お誕生日おめでとう <5>
── 懐かしいな。
ここは昔あいつらやヒデとよく遊んだ場所だ。
かなり水位が下がっている赤比良川を高台から眺め、感慨にふける。
最近の日の落ち方は本当にあっという間だ。
上空の色はハイスピードで鮮やかな薄紫色に染まり、もうすぐ夜風に変わろうとしている川風がまるで急かすように俺の髪を何度も揺らし続ける。
時刻は午後五時二十七分。
すでに二十分以上待っている。
あいつらから指定されたベンチには誰もいなかった。
あれだけ「遅れるな」と騒いでいた美月が来ないということは、どうやら賭けは外れたらしい。
制服のポケットに突っ込んでいた携帯電話が鳴った。これはメール着信のコール音だ。
もしかしてあいつらか……?
かすかな期待と共に取り出してみると、ディスプレイはついさっきまで一緒にいたチビ女からのメールが届いている事を告げている。おい、またお前かよ……。
一応開いて読んでみる。
前半は美月や怜亜と無事に仲直り出来るようにと心配している内容で、後半は先ほど甘味喫茶で予言した俺の今年の運勢とやらをご丁寧にも簡潔にまとめてやがる。どうでもいいが本当にヒマな奴だ。
だがこうして再度有難迷惑なアドバイスをしてくれたはいいが、肝心のあいつらがこないんじゃ、なんの意味も無い。
軽い溜息をついた後、空しさを抱えつつベンチ中央の空席に座った。
そして穏やかに流れる赤比良川の流れを見下ろした瞬間に子供の頃をふと思い出す。
そういや、昔は台風シーズンになる度にこの川の辺りには絶対に近づくなと親からきつく言い聞かされていたっけなぁ。だが幼かった俺はそんな注意など話半分で、その豪流めがけて薄っぺらい石で水切りをしたらちゃんと水面を弾いて点々と飛ぶのだろうかと下らないことを考えてワクワクしていたような気がする。
そこまで回想していた時、頭上に何かが降ってきた。
「うぉ!?」
そいつは軽かったので痛くは無かったが、純粋に驚いた。
反射的に頭上に一瞬乗ったその物体を掴んだが、ふわふわと柔らかい。目の前に持ってきてみると、その柔らかい物体の正体は、銀色の二つの袋を青いリボンで一つにまとめた包みだった。
「それ、あんたの誕生日プレゼントだから」
振り返ると美月が怒ったような顔で、そして怜亜が寂しそうな顔で、俺の後ろに立っていた。二人とも制服姿のままだ。
包みを放り投げたのは性格からいってたぶん美月だろう。
「怜亜と話し合ったんだけど、あたし達が何日もかけてせっかく作ったからとりあえず渡しておく。焼くなり煮るなり捨てるなり勝手にして。もうあたし達、柊兵にはつきまとわないから。迷惑かけてごめん。じゃあねっ」
早口、しかもほぼ棒読みに近い口調でそう言うと美月は俺に背を向け、怜亜も「さよなら、柊ちゃん」と俺に最後の挨拶をし、共に帰って行こうとする。
「ちょっと待てお前ら! とりあえず話を聞けって!」
俺の強い制止に二つの足音は同時に止んだ。
上半身だけを器用にひねらせ、美月が俺を見る。
「嘘つき男が何か言いたい事でもあるわけ? 迷惑だったあたし達にさ」
美月の声が硬い。怜亜は何も言わない。
現時点で俺が得られているのはこのひたすらに重いプレッシャーだけだ。
「まっ、まぁ、その、色々とな…」
「色々? 例えば何よ? 例を挙げてみなさいよ」
……このままこいつらの足を止める何かいい話題は無いか?
髪を掻きむしりたい衝動を抑えつつ、必死に考えてみる。
あぁ、そうだ。
そういえばこいつらに聞きたかったことが一つあったな。
俺は二人の幼馴染を代わる代わる見ながら言った。
「な、お前らの星座って何座なんだ?」
俺のこの台詞の後のこいつらの顔は面白かった。傑作だ。
まさに放心、“ 虚をつかれた ”って顔だった。
だがよく分かるぞ。
なんせこの俺の口から「お前らの星座は何だ?」だもんな。
もし俺とミミが知り合いだということをこいつらが知る前の状態なら、俺がイカれちまったと思われたかもしれない。
この珍妙な問いかけの後、俺らの間にしばしの膠着時間が訪れる。
たぶんそれは時間にすればほんの数十秒のことだったのだろう。
しかし今の俺にとってはまるで数十分の出来事のように感じた。
早くこの沈黙状態から脱出したかったが緊張しているせいで口の中がカラカラに乾き、次の言葉が出てこない。
しかも次に何を言えばいいのかも皆目分からないときている。情けねぇ限りだ。
「柊ちゃん…」
もしかすると俺のこの心境が伝わったのかもしれない。
俺の名を呼び、凍結状態から一番先に離脱して俺を開放してくれたのは怜亜だった。
「柊ちゃん……、それ、影浦さんから聞くように言われたの?」
怜亜は華奢な両腕を軽く身体の前でクロスさせ、言いにくそうに告げる。
「いや違うっ! ただの興味本位だっ!」
慌ててそう釈明し、顔の前で二度大きく手を振る。
このままこの場を終わらせたくないと必死になったせいか、この動作はシン並みのオーバーアクションになっちまった。
「な、なぁ、大体考えても見ろよ。お前達の誕生日を俺はちゃんと覚えている。あの占い師に言えば、お前達の星座が何かなんてわざわざ聞かなくてもすぐに分かることだろ?」
「え!? ウソ!? 柊兵はまだあたし達の誕生日を覚えてるの!?」
どうやら美月も正気に戻ったようだ。唖然とした表情はそのままだが、急に勢い込んで尋ねてくる。
「あぁ、覚えてる」
「じゃあ言ってみてよ!」
「あぁ言う。これから言うから二人ともとりあえず隣に座れ」
「……怜亜、どうする?」
「うん……」
美月と怜亜はお互いの顔を見合ってしばし躊躇していたが、結局ベンチの側に揃ってやって来ると俺の隣にそれぞれ座った。
……が、あのカラオケボックスの時よりも俺との間隔はかなり離れている。
しかし相変わらず本当に分かりやすいな、お前達は……。
さて、何から切り出そう。
まずはこいつらの誕生日からだな。
「怜亜が二月二十九日で、美月が六月六日だ。そうだったよな?」
「そうよ。柊ちゃん、覚えていてくれたのね……!」
「驚いた! 柊兵ってば本当に覚えてたんだっ!」
硬かったこいつらの声にわずかだが喜色が混じり始めたのを俺は聞き逃さなかった。
何とかここで上手く畳み掛けねぇとな……。
「ところでこれは何だ?」
手の中にある二つの包みの中身を尋ねてみる。
「開ければ分かるわよ」
美月が答えたので両方の包みを開けてみた。
中には黒と灰色の毛糸で編んだ、手袋とマフラーがそれぞれ入っていた。
手袋は手の甲だけを覆う指出し型で、マフラーは少々長めに出来ている。
「見れば分かると思うけど、グローブ担当は私。で、マフラーは怜亜。でもさ、私は編み物初トライだって事を念頭に置いてよね。時間的都合及び精神的疲労により、指先部分は省略させてもらったから」
美月の言うとおり、確かに手袋は網目の大きさに多少のバラつきがあった。
だがほつれてきたり、はめる時に網目の隙間にうっかり指を突っ込んでしまうようなレベルではなさそうだ。
「こういう事が大の苦手なお前がよくこんなの作れたな」
「うん、怜亜に教えてもらって必死にやった。でもどうしても間に合わなかったんだよね。だからここ最近は学校にまで持ち込んで、休み時間に家庭科室で必死にラストスパートかけてたんだけどダメだった」
川面を見つめたままで美月が呟く。
そうか、それでここしばらくお前達は休み時間に教室にいなかったんだな……。
もう一度手袋に目を落とす。
小学校の時に家庭科の成績が万年アヒル型だった美月にしては上出来だ。
「サンキュー、美月。ありがたくいただくよ」
「……」
今度はマフラーに視線を移す。
一目の狂いも無く綺麗に揃った網目だ。市販品と比べても少しの遜色も無い。
身体が弱かったせいでインドア派だった怜亜は料理や裁縫が昔から得意だったからな。
「怜亜、これサンキューな。お前は昔からこういうのが得意だもんな。暖かそうだ」
「……え、えぇ……」
マフラーを巻き、手袋をはめる。
「どうだ? 似合うか?」
しかし引き続き両サイドからの返事は無かった。
そうか、これじゃまだダメか……。