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9.ふるさと③





「ク、クラウス様!?」


 母親とともに朝食の準備を整え、そろそろクラウスを呼びに行こうとしていたコレットは、血をにじませ祖父を抱えるクラウスを見て驚いた。


「おはよう」


「お、おはようございます。え、クラウス様。え、お祖父ちゃん? どうしたんですか?」


 慌てておろおろするコレットに、クラウスが「とりあえず、どこか横にできるところを」と言う。


「は、はい」


 コレットが居間のソファに案内すると、すでにカリタがクッションを避けて場所を広く空けていた。


「お義父さんったら、明け方帰ってきたと思ったら、いきなり飛び出していくんだから。もういい年なんだから、無茶はいけませんよ」


「うるさい、元はと言えばおまえが……痛てて。もっとそっと降ろしてくれ」


 クラウスが、ユハをソファに横たえる。カリタがクッションをユハの体に添えている間に、コレットは薬箱を持ってきた。


「クラウス様も、手当てを」


「ありがとう」


 頬や腕に流れる血に、コレットは心を痛める。そのほとんどはすでに乾いていたが、炎の剣(フランベルジエ)特有のえぐれたような傷は、どれも痛そうだった。


「お祖父ちゃん、嫌い……!」


「コ、コレット! うっ」


 涙ぐみ、コレットはユハを睨む。嫌いと言われて焦ったユハは体を起こそうとし、ぴきりと走った腰の痛みに顔をゆがめた。カリタは苦笑しながら、ユハの分の朝食を取り分けに行く。


「コレット、祖父君をそんなふうに言ってはいけない」


「クラウス様。だって、こんなに怪我をなされて」


 コレットは、クラウスの傷に軟膏を塗った布を貼り、包帯を巻いていく。ヴィルフレッドが剣の稽古でよく怪我をしていたため手当ては慣れたものだったが、クラウスのこの怪我は稽古でできたものとは違う。きっと祖父がいきなり切りかかったのだと思ったコレットは、横で「コレット~」と情けない声をあげているユハを冷たくあしらって、クラウスの手当てに専念した。


「ここも、こっちにも傷があります。クラウス様、本当に申し訳ありませんでした」


「たいした傷ではない。それに、傷を負ったのは俺の技量が足りないからだ。

 ユハ殿。もしよろしければ、またご指導願えませんか」


「嫌だね。そう何度も相手をしては、俺の腰がもたん」


「そうおっしゃらずに。せめて型を見せていただくだけでも」


「気が向いたらな。ただし、もし孫を泣かせるようなことがあれば容赦はせんから覚悟しておけ」


「お祖父ちゃん?」


 それはどういうこと? とコレットがユハの表情かおを伺う。するとユハは、


「おまえは昔から言い出したら聞かないからな。この大男に愛想がつきたら、いつでも帰ってこい」


と言って、「ふん!」と顔をそむけた。


「お祖父ちゃん!」


 コレットは、がばっとユハに抱きつく。コレットを抱き留めたユハは、腰の痛みに一瞬顔を歪めたが、よしよしと孫の頭を撫でて破顔した。


「話はまとまったのかしら? さぁ、朝ごはんにしましょう。

 あら、クラウスさんったら、なんて大きな絆創膏。いい男が台無しね。午後のお茶会までにははがせるかしら」


「お茶会?」


 祖父の腕の中から顔を上げたコレットは、きょとんとして母の顔を見つめる。カリタはユハの分の朝食をソファの傍らに置くと、クラウスに椅子を勧めながらにこりと微笑んだ。


「えぇ。クラウスさんをご近所にも紹介したいの。

 あなただって、お世話になった方々やお友達にあいさつしたいでしょう? でも、どうせあんまりゆっくりはいられないんでしょうから、お茶会を開いてまとめてごあいさつしちゃえばいいと思うのよ」


 カリタの言葉に、コレットは思わずクラウスを振り仰ぐ。クラウスは食卓につくと、コレットの瞳を受け止めて話の続きを待った。


「うちでやるの?」


「いいえ。

 うふ、お祖父ちゃんに、ヴィルヘルミーナ城を借りてきてもらったわ」


「あのお城を!?」


 コレットが驚いて祖父を見る。ユハはコレットが驚いたことに満足し、にやりと笑って胸を張った。


「ほら、お祖父ちゃん、昔、騎士団長してたでしょ。あなたが帰ってくるからあそこでお茶会をしたいって言ったら、貸し切ってきてやるってはりきって出かけてたのよ」


 カリタは、手紙の様子からあまり長居はしないだろうと思ったこと、式まではできなくても祝いの席を設けたかったこと、城は国の象徴としてだけではなく冠婚葬祭やお祭りでも使われていることを話した。


「お祖父ちゃん、絶対怒るから、旦那さんになる人を連れて来るとは言わなかったけどね」


 カリタは片目を瞑って見せ、コレットとクラウスは顔を見合わせる。

 ユハは、出かけたついでに騎士団の連中と飲み明かし、帰ったと同時にコレットが伴侶を連れて帰ってきたと聞いて飛び出したらしい。


「さっきお祖父ちゃんが剣を持って出て行ったときには、クラウスさんが死んじゃったらどうしようかと思ったけど、無事で何よりね。

 お父さんは、朝からお客さんに振る舞うお菓子作りで大忙しなのよ」


「ちょっと、お母さん」


 母の話の中に聞き捨てならない言葉を見つけたコレットは、眉をひそめる。クラウスを不意打ちしようとするユハを止めなかったばかりか、「死ななくてよかった」とはなんて言いぐさなのか。


「だって、一回はやらなきゃお祖父ちゃんの気が済まないもの。まさか朝ごはんも食べないで行くとは思わなかったけど」


 ごはんを食べるか食べないかの問題ではない。紹介なり説明なりをさせて欲しかった、とコレットは思う。


「あなただって、お祖父ちゃんがクラウスさんに勝負を挑むことくらい予想できたでしょう? 勝ってくれてよかったわね」


「だけど!」


「コレット」


 「いいんだ」と、自分の家族の失礼な振る舞いに怒るコレットを、クラウスがなだめる。

 コレットの家族にしてみれば、クラウスは突然現れた得体のしれない男だ。あいさつ一つでそう簡単に信用できるわけがない。できれば時間をかけて信頼を得たいところだが、仕事を考えると長居はできない。また、ヴィルヘルミーナとティル・ナ・ノーグは海を隔てて遠く離れており、結婚を認めてくれるまで何度も足を運ぶことも難しい。今朝の一幕でクラウスを認め、さらに祝いの席まで設けてくれようというコレットの両親に、クラウスは感謝こそすれ怒るようなことはなかった。


「クラウス様は、優しすぎます……!」


「そうか?

 君は昨日から怒ってばかりいる」


「そ、それは」


 確かに、ヴィルヘルミーナに着いてからのコレットは、感情の起伏が激しい。怒ったり笑ったりどきどきしたり、なんだかとても忙しいのだ。


「あら、この子は昔っからこんな感じよ? ティル・ナ・ノーグ(むこう)では違うのかしら?」


「とてもしっかりと、店を切り盛りしています」


「まぁ、意外! ね、クラウスさん。あちらでのコレットの様子を教えてちょうだい。

 ほら、コレットも。いつまでもそっちにいないで、ごはん食べちゃって」


 カリタが各自の皿にパンを乗せる。コレットはまだ何か言いたそうだったが、クラウスに止められたので黙って席に着いた。

朝食を取りつつ、ティル・ナ・ノーグでの話をしようとする一同に、ユハがソファの向こうからひらりと手を振る。


「ゆっくり食べている時間はないぞ。城は翌朝まで貸し切ってきたからな。夜は宴会だ。騎士団の連中もくる。城にも泊る手筈もしてきた」


「あら、そうなんですか? じゃあ、話は後ね。お酒とお料理の準備もしないと。コレット、食べ終わったら手伝ってね。

 クラウスさん、悪いけどヴィルフレッドを起こして来てくれないかしら。たぶん二日酔いでつぶれてるから、頭から水でもかけて引っぱってきてちょうだい」


 身内となれば容赦なく使うのが、カリタの流儀らしい。恐縮するコレットに、クラウスは客扱いされるよりもずっと嬉しいと答え、ヴィルフレッドを起こしに行った。






 ヴィルヘルミーナ城でのお茶会には、急な呼びかけにも関わらず多くの人が来てくれた。

空は晴れ渡り、湖は澄み切っている。白亜の城は陽光を浴びて輝き、庭園に置かれたテーブルの上には、ユハナとヴィルフレッドが作った菓子が所狭しと並んでいた。

 クラウスとコレットは、庭園の真ん中に立って、客の一人一人にあいさつをする。カリタも並んで商店街の仲間にクラウスを紹介し、ユハナは客に菓子を勧めながらにこにこと笑っていた。

コレットの幼いころからの友人たちは、クラウスを見て一様に驚き、その後口々に祝いの言葉を述べていった。


「少し休みますか?」


 あいさつが一段落したところで、隣に立つコレットが、髪に差した生花を揺らしてクラウスを見上げる。コレットの柔らかなくせっ毛はカリタの手によって結い上げられ、細いうなじが露わになっていた。近所の人が貸してくれたという白いドレスは襟首の大きく開いたもので、上から見下ろすクラウスには、少々目のやり場に困るものだった。


「俺は平気だが、君が疲れたなら休もう」


 クラウスもまた、カリタが大急ぎで直したユハの礼服を羽織っている。白の長衣は、身丈はさほど問題なかったが肩幅が足りず、直した今もうかつに動くと布地を破いてしまいそうだった。


「ちょっと座りたいです。お菓子も、せっかくですからいただきましょう」


 にっこり微笑んだコレットが、クラウスを手近な椅子に誘う。そしてクラウスが椅子に落ち着くと、菓子と飲み物を取りに行った。

 大きめの皿の上にきれいに取り分けられたのは、タルトにパイにショコラのケーキ。クラウスが食べてみたいと言ったスフレチーズケーキもあって、クラウスはコレットが自分のために休憩を申し出たことに気付いた。


「ありがとう」


 クラウスの感謝の言葉に、コレットは笑顔でうなずく。菓子は数種類あったが、どれも一切れは小さくて、二人で分ければ全種類食べられそうだった。その中の一つ、ガトーショコラをクラウスは口に運ぶ。


「同じ味がする」


「ガトーショコラですか? あは、そうですね。やっぱり実家の味が基本になっていますから」


 コレットの作る菓子の味と同じということは、非常にクラウス好みということだ。クラウスは、一つ一つを味わいながら、ゆっくりと食していった。


「不思議な食感だ。が、うまい」


 チーズケーキを一口食べたクラウスが言う。スフレ特有の舌の上で弾けるような食感と、濃厚なチーズの風味の組み合わせは、クラウスの知らないものだ。けれどそれが見事に合っていて、表面に塗られたアプリコットジャムの甘酸っぱさが、さらにいいアクセントになっていた。


「これは、時間が経ってもこのままなのか?」


「えぇ。しぼむことはありません。といっても、私が作ると、真ん中がへこんだり表面にひびが入ってしまったりするのですけど」


 未だ、父のように表面に光沢のある、しっとりふわふわのチーズケーキは作れないのだ、とコレットは言う。クラウスは、コレットの言葉に父への尊敬の念と菓子職人としての悔しさを感じた。


「ティル・ナ・ノーグに戻ったら、作ってみてくれないか」


「いいですけど……本当に、うまくいった試しがないんです」


「できるまで作ればいい」


「失敗作はどうするんです?」


「俺が食う」


 クラウスが即答する。コレットは、クラウスの返事に目を瞬かせ、次に「ぷっ」と笑った。


「くすくす。それでは、毎日お夕飯がチーズケーキになってしまいますよ?

 クラウス様をそんな目にあわせるわけにはいきません。あとで父にきちんとコツを聞いて、一度で作ってみせます」


 クラウスはコレットの言葉にうなずき、残りの菓子に手を伸ばす。

タルトやパイは、ティル・ナ・ノーグでコレットが女性向けに工夫を凝らして作ったものより素朴だったが、その分素材の味が引き立っていた。


「あと、これは兄の自信作だそうです」


 コレットが、透明な円筒形の器を渡す。手の平ほどのそれは、一見して菓子には見えなかった。


「上にのっている飴細工の白百合は、ヴィルヘルミーナ城を表しているそうです。下の水色の透明な部分はミント味のゼリーで、底に沈んでいるのはレッドカラントです」


「レッドカラント?」


「ベリーの一種で、フサスグリとか赤スグリとかとも呼ばれます。紅玉ルビーのような透き通った赤い実がルチノー様を思わせるので、この辺りでは好んで栽培されています」


「ほお」


 コレットの説明を聞きながら、クラウスは柄の長いスプーンを使ってゼリーを口に運ぶ。砕けた飴の甘さとミントの爽やかさ、レッドカラントの酸味が相まって、絶妙な味わいだった。


「ヴィルの作る菓子はおもしろいな」


「おもしろいとはなんだ。美味いと言え」


 クラウスが一言感想を言ったところで、ヴィルフレッドがやってきた。正装をしているクラウスとコレットに対し、ヴィルフレッドは給仕に徹するため、白いシャツに黒い前掛けをしていた。


「客をほったらかしてこんなところでいちゃつきやがって。

 コレット、あれを運ぶから、そいつと庭の真ん中で待ってろ」


 ヴィルフレッドが、顎で庭園の中央を指す。コレットは「もう準備できたの?」とヴィルフレッドに聞き、何やら細かな打ち合わせをしていた。

 二人の会話がわからないクラウスは、残りの菓子をたいらげて、お茶を口に運ぶ。ふわりと花の香りがするお茶は、コレットが店で使っているのと同じものだった。


「クラウス様、行きましょう。すごいんですよ!」


 ヴィルフレッドとの話を終えたコレットが、クラウスの手をとる。クラウスはコレットに手を引かれ、再び人々の輪に入った。

 カリタとユハナが、クラウスとコレットの隣に立つ。そういえばユハはどうしたのかとクラウスが聞くと、「腰が痛いから夜の部まで休むんですって」とカリタが笑った。


「みなさん、お待ちかね! “アドルフ菓子店”の最高傑作の登場だ!」


 ヴィルフレッドの声が響き、人垣が割れる。クラウスがコレットに促されて声がしたほうを見ると、そこには巨大なクロカンブッシュがあった。

 間にビスケットの台座を挟み、何段にも積み重ねられたシュークリームは、クラウスの背丈ほどもある。ところどころに白い花が飾られ、螺旋状のチョコレートソースの上には、粉砂糖がふられていた。クロカンブッシュのてっぺんには、飴細工の薔薇と赤い大きなリボン。リボンの先は地面につくほど長く、台座の下にもたくさんの花が添えられていた。


「コレットー! クラウスさんに食べさせてあげて!」


 コレットの友人らしき女性が、クラウスとコレットを囲む人々の中から声をかける。

食べさせるとは? とクラウスが首をひねると、コレットは友人に微笑んでみせて、シューの一つをつまんで取った。


「クラウス様、あーん」


「……」


 あーん? それは口を開けろと? これほどの人の目の前で?

 クラウスは、戸惑う。

 試作品の菓子や立ち寄ったカフェの新作を分け合うことはある。また先ほどのように、二人で同じ皿から取って食べることもある。けれど、それは二人きりのときや、周りに人がいたとしても特に注目されているわけではないときだ。

 どうしたものかとクラウスがためらっていると、腰に手を当てたヴィルフレットが不機嫌そうに言った。


「おい、クラウス。俺の妹に恥をかかせるな。

 クロカンブッシュはな、子孫繁栄と豊作を願う祝い菓子なんだ。シューの一つ一つが、おまえたちを祝福する人々を表す。だから高ければ高いほどいいってんで、今日のは“アドルフ菓子店(うち)”が作った中でも最も高い。ここまで積み上げるのは容易じゃないんだぞ。

 それから、そうやって食べさせるのは、“これからおいしい食事を作ってあなたを支えます”って意味なんだ。

おまえからもやれよ。“一生食い物に困らないように守る”って意味だからな」


 ヴィルフレッドの講釈を受けたクラウスは、なるほどと納得して口を開ける。コレットは嬉しそうにクラウスの口にシュークリームを入れ、クラウスもまたコレットにシューを食べさせた。

人々の歓声と拍手が沸き起こる。

 飴で固められたクロカンブッシュは、クラウスとコレットが一緒に持った金槌で割り崩されて、客へと振る舞われた。






 その後、二人の門出を祝う人々は、コレットを抱き上げろとクラウスに言ったり、二人をはやしたてて口づけをしろと言ったりしたが、それらはすべてヴィルフレッドによって阻止されたのは言うまでもない――





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