お誕生日おめでとう <1>
今は昼。
ここは休憩室。
両脇には……、
『ハ~ッピバァ~スディ~ディア~』
『柊~兵~!!』 『柊ちゃ~ん!!』
『ハァ~ッピバァ~スディ~ツ~ユ~!!!!』
現在、左右の鼓膜がそれぞれ違った女の声を認識中。他のテーブルで静かに食事をしている連中が皆こっちをチラチラと見ている。
「柊兵~! お誕生日おめでとう~!!」
「おめでとう柊ちゃん!!」
十月十九日、普段は厳かなクラシックが流れ続けているこの休憩室。その空気を一変させる美月と怜亜のバースディソングのおかげで原田柊兵、本日再び公衆の面前で晒し者だ。
俺の前にはこいつらが昨日二人で手作りしたという、直径三十センチはあろうかという特大ケーキがどんと置かれている。こんなもん、どうやって学校に持ってきて、昼までどこに保管しておいたんだ。大体俺は甘い食い物が大の苦手なのによ。
生クリームをこれでもかとばかりにたっぷりと塗りたくりまくって作られた白い土台の上面には、お約束のチョコレートプレート。しかもそこには『ハッピーバースディ!』+俺の名前+ハートマークのどでかい白文字入り。
どっちの趣味だか知らねぇが、コアラ、ヒヨコ、パンダ、ウサギ、アライグマと、メレンゲで出来た砂糖人形が五体、行儀よく横一列に並んでまん丸の純粋な瞳で俺を見上げている。
おかげでケーキに視線を落とすとこいつらと強制的に視線が合っちまう。どういう顔すりゃいいんだよ。
「いやぁ~柊兵くん! 君、十七年生きてきて今年が一番幸せな誕生日だろ?」
向かいに座っているシンが、やに下がった顔で俺の様子を高みから見物している。
よくよく周りを見渡せば、シン以外の他の三人も全員似たような顔をしてやがる。畜生、また俺はこいつらのいい玩具かよ……。
「おい柊兵。美月と怜亜に礼を言えよ。こうやってわざわざお前のために作ってきてくれたんだぞ?」
「柊兵はきっと照れているんだよ。嬉しいくせにね。僕には分かるよ」
── だぁぁっ! ヒデも尚人も余計なこと言うなっ!
「いいなぁ柊兵は……俺、羨ましいぜ……!」
と、今にも指を咥えそうな勢いで羨望の眼差しを送ってくるのは将矢だ。この晒し者の状況を本気で羨ましがっているこいつの神経が分からねぇ。
誕生歌とBigケーキの披露が終わると、すかさず怜亜が弁当を差し出してきた。
「柊ちゃん、今日は私のお弁当を食べてね!」
……実は二週間前から俺の弁当を作る料理人は毎日変わっている。
月曜が美月、火曜が怜亜、水曜が母親で、木曜、金曜はまたこいつらが作っている。
このコンビが母親に勝手に頼んで、水曜以外の俺の弁当を交代で作りたいと言ったらしい。料理勉強のために俺に味見人になってほしいとかなんとかうまい理由をつけてな。
わずらわしい弁当作りが週一になると知って母親は二つ返事でOKしやがったようだ。そしてお礼に、と近いうちに美月と怜亜を家に招いて夕飯を食う話もあるらしい。
もう完全にこいつらのやりたい放題に事は進んでいる。私 的 領 域にまであっさりと踏み込まれ、その内にほぼ全エリアをこいつらに侵食されかねない勢いだ。
しかし最近はそれぐらいのことで動じず、今も怜亜から「サンキュ」とだけ呟いて弁当を受け取る余裕の出てきている俺。人間は日々成長する生き物だって事を身をもって実体験中だ。
「今日は柊ちゃんの大好きなものいっぱい作ってきたの!」
俺の面倒を見るのが嬉しくてたまらない、といった様子の怜亜が大型弁当の蓋を開ける。
「うぉー! 今日も豪勢だなー!!」
弁当箱の中身を見て将矢が真っ先に叫んだ。食い物屋の息子のせいか、いつも一番に弁当の中身に反応してくる。
「なぁ怜亜ちゃん、これ何?」
「これはカジキマグロの南蛮漬けよ」
「すっげー美味そう! なぁなぁ一個でいいから味見させてくれ!」
「えぇ、いいけどここからは取らないでね。これは柊ちゃんのだから。私の分をあげる」
「マジ!? ラッキー!!」
するとテーブルに頬杖をついて大喜びの将矢の様子を眺めていたシンが、
「あーあ、今日も変わらず天使ちゃんに愛されているなぁ柊兵くんは……」
と溜息交じりに呟く。
「最近シンはあまり柊兵をからかわなくなったよね」
尚人の言葉にシンはさらに大きくふぅ、と息を漏らして続けた。
「最初はからかうのも面白かったけどさ、柊兵くんのあまりの愛されっぷりに段々自分が空しくなってきたんだよ。俺も適当に女と遊ぶのは止めて真実の愛を探そうかなぁ……」
「ハハッまた出たね。シンの口癖」
「いやこの間まではふざけて言ってたけどさ、最近は本気の本気で考え始めてる次第です」
「すごい心境の変化だねシン。女の子漁りに明け暮れていた男の発言とは思えないよ」
「だからからかうのは止めてくれ尚人。俺、マジなんだからよ。……ほら見てみろよ。俺がこんなに落ち込んでいるっていうのにさっさと愛情弁当を食べ始めている男がいるしさ」
シンの嘆きをよそに俺は黙々と弁当を食う。
怜亜のやつ、また腕を上げているな。小学校の家庭科実習で怜亜の料理のレベルが高いことは知っていたが、今はあの頃よりもさらに高いレベルになっていた。今日の惣菜の数々もどれも甲乙つけがたいほど美味い。
「ねぇ柊兵。あたしのと怜亜のお弁当、どっちが美味しー?」
── なんつータイミングだ。美月、お前は人の心が読めるのか。
「……どっちも」
「いいよ嘘言わなくても。だって自分でも分かってるもん、全然怜亜の方が上だってこと」
「じゃあ聞くなよ」
「一応確認よ、確認!」
照れ隠しなのか、美月は白い歯を大きく見せて俺に向かってウィンクする。
「さぁ柊ちゃん、今度はケーキを食べてね!」
絢爛弁当を食い終わった瞬間、間髪いれずに先ほどのケモノ付き特大ケーキが再び登場しやがった。
「お、おい、まさかこれ、俺一人で食うわけじゃないよな!?」
「うん! もちろんみんなにもおすそわけするよ! 柊兵は主役だから多く食べてもらうけどね! だからこのケーキの半分は柊兵の分だよ!」
「は、半分だと!?」
「はい柊兵、口開けて! あ~ん!」
「柊ちゃん、あ~んしてね!」
── 本日の最大の見世物PARTⅡ。
別名、【 責任量の洋菓子ショー 】。所要時間は十二分ってとこか。
直径三十センチケーキの半分を死に物狂いで食い切り、胸焼けで一気に気分が悪くなっている俺にさらに追い討ちをかける声。
「あ、柊兵! 今日は放課後あたし達に付き合ってね! 渡したいものがあるから!」
「HRが終わったら柊ちゃんのクラスに行くから先に帰らないでね?」
まだあるのか。まだありやがるのか。
いや、この現状を受け入れる事にしたんだろ、原田柊兵。
ここでへこたれてどうする。頑張れ、目一杯頑張れ。
……正直ギブアップ寸前だ。
・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・
帰りのHR中、外を眺めていた右肩を突付かれた。右隣を見ると、穏やかな笑顔を浮かべたヒデが廊下を指差している。
D組はもうHRが終わったらしい。
美月と怜亜が何やら喋りながら俺を待っている姿がガラス窓の向こうに透けて見える。
……準備万端、ってやつか。
ようやくこちらもHRが終わった。
スポーツバッグを肩に担ぎ、廊下で待っているあいつらの所へ行こうとした俺の背中に向かってヒデが声をかけてくる。
「柊兵、お前少し変わったな」
「あ? 何がだよ」
「前に美月と怜亜を助けてやった以降、お前のあいつらへの態度が段々変わってきたと思ってな」
「……そうか?」
「自分じゃ気付かんか。まぁいつまでも三人仲良くというわけにはいかないだろうが、とにかく今のあいつらは少しでもお前の側にいたいんだ。分かってやれよ、その気持ちをな」
とりあえず「あぁ」と生返事を返しておく。
── だがさすがのヒデも知らないだろう。
非常に馬鹿馬鹿しいが、美月と怜亜はこの日本に一夫二婦制を導入して本気で一生俺とずっと一緒にいるつもりなんだよな。
もしこの馬鹿げた発想をヒデに教えたら、ヒデの奴は一体どんな顔をするだろう。「老成」と誉れの高いこの男もさすがに動揺するだろうな。
そう考えたら思わず笑っちまいそうになった。
「じゃあまた明日な」
ヒデにそう告げ、軽く片手を上げて帰ろうとした時、
「柊兵閣下! 今日のこの後の詳しい戦況を、是非明日我々にご報告願います!」
とシンの声。
このからかいを無視して教室を出ようとしたが急に目の前に将矢が現われ、
「いいなぁ柊兵は……。今夜一気に二人喰いかよ……羨ましすぎるぜ……!」
と赤ん坊のようにリアルに指を咥えながらのたまった。
ったく具体的な理由は分からんが、やはりこいつの発言が生理的に一番癪に障る。そこで恒例の成敗を行った後に教室から出ると、待ちかねていた美月と怜亜が即座に駆け寄ってきた。
「柊兵! 将矢となんかあったの?」
「あ?」
「だって柊ちゃんが難波さんの首に腕をぎゅううっって巻きつけた後、難波さんってば教室で倒れちゃってるけど……?」
将矢に天誅を加えていた所をこいつらもしっかりと見ていたようだ。かといって裁きを下す原因になった将矢の下世話な台詞をこいつらに言うつもりもない。
「ただのスキンシップだ、気にするな」
とだけ言い、先に歩き出すと「あっ! 待ってよ柊兵!」「待って柊ちゃん!」とすかさず両腕にいつもの重力がかかってきた。やれやれだ。
玄関で靴を履き替えた時だけは両腕も一瞬自由の身になったが、履き終わればまたすぐに両側からW拘束。ま、もう慣れちまったがな。
「柊兵、じゃあ急いで帰ろうっっ!!」
美月のどでかい元気満タンの声が右の鼓膜を刺激する。
「……急いで帰ってどうするんだ?」
「あのね柊ちゃん、まずは一旦それぞれのお家に帰って、着替えた後にもう一度集合するの!」
美月に影響されたのか、怜亜の声もいつもより大きい。
「もう一度集合?」
「そうそう!! で、まずはあたしだよ!!」
右腕を拘束中の美月がさらに音量を上げて叫ぶ。
「柊兵、あの場所覚えているでしょ? ほらっ赤比良川のすぐ側にあるあの高台! あそこのベンチに五時半までに来て! あたしの時間が五時半から六時までで、六時に怜亜が来たらバトンタッチであたしは帰るから! 各自の有効タイムは限られているんだから遅れたら絶対に許さないからねっ!」
……なるほど。今度は一緒ではなく、別々に攻めてくるわけか。芸が細かいな、お前ら。
「いい? 柊ちゃん?」
とかすかに目を潤ませて怜亜が俺の顔を覗き込んでくる。
いやいや、だからよ、良いも何ももう決まってることなんだろ?
元々俺に選択させる気なんかはなっから無いだろうが、お前達は。
まず一つわずかな溜息をついた後、次に吐いた分だけの冷たい新鮮な空気を肺に取り入れてからこいつらに返事をする。
「……了解」
「やったぁ─!!」
俺の了承に美月が空いている片腕でガッツポーズ。怜亜は頬を桃色に染めてさらに身体を摺り寄せてくる。もうどうにでもしてくれ。
「柊兵くん見ーっけ! ははーん、その子達ね! あなたがつきまとわれて困っているっていう女の子達って?」
突然正面から聞こえてきた聞き覚えのある鈴の声。
校門を出た俺の顔は驚きで固まった。
目の前には……。
「あっあんた!?」
「お久しぶり~♪ ……って、まだ一ヶ月くらいしか経ってなかったわね!」
── ミミだ。あのチビ占い師が俺の目の前に立っていた。