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怪奇拾遺集

夜毎通う女

作者: 狂言巡

(体験者:近江長政(オウミ・ナガマサ)






 彫刻家の近江長政が妙な噂を聞いたのは、残暑もようやく勢いをなくした神無月下旬頃であった。

 その内容というのは、『さるスリラー作家の家に夜な夜な化け物が出る』とのこと。

 これを長政に流し込んできたのは、お使いでやってきた友人の愛娘、國子(くにこ)である。

 この小娘、歳はまだ十とそこいらであるにも関わらず血を分けた親でさえも舌を巻く程、舌先三寸ある事ない事べらべら喋り歩くのが常套であったので、長政はまともに相手なぞした事はなかった。


「まぁだ信じてくれないんですか? このクニコちゃんが得にならないことで嘘なんかつくもんですか。この近所の連中ときたらみーんなビビちゃって夜中は雨戸まで閉めて念仏唱えてるらしいですよぅ」

「ときましたら! ここら魔除けの札でも売って歩きゃあさぞかし儲かるんでしょうねェ」


 光る眼鏡、にやけ顔で終始取らぬ狸の皮算用、これでは信心なのか無信心なのか解りやしない。


「俺ァこの通りあの色魔作家の真向かいにずっーと住んでるが、ンな化け物はおろか怖気もしねえがなぁ」


 そう言って長政は腕を組むと、國子はむくれて日焼けで真っ黒な頬を膨らませた。


「あたいは実際見たんですよからね! こないだの花火大会の帰り、父ちゃんと歩いてたらちょーどあそこ、ほら、あの坂のところをそりゃあ別嬪な若いのが一人で歩いてたんです。花嫁衣裳みたいな白いワンピース着て、茶色い髪は後ろでゆるくお団子にしてて、おくれ毛が少し出てたなあ。父ちゃんだってこんな真夜中に女一人あんな格好で歩いてるだなんておかしいって言ってました」

「間違いなく化け物の類だろうってんで、二人で念仏唱えながら急いで帰ったんだ」


 そう言って國子は腰に両手を当て、勢いよく鼻を鳴らしてふんぞり返った。


「おいおい、てめえの肝の小せえのをわざわざ自慢してんじゃねえよ。あいつはあの通り女癖が悪い。ついでに面食いだ。大方どっかの姉ちゃんか嬢ちゃんでも連れ込んでんだろ」

「――おっと、小娘にはまだ早え話だったな」


 対する長政は机に片肘をのせて、ひらひらと手を振って笑う。その反応が気にいらなかったらしい、元来負けん気の強い國子が再び食ってかかる。二人の押し問答は暫く続いた。

 長政の家の前の通りは、そうそう便も悪くないのに今は閑古鳥が鳴いていた。暑い盛りを過ぎたとはいえ、まだまだ暑さが残る真っ昼間にわざわざ外へ出る馬鹿はそうそういない。

 軒先の影にすっぽりと収まった彫刻家とお喋り小学生は、要するに二人揃って暇なのである。時折ちりんと、気まぐれに風鈴の音がしては、温い風がゆるゆると吹き抜けた。


「どーしても信じてくれないんなら、今夜その戸の影から覗いてみてくださいよ。そしたらあたいの言うことが本当だってわかりますから!」


 そう何度も國子は念を押して、暗くなる前に家へ帰っていった。

 長政は依頼された猫の彫刻に取り掛かりながら、頭の片隅で先程の話の事を考えた。


 さるスリラー作家もとい友人の慶次(けいじ)とは、つい先日会ったばかりだった。二人で仕事を安酒の肴にしてだべっていたが、その時は何ら変わりなかった筈だ。

 彼の作品は本当の面白いし、若干女誑し以外、これといった悪評は耳にしない。しかし、いたって気のいい奴なのである。付き合いも短くは無かった。

 だからなのか何なのか、長政は、どうも心配になってきた。




***



 夏は夜も暑いが、朝昼よりはまだましである。

 長政は電気を消した部屋の中から微かに開いた戸の向こう、暗い通りを凝視していた。人はもとより野良犬一匹すら歩いていない。既に時刻は亥の刻(現在の午後十時前後)近くになっている。

 やはり噂は噂かと戸締りをしようと勝手口を降りた矢先――

 微かに、カツンカツンとブーツの音が聞こえてきた。


(あぁ?)


 長政が外を覗いてみると、東の坂の上から女が歩いて来るのが見えた。

 ウェディングドレスのような純白のワンピースを纏い、手には赤い牡丹の描かれたカンテラを持っている。髪は後ろで緩く結われている。コルセットのように締め上げた黒いブーツをかつかつ鳴らして歩いて来る。

 確かに、これはあのお喋り少女が言っていた通りの姿だ。しかし、幽霊には身体のどこかが透けていて足がないものと相場が決まっている。今目の前に居る女は足どころか、ブーツの音まで響かせているではないか。勿論透けて等いなかった。

 やはり、友人の元に通っているという女なのだろう。しかし、このような刻限に女が一人で出歩くだろうか。化け物でなくとも、奇妙なのは明らかである。


 長政は何故か嫌な予感を感じた。この蒸し暑いのに吹き出る冷や汗を拭いながら、今しがた女が消えた作家の家の裏口に回った。音を立てぬよう、こっそりゆっくり扉を押すと、どうやら鍵は掛っていなかった。

 足音を忍ばせて壁伝いに庭に忍び込む。

 井戸(このご時世なのに彼の家にはちゃんと使用出来るものが存在するのだ)の影に隠れて家の中を窺うと、障子戸を開放った寝屋の中に、蚊帳が吊ってあるのが見えた。ぼんやりと、人影が浮かび上がっている。

 目をこらして良く見ると、浴衣姿の友人が正面に、先程の女がこちらに背を向けて座っていた。息を殺す。すると、微かに二人の話し声が聞こえてきた。


「ほんとうに、私をお嫁に迎えて下さるの?」

「勿論だよ。君ほど綺麗で優しい娘、僕は他には知らないからね」

「嘘を仰っては嫌でしてよ。もしそうなら、私は死んでしまいますわ」

「ああ、そんなことを言わないで。君が死んでしまったら、きっと僕も死んでしまうだろうよ」

「まぁ」


 女が慶次の手を取ると、彼の横に座り直し、肩に頭をもたせてしなだれた。


 ……これはまた結構な睦言を聞いてしまった。

 気づかれていないとはいえ、早とちりで無粋な事をしてしまったものだと悔いた矢先、長政ははっと息を飲んで、叫び出すのを漸く堪えた。

 慶次にしなだれかかったその女は、何と骨と皮ばかりの死人の形相だったのである。

 どろりと垂れ下がっている腐った眼球に、突き出した頬骨。黒く見える肌は恐らく土気色だろう。

 しかし慶次は何も気付いていないのか優しく女を抱き留めると、耳元に何やら囁いた。それを聞いた女はくすりと笑う。

 それがやがてかしゃかしゃという掠れた音に変わり、なけなしの肉も皮も消えうせて、真の髑髏を、されこうべを露わにしたのである。細い指の骨が、慶次の背を蜘蛛のように這う……そこまで見ていた長政は後じさり、声なく一目散に逃げ出した。

 軒先の壊れかけた電灯がぽっと威勢を戻し、瞬く間に赤く赤く燃え上がったのを、長政は見ることができなかった。




***




 次の朝、蒲団を被って寝たり覚めたりを繰り返していた長政は、日の光を見て漸く人心地に着き、昨夜の事を思って頭を抱えた。

 この目で見た光景は夢か幻か。通りでは元気一杯の童達が元気よく走りまわっている。きっと、アレは己の小心が見せた幻だったのだろう。


(所詮ガキの戯言、所謂世の流言。ンなもん振り回されるとは、俺もまだまだ青いな)


 自嘲し、冷えた汗にべたつく身体をシャワーで清めた。そうだとすれば、慶次は何事もなくあの部屋で寝ているか次回作でも執筆している事だろう。早速、冷やかしにでも行くかと身なりを整え、彼の家へ向かった。

 しかし、呼び鈴を鳴らしても名前を呼び、戸を叩けども中から一向に反応はなく、それでもどうも立ち去れずにいた長政は、裏口に回って声を掛けた。戸を開けてみる。鍵は開いていた。


「おい、慶次。居るなら返事くらいしねぇか」


 声を掛けながら庭に入る。井戸の前までやってくると長政はそこで足を止め、二、三歩近寄り寝室の中を覗いた途端、あっと小さく叫んで棒立ちになった。


 蚊帳の中には……必死の形相で這い出してそのまま事切れたらしい友人が、ばらばらになった骨の上にうつ伏せに倒れていたのだから。

 そして、彼の命を奪ったであろうものも残っていた。


 首筋にがぶりと喰らいついている、真っ黒な髑髏が。

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