ヒナと雌鳥
── 季節は流れ、春となる。
しかし気分は最悪だ。
新学期といえば、普通なら桜の花びらが舞い落ちる中を期待に満ちて迎えるものだと思うのだが、俺の場合はまさに真逆。呪われているとしか思えない。三年に無事進級してまだ間もないというのに、なぜこうも途切れることなく厄介事が起こるのか。
桜の花びらがはらりと一枚、まるで不運な俺を慰めにきたかのように左肩に舞い降りてきた。苛ついていたせいでそいつを乱暴に手で払い、いつもの仏頂面で登校する。
……銀杏高の門が見えてきやがった。
“ 臆せば殺られる── ”
深層心理にそう強く暗示をかけた後、気合と共に下っ腹に力を入れる。
そして意を決して校門をくぐった直後だ。
俺を待ち構えていた女共の騒々しい嬌声が、両の鼓膜を突き刺してくる。
「きゃあーっ! 原田先輩だぁっ! みんなっ、原田先輩が来たよーっ!!」
「あ~来た来たぁ~! おはようございまぁす、原田せんぱーい♪」
「原田先輩っ、今日は先輩にチョコを作ってきたんです! 食べて下さぁ~い! あ、っていうかー、ワタシが食べさせてあげまーす♪」
「ねぇ先輩っ! 今日の放課後デートしてくださいっ! ねっ、ねっ、いいでしょっ? お願~い!」
「あ~ん、せんぱぁーい! 今日少し寒い~! 先輩を待っていたらこんなに冷えちゃったんだよ? だからぁ、あたしの手をギューッて握ってあっためて下さぁ~い! できればカラダも……なーんて! きゃっ、言っちゃったぁ♪」
「やっだぁ~、青葉ってば大胆~!! じゃあ双葉は唇がいいなっ♪ ねーせんぱいっ、朝チューしよっ!!」
…………朝から激しい頭痛がする。
生まれたてのヒナ鳥のように、無邪気な瞳でぴぃぴぃと盛大にさえずりながら俺の周りに群がってくるこいつらは全員一年、もしくは二年の下級生だ。
── 今日は何人いやがるんだ?
ひい、ふう、みい、よー……、全部で五人か……。このまま一気に振り切れるか?
「ねぇねぇ、せんぱぁーい! 目を逸らしてないでこっち見てよ~!」
「原田先輩ってやっぱり硬派ですね! かっこいいです! それにとっても強いですもんね!」
「カラダいつも鍛えてるんですか~? ちょっと触ってみてもいーい?」
「ずっるーい! 抜け駆け禁止だよ! あたしにも触らせて~!」
「じゃあさっ、いっせーので、皆で触ろうよ!」
「おっけー! いっくよー! いっせぇーの!!」
俺の身体に触れようと様々な角度から幾つもの手が一斉に伸びてくる。お前らは千手観音か!!
「や、止めろ! 触るんじゃねぇ!」
慌てて後方に下がったおかげで千手観音攻撃の第一波は何とか凌いだ。だがめげるということを知らないこいつらは、隙あらば俺の身体にしがみつこうと、第二波の攻撃に向けて虎視眈々とチャンスを狙い、無邪気な笑みを浮かべながらピヨピヨと間合いを詰めてくる。
「えへへっ、今日こそは逃がしませんよぉ~?」
「ほらみんなっ! まぁーるくなって原田せんぱいを囲んじゃお!」
「りょーかーい!! あたし達で先輩を捕獲ー!! 先輩ゲットー!!」
「さー原田先輩っ、潔く観念するのですっ!」
「いよいよせんぱいと念願のハグだぁっ! あぁんっ、キンチョーしてきたかも~!」
……ヤバいっ! 周囲をぐるりと取り囲まれちまった!!
チッ、こいつらを突き飛ばして脱出するわけにもいかねぇし、かといってこのままここに停滞していればここでこいつらにいじられまくっちまう。何とかして脱出しねぇと……!
休む事無く眼球をくまなく動かし、この女体壁からの逃走経路を必死に探す。
ったく、それにしてもなんなんだこいつらは……。
入学まもなくの頃に起こした乱闘事件と当時の悪評を知らないこの下級生共は、いくら俺が不機嫌な顔で怒鳴ってもまったく恐れずに逆にこうして慕ってきやがる。日によって集まる面子に多少の変動はあるものの、何度突き放しても決して折れることの無いこいつらの不屈の闘志に、最近では感心すらし始めているぐらいだ。
しかし毎朝のこの過剰なスキンシップ付きの出迎えにはほとほと嫌気がさしている。二束三文でも御の字だ。最近の俺はこいつらをこのまままとめて夜店のヒヨコ売りにでも売っぱらうことが出来たらどんなにいいか……と、青息吐息な心境でそんなアホなことを半ば本気で考えちまう体たらくだ。
何故この無愛想な俺が下級生共に急に慕われるようになったのか、事の発端はすべてあの二匹の雌鳥たちのせいだろう。
人間はこの世に生れ落ちた瞬間から、ある程度決まった人生の道筋が各自に用意されているものだと思っていたが、あいつらが俺の運命って奴を根底から思いっきりひっくり返しちまったらしい。人生、何があるか決して誰にも分からないとはよく言ったものだと今では思う。
その時、俺の背後から慌てたように走り寄って来る聞き慣れた二つの足音。
……ほれ見ろ、どうやら今朝も早速現れたようだ、その雌鳥たちが。