2.ニーヴに捧げる恋の唄<後編>
「あれ、今日は違う店の菓子なんですね」
「……」
クラウスが自室で菓子箱を開けていると、ノックもなしに扉が開いてエメリッヒが覗き込んできた。どうやら鍵をかけ忘れたようだ。
あれから一か月。
青果店主催の林檎を作った菓子大会で見事優勝したコレットの店は、大繁盛していた。いつも通り買いに行こうとしたら、開店前から行列ができていた。女性ばかりの列に臆してしまい、また、こんな自分が来店しては営業妨害だろうと思って、それ以来行っていない。
「そうそう、前、分隊長が持ってきてくれた菓子の店。
菓子の大会で優勝して、今たいへんなことになってるみたいですね」
大会用の菓子作りを手伝っていた頃、コレットがお礼にと持たせてくれた菓子は、日ごろ何かとクラウスの世話を焼いてくれるエメリッヒに譲っていた。本当は自分一人で全部食べたかった。しかしコレットは結構な量を持たせてくれていたから、全て食べていては絶対に太ると思った。だから仕方なく一部を譲った。エメリッヒは、クラウスがやった菓子を分隊の連中にも食べさせていたようだった。コレットの菓子が食べられない今、日持ちのする焼き菓子だけでもとっておけばよかったと後悔している。
「人気が出るのはいいことだ」
「そうですけどねぇ。あれ、クラウス分隊長、知らないんですか?」
「?」
「あまりの人気ぶりに他の店のやっかみをうけて、かなり酷い嫌がらせをされてるらしいですよ。
近所のおかみやらその大会に協賛した店やらがなんとか守ってやってるらしいですけど、最近じゃ手荒な連中がうろついてるらしくて、客足も鈍ってるみたいです」
「何……」
「結局は女性一人でやってる店ですからね。そのうちいたたまれなくなって店をたたんでしまうかもしれませんね。
ほら、あの大会で賞金も出たそうだから元手はあるだろうし、他所で店を出し直せば……って、分隊長?」
エメリッヒの見ている前で、クラウスの拳がふるふると震えだす。その震えはあっという間に全身に拡がり、怒気をはらんだものとなった。
「知っていてなぜ放っておく!
うちの分隊に緊急招集をかけろ!
準備ができ次第出発、いや俺だけ先に行く。おまえは隊員を率いてあとから来い!」
「は? え、でも向こうから要請があったわけじゃなし、一店舗の小競り合いにいちいち口を出してたら……」
「街の治安を守ることが騎士団の一番の仕事だろうが!
それがたった一つの店でもたった一人の民でも関係ない。
余計なことを言ってないで、とっとと動け!」
クラウスはそう言い放つと隊服をはおり、扉口に立つエメリッヒを突き飛ばすようにして、外に飛び出していった。
「うっへぇ……。わかりましたよ。あぁ、もう……」
残されたエメリッヒは、口調こそのんびりしながらも、必要な書類をそろえていく。緊急招集・緊急出動といったって、何もなしには出られないのだ。そのあたりの細々したことはずっと自分がやってきたから、大した苦でもないが。
書類に署名をしようと、クラウスの机上のペンを借りる。そのとき、齧りもせずに放り出された菓子に気付いた。
「いつもならこんなにぞんざいに菓子を扱うことなんてないのにね。
さぁて、何が分隊長をそこまで焦らせたのかな……」
おもしろそうに笑って、エメリッヒもクラウスの後を追うべく部屋を出た。
今日も、開店直後からたくさんのお客さんが来てくれた。大会以来、作るのが追いつかないほどの盛況ぶりで、実際、閉店前に売り切れることが多々あった。しかし最近ではよく売れる日と、まったく売れない日がある。理由は簡単。こいつらだ。
「よぉよぉ、まだかい? 俺らさっきからずっと並んでんだけど」
「だよなぁ。早くしてくんない? うちでかわいい彼女が待ってんだよねぇ!」
目つきの悪い男たちが、並んでいる客の後ろからだみ声を張る。近くにいた女性客は嫌そうな顔をして帰り、飾り棚前で商品を選んでいた客も、数点そそくさと選んでさっさと帰ってしまった。
「あぁ、ようやく順番がきたなぁ。おお、うまそうな菓子じゃないか。おっと、手が滑ったぁ」
がしゃーん!
大きな音を立てて、飾り棚の上に並べてあった焼き菓子が籠ごと落ちた。いや、落とされた。
「お客様、困ります」
コレットも声はかけるが、一応客を名乗っている相手にそう強くは出られない。
「あぁん? わざとじゃねぇよぅ。悪い悪い。えぇっと、どれにしようかな~」
「なぁ、こっちの菓子とこっちの菓子はどっちがうまいんだい? ちょっと試食させてくれよ」
「申し訳ありませんが、ご試食はできません。お買い上げいただいた商品でしたら、隣のカフェコーナーでお召し上がりいただけます」
「うまいかどうかわかんねぇもんに金払えるわけねぇだろ! いいから食わせろよ」
「お客様、それは……」
コレットがどんなに断ろうとも、男たちはのらりくらりとかわして店内に居続ける。新たに店に入ろうとした客は、風体の悪い男たちがいるのに気付くと、踵を返して帰ってしまった。
今日はだめか……。コレットが諦め交じりの溜息をついたところに、カランとドアベルが鳴った。
「あんたたち、また来たんだね! 営業妨害もいいかげんにしな!」
「あぁん? また出たぜ、このババア。
俺らは菓子を買いに来たんだよ。客だ、客。邪険にすんじゃねぇ」
「あんたらのどこが客だい! 騒ぐだけ騒いで、一つも買っていったことなんかないじゃないか!」
「迷ってるんだよぉ。どれもうまそうでな、悩んでるんだ。なぁ?」
「そうそう。さっきもさぁ、どっちがうまいかわかんねぇから食わせろっていったら、試食はできねぇとよ。
不親切な店だねぇ。大会で優勝して、天狗になってんじゃねぇか」
「ははは! だよなぁ。こんな菓子ごときで有頂天になって、馬鹿じゃねぇの。賞金は何に使ったんだい。おネェちゃんよぉ」
「どこぞの男にでも貢いだかぁ? 彼氏いんの? 彼氏」
「失礼なことをお言いでないよ! あんたら、一体どこの店に雇われたんだ!」
おろおろするコレットの前で、メリルが男たちと渡り合う。
「雇われてなんかいねぇよ。俺たちは菓子を買いに来たんだってばよぉ」
「そうだよなぁ」
「あんたらに売る菓子なんかないよ! とっとと帰んな!」
メリルが店に置いてあった箒を持って振り回す。いつもならこの辺で男たちは退散していたのだが、今日は違った。
男の一人が、箒の先を持って引っ張る。メリルは手を離しはぐって、引っ張られた拍子に床にうつぶせに倒れ込んだ。
「メリルさん!」
コレットがカウンターから飛び出して、メリルを起こそうと駆け寄る。そのコレットを、メリルを引き倒したのとは違う男が捕まえた。
「へへっ、いつもいつも澄ましやがってよぉ。もっとにこやかにできねぇのかい」
「離して! あなたたちなんかににこやかにする必要なんてないわ!」
「んだよ、生意気だな。このババアがどうなってもいいのか!」
箒を持った男が、柄の先でメリルを小突いた。
「ぁ痛っ」
「メリルさん!」
コレットが手を伸ばす。けれどもその手は男に阻まれ、腕を返されて後ろから羽交い絞めにされてしまった。
「だ、大丈夫だよ、コレットちゃん。なんのこれしき。
あんたら、このメリルを馬鹿にすんじゃないよ。こんなことして、ただじゃおかないんだからね」
「おぉ、威勢のいいババアだな。ただじゃおかないってどうするんだい。
小遣いでもくれるのかい? ははははは!」
男は笑いながら、立ち上がろうとしたメリルの腰を蹴った。どすっと鈍い音がしてメリルが尻餅をつく。
「やめて! やめてください! 何が目的なんですか!」
「目的ぃ? そうだなぁ。とりあえず一か月くらい店ぇ閉めてもらおうか」
「な……っ」
「そんでその間にさぁ、俺たちが新しい店出す場所探しといてやるから、引っ越しなよ。なぁ、おネェちゃん」
「う……。そ、そんな馬鹿な話に乗るんじゃないよ、コレットちゃん!」
「うるせえ! ババアは引っ込んでろ!」
男が箒を投げつける。金具がメリルの額に当たって、血が流れた。男はそれだけでは飽き足らず、メリルの襟元を持って持ち上げ、首をぎりぎりと締め上げた。
「ぐ……っ」
「メリルさんっっ
あ……あぁ……」
「言うこと聞いておいたほうがいいぜぇ、もっと酷いことにならないうちに、な」
コレットを羽交い絞めにしていた男が耳元でささやく。ついでのように、結い上げた後れ毛をかきわけて、コレットの耳をれろりと舐めた。
「……っ」
嫌悪感に、鳥肌が立つ。こんな、こんな最低の男たちに屈しなければならないのか。夢だった自分の店。ようやくついてくれたお客さんたち。いつも助けてくれるメリルさん。苦労して作ったお菓子が、大会で優勝したときはとてもうれしかった。自分の努力が認められたと思った。その喜びを一番に報告したかった人は、大会以降、一度も店には来てくれなかった。会いたくても名前しか知らず、日々の忙しさに探すこともできなくて、そのうちこんなことになって追い込まれた。
「店を、たためばいいの……?」
くやしさに、涙が滲む。
「私が、辞めると言えば、メリルさんを離してくれるの……?」
メリルを締め上げる男に問う。男はにやりと笑って、メリルの襟元をもつ手を緩めた。
「あぁ、そうさ。女ってのはな、せいぜいかわいく売り子でもしてりゃいいのさ。
自分で店持とうなんて生意気なんだよ」
「ご、ごほ、ごほっ。
コ……レット、ちゃん、だめだよ。あきらめるんじゃないよ……」
「だって、メリルさん。こんなことになって、私、もうどうしたらいいのか」
「だよなぁ。じゃぁ、この書類に署名しな。これに署名すれば俺らはもう来ねぇからよ」
ひらりと男がコレットの前に一枚の紙を垂らした。ざっと目を通すと、廃業申告と立ち退きの項目が見て取れた。
「あ……」
「やめな、コレットちゃん! そんなものに署名するんじゃないよ!」
「黙ってろっていったろ!」
「ぐぅ……っ」
男がまたメリルを締め上げる。コレットは後ろから押さえつけられたままで身動きがとれない。
「おい、いつまでつかんでるんだ。片手だけでも離してやれ。署名が出来ないだろう」
「へへっ、この女、結構抱き心地がよくてよ。見た目より胸もあんだよ。へへへ」
コレットを捕まえている男が、体をまさぐる。うなじを舐りながら、服の裾をまくりあげようとした。
「あっ、何を! やめて!」
「やめろ。そんなことより署名が先だ」
「署名してからならいいのかぁ? ひひ、じゃぁ、お楽しみは後だな……ぐぇっ」
ひき蛙が潰れたような声がしたと思ったら、コレットは急に自由になった。メリルをつかんでいた男の目が、驚きに見開かれる。一体何が、と思ったときには、広い背中に守られていた。
荒く息をする肩。見覚えのある鈍い金髪。
「クラウス様……?」
「遅くなって、すまない。大丈夫か」
「はい……」
どさりと足元に男が倒れる。さっきまでコレットに抱きついていた男は、クラウスに片手で頸動脈を押さえられ気を失っていた。
「おま……何……」
「ティル・ナ・ノーグ天馬騎士団第六師団十八分隊隊長、クラウス=アルムスターだ。
貴様らを営業妨害の罪で拘束する」
「な、何言ってやがる! 俺たちはただの客だ。このババアが余計な口出しをしたから、ちょっと仕返ししてただけなんだよ」
「仕返し? 仕返しのためにこんな書面を用意するのか?」
クラウスが床に落ちていた書類を拾い上げる。それは男がコレットに署名させようとしていた、廃業申告書だった。
「てめぇ……。くそっ」
男が仲間を見捨てて逃げだそうとする。とっさにクラウスが店の出口をふさぐ。行き場を失った男は、再びメリルに近付くと、ポケットからナイフを取り出してメリルの首に当てた。
「そこをどけ! このババアがどうなってもいいのか!」
「くっ」
「メリルさん!」
「あ……う……」
メリルを盾にして、男がじりじりと出口へ向かう。クラウスは先を譲るしかなかった。
「覚えてろよ!」
男がメリルを突き飛ばす。クラウスが抱きとめ、コレットに渡す。男は捨て台詞を残して店の外へ出て行った。
「メリルさん、大丈夫ですか!」
「大丈夫……。あぁ、大丈夫だよ。すまないねぇ、コレットちゃん。かえって迷惑をかけちゃって」
「とんでもない! メリルさんが無事でよかった……!」
涙を浮かべて、二人は抱き合う。それを横目に、クラウスは床に倒れた男の横に膝をついて、腕に縄をかけた。そのままずるずると引っ張って外に出て行く。
「あ、クラウス様! お待ちください!」
慌ててコレットが追うのを、クラウスは手で制した。
「すぐうちの隊員が来る。警護をさせるから、安心しろ」
「あ、ありがとうございます。いえ、そうではなくて、クラウス様にまずお礼を!
助けてくださってありがとうございました。騎士団の方とはつゆ知らず、すっかり甘えて失礼なお願いをしていたこと、お許しください」
さほど高い垣根はないが、騎士と平民では身分に違いがある。まして菓子など女・子どもの食べるもの。クラウスは、きっと誰かに頼まれて買いにきていたのだ。それを甘いもの好きなどと勘違いしたコレットに頼まれて、仕方なくつきあってくれた。民の平和を守る騎士団員として、無下に断れずに職務の一つととらえてくれたのかもしれない。
その証拠に、菓子ができあがったとたん、来なくなった。
「失礼など……」
さきほどまでの勢いはどこへやら、クラウスがぼそっと返事をしようとしたら、遠くから土煙が近づいてきた。
「分隊長おぉぉ!」
「分隊長おぉぉ、無事ですかああぁ」
「敵はどこすか! 分隊長の彼女に手ぇ出す不埒ものはッ」
「しまった……」
クラウスが額に手を当てて天を仰ぎ見る。
「え? あの、あれは?」
「すまん、コレット。今日は店を閉めてくれ。あとのことは俺が全部やる。誰が来ても絶対に扉を開けるな。明日、必ず来る」
ひたりとクラウスがコレットの瞳を見つめる。
真正面から目を合わされて、コレットの胸がまた高鳴った。
「あ、はい。わかりました。明日、来てくださるんですか?」
「来る。扉は俺以外開けるな」
「はい……!」
土煙が近付いて来る。クラウスはコレットを店に押し込むと、憂鬱な顔で溜息を一つついた。
「まいったな……。当分あいつらにからかわれる……」
もちろん、その筆頭としてエメリッヒの顔が浮かんだ。
数日後。
何事もなかったようににぎわう菓子店内に、二人の男女の姿があった。
「あの二人って、どうなってるんです?」
「あたしに訊くんじゃないよ」
カフェコーナーでお茶をすすっているのは、青果店のおかみ・メリルと、ティル・ナ・ノーグ天馬騎士団第六師団十八分隊補佐官のエメリッヒである。
あのあと、駆けつけた分隊員たちの手によって男たちの素性が検められ、菓子大会で敗北した店に雇われた男たちだと分かった。男たちを雇った店主は逮捕され、後の調べで他の人気店にも嫌がらせをしたり、大会中には審査員にわいろを贈ったりしていたことがわかった。当然、店は廃業となった。
カララン
ドアベルが鳴る。
入ってきたのは、短く刈り上げた鈍い金髪と、深い碧の瞳の男。伸ばしていた髭を剃ったその顔は、十歳は若返って見えた。
入ってすぐにエメリッヒに気付き、嫌そうに眉をしかめる。
「くくっ、わかりやすいでしょう? ああいうところが、俺かわいくて」
言葉にしなくても、微細な表情の変化でクラウスの考えていることなど手に取るようにわかる。口下手で不器用で、腕っぷしは強いくせに繊細で、無類の甘味好きだけど太るのを気にしている。怒ると怖いが、純情で懐の深い上官は隊員にも愛されている。
「アンタ、おかしな趣味だねぇ」
「はは、自分でもそう思いますけど、面と向かって言われたくはないですね」
「こんな補佐官で、クラウス様も苦労するよ……」
メリルが呆れたように言ってお茶を飲む。
カララン
またドアベルが鳴った。
「いらっしゃいませ!」
コレットの明るい声が響く。
客は次々とやってくる。ほとんどが若い女性で、にぎやかな店内はとても華やかな雰囲気だ。
見回りと称して騎士たちが立ち寄るようになったこの店に、もう手を出す輩はいない。客たちもその経緯は知っていたから、隊服を着たクラウスが菓子を買っていても奇異の目を向けることはなかった。
「あの、クラウス様。新作のアイディアに少し詰まってまして……。
後で相談に乗って頂けませんか?」
会計のとき、おつりを返しながらコレットがこっそりささやいた。クラウスはただ黙って首肯する。
「では、閉店後に」
コレットはにっこり微笑んで菓子箱を渡す。クラウスはほんの少し口の端をあげただけだったが、彼女にはそれで十分だった。
その日、菓子店の厨房の明かりは、夜遅くまで消えることはなかった。