“ 相互親睦 ” しましょう! <7>
「ガーディアンのお仕事大変ね。でもあなたも少しぐらいは相互親睦の方にも参加しないと。私達とのせっかくの無礼講なのよ?」
伯田さんはそう言いながら手近にあった椅子を引き寄せ、俺の斜め前に座った。
無造作に羽織っている白衣の裾が大きく揺れる。保健室にいる時と同じ格好をしているだけなのに、この祭りのせいで今の伯田さんはコスプレに参加している側に見えちまう。
「でも驚いたわ。君が女の子を守るガーディアンなんていう警護をやるなんてね。私、君の事を誤解していたのかも」
「…………」
「この間は風間さんを病院に連れて行ってくれてありがとうね」
「…………」
「二日後だったかしら。森口さんが報告にきてくれたんだけど、風間さん、インフルエンザじゃなかったんですってね。良かったわ」
「…………」
「もうっ、本当に原田君って無愛想よね!」
仏頂面で相槌すらうたない俺に伯田さんがため息をつく。
「これじゃ全然相互親睦になってないじゃないっ。あなたの友達の楠瀬くんや真田くんはいつも私に愛想がいいわよ?」
んな事言われても困る。
シンや尚人のように気軽にポンポンと話題を振ったりする事が俺にはどうしても出来ない。見かけは同じ人間でも、コミュニケーション能力に優劣は存在するんだと伯田さんに言いたいが、それすらもどうやって言葉にして伝えればいいのか分からないぐらいだ。
「はぁーい! お待ちどうさま、柊兵!!」
そこへ溢れんばかりの元気一杯の声で美月が小走りに駆け寄ってきた。
どうでもいいが、こいつのナース服の胸元のボタンがかなりきつそうだ。館内を走り回っている内に弾けとばないといいが。本来の役割以上の負荷をかけられながらも、なんとか美月の胸元を必死にガードしている上から三番目のあの白ボタンに若干の敬意を表したい。
「柊兵だけ何も飲み物当たってないじゃない! もっと早く持ってきたかったけど注文がさばききれなくってさ! はいどーぞ!!」
「あ、あぁ悪ィな」
美月の手からコーラを受け取る。
「もう風邪はすっかり治ったみたいね、風間さん」
伯田さんに声をかけられ、美月は「はい?」と斜め後ろを振り返った。そして次の瞬間、「あっ」と絶句した美月の顔が強張ったことに気付く。
「どうしたの風間さん?」
「その格好……、あなたは保健室の先生ですか?」
「え?」
伯田さんは一瞬驚いたような顔をした。ポニーテールが小さく揺れる。
「あぁ、風間さんはあの時すごい高熱でぐったりしていたから私の顔を覚えてないのね。そうよ、私は保健室在住の伯田加奈子。よろしくね」
「…………」
赤いフレームの眼鏡に手を沿え、軽いギャグを入れた伯田さんの自己紹介も美月の強張った表情を緩ませることは出来なかった。微笑む伯田さんを美月は無言でじっと見つめている。
美月はしばらく黙り込んでいたが、「柊兵」と俺の名を呼ぶと背を向けたままで言い放つ。
「……あれ、そういう意味だったんだ?」
そう言い終るや否や、美月はこの場から駆け出し、体育館の外へと走り去っていった。
途中で怜亜の腕をつかみ、怜亜も一緒に連れて。
……気付かれちまったかっ!?
慌ててあいつらの後を追って館外へ出ようとしたが、どこからともなく現われた本多に行く手を遮られてしまった。
「原田くん! どこに行くつもりだい!? 護衛兵の君がここからいなくなったらもし何かアクシデントが起きた時に僕らが困る!」
「うるせぇ! こっちもアクシデント発生だ!!」
そう叫ぶと本多を思い切り突き飛ばし、駆け出した。すると最後の足掻きか、体育館の床にひれ伏した本多も負けじと叫ぶ。
「原田くん! 君の秘密を話すよ!?」
「勝手にしろっ! もうバレちまったよ!」
体育館のドアを蹴り飛ばして開ける。一気に流れ込んできた冷気が両頬を撫でた。
目の前に伸びる廊下。あいつらの姿はすでに無い。
どっちだ!? どっちに行った!?
とにかくまずは前進だ。あいつらを探さなくちゃならねぇ。
長い廊下を突き当たりまで走るとヤマ勘で右に曲がり、コの字型の進路を今度は左に曲がる。しかし曲がった先に伸びる廊下に人の気配は無かった。逆だったか……!
踵を返し、逆のルートを進む。
こちらの廊下にも人気は無かったが、時間をロスしたせいであいつらはもうどこかに行ってしまったのだろう。
小さく舌打ちをし、とにかく走る。走りながら両側の教室をガラス越しに覗き込んだがどこにもあいつらの姿は無かった。
一階……二階……三階……四階……、駄目だ、どの階にもいねぇ!
となると残るは……
屋上のドアを開けた。
いた。
十五メートル先の屋上の手すりの前に美月と怜亜はいた。
揃いのナース姿に紺色のカーディガンを羽織ったあいつらは、俺が乱暴に扉を開けた轟音に気付き、こちらを無言で見ている。怜亜も何も言わないということは、美月がもう話してしまったのだろう。うぅ、すげぇ気まずい。
屋上でのしばらくの沈黙の後、最初に口火をきったのはやはり美月だった。
「言ってくれればよかったのに! 伯田先生が好きなんだってさ!」
秋風が美月の怒りを含んだ声を続けざまに運んでくる。
「柊兵の部屋にあったあの写真集のモデルの人、伯田先生にそっくりだったよね!?」
── その通りだ。
俺が本棚の奥に隠していたあの水着写真集は、モデルが伯田さんによく似ているということで、去年銀杏高の男子生徒の間で一時噂になった写真集だった。
「そうなんでしょ柊兵! あんたは伯田先生のことが好きなんでしょ!? 正直に言ってよ!」
「柊ちゃん……」
美月が、怜亜が、俺にどこまでも真っ直ぐな視線を向けてくる。再び俺達の周囲に沈黙のバリアが張られた。
……好きだったのかもしれないが分からない、なんて言ったら美月と怜亜に逃げていると思われてしまうだろうか。
入学当初の乱闘事件の後、初めて伯田さんと顔を合わせた時は確かに体が硬直し、自分でも伯田さんを強く意識していると思った。
あの写真集の件が校内で話題に上った時も、シン達の前では興味のないフリをし、密かに写真集を買ったりもした。
しかしその後の俺は保健室に行くことは無かったから、伯田さんへのあの緊張が特別な感情のものなのか、それともいつものようにあの人が女で、しかも美人だから緊張しちまっているのかがよく分からなかった。
だが、この間怜亜に連れられて保健室に入り、久々に伯田さんと対面した時、俺はまったく動揺していなかった。
その事から分かったことだが、今現在のみの心境で言えば、俺は伯田さんのことを好きではない。以前はもしかしたら好きだったのかもしれないが、今は好きではない。
だがコミュニケーション能力の低い俺が、その事をどうやってうまくこいつらに伝えられるんだろう?
「……もう止めましょう美月」
この沈黙の間を乱さない、静かな声が聞こえた。怜亜の声だ。
「私たちが柊ちゃんを責めるのは間違っているわ」
「だってさ、伯田先生のことが好きならどうして最初にちゃんと……」
「ううん。最初に私たちが柊ちゃんに有無を言わせずに強引に側にいったから、だから柊ちゃんもきっと伯田先生が好きなことを言い出せなかったのよ。そうでしょ? 柊ちゃん」
怜亜が俺に向かって微笑む。
その何かを諦めたかのような静かで穏やかな笑顔。その笑顔を見て俺は腹を決めた。
「……違う」
今は言わなくちゃいけない、と思った。
上手く言える自信はまったくねぇけど、こいつらには俺の、今現在の俺の気持ちをちゃんと話すべきだ。
「……た、確かにな、確かにあの写真集は去年俺が自分で買った。伯田さんが好きだったから買ったのかもしれないし、それを確かめるために買ったのかもしれない。それは認める。でも、今は違う。今は伯田さんの側に行っても何とも思わない。思わなくなってる」
口下手な俺なりに精一杯自分の気持ちを説明したが返ってきたのは沈黙のみ。
うぅ、やはり気まずい。
これ以上何を喋っていいのか分からないがとりあえずまだ何か言葉を発しようと口を開きかけた時、美月が真剣な表情と声で言い放った。
「じゃああたし達からはこれで最後の質問にする。これはすっごく重大な質問だよ柊兵!」
美月は怜亜に顔を向け、頷く。すると怜亜も小さく頷き返し、真っ直ぐな目と声で俺に最後の質問をしてくる。
「柊ちゃん、私たちのことが好き? 私たちが側にいても迷惑じゃない?」
……な、なぁ、それ、言わなきゃいけないのか?
ここで返事をしなきゃいけないのか?
……いけないんだろうな……。
…………駄目だっ!!
照れ臭くってとても向かい合ってなんて俺には言えねぇ!!
急いでこいつらに背を向け、低い声で「あ、あぁ」とだけ呟いた。
即座に「ホント!? 柊ちゃん!?」「嘘じゃないっ!?」という声が背後から聞こえてくる。
恥ずかしさに震えながらもう一度短く肯定の返事をすると、背後でパタパタと二つのリズムでナースサンダルが鳴る音が聞こえてくる。
「おわっっ!?」
突如背中に激しい衝撃。
美月と怜亜が抱きついてきたのだ。
「やっと柊兵が好きだって言ってくれた~~!!」
「ずーっっと柊ちゃんの側にいるわっ!」
「おいっおまえら、押すな、押すなって!」
── 高校の屋上でナース服姿の幼馴染同級生二名にぎゅうぎゅうに抱きつかれ、困惑している男がここに一人いる。
どんどんと泥沼にはまっていっているような気がするのは気のせいだろうか?
……その後、機嫌を直した美月と怜亜を連れて体育館に戻ったが、祭典はまもなく終了間近で仮装給仕嬢の一位を決める投票もすでに終っていた。
投票の集計はその場で速やかに行われ、壇上で一位が発表される。
栄えある仮装女王は、俺がチャイナドレスのファスナーを上げてやった池ノ内というあの三年の女の頭上に輝いたようだ。
「あーあ、あたし達じゃなかったね怜亜」
と呟いた美月の声は少々悔しそうだ。
「いいじゃないの美月。別に優勝を狙っていたわけでもないんだし」
「ま、それもそうだね! それにもっといいことあったしね!」
「えぇ!」
次の瞬間、美月と怜亜が両腕にしがみついてくる。
もうこの逮捕攻撃にはとっくに慣れているが、頼むからこれだけ大勢の人間がいるこの館内では遠慮してくれ。
そう言いたいがどっちもあまりに嬉しそうな顔をしているので言い出せない小心者がここにいる。これじゃあのカラオケ店で黙々と働くモヤシ店員を笑えねぇな。
投票結果発表も終わり、演出のために明るさを落としていた体育館内の照明に再び光が戻ってきた。館内が少しずつ明るくなるにつれ視界の幅も広がり、美月と怜亜以外の見覚えのある白衣が視界の中央に入ってくる。
「あら原田くん。風間さんとケンカしたかと思ったらもう仲直りしているの? しかももう一人、森口さんも増えてるし」
伯田さんが笑いながら近寄ってくると、美月と怜亜は俺にさらにピッタリとくっつき、
「どーも、お・か・げ・さ・ま・で!」
「えぇっ、もうすっかり仲直りですからご心配なくっ!」
と台詞自体はあくまで温和だが、表情にはうっすらと挑戦的な微笑みを浮かべ、強めの口調で伯田さんに言い返している。美月はともかく、怜亜がこういう表情をするのは珍しい。
「そう。良かったわね二人とも」
「はい!」
「えぇ!」
おいおい、伯田さんはまったく気付いていないが、今の会話の間にはビシバシ青い火花が散ってたぞ……。もし側に危険物があったら即引火、なおかつ爆発しそうな勢いだ。
「モテる男の子はツライわね、原田くん? 君が女の子にこんなにモテるなんて知らなかったけど」
伯田さんは最後にそう言うと、白衣を翻して保健室の方角に颯爽と去って行った。
よ、よし、これで祭りも無事に終わったか……。
さて、俺も本多にこの護衛兵の腕章を突っ返してくるか、と思った時だ。
美月が俺の右腕をがっしりと押さえたままで上半身を大きく前に倒し、反対側にいる怜亜に向かって目配せをする。
「怜亜っ!」
すると怜亜も「えぇ!」と即座に呼応し、その次の瞬間こいつらの手が俺の左胸にそれぞれ押し当てられた。
「……うん、大丈夫! 伯田先生と話しても全然ドキドキしてない! さっきの屋上での言葉は嘘じゃなさそうだね!」
「柊ちゃんの心臓の鼓動って、普段はこんなに遅いのねっ」
そしてなぜか拍動のリズムを確認し終わったはずなのに、二本の手はいつまでもサワサワと俺の胸をまさぐり、妖しくうごめきまくっている。……ったくこいつらは……。
「だからお前ら、こういう確認方法は止めろぉぉぉ――っ!!!!」
こうして第十二回 相互親睦祭典 はここに無事幕を下ろした。
…………とにかく疲労困憊だ…………。