ツインカム・エンジェル! <1>
朝のHRが終わった。
椅子にどっかりと座り、机に頬杖をついて険しい顔で窓の外に顔を向けていた俺に背後から声がかかる。
「柊兵く~ん、今日も君は朝からハッピーなことがあったようだね~? いやぁ羨ましいなぁ~っ!」
……来やがったな。
悪友メンバー四人の内の一人が早くも登場だ。
── 楠瀬慎壱。通称、シン。
こいつはグループのムードメーカー的存在で、とにかく場を盛り上げるのが上手い男だ。
涼やかな二枚目顔に合わせたロングレイヤーのヘアスタイルが自慢で、後ろから見ると女と間違われそうだが背丈があるので今のところ間違われたことは無いらしい。
俺を一番からかうのがこいつだ。とにかくいじるのが面白いと言う。相手にすると益々いじられまくるのでシンのからかいには無視を決め込むことが多い。
だがそれでも時折堪えきれずに怒りの臨界線を突破しそうになる時があるが、シンはその見極めに非常に長けている男だ。俺の発する霊気を直接肌で感じることが出来るのか、俺がブチ切れそうになる直前でからかうのをピタリと止める。
しかしシンは何度ヒヤリとする場面になっても俺をからかうその危険な遊びを一向に止めようとする気配は無い。こいつはもしかしたら目前にせまる恐怖を楽しむのが好きな、真性のマゾ体質なのかもしれないと最近の俺は時々思う。
「なになに? 聞くところによると今朝はあの可愛い美女二人を両手にぶら下げて登校したんだって? いやぁ~今、この学校で柊兵くん以上の幸福男はいないだろうなぁ~! 俺が断言するよ!」
俺は窓の外に顔を向けたままでシンを無視する。こいつの相手になれば余計に泥沼になっちまうからな。しかし毎朝遅刻ギリギリで来るシンがこんなことを言い出すのは他の仲間の誰かが教えたからに違いない。余計なことをしやがって。
「どうでしたか、美少女二人に挟まれたご気分のほどは?」
無視しているにも関わらず、シンはまだこの話題を続けている。悔しいことにあのおたふく占いもまた的中しちまったし、今朝は久しぶりにキレそうな予感がしてきた。そこで最終警告代わりに横目でギロリとシンを一睨みする。今まで何度も見慣れてきているはずなのに、シンは俺の顔を見て一瞬たじろいだ。やはり今朝は相当ヤバい目つきになっているらしい。
「でっでさ、柊兵くんはこれからずっとあの娘達と一緒に登校するわけ?」
ビビッているくせに最初の出だしをつっかえながらもシンはまだ俺に絡みやがる。
「知らねぇっ! 俺に聞くよりあいつらに聞け! ついでにもうまとわりつくなって言っとけ!」
と苛立ちを一気にシンにぶつけたが、シンは途端に
「はぁ?」
と素っ頓狂な声を上げた。
「なんでだよ? 勿体無いことすんなよ! あんなに可愛い女の子二人から好かれてさ、お前はマジで幸せモンだぜ! ドゥーユーアンダースタン? 柊兵くん、君は分かってるか? 今置かれているご自分の素敵な立場ってものをさ」
「じゃあお前が代わってくれ」
「ちょい待てよ柊兵! もしかしてわざと言ってるのかよ!? お前って意外と性格悪いんだな~!」
シンはそう叫ぶと大袈裟に肩を竦め、両掌を上に向けて腕を二、三度上下させた。オーバーアクションが好きな奴だ。
「いいかい柊兵くん、代われるもんなら今すぐ代わりたいっつーの! ソッコーで、チョー電光石火で代わってほしいよ! でもよ、美月ちゃんも怜亜ちゃんも、お前しか見てないじゃんか! あーあ本当にいいよな~、あんな可愛い幼馴染二人から想われるなんてさ~! 俺も真実の愛を探しに旅立とうかなぁ……」
そこへすかさず割り込む低い声。
「いや、幼馴染というのは少々違うな、シン」
── 佐久間英範。通称、ヒデ。
あくまで俺らグループの中での話だが、一番の常識人だ。
百八十四センチのがっしりとした身体とその濃い顔つきのせいで、二十代半ばに見られることも多々ある。
高校生とは思えないその落ち着きは、シンに言わせるとすでに「老成」の域に到達。父親が空手の師範で道場を経営しているので、幼い頃から拳法を嗜んでいるせいもあるかもしれない。俺も小学二年の時からその道場に通っているので、高校に入ってからつるむようになった今のメンバーの中でヒデだけとは小学生時代からの腐れ縁だ。
俺とシンのすぐ横で腕組みをしながら話を聞いていたそのヒデが会話に割り込んできた。余計なこと言い出すんじゃねぇぞ、ヒデ。
「へ? 幼馴染じゃないの?」
「シン、前にも話したと思うが、美月と怜亜、柊兵、そして俺が白樺小で同じクラスになったのが小学四年の時だ。その時からの付き合いだからで幼馴染っていうのとは少し違う」
「だって小学四年なら九~十歳あたりだろ? その辺りなら充分幼馴染の定義内じゃん」
「そうか? 俺は幼稚園ぐらいからの付き合いが当てはまるものだと思っていたが。柊兵はどう思う?」
「知らねぇっ! どうでもいいっ!」
「ははっ、今朝は一段と機嫌が悪いね、柊兵」
とそこにまた俺らの輪に加わってくる爽やかな男が一人 。
「僕、今朝ここから柊兵が登校するのを見てたんだけどさ、もう少し歩くスピード落としてあげなよ。あの娘達、ずんずん歩く柊兵の腕から降り落とされないように必死にしがみついてたよ?」
こいつが情報源か……。── 真田尚人。
俺らの中で一番世渡りが上手い。
中性的なその笑顔と自分のことを「僕」と言う優しい口調は年上女の母性本能をくすぐる大きな武器だ。そのせいかこいつの知り合いの女は見事に年上ばかりだ。女の遍歴は非常に偏っていると言わざるを得ない。
俺らのグループは学業、素行の面で教師からの呼び出し率が高いことでも有名だが、その中で尚人だけは例外だ。頭の良いこいつは教師の覚えもめでたく、職員室への入室率は断トツで低いのも特徴だ。ちなみにシンと出身中学が同じで昔から二人でよくつるんでナンパに繰り出していたらしい。
「ほら睨まない、睨まない。柊兵もさ、そんな世間を警戒しまくるハリネズミみたいな顔してないで、もっと自然な顔してなよ。悪くない顔してんのにさ、絶対損してるよ」
「う、うるせぇ」
尚人はメンバーの中で一番人当たりがいいのでこいつと話す時が一番調子が狂う。
“ 気立ての優しい綺麗な女を男に転向させたら尚人になった ”、というのがこの男に対して一番しっくり来る説明のような気がする。だからこいつから微笑みを浮かべて話しかけられると、それが俺にとってどんなに怒髪天を衝くような内容でも怒りが天を震えさせることはない。ったくいいんだか悪いんだか。
尚人から顔を背けた途端、男にしては少々甲高い声が場に挟まる。
「なぁなぁ柊兵、でさ、お前はどっちが本命なわけ? さっさと決めろよなぁ!!」
── 難波将矢。
グループの中で一番のお調子者。
そしてメンバーで唯一兄弟姉妹がいないせいか、どこか呑気で坊ちゃん的な所がある。
良くも悪くも我が道を行く男だ。
実は尚人の次に童顔の男なのだが、それを嫌っている将矢はこの銀杏の校風が比較的自由なのをいい事に、髪を脱色しまくっている。俺ら五人の中で一番背が低いこともかなり気にしているようだ。男は見てくれじゃないと思うんだがな……。
その将矢がまたしてもやかましく叫ぶ。
「なぁマジで早く決めてくれって柊兵! で、残った方をこの俺がパックリといただくっ!!」
俺の交感神経のあちこちに埋められている激怒地雷源を踏みつけたのはこの日もこいつだった。
将矢はとにかく場の空気が読めない男なので、こいつが俺をネタに口を出すとそれは大抵俺の大いなる怒りを呼び起こすことになる。そう考えると、俺が憤怒の形相になる前にシンが紙一重の所で毎回それを上手く回避するのは、やはりシンの才能なのだろう。ま、羨ましくも有難くもなんともないがな。
それよりも将矢だ。
俺の視線は完全に将矢を照準固定する。攻撃開始。
「ぐぁぁぁあああぁぁ──ッッ!!」
無言で椅子から立ち上がり、将矢の首にスリーパーホールド。
思わず出たこの技、昨夜読んだ昔のプロレス漫画の影響か。
しかし面白いくらいに綺麗に決まったな。気を良くし、さらにきつく締めつける。と同時に苛々していた気持ちが少しずつ霧散していく。将矢に感謝だ。
頚動脈を締められ、青い顔で空中をかきむしっている将矢を憐憫たっぷりの視線でシンが眺める。
「あーあ、将矢はストレートに言い過ぎ。ほんと下手だなぁ、柊兵をいじるのが」
「まぁ今日はもうその辺にしとけ柊兵」
金のヘッドを抱えていた腕をヒデに軽く掴まれた。
「見ろ、将矢はすでに宇宙に逝きかけてるぞ」
ここで将矢に死なれても寝覚めが悪い。渾身のスリーパーホールドでだいぶ怒りを放出できた俺はあっさりと獲物を放擲することにした。
教室の床にバタンとうつ伏せに倒れ、ヒクヒクと床で蠢めく無様な将矢の側に心配そうな顔で尚人がスッと膝をつく。優しいもんな、尚人は。
「……なんかこの動き、理科の実験でカエルを解剖して電流を流した時の動きによく似てるね」
おいおい尚人、見かねて心配したんじゃないのかよ? まぁやったのは俺だが……。
「いいかお前ら、こんなふうになりたくなければもう黙れ」
将矢を除いた全員に改めて最終通告すると、残りのメンバーは神妙な顔で全員一度だけ首を縦に振った。
なかなか素直じゃんか。今日の俺は余程危ないオーラを発しているらしい。こいつらの従順さにとりあえず納得した俺はドサリと椅子に腰を下ろし、再び仏頂面で外を眺める。
……後で知ったことなのだが、もしこの時、後ろの教室内を振り返っていたら俺の運命もまた少し変わっていたのかもしれない。
あの恐怖のミミ・影浦の占いも半分は外れ、俺の溜飲も多少は下がったかもしれない。
でもこの時の俺は知らなかった。
俺の背後でシン達が神妙な顔をとっくに止め、お互い目配せをしながら肩を震わせ、声を殺して笑っていたことを。
・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・
昼休み。昼食の時間だ。
俺達は天気が晴れの場合は必ず外で昼飯を食うことにしている。がやがやとやかましい教室より、気持ちのいい青空と風の下で食うほうが百倍美味く感じるからだ。
場所は校舎裏のケヤキの大木の下。
以前、この場所は争奪戦が激しい場所だったようなのだが、俺らがここで弁当を食い出すようになって自然と他の奴らはこの付近に足を向けなくなった。
……まぁ、その理由はなんとなく分かる。
図体のでかい男共がわらわらと五人も群れて、しかもその中に目つきの悪い俺や、更に大柄のヒデ、金髪頭の将矢などがいれば、普通の奴なら触らぬ神になんとやらで、因縁でもふっかけられないように自己防衛に走るのも頷ける。
ま、こっちにしてみりゃあ、こんないい場所を俺らだけで独り占めできるので願ったり叶ったりだ。
九月半ばに入り、何気なく見上げた空がまた一段と高くなっていることに気付く。
ケヤキの葉も少しずつ枯葉に変わり、風も段々と薄ら寒くなってきている。あともう一ヶ月もしない内にここで昼飯を食うのもしばらくはお預けだろう。
「いや~しかし今日はいい秋晴れだねぇ。飯も食ったし、午後の授業に備えてシェスタでもしませんか、皆の衆?」
一番初めに飯を食い終わったシンが芝生の上に大きく足を投げ出して昼寝の提案をした。
「いいな」
「僕も依存無し」
「寝ようぜ、寝ようぜ!」
ヒデ、尚人、将矢がすかさず同意し、弁当箱を片付けると俺以外の全員が芝生の上にさっさと身体を横たえる。
「あれ? 柊兵は寝ないのか?」
胡坐をかいたまま動かない俺をシンが促した。
「いや、別に寝てもいいけどよ……」
「じゃあほらほら横になって横になって! 食後のくつろぎは重要ですよ柊兵くん!」
シンに急かされ、両腕を頭の後ろで組み、それを枕代わりにして俺もとりあえず仰向けになった。
なんとなくだが今のこの展開がなぜかとってつけたような展開に感じたのは気のせいか?
だがこうやって食後に寝るのは誰かが言い出してたまに起こる展開なので俺もそれ以上は深く考えずに、上空に斑点状に広がる鰯雲を視界から遮断することにする。
すぐに周りは静かになった。
昨夜、深夜二時過ぎまで部屋で格闘漫画の二度読みなんて馬鹿な事をしていたせいであっという間に睡魔に襲われ始める。たぶん五人の中で一番最初に意識を失ったのは俺だ。
……というか、意識を失ったのは実は俺だけだった。