4.恋人たちの聖菓戦争<後編>
ライラ・ディ当日、クラウス率いるティル・ナ・ノーグ天馬騎士団第六師団十八分隊は街はずれで起きた乱闘事件の鎮圧に駆り出され、隊員一同が隊舎に戻ったのは深夜になってからだった。
当然、恋人や家族と約束があった者は、すべてキャンセルせざるをえなかった。
「うぅ、俺、今日の夕飯は彼女とらぶらぶデートの予定だったのに」
「おまえはもう付き合ってんだからいいじゃねぇか!
俺なんかなぁ、ずっとアタックしてた彼女から“今日会えませんか?”って言われて、おお、とうとう! 俺はいつでもオッケーだぜ、カモンベイベーとか思ってたのに」
「そのノリじゃ結局振られたんじゃないか? 俺はかみさんにご馳走作って待ってるからって言われたんだよなぁ。 どうしよう、絶対怒ってる……」
「藤の湯でもいくか。パティちゃんの笑顔に癒されたい」
「馬ぁ鹿、こんな時間じゃもういねぇよ。そんな汚いナリで湯船に浸かるなって店主に怒鳴られて終わりだぜ」
「う、そうか」
分隊長からの、解散の指示を待つ隊員たちのぼやきは続く。
“藤の湯”は、ティル・ナ・ノーグの一画にある大衆向けの入浴施設である。隊員たちが仕事帰りによく立ち寄っている場所の一つだが、風呂そのものよりも、休憩所の売り子・パティが目当てである者も多い。
「どこかで一杯ひっかけて帰るかぁ。
分隊長たち、遅いなぁ。報告なんて明日でいいじゃないか」
「だよなぁ。ってゆーか、分隊長も約束あったんじゃねぇの」
「コレットさん? 彼女も今日は大忙しだろ。かえって会えないもんじゃないの」
「そっか。あぁ、せめてチョコのひとかけらでも口にしたい。せっかくのライラ・ディなのに」
「チョコならあるぞ」
「「「補佐官!」」」
だらけていた隊員たちが、ガタガタっと立ち上がる。隊舎の入口に立ったエメリッヒは、大きな包みを抱えていた。
「みんな、お疲れさん。
これ、事務方が預かってくれてたぞ。“コレットの菓子工房”からの差し入れだ。
ここで食っていってもいいし、持ち帰ってもいい。袋はこれ。
分隊長は他の隊との確認事項があるから、まだかかる。おまえらはもう帰っていいってさ」
いいながら、エメリッヒが実用一徹の机の上で包みを開ける。途端に、チョコレートの甘い香りが部屋中に広がった。
「うっわ、すげぇ。何だっけ、これ、トリュフ?」
「色違いで何種類かあるな。お、なんかこっち匂いが違う」
「カードが入ってるぞ。
“隊員の皆様、お疲れ様です。その節は大変お世話になりました。よろしかったらお召し上がりください。コレット”だってさ。
く~! 嬉しい!」
隊員たちは、コレットが添えた持ち帰り用の袋などには目もくれず、次々に手を伸ばしてトリュフを口に入れていく。先ほどまでのうろんな表情はどこへやら、無邪気な笑顔になった隊員たちに苦笑して、エメリッヒも手近なトリュフをつまんだ。
エメリッヒが取ったのは、茶色の粉末がまぶされたトリュフだった。口に含んでまず感じたのはほろ苦さ。噛めば、パリっとわずかな抵抗があって割れ、濃厚な甘さの、蕩ける食感の生チョコレートが出てきた。ラム酒の香りが鼻に抜ける。
「疲れた体に染みわたる……。うめぇ……」
「おまえ、食いすぎ。何個目だよ」
「だって、どれも味が違うんだ。どうせなら全種類食べたいじゃないか。
あ! そっちのちょっと寄越せ。まだ食ってない」
「なんだこれ。すーっとする。甘いけど甘くない」
「それ、俺も食った。妙にくせになる感じだよな。なんだろう」
「俺はこっちのほうが好きだな。この苦いやつ」
「えぇ? この白くて超甘いやつがうまいよ。あ! 最後の一個!」
「俺! 俺食う!」
「おまえ、さんざん食っただろ! 俺に寄越せ!」
「何言ってる、早い者勝ちだ! あっ、そっち転がった」
「イェ~イ、俺、もーらいっ」
揉みあう隊員の手をすりぬけて机の上を転がったトリュフが、別の隊員の前に来る。それを取り上げようとしたら、横から伸びてきた手に奪われた。
「あ! 何すんだよ」
「俺にも食わせろ」
「ぶっ、分隊長……!」
隊員の一人が、ヒッとのけぞる。皆が青ざめる中、最後の一粒がクラウスの口中に消えた。
「お、おい、誰か分隊長の分、取り分けたか?」
「俺、知らねぇ。補佐官が分けたんじゃないか」
「いや、持ってきた包み、全部開けてたぞ。もしかして、もうない?」
「えっ。俺、三個しか食ってないからな」
「俺、四個。おまえ、十個くらい食ってたろ」
「八個だよ。だからなんだっていうんだ。食ったのはみんなで食ったんだろ」
「おまえだ、おまえ。おまえが分隊長の分、食った」
「吐け。今すぐ吐け!」
「無茶なこと言うなよ!」
「じゃ、土下座だな。土下座して謝って、ついでに殴られて来い」
「えええ? マジで俺? おい、誰か一緒に来てくれ」
「嫌だよ。一人でいけ」
「えええええ?」
小声でやりとりをしながら、隊員たちはお互いの脇腹を肘でつつき合っている。
「くくっ、あいつがどうなるか知りたい気もするが……。
はい、分隊長のはこっち」
騒ぐ隊員を横目に愉快そうに笑ったエメリッヒは、どこからか別の包みをとりだした。トリュフが入っていた袋とは違い、しっかりした箱で、きれいなリボンもかかっている。
「あ、なんだ。別にあったんだ」
「さすが本命。包装からして違う」
「おまえ、命拾いしたな。今後は食い意地はってるのもほどほどにしろよ」
「あぁ、身に沁みたよ……」
ほっと胸を撫で下ろした隊員たちは、クラウスとエメリッヒにあいさつをして、三々五々帰って行った。
「お茶でも淹れますか?」
「いや、いい。おまえも疲れているだろう。帰れ」
「そうですか?
あ、気が利かなくてすみません。一人でじっくり味わいたいですよね。
くれぐれも、鍵をかけるのをお忘れなく」
にやりと笑うエメリッヒは、クラウスが一睨みすると、肩をすくめて出て行った。
隊舎の一室に一人残ったクラウスは、リボンにはさまっていたメッセージカードを手に取る。薄桃色の花柄が描かれたそれには、丸みを帯びたていねいな文字で、
“クラウス様へ
いつもありがとうございます。コレット”
と書かれていた。
なんのことはない。包みが別だっただけで、これも普段の礼の菓子だとすんなり結論付けたクラウスは、リボンをほどいて中身をとりだした。
あらわれたのは、見事な艶をもつザッハトルテ。
ライラ・ディ用の商品にはなかったものだ。自分のためだけに作ってくれたのかと思い、クラウスは少なからず感動した。
一人で食べることを想定してか、少し小ぶりのザッハトルテに、いそいそとナイフを入れる。しっとりとしたチョコレート色のバターケーキ部分は三層になっており、一層目の間にはアプリコットジャム、二層目にはガナッシュクリームがはさんであった。チョコレート入りの糖衣は、どこの店でも見たことのないほどの艶やかさで、濃厚だけれど甘すぎず、チョコレートそのものを食べているようでありつつも、アプリコットの酸味が効いていた。さっき食べたトリュフもそうだが、コレットの作る菓子は食べる者の期待をいい意味で裏切る。こうだろうな、と思った味の、さらにその上を行く。だから、次はどんな味がするのだろうとまた食べたくなる。
それは彼女自身にも言えることで、会うたびにコレットの新しい一面を知り、また会いたくなるのだ。
(そうだ、髪を下ろした姿も似合っていた)
先日、夕食を共にしたときのことを思い出す。
あの日は本当に楽しかった。コレットの料理は美味しかったし、菓子について頬を紅潮させて夢中になって話す彼女のことは、力の及ぶ限り応援したいと思った。そう、できればもっと側で……。
ザッハトルテの蕩ける口どけからコレットを連想していると、再びクラウスの腹がざわついた。疲れているのだろうか。そういえば、もう深夜だった。
クラウスは、残りのザッハトルテを明日の楽しみにとっておくことにして、隊舎を閉めて自室に戻った。
翌日、相変わらず女性客で賑わう菓子店内のカフェコーナーに、二人の男女がいた。
「アンタさぁ、何やってんだい。
ライラ・ディの夜は、クラウス様のほうから花束持ってコレットちゃんに“お疲れ”ってやってやる予定だったろう」
「仕方ないですよ。急に出動かかっちゃったんですから。
その代わり、お菓子はちゃんと当日のうちに渡しましたからね」
忙しいコレットの代わりに、隊舎に差し入れを届けたのはメリルだった。クラウスの分を分けろと言ったのもメリルだ。エメリッヒはそれをクラウスに渡して、すぐにお礼をしろとかなんとか言って、店に送り出す予定だった。
「それくらい当たり前だよ。はあぁ、せっかく一緒に夕食をとるまでいったのにねぇ」
「うひゃぁ、そうそう、それですよ。どんな感じだったんです? 分隊長に聞いても、黙り込んで教えてくれないんですよね」
顔に“わくわく”と書いたエメリッヒが、身を乗り出してメリルに問う。
「まぁ、普通に? 楽しく食べたみたいだよ。
ここのところ、コレットちゃんもかなり忙しかったから、あたしも詳しくは聞いてないんだ。
でもこの夕食作戦は絶対効果があるよ。男は胃袋からっていうだろう?
うちの旦那も元は船乗りだったんだけどさ、あたしの一目惚れで押しに押して婿に来てもらったんだ。そのときもあたしの得意料理を……」
メリルが人差し指を立てて滔々と語りだそうとしたところで、カラランとドアベルが鳴った。
「いらっしゃいませ! ……あ」
朗らかに客を迎えたコレットが、口元に手を当てて言葉を詰まらせる。店に入ってきたずんぐりした体格の男は、他の女性客の注目を浴びながらずんずんと奥に歩を進めた。
「おい」
低い声で呼びかけて、メリルの肩に手を置く。
「あれ、アンタ。どうしたんだい」
振り返ったメリルは、驚いた顔で自分の夫を見つめた。
「まさかとは思ったが……。
こんな若造に熱をあげるとは、どういうことだ!」
「はぁ? 何の話だい」
「おまえがここで毎日のように若い男と密会してるってぇ、なじみの客に言われたんだよ!」
メリルの夫は、ちらりとエメリッヒに視線を向けると、どすの利いた声でうなるように言った。メリルはそう言われてもさっぱりわからないというような顔で、目をぱちくりさせている。一方、若い男とは自分のことだとすぐにわかったエメリッヒは、とんでもない誤解に頭を抱えた。
「いい歳して恥ずかしいったらありゃしねぇ! とっとと帰るぞ!」
「な、なんだい。おまえさんこそ訳の分からないことを言って、もう耄碌したのかい?
密会って、若い男って何のこと……」
「とぼけるんじゃねぇっ」
「とぼけてなんかないよっ」
青果店の夫婦は、店の真ん中で言い合いを始める。他の客たちは野次馬と化し、面白そうにひそひそ声で話し合っていた。カウンターの奥にいるコレットは、どうしたらいいのかわからずにわたわたしている。
「あの、ご主人、誤解です。俺は奥さんとはなんの関係も」
「あぁん!?」
民の安全を守る騎士団員として、己が原因でこのような騒ぎを起こしてはいけない。
くらくらする頭をなんとか立て直したエメリッヒは、場を収束させるべく口をはさんだ。メリルの夫は、そんなエメリッヒを、上から下まで舐めるように眺める。
「少し相談に乗っていただいていただけで、やましいことは何もないんです。密会だなんて、誤解なんですよ」
「相談んんん? お偉い騎士様が、うちのかみさんに何の相談をするってぇんだよ!
嘘をつくんじゃねぇっ
人の嫁に手ぇ出しといて、へらへらしてんじゃねぇぞ、このひよっこが!」
がぁっと怒鳴りたてられて、エメリッヒの肩がびくっと震える。
元船乗りだというメリルの夫は、毎日露店に立っているせいで肌は浅黒く、青果の入った重い木箱を上げ下げしているおかげで二の腕は丸太ほどに太い。足腰もがっしりしていて、体当たりでもされたら、ひとたまりもなさそうだ。
「エメリッヒさん……逃げな」
夫の怒りを目の前にしたメリルが、こそっと呟いた。
「えぇ? なんで俺が」
逃げたら間男だと認めたようなものではないか。そんなことは騎士の誇りが許さない。
「誇りよりも命の方が大事だろ。
こうなったらこの人は止まらないよ。悪いね、骨は拾ってやるから」
「それ、全然無事に済んでないんですけど」
「いいから、早く逃げなって」
「何をごそごそ言ってやがる! やっぱりおまえら……」
「だから、違いますって! あぁ、もう! うわっ、ちょっ、やめ……っ」
興奮した男が殴りかかってきたのを、エメリッヒは身をかわして避けた。いくら正当防衛であっても、騎士である自分が一般市民にそう簡単に手を上げるわけにはいかない。
「コ、コレットさん、お騒がせしました! とりあえず今日は帰ります。
このお詫びは近日中に!」
ばん! とドアを開けてエメリッヒが飛び出していく。
「待ちやがれ、この野郎!」
メリルの夫も、それを追って飛び出していった。ドアベルがガランガランとけたたましい音を立てる。メリルもまた、二人を追いかけて出て行った。
店の中に静寂が下りる。
呆然とするコレットを前に、店のドアに新たな人影が写った。コレットは一瞬身構えたが、入ってきたのはクラウスだった。
自分を見た途端、あきらかにほっとした表情をしたコレットに気付いたクラウスが、怪訝そうに尋ねる。
「どうした」
「いえ、何が何だか、私にもさっぱり……」
一部始終を見てはいたが、事情を知っているわけではない。いくらクラウス相手とはいえ、不確かなことを言いふらすのははばかられる。結果、コレットは困ったような微笑みを浮かべて、そう答えるしかなかった。
メリルたちが去った店内は落ち着きを取り戻し、会計を済ませた客は商品を手に店を出て行く。コレットも客に向き直って、にこやかな対応を再開した。
コレット自身に何かあったわけではなさそうだと判断したクラウスは、客が切れた頃合いを見計らって、本来の用件を口にした。
「差し入れ、うまかった」
ぼそりと言うと、コレットは一度まばたきをしてから、にっこりと微笑んだ。
「よかったです。次はリ・ライラ・ディの商品を考えようと思っています。男の方にはなかなか来ていただけないので、これを機に、もっとたくさんの方にご来店いただけたらなって。また今度お時間のあるときに、相談に乗っていただけたら嬉しいです」
コレットの言を受けて、クラウスはうなずきを返す。
リ・ライラ・ディと言えば、クッキーや飴細工、マシュマロなどが定番だが、コレットだったらどんなものを作るのだろう。彼女の手から生み出されるであろう菓子に心が躍るとともに、自分も差し入れのお返しをしなければと思い至った。
だから、何気なく訊いたのだ。
「君は、何が欲しい?」
と。
「え?」
コレットの目が見開かれる。そしてみるみるうちに耳まで真っ赤に染まった。それを見たクラウスは、また腹のあたりがざわりと蠢くのを感じた。
「何がって、あの、どうしてですか?」
頬を染めたコレットが、ちらちらと自分を伺ってくる。そんな彼女に、今度は動悸までしはじめた。喉が干上がって、うまく声がでない。
「どうしてって……」
コレットがクラウスを見つめる。
「隊に、差し入れを、もらったからだ、な……」
なんとか言葉を見つけ出すと、目に見えてコレットが慌てた。
「あ、そうです。そうですよね。あの日は大変だったそうですね。
ずいぶん遅くまでかかったとか。
お店のほうも、盛況だったんですよ。選べるトリュフが好評で、プレゼント以外にも自分用に全種類買って下さる方もいらして、あっという間に売り切れたんです」
「隊員たちも喜んでいた」
だから礼がしたいのだと、もう一度欲しいものはないのかと尋ねた。納得した様子のコレットは、顎に手を当てて考え込む。
「クラウス様がくださるなら何でも……。
あ、でもこんな言い方、困りますよね。えっと……」
コレットが小首をかしげると、赤い巻き毛がさらりと揺れた。
「あの、今度いらっしゃるときまでに考えておきます」
それは次の約束。
菓子の相談以外の、初めての――
クラウスが返事をしようとしたら、ドアベルが鳴って他の客がやってきた。「いらっしゃいませ!」と客に声をかけるコレットは、もういつもの表情に戻っていた。クラウスの動悸もなんとかおさまった。
用件をすませたクラウスは、接客中のコレットに目であいさつをして店を出る。
さて、見回りをしながら隊舎に戻るか、と歩き出すと「分隊長ー!」と遠くから呼ばれた。声のしたほうを見れば、エメリッヒが必死な顔で駆けてきた。
「た、助けてください!」
「……?」
「俺、俺は潔白ですから! 分隊長は信じてくださいね! あぁっ、もう来た!
わあぁぁぁ」
何やら叫びながら、エメリッヒがものすごい勢いで目の前を通り過ぎて行った。
「まて! この野郎!」
「ちょいと、アンタ! いい加減にしなさいよ!」
続いて駆けて行ったのは、真っ黒に日焼けした男と青果店のおかみ。おかみはなぜか手に林檎をもって、ずんぐりした男に当てようとしていた。
「なんだ、あれは」
クラウスの疑問に答えてくれる者はいない。
常若の国、ティル・ナ・ノーグに、温かな陽の光が降り注ぐ。
通りに佇むクラウスの後ろで、カランとドアベルが鳴り客が入って行く。
「いらっしゃいませ!」
コレットの明るい声が聞こえる。
色とりどりの菓子が並ぶ店の前には、今日も甘い香りが満ちていた。




