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1.ニーヴに捧げる恋の唄<前編>

挿絵はsho-ko様によるものです。ありがとうございます!

挿絵(By みてみん)



 街の中心部から少し離れたところに、その店はあった。

 “コレットの菓子工房”

 店先にぶら下がった看板には、そう書いてある。


 これは、菓子店を営む娘とその菓子店に足しげく通う、とある騎士の物語――




「いらっしゃいませ!」


 カラランと小気味よく響くドアベルの音に、コレットは品物を並べる手を止めてぱっと顔をあげた。

 入ってきたのは、短く刈り上げた鈍い金髪ブロンドに同じ色の顎髭あごひげを持つ、がっしりとした体格の男だった。

 年の頃は四十代前半くらいだろうか。


「……これを、一つ」


 男が大きな体を丸めて、新作の菓子を指さした。


「はい、ワイルドブルーベリーのタルトレットですね。

 銅貨二枚になります。

 いつもありがとうございます」


 ホールで焼いたタルトを六分の一にカットしたものを箱に詰め、男に渡す。

 コレットからタルトの入った箱を渡された男は、入ってきた時と同様、のっそりと出て行った。

 カララン

 ドアベルが鳴る。

 窓に映る男の影は、街の中心部の方向へ消えて行った。


「ワイルドブルベリーのタルト、か。その隣のダブルアップルタルトレットのほうが自信作だったんだけどなぁ」


 コレットは今日一人目の客を見送り、腰に手を当てて溜息をつく。

 ティル・ナ・ノーグに店をかまえて一年。開店してすぐにやってくるようになったあの男は、週に一度、一つだけ菓子を買っていく。


(でも、不思議なのよね)


 男が消えた方角を目で追いながら、コレットは小首をかしげる。

 この一年で店の定番商品を制覇した男は、最近は新作を中心に選ぶようになっていた。今日は、ワイルドブルーベリーのタルトレットとダブルアップルタルトレット、ハニーナッツタルトという三種類の新作を並べていた。しかし、男は来店した当初から、絶対に一つしか買っていかなかった。

 さらに言えば、数種類の新作を並べたときには、男が最初に目を止めたものが一番の人気商品になることに最近気付いた。

 ということは今回の売れ筋はワイルドブルーベリーのタルトだ。今は二ホールしか焼いていないが、もう一ホール作っておいた方がいいだろう。


(自分で食べてるのかな。それとも誰かへのお土産?)


 客が来ないのをいいことに、コレットは謎の男について思考をめぐらせる。菓子店らしい可愛い模様の箱を、あの男が一人家で開けているのは何だか可笑しい。年の離れた妹でもいるのだろうか。例えばその子が病弱で、週に一度、うちの菓子を楽しみにしているとか。

 そんなことを考えていたら、カラランとドアベルが鳴った。


「いらっしゃいませ! あ、メリルさん、こんにちは」


「こんにちは。おや、新作が出ているね。どれもおいしそうだねえ。一つずつちょうだいな」


「いつもありがとうございます。こちらで召し上がって行かれますか?」


「そうだね。じゃ、林檎のやつをここで食べるから、他は包んでおくれ」


「かしこまりました」


 やってきたのは、近所の青果店のおかみ、メリルだった。

 弱冠二十歳(はたち)にして単身この地(ティル・ナ・ノーグ)に越してきて店をかまえたコレットに、メリルは当初から何かと世話を焼いて親切にしてくれていた。

 コレットも、お礼というわけではないが、菓子に使う果物はほとんどメリルの店から仕入れていた。

 コレットはメリルを店に併設したカフェコーナーに案内し、お茶を淹れて、世間話ついでにさきほどの男について話をした。


「へぇ、そんな人がいるのかい。

 じゃぁ、あれだ。きっと別れた奥さんとの間に子どもがいて、週に一回面会日があってそのときに子どもに持っていっているんだよ」


「それなら奥さんの分も買うんじゃないですか?」


「いやいや、その奥さんは酷い女なんだよ。

 元旦那に子どもを預けると、自分は男と遊びに行っちまうんだ。

 だからその間、男は子どもにここの菓子を食わせてやるんだね」


「そんなぁ。勝手にそんなこと言っちゃ、怒られますよ」


「ははっ。噂ってのは勝手に話してるからおもしろいんじゃないか。

 そうだ、噂と言えば、今度、林檎を使ったお菓子の大会があるんだよ。

 コレットちゃん、出てみないかい?」


 メリルは前掛け(エプロン)のポケットから一枚のちらしを取り出して、コレットに渡した。


「へぇ。林檎を使っていれば何でもいいんですか」


「そうだよ。林檎はここの特産だからね。どうだい。優勝すれば金貨十枚だよ」


 通り沿いの青果店が合同で主催するらしい菓子大会は、参加料無料、優勝賞金金貨十枚、期日は一か月後とあった。

 特産品の林檎の宣伝が主な目的で、メリルの店も協賛している。


「そうですね。優勝は無理でも、参加だけしてみようかな」


「そんな弱気なことを言うんじゃないよ。出るからには優勝狙いだよ!

 ちょうど今日の新作に林檎を使ってるじゃないか。

 うちの一番いい林檎を卸してやるから、このお菓子で勝負さ」


「そんなぁ。これじゃ、きっとだめなんです」


「どうしてだい? とっても美味しいよ?」


「だって……」


 コレットはメリルに男が買っていったのはブルーベリーのタルトレットだったと話す。

 そうしてやはり三種類の新作菓子のうち、その日一番売れたのはブルーベリーのタルトレットだった。






 男の消えた方向、すなわち城のそばの宿舎の一室に、菓子箱を手にした彼の姿があった。


「クラウス分隊長、まぁた菓子ですかぁ?」


「……」


 いそいそと箱を開け、至福の一口を味わおうとしたまさにそのとき、背後から声をかけられた。ぎくりと肩を震わせた男――クラウスが振り向くと、鍵をかけたはずの扉の横の壁に、部下のエメリッヒが腕組みをして寄りかかっていた。


「あぁ、鍵ですか? かけてましたよ」


 クラウスの視線の動きをとらえたエメリッヒが言う。


「帰ってきてからは鍵をかけてましたけど、出かける前にかけ忘れてたんですよ。

 入るとき、鍵開いてたでしょう?」


「……ぬ」


 クラウスはエメリッヒを苦々しい顔で見やる。本人はそのつもりはないが、髭面ひげづら強面こわもてで見つめられると大抵の者は睨まれていると感じる。しかしつきあいの長いエメリッヒはそんなことを気にした様子は一向になく、


「ちょっと必要な書類がありましてね。悪いとは思いましたが勝手に入らせてもらいました。

 机の上を探しているうちに分隊長が帰ってきて、ついとっさに隠れてしまいました」


と言ってのけた。


「いついかなるときも警戒を怠らないのは、騎士の基本ですよ。

 分隊長こそ、俺がいて気付かないのはいかがなもんですかね」


「知った気配に、いちいち警戒していたら身がたん」


 国の警護を司るのが騎士団の役割である。

 屈強な男たちがそろう宿舎は、どこよりも警備が厳重であるといっていい。

 そんな場所だから、クラウスはほとんど自室の鍵をかけたことがなかった。


「菓子を食べる時は鍵かけるのに?」


「……」


 にやにやしながら上げ足をとるエメリッヒを、クラウスは今度こそ睨みつける。空気の読める部下はそれ以上上司をからかうことはせず、肩をすくめてみせると机上の書類を指さした。


「それ、ください。

 報告書の記述をまとめたレポートを出せって言われてて、明日締め切りなんですよ。

 今月の分、どうせまだやってないでしょう? ついでに俺やっときますから」


 エメリッヒの要望を受けて菓子箱を避けると、そこには演習の報告書綴りがあった。クラウスが書かねばならない、一番上に綴じられた用紙は真っ白だ。


「……いい」


「よくないです。どうせ後回しにして、そのうち忘れてどんどん次がたまるんですから。

 せっかくの休日、お楽しみの時間を邪魔しちゃいましたから俺やりますよ。

 あ、でもどうしてもお礼がしたいっていうなら、遠慮はしませんよ。

 それ、街はずれの菓子店のお菓子でしょう? 今度俺の分も買ってきてください」


「……む」


「あそこ、売りがかわいいって評判ですよね。

 コレットさんでしたっけ。くるくるっとした巻き毛の、赤い髪の子」


「知らん」


「あそこっていつもその子しかいないらしいですけど、一人で切り盛りしてるんですかね」


「……」


 クラウスは答えない。知らないので答えられないせいもあるが、元々彼は極端に口数が少ないのだ。


「おや、それじゃ、分隊長が若い子に入れ込んで菓子店通いってのはガセでしたか」


「?」


「いえいえ、こっちの話です。

 分隊長は本当に甘いものがお好きなんですね。

 俺は退散しますから、ごゆっくり召し上がってください」


 エメリッヒがひょいと報告書綴りを持ち上げる。


「悪い」


「いえいえ。お菓子、楽しみにしていますよ」


 エメリッヒが出て行くと、クラウスは今度こそきちんと鍵をかけ、室内に誰もいないことを確認してから菓子に手を伸ばした。

 こぼれるほどに盛られたフレッシュのベリーの上には、透明なゼリーがかけられている。

 その下には、煮詰められたブルーベリーとチーズムースが層になるように重ねられていた。

 一口齧れば、さくっとしたタルト生地の歯ごたえと、深い甘みと酸味がほどよくまざったブルーベリーの味が口の中に広がる。甘さを抑えたチーズムースとの相性もばっちりだ。


「……うまい」


 一口一口をしっかり味わって完食したクラウスは、指についたムースも舐めとって満足げにつぶやいた。

 エメリッヒに言われた通り甘党の彼は、暇を見つけてはティル・ナ・ノーグ中の菓子店を巡っていた。以前は様々な店を回っていたが、最近は今日行った菓子店にばかり通っている。一年ほど前に見つけたあの店は、味といい見た目といい、彼の好みにぴったりだった。

 店構えも派手でなく、開店直後であれば他の客に会わずに菓子が買えるのもよかった。

 店に併設されたカフェコーナーも気になってはいたが、いかにも騎士然とした体格がたいも、実際の歳より老けて見られる顔も、女性客ばかりの菓子店の商売の邪魔にしかならないことはよくわかっていたので、利用したことはなかった。

 ついでに言えば、うまい菓子を本当なら毎日でも食べたかったが、太りやすい体質を気にしていたため、甘いものは週に一度と決めていた。

 空になった箱を潰してごみ箱に放り込みながら、きれいな菓子が並んでいた飾り棚(ショーケース)を思い出す。

 今日は新作が何点か出ていた。来週はこの隣にあった林檎のタルトを食べてみようと思いながら、菓子を並べていた女性のことも思い出した。言われてみれば赤毛だったような気がするが、顔はよく覚えていない。いつもそそくさと目当ての菓子だけ買っているせいだが、これでは民の安全を守る騎士団員失格だ。

 次回はきちんと顔を見てこよう。

 そう心に決めて、クラウスは今日食べた菓子の感想を書くべく引き出しからノートを取り出した。報告書は書かないくせに、好きなことに関してはマメな男であった。






 深夜の厨房で、コレットは悩んでいた。

 ダブルアップルタルトレットを元に、大会用の菓子を作ろうと思ったのだが、いざ作ろうと思うといいアイディアが浮かばない。

 理由はわかっている。

 大会に出すという気負いと、あの男がこのダブルアップルタルトレットよりもブルーベリーのタルトを選んで買っていったということが気になっているのだ。


「うーん」


 一人で店を切り盛りしているコレットは、夕方店を閉めてからの時間を創作にあてていた。店に出す菓子は、朝早くに起きてその日の分を作っている。今日はそろそろ切り上げないと、明日の業務に差し支える。


「だめだわ。いっそのこと、あの人に直接聞いてみよう」


 そう気持ちを切り替えたコレットは、翌日の下準備をして厨房の明かりを消した。




 その日はあいにくの雨だった。そろそろ一週間たつが、さすがの彼も今日は来ないだろう。コレットがいつもより少なめの商品を飾り棚(ショーケース)に並べていると、カランとドアベルが鳴った。


「いらっしゃいませ!」


 雨雲を跳ねのけるように元気よく声をかけて顔を向けると、あの男がいた。雨に濡れた外套を折りたたんで持っていたので、駆け寄ったコレットは両手を差し出して受け取り、入口のポールスタンドに掛けた。


「雨の中のご来店、ありがとうございます」


 にこやかに言うと、男は黙ってうなずき、すぐに飾り棚(ショーケース)に目を移した。


「……このダブルアップルタルトレットと、ベイクドチーズケーキを一つ」


 いつものようにぼそっと注文する声を聞き、コレットは「あれ?」と思う。


「ダブルアップルタルトレットとベイクドチーズケーキ、お一つずつですね。

 銅貨四枚になります。入れ物は分けた方がよろしいですか?」


「一緒でいい」


「かしこまりました」


 これまでずっと一つだった注文が、今日は二つ。

 メリルが知ったなら奥さんと復縁したのかもなどと言い出すのではないかと思い、コレットはこっそりと笑う。


「お待たせいたしました。あの、ところでお客様」


 菓子を入れた箱を手渡しながら、コレットは男に呼びかける。


「いつもご利用ありがとうございます。

 もしもお時間ありましたら、ご贔屓にしていただいている御礼にあちらのカフェコーナーでお茶をお出ししたいのですが、いかがですか?」


「ぬ……」


「無理にとは言いませんが、今日はこんな雨ですし、少しごゆっくりなさっていただければと思います」


 にっこりと微笑んで話しかけるコレット。反対に、男は眉根を寄せて睨みつけてきた。はっきりいって、かなり怖い。これは断られる、とコレットが思った瞬間、


「私がいては、他の客が入りにくいだろう……」


すっと視線を逸らした男は、そう言った。


「そんな! そんなことはございません。遠慮なさらずにどうぞ」


「……」


 躊躇ためらう男に、コレットは男が席についてから頼もうと思っていたことを正直に話す。


「実は今度お菓子の大会に参加しようと思っていまして、もしよろしければ、お客様に相談に乗って頂ければと思うんです」


 男の顔に、疑問符が浮かぶ。それを見て取ったコレットは、もう少し詳しく説明することにした。


「林檎を使ったお菓子を、というお題なんです。うちにも、今日お客様がお買い上げくださったダブルアップルタルトレットのほかに、普通のアップルタルトとアップルパイがあります。どれもお客様にお出ししているくらいですからそれなりに自信はありますが、大会用となるともっと工夫を凝らしたり奇抜だったりするのがいいのかなと思いまして」


「なぜ、俺に」


「お客様、先日三種類の新作の中からブルーベリーのタルトレットをお選びになられましたよね?

 あれが気になっていて……。私、本当はダブルアップルタルトレットのほうがおすすめだったんです。林檎ジャムをタルト生地の上にたっぷりのせて、さらにその上に薄くスライスした林檎をのせて焼いてあります。とろっととろける林檎ジャムと、しっとり香ばしい焼き林檎、さくさくのタルト生地。絶対おいしいんです!

 でも選ばれたのはブルーベリーのほう。その後売れ行きがよかったのもブルーベリーのタルトレットでした。お客様はどういった基準で選ばれてらっしゃるのですか? 見た目だけで味がわかるんですか? 教えてください!」


「……別に基準などない。目にとまったものを買っているだけだ」


「では、どこが目にとまったのかを、教えてください!」


「ぬ……」


 男がちらりとカフェコーナーに視線を送る。

 それに気付いたコレットは、カウンターを出て男を先導するように歩き出した。


「こちらにどうぞ。お客様のほうで、他のお客様が気になるとおっしゃるのなら、ほら、衝立ついたてもございますから。

 さあさあ、おかけになって。今お茶をお出ししますね」


 コレットの熱意に押されて席についたクラウスは、落ち着かない思いでカフェコーナーの室内装飾インテリアを眺める。

 それぞれの席に置かれた小さな花瓶。雨の落ちる窓辺には観葉植物が蔦をはわせている。

 壁に掛けられているのは異国風のタペストリー。水辺に浮かぶ優美な城が描かれている。どこの国だろうとじっと眺めていると、ふわりと花の香りが広がった。


「これ、私の故郷の風景なんです。このお茶もそこで育てているものなんですよ。どうぞ」


 花の香りは、コレットが運んできたお茶の香りだった。


「花茶って言います。味は普通のお茶ですけど、香りが特別でしょう?

 お菓子の味を邪魔しないで一緒に飲めるので、おすすめです」


 コレットは、お茶の他に菓子が数点のったプレートをテーブルに置いた。男はじっとその皿を見つめる。


「これはご贔屓にしていただいている御礼です。相談とは関係ありませんから、どうぞ。

 あ、もしかして甘いもの苦手でしたか?

 いつもお買い上げいただいているのはお土産用だったでしょうか」


「いや……」


「よかった。こちらは、カフェコーナーでご好評いただいている一口プレートになります。

手前からガトーショコラ、紅茶のシフォン、クレマカタラーナです。

 クレマカタラーナはカフェコーナー限定品です。冷やしたカスタードの上にお砂糖をまぶして、熱した鉄製のこてで焼いたものです。温かいカラメルと冷たいカスタードの食感をお楽しみください」


 限定品、と聞いてクラウスの片眉が上がる。そんなものがあるとは知らなかった。


「ごゆっくりどうぞ。あ、すみません、自己紹介もまだでしたね。

 私、コレット=ラヴィネルと申します」


「クラウス=アルムスターだ」


「クラウス様。今後ともどうぞよろしくお願いします」


「あぁ」


 コレットがカウンターに戻る。その後ろ姿をなんとなく見送ったクラウスは、エメリッヒが赤毛の売り娘コレットの話をしていたことを思い出す。

 娘は、柔らかそうな巻き毛を頭の高いところで一つに結わえ、大きめのリボンをしていた。商品を並べたり店内の飾りを直したりするたびに、その髪が馬の尻尾のように揺れている。頬にうっすらと浮いたそばかすが、まだ若い娘を思わせる。おそらく二十歳前後だろう。クラウスに向ける笑顔は朗らかで、温かな家庭で健やかに育ってきたことをうかがわせる。

 一通りコレットの観察を終えたクラウスは、目の前の菓子を食すべく、添えられた匙を手に取った。まずは限定品であるというクレマカタラーナからいただくべきであろう。

 長方形にカットされたそれは、一口分に切り分けるように匙を入れると、ぱりっと音がして表面のカラメルが割れた。溶けかけたカスタード部分と一緒にすくって口に運べば、濃厚な甘さとカラメルの香ばしさ、冷たさとほんのりとした温かさが絶妙な味わいだった。

 ガトーショコラと紅茶のシフォンも、持ち帰り用にはない生クリームが添えられており、一手間加えられた美味しさを味わうことができた。


「いかがですか」


 クラウスが食べ終わった頃合いを見計らって、コレットが声をかけてきた。開店してからしばらく経つが、雨のせいか他の客は誰も来ていない。


「うまかった」


「よかった。お茶のおかわりはいかがですか」


 コレットのすすめに、クラウスは黙ってうなずく。熱いお茶がカップに注がれると、また花の香りが広がった。


「それで……。相談のほう、乗って頂けないでしょうか。私、本当に困ってて……」


「……」


「せめて、どうしてブルーベリーのタルトレットが目に留まったのかだけでも教えていただけませんか?」


 ティーポットを隣のテーブルに置いたコレットが、クラウスの向かいの席に腰かける。大抵の女性は自分の容姿を怖がる。若い娘にこんな至近距離に座られたことのないクラウスは、内心かなり動揺していたが、顔に出ることはない。せいぜい不機嫌そうに眉が寄せられるくらいだ。

 コレットはコレットで、連日悩んでいる菓子のヒントを何か一つでももらえないかと必死になっていたので、クラウスの容姿などにかまってはいられなかった。だいたい、毎週見かけていればそれなりに慣れもする。

 普通サイズのティーカップは、男の武骨で大きな手におさまるとずいぶん小さく見えた。そのカップが何度か傾けられた後、クラウスはぼそっと言った。


「ダブルアップルタルトレットは、城を挟んで反対側にある菓子店の看板商品に似ている」


「え」


「ブルーベリーはこの辺りではあまり菓子には使われない。生かジャムだ。珍しかったから選んだ」


「そうですか……。他の店の看板商品? 私のお菓子、真似だと思われましたか?」


「真似とは思わん。林檎はここの特産品だから、林檎を使った菓子はたくさんある。そのうちの一つに似ていたというだけだ」


 クラウスにしてはたくさんしゃべった。騎士団の作戦連絡以外でこんなに話したことはないほどだ。


「ふぅ……。わかりました。新作として出したのに、他と似ていたのではだめですよね。

 自分のことばかりで、他店の商品なんて気にしていませんでした。

 大会まではあと三週間ありますから、まずは他のお店のお菓子を食べまくります!」


 コレットは胸の前で握り拳を作る。メリルさんにも聞いて、いろいろな店を回ってみよう。せっかく参加するのだから、どこにもない私だけのお菓子を作ろう、と決意する。


「……中の林檎をもっと大きく」


「え?」


 通り沿いの菓子店を何軒か思い浮かべていたコレットの前で、クラウスはさっきコレットが包んだ菓子の箱を開けて一口齧っていた。


「タルトではなくパイ生地で」


 さらに一口。咀嚼しながら、断面や上の飾りを確かめている。


「クラウス様?」


「スライスした林檎はもっと重ねて花のようにするといい」


「ちょ、ちょっと待ってください。今メモを……」


 椅子をも蹴倒す勢いで、コレットは厨房に向かう。いつも使っている創作ノートを持ってきて、クラウスが言う菓子のイメージを描いていった。


「こんな感じですか?」


 できあがった絵をクラウスに見せる。彼は満足そうにうなずいた。


「どこにも、ない」


「ないってどうして断言できるんですか?」


「ティル・ナ・ノーグ中の菓子は一通り食べた」


「……!」


 指についたタルト生地のかけらをクラウスが舐めとる。この人は、本当に菓子が好きなのだ。目の前の空になった皿だって、クリームの一すくいすら残さずきれいにたいらげてある。


「ぷ……っ、くすくす……」


「?」


「す、すみません。なんだか、嬉しくて。

 来週、またいらしてください。それまでにこのお菓子作っておきます」


 クラウスがうなずく。

 コレットは、味見のためになくなってしまったダブルアップルタルトレットに他のお菓子も添えてあらためて箱に包み、いらないと動作で示すクラウスに無理矢理押し付けて、店を出るクラウスを見送った。




 翌週。約束通りやってきたクラウスを、コレットは笑顔で迎えた。出来上がったお菓子を早速味見してもらう。


「うまい。見た目も、いい」


「ありがとうございます!」


「……言った通りに作れるのだな」


 クラウスは、褒めたつもりだった。林檎の食感を残した中身といい、華やかに飾られたスライス林檎といい、申し分のない出来だった。シナモンを利かせて甘さを上品に抑えた味も好みだ。しかし、コレットの顔がさっと曇った。


「クラウス様の、ご注文通りでしたか」


 うむ、とうなずくクラウス。


「味も、想像通りですか」


 そうだ、とさらにうなずく。


「そうですよね……。そういう風に作ったんですから……。

 あぁ、でもそれじゃだめなんじゃないですか? お客様の想像をはるかに超える美味しさを提供できなければ、作り手として、失格です!」


「……む」


「クラウス様、もう一度だけチャンスをください。来週、このお菓子を土台にして、もっと斬新なものを作ってみせます! ティル・ナ・ノーグ中のお菓子を召し上がったと言うクラウス様が驚かれるようなものを、私は作りたいです!」


 大会用の菓子を作るのが目的だった。けれどクラウスの反応を見て、コレットは純粋にこの人が驚くようなお菓子を作りたい、と思った。またそれこそが菓子職人の真髄であろうと思った。

 協力してくれるクラウスに今日も手土産を押し付けて、コレットは早速創作ノートを広げる。本当なら店を閉めて没頭したいところだが、それでは生活がままならないので、他の客への対応も丁寧に行う。店を出して一年。そこそこ固定の客もつき、菓子店として順調に経営できていた。


 カララン

 ドアベルが鳴った。


「いらっしゃいませ!」


 細身の、人の良さそうな初老の男性が入ってきた。


「こんにちは。こちらの林檎のお菓子がおいしいと聞いてきたんだがね」


「ありがとうございます。アップルパイとアップルタルトがございますが、どちらがよろしいですか?」


「なんだか新作の、ダブルなんとかっていうのがあるとか」


「あれは……。申し訳ありません。少々改良中でして、アップルタルトが似た食感となっております」


「じゃぁ、それを二つもらおう」


「ありがとうございます」


「今度、林檎のお菓子の大会があるそうだね。この店も出るのかい?」


「えぇ、そのつもりです」


「改良中っていう新作を出すのかい?」


「あはっ、うまくいけば、そのつもりです」


「そうか。がんばりなよ」


「はい!」


 カラン、とドアベルの音をさせて客が出て行く。メリルさん曰く、お菓子の大会は、この辺りの住民はかなり楽しみにしているイベントだという。当日は、審査用の菓子を十点と、その後販売もできるからかなり多めに作っておくように言われていた。


「間に合うかしら」


 大会まではあと二週間しかない。来週、クラウスに試食してもらって、それでだめなら残り一週間でまた違うものを作らなければならない。


「林檎の食感を残して、もっと深みのある味わいに……。あんまり煮詰めないと、あとから水分が出るからパイ生地がしっとりしすぎちゃう。全体的に茶色いと華やかさが……うーん……」


 その日も、夜遅くまで厨房の明かりが点いていた。




「これは……」


 一週間後。目の前に出された菓子を見て、クラウスは目を見張った。

 ココット皿に、菓子の花が咲いていた。

 幾重にも重ねられたスライス林檎は、かりっと焼き上げられ、端が丸まって本物の花びらのようだ。その中心には、蜜の代わりに金粉があしらわれており、なんとも華やかである。その下は格子状にしたパイ生地で蓋がされ、すきまから飴色に輝く一口大の林檎のコンポートが覗いている。


「どうぞ、召し上がってみてください」


 コレットがすすめる。くずすのがもったいないほどの出来栄えだったが、食べないことには感想も言えないので、クラウスは思い切って匙を入れた。

 焼いただけと思われたスライス林檎はぱりぱりと崩れ、さくっと割れたパイ生地と下のコンポートがほどよく混ざった。


「上の林檎は薄く切って干してから使いました。パイ生地はさくさくの食感を残すためにあえて林檎には触れないようにしました。コンポートは林檎の果汁が滲み出るように軽く煮て、林檎ジャムにからめてあります」


「む……」


 コレットの説明を聞きながら、クラウスは一口一口をじっくりと味わう。干したためにうまみが凝縮されたスライス林檎。噛むとじゅわっと果汁があふれ出る林檎のコンポート。まわりに絡んだジャムは濃厚で、林檎の甘さだけではない深い味わいがある。この甘さはなんだろうと、ジャムだけすくって舐めてみると、それに気付いたコレットがさらに付け足した。


「煮るときに干し葡萄を入れたんです。あと蜂蜜。くどくならないように檸檬もたらしてみました」


 なるほど、と納得して、クラウスはきれいにたいらげた。食べ始めのさくさくのパイ生地もよかったが、途中で林檎の蜜を吸ってしっとりしたパイ生地も美味しかった。混ざるほどに味が変わっていくのもいい。


「“エログ・フルール・オ・ニーヴ” 。

 妖精の女王、“ニーヴを讃える花”と名付けました」


 ニーヴはティル・ナ・ノーグのあるアーガトラム王国で最も人気のある妖精であり、万物の創造主であるといわれている。そのニーヴを讃える花をこの地の特産品で形作るとは、非常に洒落ている。


「いいな。俺は好きだ」


「え……」


 正面から見つめられ、コレットはどきりとする。そのとき、彼の瞳が深い碧であることに気付いた。


「あ、う、あ、ありがとうございます。こ、これで出品しようと思います。ここまでこられたものクラウス様のおかげです」


 頬を染めて深く頭を下げるコレットに、クラウスはゆるゆるとかぶりを振る。自分は何もしていない。ただ知っている菓子について話し、食べていただけだ。


「私、実家が代々菓子店で、私もお菓子作りが好きでいつか自分の店が持ちたいと思っていたんです。独立して、毎日好きなお菓子を作ってとっても幸せでした。でも今回一つのお菓子についてじっくり考えてるうちに、今まで作ってきたお菓子はすごく独りよがりなものだったんじゃないかって気付きました。自分の作りたいものを作って、それを食べてくれる人がいれば幸せっていうのは違うんじゃないかなって。

 “私が私が”っていうんじゃなくて、お客様が喜んでくださるものを作って、それを美味しいって食べていただけてはじめて菓子職人として一人前になれると思いました」


 はじめは、なぜ自信のあったダブルアップルタルトレットが選ばれなかったのかと思った。クラウスの話を聞き、客にも選ぶ背景があることに気付いた。次に要望通りの菓子を作った。しかしそれは要望通りなだけで、“コレットの菓子”ではなかった。ならばとクラウスの要望とコレットの作りたいもの、そしてこの街ならではのものを作ろうと思った。

 それからというもの、毎日毎日クラウスのことを考えた。どんな菓子ならば喜ぶか。どんな形なら驚くか。これまで彼が店で買っていったもの。先日話した様子。合わせて、クラウスから聞いただけではなく、自分でも他の店のお菓子を調べた。また街のことももっと知りたいと思い、メリルや客といつも以上にたくさんの話をして、人々の生活に浸透している“妖精”という存在に注目した。


「私の育った地にはいなかったので、とても新鮮でした。話を聞けば聞くほど引き込まれて、ぜひ妖精の女王(ニーヴ)を意識したお菓子にしたいと思ったんです」


 “エログ・フルール・オ・ニーヴ”ができるまでを語るコレットに、クラウスはじっと耳を傾けている。

 水辺の城の絵を飾っていたことから、クラウスはコレットをシラハナの出身かと思っていた。シラハナはティル・ナ・ノーグのあるフィアナ大陸の遥か東に浮かぶ、小さな王国だ。シラハナの民は皆小柄で、手先の器用な人間が多いことで知られている。細かな作業をする菓子職人であり、クラウスから見れば華奢で小さなコレットは、シラハナの民の特徴をもっていた。しかし故郷に妖精信仰がないということは、どうやら違うようだ。

 知りたい、と。

 この娘のことをもっと知りたいと思ったが、菓子はもう完成してしまった。これからはまたただの客と店主に戻る。何度も礼を述べるコレットに励ましの言葉を述べて、クラウスは店を辞した。







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