“ 相互親睦 ” しましょう! <5>
慌ててファスナーから手を離し、怒鳴り声のした方に目を向ける。そこには着替え終わった美月と怜亜がいた。目の前に立つその姿に息を呑む。こいつらが選んだコスプレは…………
……看護士だった。
丈がかなり短めの白衣に、薄手の白ストッキングとナースサンダル、そして+マークのついた小さな制帽。どっちも恐ろしいくらいにメチャクチャ似合っている。
「あ、終わったの? ありがとね、がーであんサン! さ、次はメイクメイク~!」
俺を窮地に追い込んだ原因を作ったチャイナ女はさっさと室内へと入ってしまい、代わりに美月と怜亜が俺に詰め寄ってくる。
「何やってんのよ柊兵!!」
「柊ちゃん、ひどい……」
ナース姿で怒り心頭の美月。同じくナース姿で嘆き悲しむ怜亜。
一方の俺は心臓のビートをハイスピードで軽快に刻みながら女に見惚れるという、極めて貴重な体験中だ。
「ファ、ファスナーを上げてくれってあの女に頼まれたんだ!」
「バカじゃないの!? そんなの断固拒否しなさいよッ! 締まりの無い顔して情けないわねーっ!」
美月が俺の左胸をドン、と掌で突く。……なんだ? あまり効いてないが掌底のつもりか?
「あ――っ!! やっぱりだぁ! ちょっと怜亜! 怜亜もここ触ってみてっ!!」
「ここ?」
美月にそう促され、怜亜も俺の左胸に手を当ててくる。
「あ……! 柊ちゃんの心臓、こんなにドキドキしてる……!」
「でしょ!? やっぱりシンの言う通りじゃない! この陰鬱助平!」
……畜生、なんでファスナーを上げてやったぐらいでそこまで言われなきゃならねえんだよ……。
と、とにかくこいつらの怒りと嘆きをどうにかして静める必要があるな。まずは話題を変えよう。それしかねぇ。
「なっ、なぁ、それ、すげぇ似合ってるな、二人とも」
「エ!?」
「ホント、柊兵ちゃん!?」
「あぁ。正直驚いた」
俺なりの精一杯な必死の褒め言葉にこいつらのテンションが瞬く間に変わる。
「やったぁ~~!! ほらっ、やっぱこれにして正解だったでしょ怜亜!」
「えぇ! 美月の言う通りね! 柊ちゃんに褒められるなんて思わなかったわ! 嬉しい!」
……おい、しかももう笑ってるぞ? 呆れるぐらいの変わり身の早さだ。本当に単純コンビだな……。
「あのね柊ちゃん」
水に濡れたような黒い瞳で怜亜が俺を見上げる。
「もしコスプレするなら絶対ナースだって美月が言ったの」
「なんでだよ?」
「だって柊ちゃんってナースさんがとっても好きなんでしょ?」
「何ッ!? 誰が言ったんだそんなこと!」
「だって皆でこの間行ったカラオケでシンが唄ってたじゃない!!」
と言うや否や、美月がデカい声でいきなり歌いだした。
「 ♪ 柊兵くんはぁぁ~~同じ白でもぉぉぉぉ~~三度の白米よりぃぃいいい~、白衣がぁぁぁ~~、白衣がお好きいいいぃぃぃ~~!! 」
……頭痛がした。
おい美月、こぶしを利かすな。巻き舌すんな。何より廊下のど真ん中で歌うな。
しかしこいつらの俺に関する下らない情報の記憶力には心底呆れるばかりだ。
「皆様ごきげんよう!」
噂をすれば何とやらだ。
廊下の奥からこの下衆な替え歌の作詞家が颯爽とやって来る。
「うわ~! シン、似合うじゃないその黒服!」
「いえいえ俺なんか全然ですよ。美月ちゃん達の美しさの前じゃ完全に霞んじゃいますって!」
……相変わらず調子のいい奴だ。だが美月の言う通り、確かにシンはこういう格好をさせたらピカ一だな。
「二人共ナースのコスプレにしたんだ? すっごくいいね! こんな可愛い白衣の天使がいたら俺、毎日でも病院に通っちゃうなぁ~!」
「ねぇシン!」
「ん? 何、美月ちゃん?」
「今こっちに歩いてくる姿を見て気付いたんだけどさ、シンって姿勢がいいよね! 長身の男の子って柊兵みたいに前かがみ気味に歩く人が多いのに、背筋がピンと伸びてるから歩く姿がすごく映えて見えるよ!」
「それはそれはありがとうございます」
大仰にかしこまり、シンは美月に向かって優雅に一礼した。
「どうしてそんなに姿勢がいいの?」
「んー……」
またしても大げさなジャスチャーでシンは斜め上の空中に視線を泳がせ、
「……小さい頃、親にバレエを無理矢理習わされてね。そのせいだと思うよ」
と答えた。
「へぇ~なんかカッコイイ! じゃあシンは踊れるんだー?」
「いや、もうとっくに止めているから無理無理。いまさら踊る気もまったくないしね。さぁさぁ、それよりそこの護衛兵くん!」
「……なんだよ」
「この白衣の天使ちゃん達をしっかり警護しろよ?」
「うるせぇ」
「大丈夫よ、楠瀬さん!」
両手を後ろに回し、怜亜がニッコリと笑う。
「柊ちゃんが見張っていてくれれば何も怖いことなんてないわ!」
「ま、それは言えてるな。この高校にそんな命知らずなヤツはいないだろうし。じゃあ天使さん達、柊兵くんはまだここから動けなさそうだからさ、俺と一緒に先に家庭科室に行ってない?」
「あっあたしはダメ~ッ!」
美月が胸の前で大きく片手を振る。
「教室にカーディガン忘れちゃったから、取りに戻らなきゃ! 体育館は暖かいけど控え室って寒いもん」
美月と怜亜の格好を改めて見たシンは「そうだね」と頷いた。
「確かにその白衣一枚じゃ寒いかも」
「これで風邪引いたらバカみたいだしね。怜亜は教室に忘れ物はないの? あるなら一緒に取ってきてあげる!」
「私はないわ。カーディガンも持ってきてるし」
「じゃ怜亜はここに残ってて! どっちかが見てないと柊兵がまた誘惑に乗っちゃうかもしれないから!」
「へ? 柊兵が誘惑? なんだいそれ?」
「柊ちゃんたら、さっき先輩のドレスのファスナーを上げてたの……」
ヒュウ、と小気味よい口笛の音が廊下に鳴り響いた。
「柊兵くん、やるぅ! しっかし最近の柊兵くんは一昔前とは大違いだね! 俺もお株を奪われっぱなしですよ!」
「……いいから着替えが終わったんならさっさと行け、シン」
「はいはい了解です、柊兵閣下!」
そう言うと、シンは伸ばしていた背筋を美月の方に向かって少しだけ折り曲げた。
「それより美月ちゃん、ここから下の階は飢えた猛獣達で一杯だよ? そんな罪な格好でジャングルの中を一人で歩いたら危険だからさ、忘れ物取りに行くの、一緒に付き合うよ」
「ホント? ありがと! じゃあ柊兵、あたしはシンと直接、家庭科室に向かうから! いいでしょ?」
「あぁ」
「よし、じゃあ行きますか」
エスコートのつもりか、シンが美月の肩にさりげなく手を回す。
「万一、美月ちゃんに猛獣共が襲い掛かってきたら俺が即、撃ち殺しますんでどうかご安心を」
「あははっ! 頼りにしてるね、シン!」
美月とシンは笑いながら並んで去っていき、俺は怜亜と廊下で二人きりになった。ナース姿なのでなんとなく視線をそちらに送りづらい。
「あ、柊ちゃん、ネクタイが曲がってる。ちょっといい?」
怜亜が小さく手招きをし、俺に少し身をかがめろ、という合図をしてきた。目線を脇にずらしながら身をかがめると俺の首元付近を怜亜の白い手が器用に動き、たちまちネクタイの乱れは直っていく。
「はい。これでいいわ」
「サンキュ」と言って身を起こそうとするとすぐ下から「柊ちゃん、この間はありがとう」という小さな声が聞こえてきた。
「この間?」
顔を向けるとナース姿の怜亜が俺をじっと見つめている。
「果歩を家まで送ってきてくれたでしょ?」
「あぁ、あれか。礼を言われる覚えはねぇよ。俺が果歩を引っ張り回したんだからな。それに遅くまで連絡入れなかったしさ。悪かったな、心配してただろ?」
すると俺の左手を怜亜が両手でそっと掴んでくる。一瞬ビクッとしちまった。
「嘘つかなくていいんだよ、柊ちゃん……」
周囲に人はいないのに怜亜が再び囁くように言う。
「果歩があの夜、全部私に話してくれたの。柊ちゃんを振り回したのは果歩だったのね」
……なんだよ馬鹿だな、果歩の奴……。全部怜亜に言っちまったのか。せっかく叱られないようにしてやったのによ。
「ごめんね、迷惑かけて……」
「果歩を叱ったりしてないだろ?」
「うん」
「ならいい。あいつもあの日はかなりヘビーな体験をしたからな。可哀想だったよ」
「果歩、すごく柊ちゃんに感謝してたわ。柊ちゃんはとっても優しいお兄さんだねって……」
怜亜は両手で握っていた俺の左手を自分の胸の前にゆっくりと引き寄せた。すぐ真下にいるので俺を見上げてる瞳が潤んできているのがはっきりと分かる。それを見た途端にあの懐かしの悪寒、動悸、息切れ、眩暈……。
── ひ、久々に来やがったッ!
俺は、こ、こういう無垢ですがられるような目で見つめられるのが生理的に苦手なんだっ……!
「お待たせ~! 全員終わったよ、がーであんサン!」
視聴覚室の扉が開き、先ほどのチャイナ服の女を先頭に中からどやどやと女共が出てきた。怜亜が名残惜しそうに俺の手を離す。……た、助かった。これで何とか平静に戻れそうだ。
しかし壮観だな……。
さっきのチャイナ女にメイド服の女、バニーガールにレースクィーン、それにスチュワーデス、巫女ときて……、
── うぉっ!?
ボ、ボンデージまでいやがるじゃねぇかッ!!!
ロウソクに鞭まで持ってやがるがあれは大丈夫なのか!? 学園的に安全圏なのかっ!?
「早く行きましょっ、がーであんサン!」
「お、おう……」
うっかり顔に出ちまった動揺をこいつらに悟られないよう急いで背を向け、女共の先頭に立って歩き出す。早足で歩き出した俺の背後ではピーチクパーチクと朝の雀も舌を巻いて逃げ出すほどの女共の嬌声の渦。
「ねぇねぇねぇねぇ、ちょっと見て見て! 横からブラ見えてない? 大丈夫?」
「あ~ん、調子に乗って丈を短く直しすぎたかなぁ? しゃがんだらパンツ見えちゃうかも……」
「いいじゃん、見せたって減るもんじゃないし! サービスサービス!!」
「ここまでコスプレしたからには絶対勝ぁーつ! 誰にも負けないもんねっ!」
「ねぇ、さっきチラッとあなたの下着見たら白だったけど、まさか今もそうじゃないでしょうね? そのファッションに白じゃ興ざめよ?」
「へっへーん、もちろん取り替えたよ! ほら見てよ!」
「えぇっ!! 黒ー!? 嘘でしょー!? その服に合わせるならさ、絶対紫でしょ紫! あなたって美的センス無いわね~! 信じらんない!」
……こっちが信じられねぇよ……。
すぐ前に男がいること、こいつら分かってんのか?
── そっと左肘が引っ張られる。
見ると怜亜が歩きながら俺の制服の肘の部分をつまんでいる。怜亜は何も言わないがその心配げな顔を見れば心の内はなんとなく分かった。
「……品の無い女ってのは嫌だな」
と小声で囁く。
怜亜はコクンと頷き、ホッと安心したように俺の顔を見上げて小さく微笑んだ。