言われなくても分かってる
―― さっきから潮の香りが何度も鼻腔をくすぐり続けている。
銀杏側から支給された拘束グッズを、問答無用かつ半強制的に身に着けさせられ、観光バス内にもかかわらず俺らは逃亡不可能の状態にされた。
その後、バスを降ろされ小型船のようなものに乗せられて着いた先が潮の香りがするこの場所だ。
まだ拘束グッズは外されていないので何も見えないし、ろくに手もつかえない。
「あーっこの手錠邪魔くせー!! どさくさに紛れておっぱい触ろうとしてもできねぇじゃん!!」
アイマスクを装着させられていることを逆に利用し、予想外のアクシデントを装ってクラスの女の身体を触ろうともがいていたらしい将矢の嘆き節が聞こえてくる。……何やってんだあいつは。
しかし将矢じゃないが確かに文句の一つも言いたくなる。これじゃまるで連行じゃねぇか。一体俺らが何をしたっていうんだ?
「みっなさぁ~ん! お疲れさま~っ! ちょ~っぴりだけヒドいことをしてごめんなさいねぇ~! 今すぐ外してあげるから、全員その場でおとなしくしていてちょーだいね!」
毛田の指示通りにその場で突っ立っていると、手元をグイと乱暴に掴まれ、手錠を開錠している音が聞こえてきた。
「ほらいいぞ。さっさとアイマスクも取れ」
今の声は化学の教師か。
素早くマスクを外すと、すぐ横に海が見える。詳細な地名などは全く分からないが、どうやらここは周囲を海に囲まれた孤島のようだ。
俺らの拘束を解いた後、また毛田が中央に出張ってくる。
「では着いたそうそう申し訳ないけどぉ~、少しここで自由時間を取らせていただくわね! 島の奥の方に行かなければこの辺りを自由に散策してくれてOKよ! 後ほど昼食も配りますからめいめいで美味しく食べてちょうだいねぇん!」
まだ教師陣から正式な発表は無いが、やはりここが修学旅行滞在地となるらしい。
その後、浜辺に放牧された俺らは教師陣より配給された握り飯たった二つという貧相な昼食を摂取後、それぞれで勝手にあちこちを散策したり、砂浜で青い海と戯れたりし始める。
拘束されていた身体をほぐすために砂浜を歩いてみることにした。
だが数歩歩いたところで波打ち際に落ちていた貝をうっかり踏んじまい、パリンと脆い音がして薄汚れた茶色い貝がスニーカーの下で粉々になる。
足を止め、目の前の広大な海を眺めたが最大の疑問は未だ解けていないのがネックだ。
今のこの光景だけならある意味優雅な旅行だと錯覚しちまいそうにもなるが、どう考えても観光スポットなど皆無のこんな寂れた孤島でこれから修学旅行が始まるとは到底思えん。
少し離れた場所では毛田たち教師が一箇所に集まって何かの打ち合わせを始めている。これは何か裏がある。そう思っていた方がよさそうだ。
「しっかしここまで見事に何も無い世界だと逆に感動するよなぁ~! そう思わないか?」
いつの間にかシンが俺の横に立っていて、太陽に向かって大きく伸びをしながら話しかけてくる。銀杏高校を出発した時は今にも降り出しそうな空模様だったが、ここは抜けるような青空だ。
「さっきからモーさん達はああやって額をつき合わせてこそこそ話しをしているだけだし、これからここで何を始めるんだろうな。柊兵くんはどう思う?」
「俺に分かるわけねぇだろ」
「ははっ、やっぱりそうきましたか!」
今の俺の返答はすべて我が想定の範囲内でしたよ、と言わんばかりの余裕の表情でシンがのたまう。
「柊兵くんなら多分そう言うと思ってたけどさ、人間には想像力、っていう天から授かった優れた能力があるんですよ? せっかくだから少しは与えられたその力を使って多少の予想くらいは言ってくれてもいいんじゃないかい?」
相変わらず嫌味な言い方をする奴だ。
少々、いやかなり癪に障ったが、午前に観光バス内で起きたミミからの携帯メールの件では助け舟を出してもらったしな……。今回はおとなしくこいつの要望に応えてやることにするか。
「意味はまったく分からんが、さっきミミと話した時、銀杏高の修学旅行は教師の慰安旅行だってあいつは言ってたぞ」
「ミミって、さっき柊兵に星占いメールと電話をくれたおねーさんのことだろ?」
「あぁ」
「でもさっきのメールはマジで傑作だったよな!」
ミミの星占いメールがかなりの威力で笑いのツボにヒットしたのか、長身を前にかがめ、シンが快活に笑う。
「確かラッキーカラーが白で、水辺で何かイイ事があるんだったっけ?」
「違う。“ 水辺 ” じゃなくて “ 水場 ” だ」
すかさず行った俺の情報訂正でシンが更に爆笑する。
「そんなのどっちだって変わんないじゃん! 前から思ってたけどさ、柊兵くんは見かけによらず結構細かいところがあるよな! でもさ、今回のお前にはびっくりさせられたよ。いつもは女が超苦手そうな顔をしているくせに、いつの間に二十六歳のロリなおねーさんと上手いことお知り合いになってたんだい?」
「…………」
「あらら、ここでまさかの黙秘権発動ですかぁー?」
シンが含み笑いを漏らしながら俺の顔を覗き込む。
無言のままギロリと横目で睨みつけると、今度は余裕綽々の表情で俺の肩に馴れ馴れしく片肘を乗せてきた。
「早速別室でこの件の取調べを徹底的に行いたいところだけど、そのまま返り討ちに遭いそうな気もするしなぁ~。ここじゃ逃げ場も限られているし、今回はおとなしく諦めるとしますかね」
「賢明な判断だ」
「お褒め頂きありがとうございます、閣下!」
またしても得意の大げさな身振りと仰々しい口調で、シンが俺に向かって大きく一礼をする。だがすぐにフランクな口調に戻し、話をミミの件に戻してきた。
「で話を戻すけど、“ 修学旅行が教師の慰安旅行 ”だっけ? それって一体どういう意味なんだろうな? あ、でもその前にその星占いのおねーさんの情報が信憑性のあるものなら、という前提の話だけどさ」
「信憑性はあると思うよ?」
話が聞こえていたのか、俺らの背後から近づいてきた尚人が会話に加わってくる。シンは潮風になびく自分の長髪を片手で押さえながら後方を振り返った。
「お、尚人くん登場か。なぜそう思うんだ?」
「だって “ 修学旅行は教師の慰安旅行 ” だなんて発想、いかにも銀杏らしいからね」
「おいおい尚人く~ん、根拠はそれだけかよ~?」
シンが呆れた声で肩を竦めたので、尚人は更に詳しく自説を語りだした。
「それに委員長も毛田に色々突っ込んでたけどさ、今回の件はあまりにも僕らに情報を開示しなさすぎだと思うんだ」
「それは確かにそうだよなぁ……。なんで各クラス毎にそれぞれ訳の分からん持ち物を用意させたのかとかだろ? リンリンちゃんなんてその辺りの疑問をモーさんにすげー剣幕で追求してたもんな」
「持ち物以外でもまだ他にいくつかの疑問はあるけどね」
「ほうほう、例えば?」
「まずは日数かな。高校の修学旅行で二泊三日って短すぎるよ」
「言えてるよな、それ。できれば四泊五日、最低でも三泊四日は欲しいとこですよ」
「予算の都合かなとも思ってたけど、滞在先がこんな孤島だったら宿泊費だって大してかからないよね。しかも今夜はテント泊みたいだし」
「テッ、テント泊ーッ!? それマジかよ尚人!?」
今夜の寝床が寝袋と知ったシンが素っ頓狂な声を出す。
「うん、さっき別の小型船が着いたから偵察に行ってみたらさ、飯ごうとかテントとか荷卸してたよ」
「おいおいおいおい勘弁してくれよ~! せっかくの華の修学旅行だっつーのになんでこんな小島で野宿もどきな真似をしなきゃならないんだよ!? まさかモーさんたち、二年の林間学校と勘違いしてんじゃないだろうな!?」
「ははっ、いくら天然キャラでもそこまでの勘違いしないだろ。それに娑戸芭理事長がこの旅行はサバイバルって言ってたんだからこれでたぶん合ってるんだよ」
「じゃあ今夜は寝袋にくるまって寝るっつーことかよ?」
「うん、そういうことだろうね」
「旅館の枕で眠れるかって心配してきてたのに、まさか枕も割り当てられないとはね……。待てよ、それにここで野宿なら今夜は当然風呂にも入れないってことだよな? キツ過ぎますよそれ……」
盛大なため息をついたシンに、尚人が慰めの言葉をかける。
「あ、でもこうしてこの島に来てみてすでに解けた疑問もあるよ?」
「おっさすが尚人くん! で、解けた疑問って何だよ!?」
尚人は爽やかな表情で俺らに向かって笑いかけ、「携帯電話さ」と答えを口にする。
「あ? 携帯電話だと?」
意味が分からなかったのでつい口を挟んじまった。
「そう。柊兵はおかしいと思わなかった? 普通修学旅行みたいな泊りがけの行事だったらさ、あらかじめ学校側から携帯電話の所持について注意の一つや二つはあると思うんだ。でも一切無かったからへんだなぁと思ってたんだよね。試しに今自分の携帯見てみたら分かるよ」
尚人に促され、確認のためにジャージのポケットから携帯電話を出す。
……あぁなるほどな。
液晶画面を見て、俺もようやく尚人の言った「解けた疑問」の一つが理解できた。
手にした携帯電話のディスプレイには、悪びれなさを全く感じさせないくらいの堂々たる勢いで、【 圏 外 】 と黒い文字で堂々と表示されている。
これじゃあ例え銀杏側で携帯電話持参を禁止にし、にもかかわらずこっそり持ってくる奴がいたとしてもまるで意味を成さない。ここでの文明の利器はまさに無用の長物だ。その時、脳内に急遽ある事柄が閃く。
……分かったぞ。あのチビ女が俺をあざ笑った理由が。
これではあいつにイタ電をかけようとしても繋がらない。そしてミミはそれが分かっていたから、「やれるもんならやってみなさい」と俺に強気で言ってきた訳か……。
「あ、そろそろ集合っぽいね。僕、先に様子見てくるよ。もしかしたらまた何か情報得られるかもしれないし」
一箇所に固まっていた毛田たちがバラけだしたので、すかさず尚人が偵察に向かう。取り残された俺とシンはどちらからともなく砂浜に腰を下ろした。
「尚人くんはマメだねぇ。……ところで柊兵閣下、美月ちゃんと怜亜ちゃんは?」
「知らねぇ。たぶん向こう側の浅瀬で貝を拾ってんじゃねぇか」
「へぇ~貝殻集めか! 女の子らしくていいじゃん。でもなんで一緒にいてやらないんだよ?」
「あんなモン拾って何が楽しいんだよ」
「ハハッ、いやその気持ちはすごくよく分かるけどさ、でもそこはかったるくても付き合ってやんなくっちゃダメだろ? だから柊兵くんはモテないんだよ」
「うるせぇほっとけ」
「ま、閣下の場合はもうモテなくたっていいんだろうけどね。なんたって天使ちゃんが二人もいるわけだし。……お? こいつなかなかキレイじゃん!」
そう言うとシンはたまたま自分の足元近くに落ちていた桜色の小さな貝殻を摘み上げる。
「見ろよコレ。色といい形といい、完全に女の子ウケを狙って生きてんな貝殻。でも柊兵くんの場合は大変だよなぁ。だってこれを上げようとしても、その前にもう一つ同じ奴を探さなくちゃいけないんですから。ですよね、閣下?」
俺からの返答をしばらくシンは待っていたようだが、俺が相手にしなかったので急に真面目な声で再度問いかけてくる。
「……なぁ柊兵、お前どうするつもりだよ?」
「あ? 何がだよ」
「このままでいけるとはお前だって思ってないだろ? こんなこと部外者の俺が急かすことじゃないと思ってたから今まで言わなかったけどさ、いつかは選ばなくちゃいけないって自分でも分かってるよな? 美月ちゃんか、怜亜ちゃんかをさ」
答えずにいると、シンは俺から海へと目線を変える。
「傷つけたくないからどっちにもつれない態度を取ってるのは分かるよ。でもマジな話、柊兵はどっちが好きなんだ?」
「……お前には関係ねぇだろ」
「ところが俺も関係ありなんだよね。いよいよ部外者じゃなくなりそうだからさ」
「あぁ? なんだよそれ?」
「前に俺ら五人でぶっちゃけあった事あったろ? 美月ちゃん派か、怜亜ちゃん派かってトーク」
あぁ、去年あのケヤキの木の下で弁当を食った時に話した下らない会話のことか……。
だが下らないと思っているのにこうしてすぐに思い返すことが出来ちまった。それはつまり、あの時の会話が俺の中で強烈な印象で残っていたからだ。そして確かこいつがいいと言っていた女は……。
「で、どうやら俺、本気で真実の愛を見つけてしまったみたいなんで、そこのところを閣下のご記憶の片隅にでも留めておいて頂ければ幸いです」
「……シン、お前それマジで言ってんのか?」
「あぁ」
いつものニヤケ顔を封印し、素の顔でシンが頷く。
「だからお前もそろそろ腹くくれよ。それに俺だけじゃなくて他にも部外者からの脱却予定者はいるんだぜ?」
「なっ何!? 誰だよ!?」
「誰だと思う?」
逆に問い返され、頭の中で残りのメンバーを思い浮かべてみる。
「……将矢か?」
「いや将矢は元々最初から怜亜ちゃんを狙ってたじゃん。ま、あいつは怜亜ちゃん一筋じゃないから俺の脱却グループに入れるのはちょっと抵抗あるけどさ」
シンのうざったい長髪が海風になびく様を俺は黙って見ていた。自分でも邪魔に感じたのか、サイドの部分を耳にかけ、シンが続きを口にする。
「俺みたいにマジ宣言している奴はまだいないけど、尚人だってヒデだってそうなる可能性は大有りだってこと。だから今の状況に安穏としているとヤバいことになるかもしれないぜ? ……どうだ柊兵? 少しは危機感って奴が出てきただろ?」
「アホか。ヒデには付き合っている女がいるし、尚人だって年上の女しか興味ねぇだろ」
「ほんとに甘いなぁ柊兵くんは」
涼やかな目元を細め、シンが呆れたように笑う。
「確かに尚人は年上好きだけどさ、、それは僕がまだ子供だからだろうねって、あいつ自分で言ってたぜ? 自分ももうちょい大人になれば相手の年齢には縛られなくなると思うってさ。そうなればあいつだってたぶん脱却グループの仲間入りさ。なんたって怜亜ちゃんはもろ尚人好みのタイプだからな」
「…………」
「それにヒデは彼女と別れたらしいじゃん」
「何!? それマジかよ!? 俺何も聞いてないぞ!?」
「そりゃあ柊兵くんは今あの娘たちで手一杯だからヒデも言わなかったんだろ。ヒデは自分から恋バナとかしないタイプだしな。俺だってヒデと話をしていてたまたま聞き出せただけだしさ。ちなみにヒデは美月ちゃん派だから、もし脱却グループ入りをするなら俺にとっても恋敵出現ということになりますね」
── ヒデの奴、しょっちゅう俺と顔を突き合わせているくせに女と別れたことを俺に言わなかったのか……。
「柊兵、手を出せよ」
「あ? なんでだよ」
「いいから黙って手の平出せって」
広げた俺の手のひらの上に、「ほら」とさっきシンが見つけた桜色の小さな貝が一つ置かれる。
「……なんの真似だよ」
「柊兵、お前これからもずっとあの娘たちのために同じものを二つずつ探していくつもりか? 今は良くてもさ、いつかはどうにかしないとマズいだろ。だからこれ、お前が持っとけよ。戒めのアイテム代わりにさ。……あ、先に言っとくけどさ、後でこっそり同じ奴をもう一つ探すなよ?」
「さっ探さねぇよ! 見くびんな!」
「さすがですね閣下」
とシンが爽やかに笑う。
「柊兵くんなりに考えてはいるってことか。安心したよ。どっちか泣かせることになるかもしれないけどさ、仕方ないじゃんこればっかりは。みんな笑顔で “ はい、ハッピーエンド ” ってわけにはいかないさ。マンガじゃないんだから。そうだろ?」
「……あぁ、そうだな」
その後俺らはしばらくの間黙って波の動きを見ていた。
シンの言いたい事は分かる。
俺だってこのまま未来永劫あいつらとずっと一緒にいる気もない。
あいつらはどっちかが政治家になって日本に一夫二婦制を導入する、なんて無謀極まりない作戦をのたまっていたが、そんなことは土台無理に決まっているし、仮に実現できたとしてもその政策を利用する気もまったく無い。
俺の頭の中にあるのは、
── その決断が今でいいのか。
それだけだ。