ツインカム・エンジェル! <3>
「柊ちゃん、お願い、カメラ返して……」
怜亜がうるうるとした瞳ですがるように俺を見ている。
……ヤバい、また調子が狂う……!
「か、返すが、中の記憶は消す!」
怜亜は本当の女の分だけ、尚人よりも激しく調子が狂っちまう。羞恥写真を消そうと削除キーを探す俺の腕に美月が齧りつく。女のくせにすごい力だ。
「あぁっ止めてよ柊兵! 永遠の乙女の思い出になるあたし達のファーストキスのメモリーショットなんだからぁ!」
「知るか!」
── なんだ、お前らも初めてだったのか……。実は俺もそうなんだよな。死んでも言わねぇけど。
「いいじゃないか、柊兵。黙って渡してやれよ。男ならそんな写真一、二枚撮られたぐらいでうろたえるな」
むずがる赤子をなだめるような口調でヒデが横から口を出してくる。
「さっすがヒデ! もっと柊兵に言ってやってよ!」
美月がヒデをけしかけている。
両手を胸の前で組み、悲しそうな瞳で俺を見ている怜亜の側に尚人が近づき、
「はい怜亜ちゃん」
とその目の前にスッと携帯電話を差し出した。
「ほら大丈夫、今の本番前の口慣らしなら僕もこれで一枚撮ったから。これ、すぐに怜亜ちゃん達のケータイに送るよ」
「えっ、本当ですか? 嬉しい!」
慌てて横目でディスプレイを覗くと、寝ている俺の頬に両側から幸せそうに口付けをしている美月と怜亜の横顔がどでかく飾られている。これ以上無いぐらいの羞恥写真じゃねぇか……。
「おっ、お前らなぁ!」
本気で頭に沸騰した血が集まり出した俺に「まぁまぁ落ち着け柊兵くん」と笑みを浮かべたシンが近づいてくる。このだらしのねぇシンの顔。この顔は絶対に何か企んでいやがる顔だ。間違いない。
咄嗟に身構えた俺を横目にシンはまた大げさな素振りで大きく両手を広げた。
「さぁ美月ちゃん、怜亜ちゃん! どうぞ俺らにすべてお任せ下さい! 可愛い女の子二人がその可憐な胸にずっと秘めてきた夢を今ここで華々しく成就させる為、俺ら正義の戦隊がこれからお手伝いをさせていただきます!」
……正義の戦隊って何だ。それじゃあ俺はこれから成敗される悪役か?
「じゃあ皆いいなっ!? レディッ、GOッ!!」
突然シンが俺の両腿の上にガバッと馬乗りになる。そして俺の下半身の動きを封じると続けて叫んだ。
「ヒデ! 腕ッ!」
「おう任せろ!」
ヒデの太い腕ががっしりと俺の二の腕を掴み、俺の上半身は再び芝生に押し付けられた。
「うぉわっ!?」
「尚人は頭だ!」
「了解っ!」
横から伸びてきた尚人の手が俺の両耳をがっしりと万力のように固定する。
「将矢は柊兵からカメラ取り上げろ!」
「イエッサー!!」
ヒデに腕を押さえつけられているのでカメラはあっさりと奪われた。
感心するぐらいの巧みな連携プレー。さすがつるみだして二年目突入だな。頭に血が昇っているつもりだったが、こいつらの阿吽の呼吸に感心している俺もまだ結構冷静かもしれん。
「うわ~スゴーイ! 鮮やか~!!」
「柊ちゃん、捕まっちゃった!」
俺の側で美月と怜亜が手を取り合ってきゃいきゃいと喜んでいる。
たちまち俺はさっき見た悪夢の中のように、両手足の自由を奪われた生贄に逆戻りした。
「は、離せって! てめぇらっ、後で覚えてろよッ!?」
身をよじってそう怒声を上げるが誰も聞いちゃいねぇ。
さすがに男三人に全力で押さえつけられれば逃げ出すことも叶わなかった。
「さぁさぁではどちらのお嬢様からにしましょうか?」
俺の脚の上にいるシンが美月と怜亜に向かって尋ねている。
ここまできてやっと俺はこれから自分の身にどんな災いがふりかかろうとしているかをうっすらと理解し始めていた。
ミミ・影浦の占いで出ていた≪仲間達の協力で起こる、とってもいいこと≫とは……!
「美月からでいいわ」
怜亜が微笑みながら順番を譲っている。
あぁ、やはりこいつも昔から全然変わってねぇな……。こういう時必ず先に一歩引くのが怜亜だ。自己犠牲精神が強いんだよな、こいつ。昔から自分一人が貧乏くじを引くと分かっていてもためらわずに引きに行く性格だった。
「ん~そぅお? ファーストキスは一応同時に出来たし、じゃあお言葉に甘えて!!」
美月がよいしょっ、と言いながら俺の腹の上に跨る。
スカートが大きくひらめき、慄いた俺は即座に腹筋に力を入れた。間髪入れずに胃の真上にドスッと勢いよく美月が座り込む。
「ぐぉわぁっ!」
「うわっ、柊兵のお腹、すごく硬い!」
当たり前だろ、普段から影で鍛えてんだからな。それよりもうちょい遠慮して座れよ。ついさっき食った弁当がリバースしたらどうすんだ。
「へへ~、まさか今日一日で一気にここまで進めるとは思わなかったよ~! じゃあ風間美月、参りますッ!」
参ります、ってこれから組み手練習するわけじゃねぇんだからよ……。
腹の上から俺を見下ろす美月は太陽のような輝く笑顔で俺に向かって顔をほころばせている。
……どうでもいいがこいつ、胸でけぇ……。
下から見ているとそれが一層よく分かった。胸元の赤のリボンが垂れ下がることが出来ずにその上に乗っている。
小学校を卒業する頃はまな板みたいな胸だったくせに、その後の四年間、美月の成長細胞は童話、『アリとキリギリス』の蟻のようにコツコツと額に汗水垂らして懸命に働き、食料の代わりにせっせと大量の脂肪を溜め込んでここまでこいつの胸を見事に膨らませたらしい。
しかしよくここまで育ったもんだ。少々感動した。
……いや待て、感動している場合じゃねぇ!
そのでかいゴム鞠二つを標準装備した美月が俺に向かってぐいと顔を寄せて……。
「やっ、やめろぉおおおおぉぉぉぉ──ッッ!!」
叫ぶだけ結局全て無駄。この状況で哀れな生贄が縛めから解き放たれる可能性など一切ありはしなかった。
「んーっ♪」
唇に柔らかい感触が再び当たる。しかもかなり強引に。脳天が痺れる。
美月がますます強く唇を押し付けてきたので、伏せられたその長い睫と黒髪が俺の上頬にかすかに触れた。組み手でヒデから頭部にまともに蹴りを喰らっちまった時より今の方が脳の衝撃が強いのはどういうことだ?
「おい将矢、カメラカメラ! 撮れ撮れ!」
「イエッサー!!」
シンに促され、目線を合わせるために芝生に腹ばいになった将矢が、俺と美月が唇を合わせている横顔をデジカメで何度も撮影している。
……これは悪い夢だ。悪夢だ。さっきのネコの夢が現実で、こっちが夢であってくれ……!
「はい! いいよ怜亜! 次は怜亜の番!!」
約十秒近く俺に唇を押し付けていた美月が俺の腹から下り、怜亜を促す。
頬を赤らめた怜亜は小さく頷き、耳横の髪に手をやると、しゃなり、と俺の側に擦り寄ってきた。
しかし前から思っていたが本当にこいつはネコみたいな動きをする奴だ。
「柊ちゃん……」
怜亜は脚を崩して横座りになると、全身を投げ出すように俺の身体にもたせかけ、そっと覆いかぶさってくる。潤んだ瞳の怜亜の顔がゆっくりと近づき、香水か何かのいい匂いが鼻腔をくすぐりだす。
……うわっ、やべッ! 心臓の鼓動が勝手に早まってきやがったッ! 俺のこの拍動、くっついている怜亜に直に伝わっちまってるんじゃねぇか!?
美月のムードゼロのモーションと違い、怜亜のこれは最早立派な反則技だ。引きつった顔で硬直する俺の頬に優しく両手を添え、怜亜が顔を寄せてくる。いい形をした桜色の唇がどんどんと接近してきて……。
ちょっ、ちょっと待て! 待てって怜亜! せっ、せめて心の準備をさせてくれッ!
── しかし容赦無く再び柔らかい感触。
柔らかさの中にも美月と怜亜のそれぞれの唇は感触が違った。
美月の唇は温かくて怜亜のは少しひんやりとしている。決して強くはないが、ぴったりと唇を押し付けてくる怜亜のそれは、母犬が子犬をいとおしむ様な保護的な優しさを感じた。……だがどっちにしても心臓が締めつけられるように痛いことには変わりない。キュ……救……心…………!
「うぉぉー! いいね、いいねぇ! 月9のラブシーンみてぇだ!」
そんなに連写したら壊れちまうんじゃねぇかと心配するぐらい、デジカメラのシャッターを切りまくりながら将矢が興奮した声を上げる。……おい、男三人がかりで体中を拘束されたこんな状態でやるラブシーンなんかあるのかよ……
怜亜はたっぷり十五秒近く俺から離れなかった。
息が苦しくて、マジで甘い拷問を受けているような気分にさせられる。
やがて怜亜は聖母のような慈愛に満ちた顔で俺から優しく唇を離した。酸欠で頭がくらくらする。
「満足しましたか? お嬢様方?」
シンの言葉に美月と怜亜が「うんっ!」「えぇ!」と満面の笑顔で答えている。
和やかな雰囲気漂うこの場の中で俺一人が即死状態。今にも本気で死にそうだ。
「そりゃあ良かった。じゃあ早速次の用意だ。いいか、皆?」
何ッ、まだ俺に何かする気かよっ!?
焦る俺を尻目にシンが全員を見渡してカウントダウンを始める。
「いくぞぉーっ! 3、 2、 1、GOーッ!!」
── 次の瞬間、俺は自由の身になった。
シン達が押さえつけていた俺の身体から手を離し、一目散に逃げ出したのだ。
全員脱兎の如くこの場から走り出している。むろん、マジでブチ切れ五秒前の俺の攻撃から安全な場所に退避するためだ。
それにしてもあいつら逃げ足だけは本当に速いな……。
美月なんかは男共にも負けていない。運動が苦手な怜亜だけはヒデが手を引いて走ってやっている。
「先に教室に帰ってるぜ、柊兵く~ん!」
「またね、柊兵~!」
「ありがと、柊ちゃん!」
「へへっ、いい写真撮れたぜ~!」
「後で見せてくれな、将矢?」
「あっ僕にも!」
口々に好き勝手な台詞をのたまいながら奴らはあっという間にいなくなった。
一度はふらつきながら上半身を起こしたが、結局バッタリとまた芝生に倒れこむ。
HPはすでにゼロ。マイナスかもしれん。
MPもさっきの強制接吻で綺麗に残らず吸い尽くされた。このまま昇天か?
魂の抜け殻、憔悴の躯状態で早秋の高い空を見上げながら俺は複雑な気分になる。
……なんであいつら、俺がいいんだ?
昔小学校時代の同級生だったってだけで、中学時に転校して以来、俺は美月や怜亜と一度も会っていない。あいつらから毎年欠かさず年賀状は来ていたが、俺は筆不精なせいもあり一度も送り返していない。
それなのに美月と怜亜は俺がこの高校にいることを知っていた。
そして十一日前に隣のクラスに転校してきたあいつらは真っ先に俺に会いに来た。
あれは忘れもしない九月三日。
いつも通り教室内で不機嫌な表情で外を眺めていた俺の目の前に「久しぶり!」と突然現れ、放課後に俺を体育館裏に呼び出したあいつらはいきなり告白してきやがったんだ。
「柊兵! あたし、あんたの事が好き!」
「私も柊ちゃんのことが大好きっ」
「だ・か・らっ♪」
この後、美月と怜亜が唄うように口にしたハモリ音は衝撃、ただその一言に尽きた。
「二人一緒に彼女にしてちょうだいっ!!」
……後日、【モーニング・スクランブル】の公式サイトにアクセスし、『 ミミ・影浦の愛の十二宮図 』 の過去の占いを密かに調べてみた。
不細工天使のミニイラスト付きの九月三日の天秤座の恋愛運は、
【 天変地異が起こるくらいの劇的な出会いが
あなたの頭上に華麗に華咲くことでしょう! 】
だった。
……ミミ・影浦、あんたはマジで凄いよ。脱帽だ……。