特殊行事、いざ発動
── 修学旅行一日目の朝を迎えた。
現在俺ら三年は全員指定されたジャージを着用し、グラウンドで待機中だ。
教師の誘導があったわけではないが自然と各クラス毎に集まっているのは、まぁ当然の成り行きか。
いざ晴れやかなる旅立ちとなるかと思いきや、頭上に広がる空模様はこれでもかというぐらいにどんよりと淀んでいる。この曇天を見上げていると、まるでこの後の俺らの運命を暗示していそうな気がしてきた。
……どうも以前に比べて迷信的な事を信じやすくなっているような気がしてならねぇ。知らず知らずのうちにあの大食漢のチビ占い師からじわじわと悪影響を受けているのだろうか。恐るべし、ミミ・影浦。
「柊兵っ! 今日はいい天気だね~!!」
ヒマを持て余し仏頂面で腕組みをしていると、急にかなりの力で片腕を引っ張られ、組んでいた腕が強引に解かれる。
「……お前の目は節穴か。この空を見てなぜそう言える」
右腕の筋力増強担当者にそう答えると、
「いいのいいのっ! だってさ、柊兵と一緒ならたとえどんな天気だってあたしにとっては晴天だよっ!」
極上の笑みで、しかもそれに見合っただけの馬鹿デカい声で美月が言い返してきた。毎度の事だがこいつのテンションの高さには恐れ入る。
……いや、そんなことはどうでもいい!
美月の奴がガッシリと抱え込むようにしがみつくせいで、こいつのデカい胸がこれでもかとばかりに何度も俺の右腕を圧縮してきやがる! 新種の加圧トレーニングかこれは!?
厄介な事にそのトレーニング効果が早速現れたのか、心臓が急激におかしなリズムを奏で始めた時、
「羨ましいねぇ」
と背後から羨望の声が聞こえた。
この台詞の主はてっきりアホの将矢だと思っていたが、肩越しに振り返ると意外な事にその発言者はシンだった。今の言い方があまりにも情感がこもっていたからか、すかさず尚人が「シン、ところで真実の愛はもう見つかったのかい?」と、からかい気味に口を挟む。
「んー……まだ、かな」
珍しくシンは真顔でそう答えた。だがすぐに、「いや、もう見つかったかも~?」とふざけた口調で言い直している。
「ねぇ柊ちゃん」
今度は空いた片腕にそっとつかまってきた左腕の筋力増強担当者が、柔らかい口調で話しかけてきた。
「私たちにとってお天気なんてどうでもいいのよ。だって私たちの望みは少しでも長く柊ちゃんと一緒にいられることなんだもの。だから柊ちゃん、この修学旅行中は出来るだけ美月や私と一緒にいてね?」
黒目がちな瞳を潤ませて俺を見上げる怜亜のいじらしい様子に、My心臓がまたしても超挙動不審モードに入る。
どうでもいいが、この修学旅行中にこの二名の雌鳥たちによって、俺の心臓はかなりの酷使、常軌を逸した負担がかかりそうな予感がしてならない。どうか最後まで持ってくれ、と心から願うばかりだ。
「そりゃぁないぜ怜亜ちゃん! 柊兵とばっかりじゃなくてさ、俺とも話ししてくれってばよぉ~!」
怜亜の言葉にショックを受けた将矢が情けない声を出して近づいてきた。
「せっかく同じクラス、しかも今回は同じ班になったんだぜ? 俺、怜亜ちゃんに話したいことだってあるしさ~! な? な? いいだろ?」
まさに擦り寄りクライマックス。
このままこいつを放っておくと今にもグラウンドに寝転んで幼児のようにダダをこねそうな勢いだ。だが気遣いの達人である怜亜が「えぇ」と将矢に向かって笑顔で頷いたので、残念なことに将矢のリアル地団駄ショーの開催は見送られる事になった。
「よっしゃぁぁぁぁ──!!」
怜亜からOKをもらった将矢は曇天に向かって咆哮している。
「柊兵、お前も色々と気苦労が耐えんな」
暑いのか、ジャージの上着を肩から羽織っただけのヒデが俺に話しかけてくる。ヒデのニヤつく顔を視界の端に収め、「ほっとけ」と苦々しい声でそう答えるだけで精一杯だ。
「みなさぁぁぁ~~ん、グッドモ~ニ~ング!! 長い時間お待たせしてごめんなさいねぇ~~!! じゃあいよいよ出発の時が来たのでぇ~、もうさっさとバスに乗り込んじゃってちょうだぁぁいっ!!」
グラウンドに設置されている壇上に興奮した様子の毛田が現れ、相変わらずのナヨナヨとした腰つきで俺らに出発の指示を出す。
「あれっ、モーさんはスーツかよ?」
上下スーツ姿で登場した毛田の格好を見たシンが意外そうに呟いた。
「別に変じゃないだろ?」
と相手をしてやると、シンはまだ納得いかないような表情をしている。
「だってよ、俺らにはジャージを着て来いって言ったからさ、てっきり教師もジャージかと思ってたんだよな」
するとシンの横にいた尚人が、口に手を当てて考え込むような仕草を見せた。
「……確かにね。何か裏がありそうな気がする。それにさ、ジャージもこのタイプⅠを指定しているのも引っかかるよ。なぜタイプⅡを禁止にしたのか気にならない?」
「尚人、そこは俺も気になっていたぞ」
同じ疑問を抱いていたらしいヒデが重厚に頷く。
「あ、ヒデも? この先は何が起こるか予測出来ないからさ、何かあった時に慌てないように色々と用心しておいた方がいいかもね」
尚人にそう促され、俺ら全員、無意識に軽く頷いていた。それまで緩みまくっていた場の雰囲気も多少引き締まる。
「バッカみたい! 単に生徒全員同じ色にした方が統率しやすいからでしょ。あんた達、深読みしすぎっ!」
── 宮ヶ丘だ。
すぐ側にいた宮ヶ丘が小馬鹿にしたような眼差しを俺らに向け、そう冷たく言い放った。委員長のマークがかたどられたピンが、宮ヶ丘のジャージの左胸付近に燦然と輝いている。
「へーっ、リンリンちゃんって結構素直に物事を信じるんだね! 少々意外だよ」
俺らに向けられた冷たい視線など物ともせず、笑顔を浮かべたシンが軽い身のこなしで宮ヶ丘に近づいた。
「別に大した意味なんてないって言ってるだけ! それより楠瀬くっ…キャアッ! いきなり何するのよ!?」
シンの取った行動に驚いた宮ヶ丘は小さな悲鳴を上げて半歩後ろに下がった。シンの奴、勝手に宮ヶ丘の髪の毛に触ったようだ。
「いや~、サラサラで綺麗な髪の毛だなぁと思ってさ。リンリンちゃんもキューティクルのお手入れ、頑張ってるみたいだね」
「だからさっきから何なのよ、そのリンリンって!?」
「あれっ、気に入らない? じゃあ “ 鈴 ” って名前だし、“ ベルちゃん ” なんてどお?」
「ふざけないでっ!!」
宮ヶ丘の表情が一気に険しくなり、片眉が90度に吊り上る。
「いえいえ、偉大なる我らの委員長様にお言葉を返すようですが、クラスの一民間人として、そのご発言には少々異議がありますよ?」
シンは笑顔を絶やさぬままで両の手のひらを広げ、いきり立つ宮ヶ丘を鎮めるジェスチャーを見せる。
「何が言いたいのよ!?」
「ふざけてるのは俺じゃなくてあそこにいる将矢だと思いますが? 何なら確認してみましょうか?」
そう言った直後、シンは宮ヶ丘の返事も聞かずに「おーい将矢ー!」と、金髪男を独断で呼びつける。
「なんだぁー!?」
将矢が振り向くと、シンは両手をメガホン代わりにし、
「自己紹介タイムの時にさぁー、リンちゃんが名乗った時お前何て茶々入れたっけー!?」
と叫んだ。
するとシンから指名を受けた金髪能天気男は、締まりの無いニヤけた顔で宮ヶ丘とシンの側に駆け寄り、周囲に丸聞こえな大声で答え始める。
「えーと、『リンちゃんのリンっていう字、“ 精力絶倫 ”の倫っていう字?』だったな!」
「まだあるじゃん? 『映倫の倫?』も無かったか?」
「おーそれも言った言った! あと『 “ 男根が凛とそそり立つ ”の凛?』だろ、それに『 “ タロウはノブコの股間の密林に手を伸ばした ” の林?』もあるな!」
「だだっ、だからなんで毎回そんないやらしい例えで聞くのよ!! しかもどの漢字も合ってないじゃないっ!!」
左右にいる二人の男からセクハラ満載の言葉で盛大にからかわれ、宮ヶ丘の顔全体が恥ずかしさと怒りでゆでダコのように真っ赤になっている。
「確か将矢はその後、広辞苑の角で脳天をぶん殴られたんだよな」
「そうそう。即、伯田先生の待つ保健室コースだったよね。見ていてなかなかスリリングだったよ」
と、当時の哀者の末路を話し合っているのはヒデと尚人だ。
ここでついに堪忍袋の緒が切れたのか、とうとう宮ヶ丘が盛大にブチ切れる。
「そっ、そんなことはどうでもいいわ!! いい!? E組の中であんた達五人が一番の問題グループなのよ!? クラス委員長として警告しておくけど、修学旅行中に勝手な行動や野蛮な行動を取ったら絶対に許さないから! しっかり肝に銘じておきなさいっ!! いいわねっ!!」
赤面状態のままでそう一気に言い捨てると、宮ヶ丘は自分の荷物をひったくるように持ち、先にバスに向けて走り去って行った。
「あーらら、どうやら俺らは問題児としてリンリンちゃんに思いっきり目をつけられているみたいですねぇ。さ~て、どうしましょうか?」
シンはその場で大きく伸びをすると、隣にいた尚人に意見を求めるような視線を送る。
「昨日クラス委員長に選ばれたから気合が入っているんじゃない? あの娘、無駄に責任感強そうだしね」
「言えてるなぁ。さぁこれは困った事になって参りましたよ?」
「ホントだね」
だがシンの口調は寧ろ面白がっているようにすら聞こえるし、スポーツバッグを手にした尚人も余裕の笑みを見せている。
おまけに将矢とヒデも、宮ヶ丘の警告など何処吹く風といった様子で、
「平気平気! あいつとは班も違うし、顔合わせないようにしておけば大丈夫だって!」
「まぁ俺らは俺らでいつも通り勝手にやるだけだ」
と、こちらの両名もまったく動じていない。
そして美月と怜亜も俺の両腕にしがみついたままで暢気な会話をしている。
「ねぇ怜亜、知ってた? あたし達もフジュンイセイコーユー罪で鈴から目をつけられてるみたいだよ?」
「あらそうなの? じゃあ鈴ちゃんには今度あらためて柊ちゃんに対する私たちのルールを説明しましょ! きっと分かってくれるわよ!」
いや、あのクソ真面目な女にお前らのアホなルールの説明は返ってやぶ蛇になると思うぞ、怜亜……。
「みなさぁぁぁ~~ん、グズグズしないで早くバスに行ってぇ~!! 行って行って行っちゃってぇぇぇ~んっ!!」
動きが鈍い俺たちを毛田が金切り声で急かす。
「さーてじゃあ何はともあれ、張り切って行きますか、皆の衆!」
シンの呼びかけで校門前に待機しているバスに向けて歩き出す。すると即座にぎっちりと身体に抱きついてくる雌鳥たち。
「よーし!! 柊兵とこれからずーっとべったりできる三日間いざスタート~ッ!!」
「よろしくね柊ちゃんっ!!」
「ぐっ」
柔らかい感触に挟まれ、思わず声が漏れる。表面上は必死に無表情を装っているが、ジャージの中で冷や汗が一筋、スゥッと流れたのが分かった。
浮かれるあまり旅先でつい羽目を外してしまうというのはよくある経験かと思うが、スタートの時点ですでにテンションMAXに達しているこいつらがこの三日間でどれだけの肉体攻撃をしてくるのか、想像するだけで恐ろしい。しかもその攻撃には必ず “ 半分こ ” というこいつら独自の異様な縛りまでありやがるからな……。さらにその共有縛りは解除可能な年月が一切設定されてねぇときている。少しは顧客の立場を考えろってんだ。
「ねぇ怜亜、バスでどっちが柊兵の隣に座る?」
「美月でいいわよ」
「もうっ、まーたあんたの悪い癖が出た! いっつも言ってじゃんっ、そうやってなんでもすぐに自分が引こうとする癖は止めなってば! たまには “ 今回は私! ” ぐらい言いなよ!」
「で、でも柊ちゃんの隣は一人しか座れないし……」
「確かにそうだけどさ、でも怜亜はもうちょっと自分の意思を前に出した方がいいって! 控えめ過ぎも良くないよ! 分かったっ!?」
「う、うん……」
「よーし! じゃああたしが柊兵の隣でー、怜亜は柊兵のヒザの上! っていうパターンで今回は行こう! ハイ決まりぃ~!!」
ちょ待て待て待て待て!!!! なんだその異様な配置は!? それじゃ俺が晒し者確定じゃねぇか!!
「それじゃ柊ちゃんに迷惑よ。ねっ柊ちゃん?」
「怜亜は軽いし全然大丈夫だって!! ねーっ柊兵!?」
ち、畜生、動悸が早すぎて心臓が痛ぇ……。
とにかくこの修学旅行が終るまでの間、心臓が正常な脈を打てる時間を最大限確保することに専念だ。末代までの恥を晒さず、俺が無事に生き残るにはそれしかない。