所詮この世は男と女 【前編】
『♪ぼぉ~くらぁ~のぉ~愛はぁ~~こぉのぉ世界ぃぃ中でぇ~、誰にぃも邪魔ぁさせぇ~やぁしなぁぁぁぃぃぃぃぃぃ~~! だからぁぁあぁ~~今すぐぅぅキスうぉお~してぇぇ~~!』
「よっ将矢ッ! この大統領ッ! キスしろキス!!」
「へぇ~将矢って歌上手いんだね! ね、怜亜?」
「えぇ、こんなに上手に歌う人初めて見たわ」
『いやいやいやいや~、そんなことないッスよ~! だはは~!!』
シン、美月、怜亜に次々に煽てられ、調子に乗った将矢の天狗声がマイクを通して何倍にも増幅されて俺の鼓膜にガンガンと響く。おかげで元々不機嫌な顔が更に暗鬱になる。
ここは銀杏高校からほど近い場所にあるカラオケボックスだ。
このさざめく防音密室の中で、俺は相も変わらず仏頂面で腕組みをし、安っぽい革張りソファに気だるく身を沈めきっていた。
数あるアミューズメントスポットの中でカラオケボックスが俺は一番嫌いだ。
で、何故その俺が今そこにいるのかというと、
……またこいつらに嵌められたのだ。
笑いたきゃ、笑え。
一日に二度も同じ面子に一杯食わされた俺を、心の底から嗤笑しろ。
昼に全員で示し合わせてあれだけの謀略を俺にしたシン達は、自分達の身の安全を危惧したのか、目に怒りの光を残したまま教室に戻って来た俺に即座に陳謝し始めた。そして、
“ もう自分達は充分に反省している ”
“ 魔が差したんだ ”
“ 今日の放課後に詫びの印に四人で上手いモンを奢る ”
“ 頼む、どうかそれで許してくれ! ”
とコメツキバッタのようにペコペコと何度も謝ってきたので急に馬鹿らしくなった俺は「分かった」と答え、それを受けたのだ。今思えばおめでたいにも程があるのは認める。
── 放課後、俺は四人にこのカラオケボックスに連れ込まれた。
そういや、「最近はこういう所でも結構美味いメニューがあるんだ! たらふく食ってくれ!」と、妙におかしなテンションでシンが熱弁していたな。
扉の一部分がガラスになっているのは室内で良からぬ事をさせないための店側の防止策だとは思うのだが、食い物を適当に頼んだ数十分後、ガラス部分の向こう側に紺のハイソックスを穿いた細い女の足が二人分見えた時、俺はまた自分が罠に陥れられた事を悟る。そしてすぐに扉が勢いよく開き、
「じゃあぁぁーんっ! 遅くなってごめんねぇ!」
「お掃除当番が長引いちゃって…………あらっ柊ちゃんどうしたの!? 気分でも悪いの!?」
ソファでがっくりと頭を垂れている俺に怜亜が駆け寄ってきた。……お前らのせいだろうが。
「柊兵のことだからお腹減りすぎて具合悪くなったんじゃなーい?」
美月が呑気な口調でそう言い放った後、さも当然のように俺の横にドサッと座ってきやがった。シン達がニヤニヤとしまりの無い顔で朗笑しているのがムカついてしょうがねぇ。
そこへ再び入り口のドアが開き、光合成一切無しの暗室で育ったモヤシみたいな貧相な体格の店員が、「お待たせしました」と棒読みの口調で注文した食い物を室内に運び、テーブルの上に次々と並べ出す。
「ほら柊兵、食べ物が来たから元気出しなさいよ! あ、皆サラダ取ってくれてないでしょ? じゃあサラダ追加注文しま~す!」
「かしこまりました。大根サラダ、グリーンサラダ、シーザーサラダ、トマトサラダ、ミモザサラダがあるのですが、どれになさいますか?」
無表情で追加オーダーを受けるモヤシ店員。
こいつに恨みは無いが、八つ当たりでその逆三角形の細顎に思い切り掌底を喰らわせたい気分だ。
「う~ん、どれにしよっかな~…よーし! シーザーサラダと、トマトサラダと、ミモザサラダッ!」
……おい、そんなに食う気か、美月。
内心でそう思ったことが視線にまで出ちまったようだ。
「あぁ~! 柊兵ってば今さ、『よくそんなに食うな』って思ったでしょ!? サラダだから大丈夫だもん!」
オーダーを受けたモヤシ店員は一礼後、幽霊のように出て行き、美月の言葉を聞いたシンが意外そうな声を出す。
「えっ美月ちゃん、まさかダイエット中なの?」
「うん、ちょっとだけ節制中なんだよね」
「何言ってんのさ。全然太ってないじゃん」
「ううん、ここで気を抜くと一気に来るのよ、あたしの場合」
「もしかして怜亜ちゃんもダイエット中?」
「いえ、私は特に……」
「怜亜がダイエットなんかしたら倒れちゃうわよ! こんなに細いのに! ね、柊兵?」
なんで急に俺に振るんだ。
無言でそっぽを向く。本意では無かったにせよ、つい数時間前にそれぞれ唇を合わせた女が両脇にいるのでいたたまれないことこの上ない状態だっていうのによ。
今月の新曲配信リストからどの曲にするかを決めかねていた尚人が、リストから視線を外さないままでそんな俺を一笑する。
「ははっ、柊兵、マジで怒ってるっぽいね」
やっとこいつらがこの話題を出してきたのでそれまで黙り込んでいた俺はここぞとばかりにすかさず激高し始めた。
「当たり前だっ!! おい、てめぇら! 一体何度俺を騙したら気が済むん」
「あぁーっ!! ヒデ! それ俺の分の春巻きじゃんっ!!」
「甘いな将矢。この世は弱肉強食。それが自然の理。よって早い者勝ちだ」
「お前に情けは無いのかよ!」
「無いな。特に男には」
「ひでぇ!! 」
「ねぇ美月、このバームクーヘンのプチケーキ、美味しいわ。ちょっと食べてみて」
「じゃダイエット中だけどちょっとだけ……。あ! ホントだ! なかなかイケるじゃない! もうちょい生クリームあれば完璧!」
「そうね、フルーツも添えてあればもっといいかもね」
…………またしても誰も聞いてねぇし…………。
「さぁ、ここいらで我らが柊兵くんも一曲どうだい?」
シンが俺に向けてマイクを差し出したがうっかり熱湯に触れたかのように慌てて手を引っ込める。眉間を射抜くような俺の威嚇視線にビビッたせいだ。するとこのやり取りを見ていた美月がケラケラと笑い出す。
「あ~柊兵はダメダメ! いくら言っても絶対歌わないよ! だって柊兵ってすっごく音痴なんだもん! ねっ、怜亜!」
「え? そそっ、そんなことないわよ?」
……怜亜の奴、今一瞬どもったな。嘘のつけない奴だ。
「小学生の時の話なんだけどさ、音楽の時間とか皆で斉唱したりするじゃない? 柊兵って絶対歌わないの! クラス合唱コンクールの時も結局最後まで歌わなかったし。そうだよねヒデ?」
美月に同意を求められ、将矢から強奪したピリ辛特大春巻きを箸に挟みつつヒデは鷹揚に大きく頷いた。
「あぁ。半端じゃ無い音痴だからな柊兵は。俺もこいつとは長い付き合いだが、今まで柊兵が歌を唄ったところを一度しか見たことがない」
それを聞いたシンが急に興味深々の顔つきになった。また俺をおちょくるネタを探すつもりなのだろう。
「ヒデ、そんなにすごいのかよ、柊兵くんの歌声は?」
「あぁ、正直突き抜けてるな。その様子を上手く説明するのは難しいが……」
「じゃあ、あたしが的確に教えてあげるーっ!!」
焦った様子の怜亜を左手で制し、トマトサラダを食いきった美月が陽気に叫んだ。
「もうね、本当にスゴイよ!? とにかくね、メロディの中で合っている音程がほぼゼロなの! どのフレーズにも一個も無い、と言い切ってもいいくらい!」
「でっでもね美月、そこまで完全に音を外して歌えるのも逆に才能よ! ねっ、柊ちゃん?」
── 怜亜、お前のそれはフォローしているつもりなのか。
突如ここで甲高い声の大音量が響く。
マイクのボリュームをONにしたままで将矢が俺を茶化してきたのだ。
「だはは~っ! 要は柊兵の唄はジャイアン・ソングってことなんだなぁ~っ!」
……この発言の十五秒後に将矢はこのカラオケボックスの床でまた痙攣するはめになったことは言うまでもない。
そんな将矢を見下ろし、「しっかし本当に要領の悪い奴だなぁ」とシンが小さく呟く。そして痙攣しながらもいまだマイクを離さない将矢の手からそれをさっさと取り上げ、懲りもせずに満面の笑みで再び俺に差し出す。
「なるほどね。道理で今までカラオケ行くか、っていう話になる度に柊兵くんが嫌な顔になっていたのかがようやく分かったよ。俺、是非お前の唄を聴いてみたくなったぜ! なぁ柊兵くん、今ここで一曲歌ってくれよ?」
「断る」
「そんなこと言わないでさ~」
「断るっ!」
俺の怒号がマイクを通して室内を一瞬の内に駆け巡った。
「ちぇっ、ノリの悪い奴だなぁ。まぁ柊兵くんだからしょうがないか」
つまらなそうな声を上げ、シンはマイクをオフにしテーブルの上に置くと制服のジャケットから煙草を取り出した。
シンが選んだこの部屋は喫煙ルームなので当然のように灰皿も置いてある。臆病さがその全身に滲み出ている小心者のモヤシ店員は、学生服の俺らが喫煙ルームを選んでも何も言わずに無表情でこの部屋に案内したのだ。
青いライターの火が俺の視界に入った瞬間、それまでソファに深々と身を沈めていた俺はグイと身を乗り出し、煙草を咥えたシンの口から黙ってそれをむしり取る。
「何すんだよ、柊兵!?」
一驚したシンがポカンと口を開けている。
そうだよな、今までお前が煙草を吸っていてもこんな真似をしたことなんて無かったよな。そりゃ驚くだろう。
「……シン、ここで煙草を吸うな」
「何でだよ?」
「空気が悪くなる」
「何だよ急に。お前だってたまに俺と一緒に吸ってるじゃんか?」
「……いいからここでは吸うな。どうしても吸いたかったら外に出て吸ってこい」
俺はそうぶつ切りに言葉を終わらせると握り潰した煙草をゴミ箱に放り投げ、再び不機嫌な顔でソファに深く腰を落とした。
「そうだよシン、柊兵の言う通り! 吸いたかったら外に行って!」
アボガドをフォークに刺したままで美月がソファから立ち上がり、強い口調で俺に同意する。
「あ、そっか、美月ちゃん、煙草の煙ダメなんだ?」
「ううん、あたしじゃない。怜亜なの」
美月は怜亜に目をやる。それは大切な妹を心配する姉のような視線だった。シンの横に座っていたヒデがあぁ、と急に何かを思い出したように声を上げる。
「そうだ、怜亜は喉が弱かったんだったな」
「そうだよ。だから怜亜に煙草の煙とか埃っぽい場所はタブーなの。だからシン、外で吸って」
「ごめんなさい、楠瀬さん……」
申し訳なさそうな視線をシンに向け、済まなそうに怜亜が謝っている。
怜亜、お前やっぱりまだ治っていなかったのか……。
「あ、そういう理由ね。ごめん、気が利かなくて!」
慌てたようにシンは煙草を制服の上着ポケットに突っ込んだ。
「でもさっすが柊兵だね!」
美月が嬉々とした声で俺の右肩を容赦ない力でバシバシと叩く。
「怜亜の喉のことまだちゃんと覚えてたんだ? あたしより早くシンの煙草に反応してたもんね!」
「ありがと、柊ちゃん……」
俺を見つめる怜亜の愛慕がたっぷりこめられた視線に気付かない振りをして、横を向くとぶっきらぼうに「別に」と呟く。
ここで面目躍如しようと思ったのか、シンが再びマイクを手に立ち上がった。
「よしっ! じゃあたった今、痺れるようなカッコいいところを見せてくれた柊兵くんに、俺からこのメッセージソングを捧げます! 尚人、先に歌ってもいいか?」
「いいよ、シン」
尚人が配信曲リストを差し出す。しかしシンは「あ、もう決まってるからいい」と断ると、タッチパネル式端末でコードを素早く入力する。
―― 数秒後に流れてきた曲は超ド演歌だった。
「皆様、今宵は目一杯楽しんでおられるでしょうか? 本日ここで皆様にある重大な事実をお伝えしたいと思います!」
演歌の前奏部分の間をうまく利用し、シンはわざとらしいほどの高いテンションで即興で考えた前振りを饒舌に語り出す。
「え~、今まで女の話をしていても一切加わろうとせず、俺らの中で唯一女性に苦手意識を持っていた柊兵くんでありますが、この見目麗しい二人の天使が遥か彼方の天空から舞い降りてきてくれたおかげで、とうとう柊兵くんにも遅い春の目覚めが到来したようでございます! あぁ素晴らしきかな、“ 青い春 ” と書いて青春! ワタクシは柊兵くんのこの性の目覚めを一友人として非常に喜んでおります! おめでとう、柊兵くん! 本当におめでとう! ではいよいよ大人の階段を登り始めようとしている柊兵くんに、友であるワタクシ楠瀬慎壱から謹んでこの曲を贈らせていただきます! そう曲はもちろん、『 所詮この世は男と女 』!! ではごゆっくりとご堪能下さい!」
そしてシンは朗々とド演歌を歌いだした。…………中の歌詞を俺をからかう単語すべてに置き換えてな。
一体幾つ出ただろう。
陰鬱助平、 童貞野郎、 乳星人、 尻偏愛、 白衣執心……等、一度もつっかえる事なく流暢に歌う完璧なその替え歌に、男共は拍手喝采の嵐、抱腹絶倒の渦。
一方、美月と怜亜は呆然と頬を赤らめて俺とシンの顔を交互に見ている。
…………シン、お前は帰り際に絶対殺す。