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6.ふなたび④





 夜半、クラウスはふと目が覚めた。船内は静まり返り、穏やかな波の音がわずかに聞こえる。船はほとんど揺れず、ゆるゆると進んでいる。

 こんな時間になぜ目が覚めたのだろうと思っていると、隣でコレットがうなされていた。


「ん……や……」


 眉を顰め、苦しそうな声を上げる。クラウスは起き上がると、コレットの手を取って肩を揺すった。


「……あ、クラウス様……」


 うっすらと開けられた濃褐色ブラウンの瞳が、クラウスを見止めてゆるむ。


「怖い……夢を見ました……。真っ黒い何かに追われる夢……」


 ほぅっと息をつくコレットの髪を撫でる。悪夢はきっと、昼間の出来事のせいだろう。クラウスは、船室に戻ってコレットに詳しい話をしてしまったことを悔いた。


「すまない」


「どうしてクラウス様が謝るんですか?

 私の方こそ、お騒がせしてすみませんでした。もう大丈夫ですから、どうぞお休みください」


 半身を起こしたコレットは、クラウスの手を握って淡く微笑む。額にはかなりの汗をかいており、指先はまだ震えているのに、コレットはクラウスを気遣って休めと言った。


「大丈夫ではないだろう。手を握っているから、眠れ」


「いえ、そんな。クラウス様こそお疲れなのですから、先にお休みください」


「君が眠れば寝る」


「クラウス様が先にどうぞ」


 コレットは、やんわりとクラウスの手をほどこうとする。こういうときのコレットは、ていねいな物言いを崩さない代わりになかなかに強情なことを、クラウスはわかっていた。伊達に知り合ったころから数えれば、すでに二年近くを共に過ごしてきてはいなかった。


「どうしても、先には寝ないか」


「クラウス様がお休みになれば、すぐに寝ます」


 だからどうぞ、とコレットはクラウスに眠るよう勧める。クラウスは溜息を一つつくと、コレットの背中と膝の下に腕を入れて、上掛けごと抱き上げた。


「きゃっ……」


「狭いが、我慢してくれ」


 自分が使っている寝台に移動し、コレットを抱きこむ。どちらも相手が先に眠るのを譲らないのであれば、共に寝るしかない。クラウスは、コレットを押しつぶしてしまわないよう細心の注意を払いながら、寝具を掛け直した。


「眠れ」


「う、あ、はい……」


 有無を言わせぬ口調に、コレットはとにかく返事をする。突然の事態に心臓がどきどきして、眠るどころではない。


(眠ってしまうのが惜しいくらいだわ)


 太い腕と厚い胸板にはさまれて少々苦しいけれど、温かくてほっこりと安心できて、幸せ。

 思わずくすくすと笑いがこみあげてくるのを、コレットはなんとかこらえる。大人しく眠らないと、怒られてしまいそうだ。


「おやすみなさいませ」


「あぁ」


 コレットがあいさつをすると、クラウスはくぐもった声で答えた。もう眠りに入っているらしい。

 今度はきっと、幸せな夢を見る。そう思いながら、コレットはクラウスに習って瞳を閉じた。






 魔物を退治して以降は、何事もなく船は進んだ。

 早朝の甲板に、剣戟の音が響く。


 カアァァン!


 クラウスの剣が、アビーにはじかれた。


「どうしたんです?」


 稽古を始めて数日、今日はやけに切れが悪かった。


「いえ、なんでもありません。もう一度お願いします」


「調子の悪いときに無理をしても怪我をするだけです。稽古はまた明日にしましょう」


「しかし、明日の午後にはヴィルヘルミーナに着いてしまいます」


「あ、そうでしたね」


 この機会を逃したら、アビーに一対一で稽古をつけてもらうなど、もう二度とないだろう。クラウスは動きの鈍い己の体に苛立ちつつ、剣をはじかれてしびれる腕を振った。


「ヴィルヘルミーナに着いてからでもいいですよ……っと、しまった。だめなんでした」


 アビーは、クラウスの剣を拾って手渡し、手近な樽に腰かける。


「この間、クラーケンに不用意に近付いたあの馬鹿。あれがまだ目覚めないんですよ。船長にどうしてもと頼まれて、ずっと付き添っているんです。この分では、上陸してからも寺院なり施療院なりにつれて行かなければならないでしょう」


「すみません、私が頼んだせいで」


「いえいえ。そのかわり、特別船室を使わせてもらっているからいいですよ。どこだかの貴族の息子だったらしく、これ(・・)だけはたくさんあるようです」


 アビーが指で財産を表す形を作る。クラウスは、アビーの隣の樽に腰かけて話を聞きつつも、どうにも押さえ切れなかったあくびをかみ殺した。


「不調の原因は寝不足ですか?」


「失礼しました」


「ふふ、いいですねぇ、新婚さんは。うらやましい限りです。

 普通の住宅と違って壁が薄いですから、くれぐれも気を付けてくださいよ」


 壁が薄いからなんだというのだ。一瞬アビーが何を言っているのかわからなかったクラウスだったが、にやりと笑う師の顔を見てピンときた。


「……違います」


「何が違うんですか? 結婚したての男女が狭い船室で二人きり。やることは一つでしょう。

 退屈な船旅も、君たちにとっては楽園のようですよね。照れることはありません。夫婦なのですから、当たり前のことです」


「……」


 魔物が現れた日以来、クラウスはずっとコレットと同じ寝台で眠っていた。否、眠っていたのはコレットだけで、クラウスは眠れぬ日々を過ごしていた。昼間仮眠はとっていたが、夜まとまって眠れないのはなかなか辛く、今朝は連日の寝不足がたたって体が重かった。


「え、本当に何もしていないんですか? 一体どういう……。もしかして、君たち、まだ?」


 アビーの追及に、クラウスは黙り込む。沈黙を肯定ととらえたアビーは、真面目な顔をして声をひそめた。


「悩みがあるなら聞きますよ? いい薬も知っています。マムシ酒や大山椒魚オオサンショウウオの丸焼き、黒刺蟻クロシギ粉末などいかがですか。それでも効果が得られないというなら、この剣をくれた黒竜に頼んで、万病に効くと言う竜仙丹を煎じてもらいましょう」


「そういうことではありません」


「ではなんです? やり方がわからないんですか?」


「先生……」


 言えば言うほどどつぼに嵌まる。何も早朝の甲板でこんな話をしなくても、とクラウスは片手で顔を覆って天を仰いだ。


「そうでないなら、何を遠慮しているんですか。女性に恥をかかせてはいけませんよ。さぁ、今からでも船室に戻ってコレットさんに、もがっ」


「アビー先生、クラウス様。朝稽古お疲れ様です。

 ……何をなさってらっしゃるのですか?」


 飲み物を運んできたコレットが目にしたのは、今にも樽から落ちそうになっているアビーと、それを慌てて支えるクラウスの姿だった。


「なんでもない」


「クラウス君、いきなり口を塞ぐとは、いくらなんでも酷くないですか」


「すみません。大丈夫ですか?」


「えぇ、えぇ、いいですけどね。今ので少々首を痛めましたよ。年寄りは大事にしてください。

 あぁ、コレットさん、おはようございます。ちょっと落し物を拾おうとしてバランスを崩しただけです」


「落し物?」


 ならば自分が拾おうとコレットが足元を探すが、それらしいものは落ちていない。


「おや、勘違いでしたかね。最近目がよく見えなくて。老眼でしょうか」


「はぁ」


 どう見ても二十代前半のアビーに、“老眼”などという言葉は似合わない。コレットが不思議そうに小首を傾げていると、クラウスがアビーを助け起こして樽から降りた。


「明日にはヴィルヘルミーナに着くという話をしていた」


「そうですね。いよいよです」


 久しぶりに両親に会えるのがうれしいと、コレットは微笑む。クラウスもつられて口の端を上げると、コレットから飲み物を受け取ってアビーに渡した。


「ありがとうございます。

 コレットさん、すみませんが、僕は港でしばらく足止めを食うことになりました」


「そうなんですか?」


「えぇ。なので、もしよかったら光の剣(ラグナディア)のことをお祖父さんに聞いておいてくれませんか?」


「はい。わかりました」


「船の旅も今夜が最後ですね。どうです、夜、僕の部屋で飲みませんか」


 クラウスもコレットも、もちろんと頷き、その夜はアビーが使っている特別船室で、最後の晩餐となった。






 翌朝も快晴で、船は予定よりも早く進んだ。

 青空の下、コレットたちを乗せた船は、ゆるゆるとヴィルヘルミーナの港へと入る。


「お二人にニーヴのご加護がありますように」


「アビー先生も」


 人々でごった返す港で、クラウスとコレットはアビーに別れを告げる。





 空はどこまでも青く澄んでいる。







 二人は手をつなぎ、コレットの故郷へと向かう馬車に乗り込んだ。







ふなたび編はこれにて終了。コレット実家編へと続きます^^


アビー先生は、「ティル・ナ・ノーグの唄」企画より、谷町クダリさんのキャラをお借りしました。クダリさん、ありがとうございました!

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