所詮この世は男と女 【後編】
「あ~面白かった~! 特にシンのあの演歌は凄かったよね! あたし食べていたアボガド噴き出しちゃったもん!」
「柊ちゃんのお友達って楽しい人ばかりよねっ」
薄暗くなってきた秋の夕暮れ空の下、俺は黙々と早足で歩く。
両腕には必死にしがみつくこいつらの重力がしっかりとかかっているが、この重さに微妙に両腕が慣れてきているのが小癪に障っていた。
「でもさっ、柊兵って童貞少年だったんだね!!」
……こめかみに青筋が立ったのが分かる。畜生っ、シンの野郎、明日は必ずぶっ飛ばす!
二時間後にいざ解散となるや否や、いつもの危険回避本能を遺憾なく発揮したあの優男は逃げるように一番最初に夕闇の中に消えていきやがった。
ヒデ、尚人、将矢は美月と怜亜に気を使ってさっさと三人で帰っちまい、残った俺はこいつらを無事に家に送る役目を押し付けられる羽目となる。
非常にムカつくが、この辺りは歓楽街も近いためあまり治安のいい場所ではない。こいつら二人をここにほっぽり出して一人で帰るほど俺も人でなしでは無いので、やむなくこいつらを家まで送ることにする。
「でも良かったよね、怜亜! 柊兵が他の女の人とまだエッチ経験無くてさ!」
おい、まだその話題を引きずってるのか、美月!? こんな場所でそんなデカい声を張り上げてはしたねぇことを叫ぶんじゃねぇ! しかも怜亜! お前も頬を赤らめてこくこく頷いてんじゃねぇっての!
「えぇ本当に良かったわ! 柊ちゃんが他の女の人のものになってなくてっ」
うあああぁぁ! 確かにこいつらの言ってる事は合っている! 合っているんだがいたたまれない!
「う、うっせぇな! お前ら、シンの言ったでたらめを勝手に鵜呑みにすんなっ!」
……ばっ馬鹿か、俺! 思わず強がっちまった! で、でも仕方ねぇだろ、男から見栄と誇りを取ったら一体何が残るって言うんだ!?
しかしこの一世一代の強がりはこいつらにとって効果覿面だったようだ。両脇の幼馴染たちは途端に顔を曇らせ、それぞれ俺の腕から手を離す。
「じゃ、柊ちゃんは他の女の人とエッチしたことがあるのね……」
「そっかー……、柊兵はやっぱり経験あるんだー……」
く……っ……!
怜亜の寂しそうな横顔に良心がキリキリと痛む。その物憂げな儚い表情に心臓が急激に激しく高鳴り出した。
美月も同じような顔で細く吐息を吐いている。普段爆弾みたいにうるせぇ女が急にしおらしい面を見せてきやがると、それはかなりの威力で男心の鐘をぶち鳴らすことを俺は今初めて知った。
……どうする? こいつらに今のは嘘だってバラしちまおうか……。
悩む俺の左横で怜亜がフイと顔を上げ、キッパリとした口調で言う。
「でも美月。もう済んじゃっている過去の事を気にしてもしょうがないわ。それにそんなことをいつまでも気にしていたら柊ちゃんに嫌われちゃうもの」
「……そうだね! これから柊兵にそういう女が近づかないようにすればいいだけの話だもんね!」
……おい、立ち直り早いな、お前達……。
「そうよ美月。大事なのはこれからのことだもの。だからこの先もし柊ちゃんに近づく女の人が現れたらその時は……ねっ」
「そうそう! 前に決めたように二人で完膚なきまでに目一杯叩き潰しちゃおうねっ!!」
…………しかも恐ろしいな、お前達…………。正直少々鳥肌が立っているんだが。
「しゅーちゃん♪」
「しゅーへい♪」
目一杯の甘ったるい声で美月と怜亜が再び抱きついてくる。俺は小さくため息をつくと歩くスピードを少しだけ落とした。
道なりに立ち並ぶオレンジ色の外灯にぽつぽつと暖かな光が灯り始めている。
橙色に照らされた美月と怜亜の楽しそうな顔を視界の隅にそれぞれ収め、ついに意を決してボソリと尋ねてみることにした。
「……なぁ、お前らがこっちに戻ってきてからずっと聞きたかったんだけどよ……」
「なに? 柊兵」
「なぁに? 柊ちゃん」
「……俺とお前らは小学校を卒業してから今まで一度も会ってもいないし、特に連絡も取ってなかっただろ? それなのに久々に会ったばかりでなんでいきなり俺のことが好きになるんだよ?」
急に右腕に力強い重力がかかった。
「いきなりじゃないよ、柊兵!」
そして今度は左腕だ。
「そうよ柊ちゃん! 私たちはずっとずっと柊ちゃんのことが好きだったの。その気持ちが今まで変わらなかっただけ。それだけよ」
「…………」
その答えに俺は黙り込んだ。
……ということは何か?
こいつらは小学生の頃から俺が好きで、引越しで離れても俺のことがずっと好きなままで、ここに戻って来てもまだ好きだ、ということか。マジかよ……。
・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・
わずか数度の狂いも無いくらいにきっちりと真正面に顔を向けたが、それでも両横の女二人の頭は嫌でも視界に入ってきちまう。
美月の長い髪が斜め前から吹いてくる風に流されて右肩にかけているスポーツバッグに何度も当たり、沈みかけた夕日の色を吸った怜亜の短い髪が小さな頭のてっぺんで丸い光の輪を作っていた。
「柊兵、あたしと怜亜はね、小学生の頃、二人とも柊兵のことが好きだったんだよ。でもお互いの事を気にかけて告白できなかったんだ」
「ここを引っ越すことになって、新しい街に行った後、美月とよく柊ちゃんの話をしたわ。そして柊ちゃんに対してお互いに遠慮していたこともそこで初めて知ったの」
俺が急に黙り込んだせいなのか、こいつらは更に詳しく自分達の気持ちを語り出してきた。
「で、あたし達はその時決めたんだ。お父さん達の転勤期間は四年って聞いていたから、またこの街に戻って来て、その時になっても柊兵への想いが変わっていなかったら今度はちゃんと告白しようねって。あ、それとあたし達ね、引っ越しても時々ヒデとは連絡取ってたんだよ?」
「何ぃっ!?」
―― ヒデの奴、俺にそんなこと一度も言ったこと無かったぞ?
「ヒデちゃんから中学や高校の柊ちゃんの様子を時々聞いていたの。高校に入って今は楠瀬さん達と仲良くしていることも事前に教えてくれていたから、私たち、あの人達ともすぐに打ち解けられたものね」
「あたしなんて初対面でいきなりあの三人を下の名前で呼び出したから、シンとか最初驚いてたよね!」
……なんてこった。しかしヒデの奴、なんで俺に黙ってたんだ?
「柊ちゃん、私たち、銀杏高校に編入してすぐに柊ちゃんに会いに行ったでしょ? あの時、教室の一番後ろで窓の外を退屈そうに見ていた柊ちゃんの横顔を見て、柊ちゃんへの気持ちが全然変わっていないことを確信したのよ」
「そう、怜亜の言う通りっ!」
ここで両腕に今までで最高の重力がかかる。さすがに重い。
「……だ、だからってよ、なんでそこで “ 二人同時に彼女にしてくれ ” なんてクレイジーな思考に辿り着けるんだよ?」
「だぁって、あたしと怜亜は親友だもん!!」
「今まで何でも半分こにしてきたからっ」
……出たな、≪半分こ≫。
俺には恐怖の鍵言葉だ。
「だ、だからよ、どう考えてもおかしいだろそれは。大体な、二股かけて付き合ったとしたって、それが未来永劫続けることができる関係だと思ってんのか?」
―― 理路整然と鋭い所を衝けたな。
そう思ったのだが、すぐにこいつらの思考の方が遥かにぶっ飛んでいることを嫌というほど俺は思い知らされる。
「そう! その点があたし達もネックだったのよ! だから考えたんだっ、いい解決策を! ねーっ怜亜!」
「えぇ!」
「な、なにをだよ?」
……なんだ? すげぇ、すげぇ、嫌な予感がする……。
「あのね! あたし達のどっちかが将来政治家になってね、この日本に『一夫二婦制』を導入するんだ!!」
「フフッ、そうなったら素敵よね。何も問題は無くなるもの」
―― おいおいおいおい! 待て待て待て待て!
こいつら、完全に着眼点がずれてるって…………!
「お、お前ら、頭大丈夫か……?」
「少なくとも柊兵よりは頭いいと思うけど?」
「そんなにおかしい? 柊ちゃん」
「政治家になって一夫一婦制を一夫二婦制に変えるだと?」
「あ、逆もだよ? 女の人が二人のダンナさんを持ってもOKバージョンの『一婦二夫制』もね!」
「そうね、やっぱり男女平等じゃなくっちゃね」
ヤバい、こいつらについていけねぇ……! 頭を抱えようとしたが、両脇にこいつらがぶら下がっているのでそれすらも叶わない。
「へへ~、それならすべて解決する問題でしょ?」
「でもその法令成立はまだ時間がかかるから後回しにして、先に二人一緒に柊ちゃんの彼女にしてほしいの。私たちの望みは今はそれだけよ。だから私たちにしておいて! ねっ、柊ちゃんっ」
「そうそう! おとなしくあたし達にしときなさいって!」
―― 脳内でくわんくわんと梵鐘がわなないているようなエコー音が断続的に響いている。
脳が震え、思考能力完全に停止。こいつらの頭ん中 完全に沸いてんじゃねぇのか?
……なぁミミ・影浦、あんたなら一体この場でどう言えば上手く事が収まるか分かるか?
とりあえず明日のおたふく占いは運命のBGMが流れてくれることを、頭上に瞬き出した宵の明星に向けて俺は痛切に願った。