未来を見通す “ 稚い淑女 ” <1>
最近の俺は考え込むことが多くなった。悩みがあるとこんなにも気が重くなるものなのか。
とんでもねぇ思考回路を持つ、押しかけ女房気取りの幼馴染二名に十一日前から振り回され続け、ここしばらく精神力のチャージメーターは 【RED】 が点灯し続けている。予備のバッテリーなどあるはずも無いのですでに極限状態だ。
今朝のおたふく占いは、昨夜願をかけたあの一番星がいい仕事をしてくれたのか、待ち望んでいた運命のBGMが流れた。これで今日一日の俺の身の安全は保障されたようなもんか。
だがもし今日あいつらがまた俺に特攻をかけてきたら、占いは俺が気付いた九日目にしてとうとう外れることになる。こんなもんを気にしている自分に腹立たしさを感じているので、外れて欲しい気持ちもあった。
―― 今の俺はどっちの運命を望んでいるんだ?
今日の占いが当たるようにか?
それとも外れるようにか?
分かんねぇ……。
「柊兵、今日は元気ないね」
尚人が俺の顔を覗き込む。
「疲れてんだろ、色々と」
お前が言うか、シン!?
「……シン、昨日はあの下らない歌で散々俺を馬鹿にしてくれたな。後で校舎裏に来い。今度は逃がさねぇぞ」
「おー、怖い怖い」
またしても大袈裟に肩を竦めやがって。“ 怖い ” と言いつつその声の八割は笑い声が含まれていやがる。
「柊兵くんのお仕置きは本気で天国に行っちゃいそうなんで遠慮しておくよ」
「お前に断る権利は無い」
「ふーん……。じゃあいいよ、俺これからますます美月ちゃんと怜亜ちゃんのために粉骨砕身しちゃうぜ?」
ウッと言葉に詰まる。
シンの暗躍がこれ以上激化したら本気で自分の身がどうなるか分からん。
「この間は自然に柊兵くんが眠ってくれるように場を作ったけどさ、今度は強制的におねんねしてもらって、そのままホテルにでも放りこんじゃおうかなぁ? 介抱はもちろんあの天使達にお任せして」
「お、お前の力で俺に勝てると思ってんのかよ!?」
「チッチッ、野蛮な柊兵くんはなんでも力で解決できると思っているから性質が悪い。強制的、って言っても別に腕力だけじゃないじゃん? 方法はいくらでもあるさ、例えば飲み物にこっそり眠り薬を入れてそれを柊兵くんに飲ませちゃうとか」
……こいつならマジでやりかねん。
うっとおしい長髪を掻きあげ、目の前で悪魔の微笑みを浮かべるシンを腹立たしげに睨みつける事しか俺に残された選択肢は無かった。
「でもさ、安心しろよ。あの子達も “ 皆にばかり頼っていられない ” って昨日言ってたし、後は自分達で何とかするんじゃないの? だからこれからは傍観者で行くつもりだぜ、柊兵くんが俺に乱暴しなければさ。……あーあ、しかし羨ましいねぇ。俺も真実の愛が欲しいよ」
畜生……、どうやら今回もシンも見逃すしかないようだ。
それよりも今シンが言った、「後は自分達で何とかする」と言ったあいつらの言葉がずっしりと脳内に居座り始めたせいでまた気分が重くなった。
そんな憂鬱な俺の鼓膜に、何の前触れも無くある名前が飛び込んでくる。
「ねぇ、今日ミミ・影浦が来るの何時からだったっけ?」
―― 何ッ!?
クラス内のどこかから聞こえてきたその声に俺はガバッと顔を上げた。
教室内をぐるりと見渡すと、入り口付近で四、五人の女共が顔を寄せ合い、何かを見て騒いでいる。
「んっと、三時だって!」
「え~! じゃあ学校終わってから行ったら間に合わないんじゃない?」
「でもほら、占いは三時から四時半までって書いてあるよ! だからHR終わってからソッコーで走れば間に合うって!」
―― その後の俺の行動はほぼ無意識に、そして本能的に行われたものだった。
「おい、どこに行くんだ柊兵?」
椅子から立ち上がった俺にシンが声をかけてきたが、返事をせずに一枚のチラシを見て嬌声を上げている女共の側に近寄った。
「は……原田……くん……?」
女共が一様に俺を見上げて怯えた顔をしている。クラスの女と会話などほとんどしたことの無い俺が急に無言で近寄って来て、険しい顔で見下ろしたのでビビっているらしい。
「ちょっとそれ見せてくれ」
机の上にあったチラシを勝手に取り上げた。蛍光ピンクの縁取り文字が目に突き刺さる。
『 あの 【 モーニング・スクランブル 】 の星占いで大人気のミミ・影浦さんが、このエスタ・ビルであなたの恋愛運を占ってくれます! 』
ミミ・影浦がここに来るのか……。
「は、原田くんも占いに興味があるの……?」
女共の一人がためらいがちに問い掛けてきた。ハッと自分を取り戻す。
「あっ、あるわけねぇだろ!」
そうぶっきらぼうに言い捨てると唖然とする女共の中心にチラシを乱暴に投げ捨て、足音荒く再び席に戻った。
「……なぁ今の見たか? 挙動不審もいいとこだぜ? なんかかなりヤバ気じゃないか、今日の柊兵くん」
「もしかしたら昨日解散した後、あの娘達に何かされたのかもね」
「なぁ尚人、それってどんなことだよ? 俺、なんだかわくわくしてきた!」
「気持ちは分かるが今は聞けないぞ将矢。間違いなく殺される。長年ダチをやってる俺が保証する」
会話は丸聞こえだが今は怒鳴る気力も起こらない。俺の後ろでこそこそと話し続けているシン達を無視し、どんよりと厚い雲が覆われている空を投げやりに眺める。
―― そして美月と怜亜はこの日、俺の前に姿を現さなかった。
・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・
…………何をやってるんだろう、俺は。
壁際に置かれたヨーロピアン調の洒落た白いベンチに深く腰掛け、目の前に広がる光景を見ながらそう自問自答する。
ここはエスタ・ビルの七階だ。
このビルはファッション関連のテナントが主に軒を連ねていて、女が好んでよく来る場所らしい。クラスの女共のやかましい嬌声の中でよく名前が上がっている。
俺が現在いるこの七階はファンシーショップが中心のフロアのようだ。
あちこちの店に大小様々の人形が乱雑に並ぶ中、あのおたふく天使のヌイグルミを見つけてまた胸糞が悪くなった。しかし何度見ても不細工極まりない奴だ。
こうして各店舗ごとにパステル調のふわふわした妙ちくりんなグッズやら飾りやらを無秩序にディスプレイしている光景を眺めていると、色とりどりのドロップやゼリービーンズをこの空間一帯に豪快にぶち撒けているような錯覚すら起きてくる。
―― そんなパステルワールドの中に真っ黒な異端物が紛れ込んでいた。
数十メートル先にある何やら怪しげな黒いミニチュアテントがそれだ。
両脇のテナントが普段そこに商品を展示しているはずのスペースを強引に撤去させ、無理矢理設営したと思われるそのテントは少々肩身が狭そうにひっそりと佇んでいる。例えるなら、きらびやかなパーティ会場の派手なドレスの女達の中に、喪服の女がポツンと一人混じっているようなものだ。
テントの右前には手製の看板が置かれてある。
たぶんこのビルの関係者が急いで作ったものなのだろう、分厚いダンボール地に赤の極太サインペンで、『←ミミ・影浦さんの愛の星占い会場はここです!』と手書きで書かれてある。
時間が無かったのかどうか知らないが、それにしてももうちょいマシな看板を作ってやれなかったのか。
黒テントをしげしげと眺める。
占いが終わる四時半過ぎに合わせてここに寄ってみたのだが、予想以上にミミ・影浦は人気のようだ。まだテント前には数人の女が列を作り、自分の未来を占ってもらおうと従順に待機している。
現在、このフロアにいる人間のほとんどが若い女だ。おかげで学生服姿でベンチに座っている俺は一際浮いて見える。しかし女達は俺を不審人物扱いにはせず、逆に同情するような目でこちらをチラッと一瞥していく。恐らく占い好きな女に学校帰りに無理矢理拉致され、そいつの占いが終わるまで手持ち無沙汰で待っている、哀れな男に見えているのだろう。
畜生、誰がそんな格好悪い真似をするかよ。
だが不審人物に見られるよりはマシなので、人待ち顔で多少の演技はしておくことにする。
―― さらに三十分が経った。
最後の迷える子羊がようやくテントから出てくる。
自分が進むべき羅針盤の針が指し示す方向を教示してもらったらしい。晴れ渡った顔で出てきたそのラストの子羊は、今にもスキップしそうなほどの軽い足取りで下りエスカレーターの方角に消えていった。
その直後、テントの側にヒマそうに突っ立っていた従業員が動き出す。
そいつがすぐ奥の従業員通用口を開けて「終了っ」と小さく叫ぶと、たちまち中からわらわらと大勢の男の従業員が出てきて、テントの解体を始めた。
中から運び出される数脚の椅子、丸テーブル、照明スタンド、何本もの鉄パイプ、そして黒い布。瞬く間に黒テントはそこから姿を消した。
そしてそのテントのあった場所に代わりに現れた一人の女に目が釘付けになる。
……こいつがミミ・影浦か?
予想とはだいぶ違った。
俺のミミ・影浦の予想パターンは二通りあった。
まず、一つ目は妖艶な美女。
年齢は二十五歳前後。ボディスタイルも完璧な、色香で男を垂らしこむのが得意そうな感じの女。
もう一つ考えていたパターンが老婆。
年齢は六十を軽く超えていてあと数年で本物の魔女に等級変化しそうな容姿の婆さん。
しかしミミ・影浦と思われる人物はこのどちらでも無かった。かすりもしていない。
一言でいうとフランス人形と日本人形を足して二で割ったみたいな女だった。
手も足も異様に小さく、もちろん背も低い。百五十センチあるかないかぐらいだろう。中学生ぐらいか?
金髪に近い色の髪全体に幾つも大きな巻き毛を作っているので頭が大きく見える。だがそれに反比例して顔は小顔なのでますます人形っぽい。ここまではフランス人形だ。
どこが日本人形なのかというと顔の作りだ。
顔は純和風的で切れ長の目で、鼻筋は通っているがどちらかというと低め。
西洋と和風をミックスさせようとしたがどこかちぐはぐ、そんな印象だった。
しかしこの女の場合はそれがミステリアスでどこか人を惹きつけてやまない雰囲気を作り出すのに一役買っている。占いなんて職業を生業にしているのだからさぞかし都合がいいことだろうな、と頭の片隅で考えた。
その時だ。
黒のローブを肩からすっぽりとかぶった、多分ミミ・影浦と思われるその女は俺の方を一瞬見た。
目が合った。
逸らせなかった。
しばらく見つめ合った。
向こうが笑った。
何かを呟いた。
読唇術をマスターしているわけでもないのに向こうが何て言ったのかが分かった。
「あなた、背中を押してほしいのね」
この小さくて奇妙な女は確かにそう言った。そう言いやがったんだ。