嵐の前のカニダイブ
「三年生の皆さぁーん! ここに集まってぇー!」
……ようやく召集か。
最近ダテ眼鏡をかけるようになった、自称:保健室在住の伯田さんがメガホン片手に叫んでいる。大きく手招きをしている伯田さんを見て、シンが何かを思い出したようだ。
「あーそういえば伯田先生についてもさっき尚人くんが色々言ってたなぁ……。どうして先生が修学旅行についてきたのか、その意味が分からないってさ」
確かに言われてみればそうだ。
今朝グラウンドで出発集会をした時に伯田さんもその場にはいたが、白衣を着ていたため、俺もただの見送りだと思っていた。しかし伯田さんは俺らの旅行先にまで付いて来ている。
「しかもさ…」
まだ何かを言い足りない様子でシンが口を開きかけた時、別方向から強烈な叱責の声が飛んできた。
「ちょっとあんた達っ、何いつまでもそんなところでノンキに遊んでるのよ! 集合の合図がかかってんでしょ! 早く来なさいよっ!!」
── 出やがった。
E組クラス委員長、宮ヶ丘 鈴の登場だ。
どうやら少し離れたところでずっと俺らを監視していたらしく、伯田さんの指示にすぐに従わない様子を見てすっ飛んできたようだ。
「今からこんなんじゃ、先が思いやられるわ! 全クラスの中でE組がダントツで態度が悪いって言われてるのは、全部あんた達のせいなんだからっ! 少しは自覚して規律を守りなさいよっ!」
……どうでもいいが、こいつを見ているとキャンキャンとわめき散らす、こうるせぇポメラニアンを思い出しちまう。
「はいはいはいはい喜んで~! 偉大なる宮ヶ丘委員長サマのご命令とあらば、我らロクデナシ一同、例え火の中水の中、何処へなりとも喜んで参りましょうとも!」
すかさずそう答えたのはシンだ。
だが形式上一応敬ってはいるがあまりにもわざとらしい慇懃さだったため、バカにされたと感じた宮ヶ丘の怒りは更にヒートアップしたようだ。
「楠瀬くん! あなた私をからかってるでしょ!?」
「まさかまさか! 滅相もございません!」
自己防衛の意味なのか、シンは広げた両手を伸ばすと宮ヶ丘の前にかざして左右にゆらゆらと振る。
「我らE組の綺羅星! 聡明でお美しい宮ヶ丘委員長サマをからかうなど決してありえませんって! そんな神をも恐れぬ所業、平民の俺らが出来るとお思いですか?」
シンはスラスラと美辞麗句を並べ立てる。だが端整な顔に薄笑いを浮かべるその姿勢には、殊勝さなど微塵も感じられない。
「いい加減にして! そういう人を小馬鹿にしたような言い方と態度がいつも頭にくるのよ!」
「それはそれは大変失礼いたしました」
シンは足音を消して宮ヶ丘の背後に来た人間に一瞬だけ目線を送った後、背筋を伸ばして仰々しく一礼する。
「では委員長さまにご不快な思いをおかけしたお詫びとして、この私めより貢物を献上させていただきたいと存じます。お納めいただけますでしょうか?」
「み、貢物?」
「はい! できましたら手をこういう形にしていただけると助かりますです」
シンは自分の両手の端同士をぴったりとつけて、椀のような窪みを手本代わりに作ってみせた。
「こ、こう?」
クソ真面目な割りに意外とノリがいいのか、それとも貰えるもんはとりあえず貰っておくタイプなのか、宮ヶ丘はシンの見本通りに自分の手で窪みを作る。
「GOOD!! ではどうぞお受け取り下さい!!」
シンがそう言った直後、宮ヶ丘の両手の窪みの中に大きさ三センチ足らずの小さな黒カニが背後から忍び寄っていた将矢によってドサドサと大量に投下された。
「キャアアァァァァァ~~~~~~っ!!!!!!!」
浜辺に宮ヶ丘の絶叫が響く。
自分の手の中でわさわさと動き回る黒い小ガニ共を一気に放り投げ、青ざめた宮ヶ丘は脱兎の勢いで逃げ去っていった。
「やった!! 大成功だぜっ!!」
「ナーイス将矢!! グッジョブ!!」
シンと将矢が拳をつき合わせてお互いの功績を褒めたたえている。
「将矢、姿が見えないと思っていたらお前カニ取りしてたのか」
この騒ぎの中でもまったく動じず、少し離れた場所で砂浜に座って悠然と海を眺めていたヒデがここでようやく立ち上がり、ジャージについた砂を手で払いながら近づいてきた。
「おう! 最初は亀を探してたんだけどさ、怜亜ちゃんと美月ちゃんが貝殻探ししてたから手伝ってたんだよ。そしたらあちこちにこの小ガニがいっぱいいてさ、途中からこいつらを何匹捕まえられるかカニ取りタイムアタックしてたぜ!」
将矢は充足感満タンの声で答え、足元の砂浜を指差す。
ビビッた宮ヶ丘が空中に盛大に放り投げたおかげで、将矢が集めた小ガニ共がこれ幸いと蜘蛛の子を散らすように再び逃走を始めていた。下が砂浜なのでどうやら特に大きなダメージも受けなかったらしく、全員元気にノコノコ歩いているのは何よりだ。
「なるほど、将矢らしいな。で、美月と怜亜はどうしたんだ?」
「十五分前くらいかなぁ、鈴ちゃんが俺らのところに来てさ、“ そんな男と一緒にいたらアホが伝染るからこっちに来なさい! ” って言ってどこかに連れてっちゃったんだよ。まったく鈴ちゃんは俺たちを異様に目の敵にしてるから参るぜ!」
「ハハッ、何言ってんだ。その原因の大部分はお前とシンがああやって委員長をからかうからだろうが」
先ほどの “ カニダイブ By 宮ヶ丘 ” の豪快なシーンを思い出したのか、ククッと渋みをきかせてヒデが笑う。
「でもどこに連れて行かれたのかなぁ、怜亜ちゃんと美月ちゃんはさ……って、あれ? 伯田せんせーしかいないじゃん! 毛田とか他の奴らはどこに行ったんだ!?」
疑問を口に出したのは将矢だったが、俺ら全員もほぼ同時にその事実に気がついた。
海の方ばかりを見ていたので今まで気付かなかったがいつの間にか伯田さん以外の教師の姿が見当たらない。
「……始まるね、いよいよ。何が始まるのか分かんないけどさ」
尚人の顔が珍しくマジだ。
でもそうだよな、これから何をさせられるのか全く分からんねぇんだ、不安になって当然かもしれん。そう思った時、ふいに尚人が俺を見上げる。
「柊兵、優先順位は怜亜ちゃんと美月ちゃんの次でいいからさ、何かあったら僕を守ってくれる?」
「何?」
「頼んだよ!」
尚人は爽やかな顔で笑いかけると俺の背中を軽く叩き、返事を聞く前に伯田さんの元へと走っていった。まっ、守れって言われたって、尚人を何からどうやって守ればいいってんだ!?