっと見つめる。言われてみれば、目が少し赤いようだった。
「無理は、するな」
ぽん、とコレットの頭に手をやる。
「か、仮眠はとりましたから、大丈夫です。お約束の新作も、ほら、こちらに」
コレットはクラウスに頭を撫でられて真っ赤になりながら、菓子の並ぶ飾り棚を案内する。
「今月のテーマはホワイトショコラでしたよね。
ホワイトショコラのデコレーションケーキにチーズケーキ、プロフィトロール・オ・ホワイトショコラの三種類をご用意しました」
クラウスは、大きな体をかがめて飾り棚を覗きこむ。
ホワイトショコラのデコレーションケーキは、ふんわりとしたココアスポンジにホワイトショコラクリームをはさみ、その周りを生クリームで覆ってある。そのため、切り口が白と茶色の層になっておりとても美しい。上にはくるくると巻いたホワイトショコラがふんだんに乗せられていて、非常に豪華だ。
この、ショコラをくるくると巻く技法は、コポーというのだとコレットが教えてくれた。実際にやってみせてもくれ、天板に、溶かしたホワイトショコラを薄く流し、固まってからスプーンで削っていった。コレットがスプーンを引く度に、ホワイトショコラがリボンのように巻いていくのがおもしろかった。
そして、このホワイトショコラのデコレーションケーキには、薄ピンク色の薔薇の花が乗っていた。花といっても林檎でできた花だ。ティル・ナ・ノーグの特産品は黄金林檎と呼ばれる、皮が黄色みがかった林檎だが、先日、コレットは隣の青果店のおかみにあえて赤い林檎を注文していた。スライスした林檎を皮と一緒に鍋で煮込み一晩置くと、林檎の実の部分に皮の色が写り、薄ピンク色に染まるのだという。コレットが言っていた通り、きれいな色に染まった林檎が、重ねて巻いて薔薇の形になっていた。
「たいしたものだな」
心底感心してつぶやくと、コレットは照れたように微笑んだ。
「アイリスさんのおうちに行くときに、一度着替えを取りに戻ったので、これだけ仕込んでおいたんです」
なるほど、とクラウスはうなずく。そうでなければ仕上がらない。休みの日であれ、常に菓子と店のことを考えているコレットのことは、一個人として尊敬に値する。この細腕で店を切り盛りして……と彼女を見つめかけて、慌てて飾り棚に視線を戻した。うかつにコレットの方を見ると、動悸がすることがあるので気を付けなければならない。
ホワイトショコラのデコレーションケーキの隣には、湯煎焼きにしたホワイトショコラチーズケーキが並んでいた。棒状にカットされ表面にうっすら焦げ目がついたチーズケーキは、見るからにしっとり濃厚な感じでおいしそうだった。また、プロフィトロール・オ・ホワイトショコラは、“ホワイトショコラがけの一口シュークリームです”とカードが添えてあり、三個ずつ、長方形のかわいらしい箱に入っていた。また、ホワイトショコラの上には飾り用の銀色の粒が散りばめられており、女性や子どもが喜びそうな見た目だった。けれども、見た目だけでなく、中にはバニラビーンズをたっぷり使った、本格的なカスタードクリームが詰まっていることをクラウスは知っている。
どれも共に考えた菓子だったが、こうして品物として並ぶと、また違った感じがして新鮮だった。
「召し上がって行かれます?」
コレットが小首を傾げて尋ねる。クラウスはまだ仕事があったため、断った。昨日、中途半端に別れたので、どうしているか気になって訪ねたが、休憩時間でもないのにあまり長居するわけにはいかない。
「そうですか……。でも、今お渡ししたのでは荷物になってしまいますよね。
あとで隊舎にお届けしますか? それとも、クラウス様の分はとっておきますから、帰りに寄っていただけますか?」
クラウスは、別に今日でなくてもと言いかけて、昨日、一軒目のカフェで、明日新作を出そうと思うという話をしていたことを思い出した。定休日の次の日だから、準備ができると。そのとき、クラウスは「楽しみにしている」と答えた。
コレットは、自分のために作ってくれたのか。だから、「約束の新作」と言ったのだ。
それに気付き、クラウスは胸の辺りが温かくなるのを感じた。今朝帰ってきたのでは、準備どころではなかっただろうに。睡眠時間を削ってまで、作ってくれたのだ。帰りに必ず寄ると約束し、再びコレットの頭を撫でる。子どもにするような扱いでいいのかと思わないでもないが、こうするとコレットがはにかむように笑うので、その顔が見たくて触れる。しかし手を引く時機が難しく、短いともう少し触れていたい気分になるし、長すぎても何やら体調がおかしくなる。
今回も細心の注意を払って絶妙な間合いで手を引き、クラウスは再度の来訪を告げて業務に戻った。
「お疲れ様です。おや、それは」
任務を終え、宿舎に戻る。クラウスが自室に向かって歩いていると、エメリッヒにつかまった。手にした箱をとっさに隠そうとしたが、目ざとく見つけられてしまった。
「今日も寄ったんですね。昨日は残念でしたものね」
「なぜ、知っている」
「えぇ? いやぁ、たまたま? お見かけしただけですよ」
エメリッヒはにやにやと笑う。一方、クラウスは、また尾行していたのかと小さく舌打ちをした。今回は、まったく気付かなかった。エメリッヒ一人だったのか、他の分隊員も一緒だったのかすらわからない。初めは下手くそだった尾行だが、回を追うごとにうまくなっている。これは、いい加減にしろと叱るべきか、訓練のたまものと喜ぶべきなのか。
クラウスが悩んでいると、エメリッヒは菓子の入った箱をひょいと取って、勝手に蓋を開けた。
「うわ、うまそう。俺にも一つ分けてくださいよ」
「やらん」
「そんなこと言わずに。三つも食べたら、太りますよ」
「……ぬ」
気にしていることを指摘されて、クラウスは箱を取り返すために伸ばしかけた手を止める。エメリッヒはこの隙にと、コレットの菓子が入った箱を、訓練用の共同部屋に持って行ってしまった。
「おい、待て……!」
クラウスが追いかける。夜遅いせいか、共同部屋には誰もいなかったが、見慣れない器具が置いてあった。
「今日搬入された新しい目方量りです。分隊長、菓子食べる前に乗ってみませんか。体重が増えてたら、一個俺にくださいね」
エメリッヒは、菓子の箱を机の上に置いて、目方量りを指し示す。別に乗る義務はなかったが、断るほどでもない。特に体重が増えたと言う自覚もなかった。
クラウスは、腰に下げた剣を置いて台に乗る。針が、ぐるりと回った。
「……!」
「あれぇ? ずいぶん増えてるんじゃないですか。
じゃ、俺、この一番大きいのってことで」
エメリッヒは、ホワイトショコラのデコレーションケーキを取り出して、手づかみのまま食べ始める。
「すご! うま! え? 上のこれ、林檎ですか。へえぇ、コレットさん、やっぱり器用ですねぇ」
クラウスが、ぐぬぬ……と唸る。その林檎の薔薇は、試作のときはまだ赤い林檎の入荷待ちで、食べていなかったのだ。
「そんなに睨まないでくださいよ。まだ違うのが二個あるじゃないですか」
しれっと言うエメリッヒは、そのまま箱を持たせておくと、残りも全部食べてしまいそうだった。彼は、さほど甘味好きというわけではなかったはずだが、クラウスへの嫌がらせのためなら菓子の二つや三つ食べるだろう。せっかくコレットがくれたのに、それ以上食べられてしまってはたまらない。
「おまえも乗れ」
クラウスが目方量りを顎で指す。
「え、俺はいいですよ」
にわかに慌てだすエメリッヒに、クラウスは不信感を覚える。こいつ、まさか……。
「乗れ」
「いえ、ほら、今食べちゃいましたし。明日乗りますよ。ね?
あ、俺、寝ます。それじゃ、おやすみなさい」
エメリッヒは、クラウスに残りの菓子を返すと、そそくさと出ていった。クラウスは溜息を一つついて、元々あった量りに乗る。
「…………やられた」
そこには、昨日までとさして変わりのない目方が示されていた。大方、新しい目方量りの方は、エメリッヒが針に細工をしたか、搬入時に狂っていることに気付いたものの放置していたのだろう。
奴のいたずらに、まんまとはめられたわけだ。
「まったく、仕方のない」
食べ物の恨みは恐ろしいことを知らないのか。
エメリッヒめ、どうしてくれよう。明日の訓練で、一人だけ特別メニューをやらせるか。いや、それよりみんなが面倒がって後回しにしている、宿舎の裏の草むしりをさせるか。それとも、本当は見習い騎士の仕事である、防具磨きを……。
クラウスは、仕返しの策を練りながら自室に戻る。鍵をかけ、椅子に座って、菓子をきちんと皿に盛りつける。
まずは、ホワイトショコラのチーズケーキを一口。しっとりとした生地が舌の上でとろけ、深いチーズの味と濃厚でミルキーなホワイトショコラの味が口の中に広がる。お茶を飲んで一呼吸おいてから、次はプロフィトロール・オ・ホワイトショコラを手に取る。一口で食べられてしまうシュークリームは、ふんわりとふくらんだシュー生地とパリパリのホワイトショコラ、中からあふれだすカスタードクリームに飾り用の銀色の粒がいいアクセントになって、これまた美味しかった。
両方を時間をかけてじっくりと味わい、気持ちも腹も満たされたクラウスは、多少のいたずらくらい許してやろうという気になった。
どちらにせよ、三個一度に食べるのはやめたほうがよかった。今日食べられなかった分は、明日改めてエメリッヒに買わせればいい。せっかくだから、分隊員の分も買わせるか。よし、そうしよう。
方針を決めたクラウスは、机の引き出しからノートを取り出す。これは、食べた菓子の感想を書き溜めているノートだ。早速、今日の菓子の感想を書き始める。
このノートの存在は、実はまだコレットには言っていない。見せればかなり参考になるだろうことはわかっているが、自分のようなものがこんなノートをちまちまと書いているというのは、どうなのだろう。実際、エメリッヒに見られたときには転げまわって爆笑された。あのときも口止めをするのが大変だった。
コレットは笑ったり馬鹿にしたり引いたりはしないだろうが、最近は彼女の菓子の感想ばかり書いてあるので、作った本人に見られるのは恥ずかしい。しかも、感想には私見がかなり入っており、中には表現が、その、菓子に対するものというより、どうしても一緒に作っているために、自分の思いや作っているときの彼女の様子や言った言葉のメモまであって……。
「……っ」
クラウスは、苦しそうに胸を押さえる。ぽろりと、大きな手からペンが転げ落ちた。ここのところ、こんなことが頻繁にあった。はじめはコレットといるときだけだったが、最近は、彼女を思い出すだけで起きるようになっていた。
明日は医者に行こう。このままでは任務に差し支える。
そう考えたクラウスは、彼にしては珍しくノートを書きかけのまま机にしまい、寝台にもぐりこんだ。
明かりの消えた宿舎の中を、一人の男が足音を潜めて歩いている。
「針を直しておかないとな。明日絶対何かやらされる……」
こうしてまた、ティル・ナ・ノーグ天馬騎士団第六師団十八分隊の、なんということはない、平和な一日が終わるのであった。
「みてみん」に投稿されたゐうらさんのイラスト「さあどうする?(笑)」(http://3751.mitemin.net/i41681/)より、書かせていただきました^^