“ 相互親睦 ” しましょう! <2>
私立銀杏高校のリフレッシュルーム。
この場所は学園的にかなり力を入れているらしく、学園紹介のパンフの中でも不相応なくらいのスペースが取られている。
ここのご自慢は、深緑が生み出すマイナスイオンと化学的には同じものを発生させるというオゾン発生器が設置してあることだ。爽やかな空気を充分に堪能できるということなら、怜亜には最適の場所だな。
床や壁、椅子やテーブルは白を基調としたインテリアで、洒落たカフェにいるようだという意見が多い。だがあまりの白色のオンパレードに、一部ではまるで隔離病棟みたいだという意見もあると聞く。
仕上げは室内に流れているクラシックだ。なんでも情操教育の一環らしい。
こことは別の場所にある食堂はがやがやと常にうるさく、券売機や受け渡し口は食い物を求めて群がる昼食難民達で溢れているが、このリフレッシュルームはそんな喧騒とは一切無縁の、良く言えば落ち着いた、悪く言えば取り澄ました場所だ。
弁当持参組は大抵の生徒が教室や校舎外のどこか見晴らしのいい場所で食べるが、中にはこの気取った場所で食事を取る者もいる。クラスは別々だが、でも昼は一緒に校舎の中で食べたいという奴らがこの場所を主に利用しているようだ。
……そして俺も、シンの策略によって今日からこの場所を利用することになっちまった一人だ。
渋々、いつものメンバーとそこへ昼飯を食いに向かう途中、シンが一人ソワソワしていることに気付く。
「おい、シン。お前さっきから何を浮き足立ってるんだ?」
「柊兵は全然気にならないのか?」
「何がだ?」
「狂乱祭のコスプレウェイトレスの件さ」
「俺、投票しなかったから知らねぇ」
「あー違う違うっ! 俺らのクラスの娘じゃなくてD組だってD組!」
シンは嬉しそうにうざったい長髪を掻きあげながら恍惚の表情を浮かべる。
「D組は間違いなく美月ちゃんと怜亜ちゃんが選ばれるだろ? 二人が一体なんのコスプレするのかな~って考えるだけで俺のこのピュアなハートがトキメくってもんですよ!」
自然に足が止まった。
「……ちょっと待て」
「なんだい?」
「美月と怜亜があんな訳の分かんねぇもんに出るのか……!?」
「もちろんそれは決まりでしょう! だってD組であの子達より可愛い子なんていないじゃん! 柊兵くんもそう思うだろ?」
う…………反論出来ねぇ……。
じゃあ何か、あいつらはこの馬鹿げた仮装大会に出るのか!?
去年の「美人コンテスト」で壇上に上がった女達を下から舐め上げるように見上げ、熱視線を注ぎ続ける男共の飢えた目を思い出した。あんな野獣共の視線渦巻く中に美月や怜亜が放り込まれるのか……。
もしあいつらが選ばれていたのなら辞退しろ、と進言すべきかと考えながらリフレッシュルームに入る。
「柊兵~っ!」
「柊ちゃん!」
美月と怜亜はもう先に来ていた。
それぞれ大きく手を振った後、俺の元に駆け寄ってくる。
「はいは~い! じゃあ柊兵、まずはこっちに来てー!」
「柊ちゃんの席はここよ。座ってね」
こいつらの手で半ば無理やりに席に座らされた次の瞬間、俺の前にデカい三段重ねの重箱がビッグウェーブの如く一気に押し寄せてきた。
「はいっ柊兵!」
「どうぞ、柊ちゃん!」
「な、なんだ、これは!?」
「柊兵のお弁当だよ! だって柊兵、今日お弁当ないでしょ?」
「一杯作ってきたからたくさん食べてね、柊ちゃん!」
── 重箱を前にしばし黙考。
確かにこいつらの言う通り、俺は今日弁当を持ってきていない。今朝、母親から購買で何か買って食べろと言われている。
だが一つ腑に落ちないのは、なぜこいつらがそれを知っているのかということだ。
美月が「じゃーん!」と言い重箱の蓋を開けると、中には絢爛豪華な惣菜が所狭しと詰められている。
それを横から覗き込んだ将矢が、
「うぉー! すっげーっっ! 昼からこんなに豪勢な弁当かよっ!」
とデカい声で叫びやがったので休憩室中の注目を浴びる羽目になっちまった。
あちこちから色んな視線が一斉に自分に降り注がれているのを感じる。一体どんな羞恥プレイなんだこれは。
断固拒否の態度を取ろうとしたが、こいつらが無邪気な顔で嬉しそうに俺の顔を見上げているので情けねぇことにそれを言い出せない。よって違う角度から拒否の姿勢を見せることにする。
「こ、こんなに食えるわけねぇだろっ!」
すかさず美月が無責任な太鼓判を押してくる。
「そんなことないよ! 柊兵なら食べられるって!」
「無理だっ!」
「だいじょーぶだいじょーぶ! じゃあ元気よく行ってみよー! あ、柊兵、お茶飲む?」
……おい美月、お前はなから俺の言う事を聞く気が全然ねぇだろ……。
俺と美月のやり取りを見守っていた怜亜が「あのね柊ちゃん」と口を開く。
「残してもいいからとりあえず食べて? 美月と私で今朝の六時から一生懸命作ったの。……ね?」
ここで椅子に座っていたシンが急に立ち上がった。
「いやはや、いつもながら泣かせられるねぇ~、この健気な天使ちゃん達にはさ! では微力ながらこのワタクシがお手伝いさせていただきましょう!」
シンが給仕のような優雅な物腰でその重箱フルコースを一段ずつバラして俺の目の前に横一列に綺麗に並べ始めた。そして「ごゆっくり」と耳元で囁くとニヤリと笑う。
そうか、分かった……!
恐らく金曜の夜あたりにこれから俺らとリフレッシュルームで昼飯を食うことになったとまず怜亜が美月に話し、それを聞いた美月が土曜に俺の家に来た時に今日の弁当を作らないでくれと母親に頼んだんだろう。そしてここまでの一連のシナリオを書いた奴はすべてこいつ──、シンの野郎に違いない……!
「ほら、食べて柊兵!」
「はいっ、柊ちゃん!」
突如、顔面数センチ先に食物が登場する。
美月は鶏肉のレモン煮とやらを、怜亜は小松菜入りの出し巻き卵を箸でつまんで、俺が口を開けるのを待っている。
……この身が今すぐに溶けて蒸発し、大気中に気化できたらどれだけ幸せだろうと一瞬本気で考えた。
そこへ最後のトドメとばかりに、美月と怜亜のピッタリと息の合った「あ~んしてっ!」というハモリ音。
「ほらほら柊兵くーん、早く大きな口を開けて “ あーん ” してあげなくっちゃ! 可愛い女の子を待たせちゃいけないよ?」
俺の向かいに座り、ニヤニヤと笑いながらシンが再び俺を茶化す。
── いや、ニヤニヤと笑っているのはシンだけじゃねぇ。
ヒデも、尚人も、そしてこの室内にいる他の奴らも全員だ。ただ、唯一、将矢だけからは羨望に似た視線を感じる。畜生……どう足掻いてもこの状況から逃れる術はなさそうだ……。
憔悴しきった顔で口を開けた俺の口中に最初に入って来たのは鶏肉か出し巻きかなんて覚えていない。
口を開ける度に湧き起こる仲間達の冷やかすような歓声。ひたすら耐えるしか無い。
もしタイトルをつけるならこれは本日最大の見世物、怒涛の餌付けショーってとこか?
とにかく今は自分に与えられた役を忠実に実行するしかない。一心不乱に餌をついばむ食用養鶏になりきり、次々に与えられる食い物をひたすら咀嚼して嚥下するだけだ。
おかげで美味いか不味いかすらもほとんど分からなかった。
「さーて食事も終ったことだし、美月ちゃんに怜亜ちゃん! ちょっと聞いてもいい?」
餌付けショーが一段落するのを待ちかねていたように、シンが両手を振って美月と怜亜の視線を自分に寄せた。
「お二人はさ、相互親睦祭典で何のコスプレするの?」
狂乱祭の話題になったので将矢の目が急に輝き出す。
「おぉ! 俺も知りたい知りたい! 教えてくれえええぇぇぇ!」
「あぁ、あれね……」
と怜亜にチラリと視線を送った後、美月が興味の無さそうな声で答える。
「それって来月にやるヘンなお祭りのことでしょ? でもコスプレはしないよ。あたしも怜亜も」
「なんだってえええええぇぇぇ──!!」
血相を変えたシンと将矢が椅子を蹴倒して立ち上がる。
「うっ嘘でしょ!? 君達が出ないで誰がD組の代表になるっていうのさ!?」
「そうだ!! それはおかしい!! 絶対にありえねぇよ!!」
「二人がそう言ってくれるのは嬉しいんだけどねー。実は今朝さ、クラス委員長の…………あれっ、あの人なんて名前だったっけ、怜亜?」
小首を傾げて怜亜が答える。
「本多くん?」
「あ、そうそう! その本多って人から頼まれはしたんだ。でもコスプレなんか別にしたくないもん。怜亜も恥ずかしいっていうし、断っちゃったってわけ!」
「OH……ジーザス……!」
「俺の……俺の時代はここで終わった……」
立ち尽くしたまま天を仰いで悔しそうに呟くシンと、その横で床にガックリと両膝をつき、真っ白に燃え尽きた将矢の様子にたまらず美月が吹き出した。
「あははっ! ねぇシン、将矢、そんなにあたし達のコスプレを見たいの?」
「はいっ見たいですっ! もう誰よりも何よりも見たいですっ! もし美月ちゃん達が出てくれたらさ、俺ら絶対お二人に投票するよ! なぁ将矢!?」
「するするするする! あったりまえじゃん!! 絶対にするよ!! だから怜亜ちゃんも考え直してくれって!!」
美月は「ふぅーん」と呟くと俺の方に顔を向ける。
「あのさ、実はウチのクラス、結局女の子の代表がまだ決まってないんだよね。柊兵はさ、もしあたし達が出たら投票してくれる?」
「俺は投票しねぇ」
「なんで?」
「……お前ら、そんな媚びを売るような下らない格好をして男の間をうろつき回って楽しいのか?」
俺のこの言葉に、頬杖をついて俺らを見ていた尚人が横から「ハハッ、柊兵、嫉妬してるんだろ?」と爽やかな笑顔でツッコんできた。
「ちっ、違う! 下らないと思うから下らないと言ったまでのことだ!」
「相変わらず素直じゃないなぁ……。ま、それは前から分かってることだけどね」
尚人は小さく声を殺して笑いながら、ジャケットの胸ポケットに差していたボールペンを抜き取り、そのペン先を俺の左隣に座っていた怜亜にスッと向ける。
「さぁ怜亜ちゃん」
「は、はいっ?」
尚人にいきなり名指しを受けて驚いたのか、授業中に不意打ちで当てられた生徒のように怜亜は一瞬背筋を真っ直ぐに伸ばす。
「ホラ、 “ 柊ちゃん、私、思い切って相互親睦祭典に出てみようかな? ” って言ってみてごらん。きっと柊兵、真っ青な顔になって必死に止めると思うよ?」
「エッ……!?」
尚人の言葉を真に受け、頬を桜色に染めて俺の方を何度もチラチラと見ながら急にもじもじし始める怜亜。
……ったくなんて単純な奴だ……。俺の読みでは後三秒後には間違いなく言い出すと見た。
するとシンがいきなり俺の背後に回り、今にも全力で抱きつかんばかりの勢いで熱弁をふるい出す。
「なぁ柊兵く~ん! 頼むから君もそんな意固地にならないでさ、俺らの陣営について二人を説得してくれよ! 君がこの計画のキーマンなんだぞ!?」
「断る」
「それに柊兵くんだって本当は見たいだろ? 美月ちゃんのバニーガール姿とか、怜亜ちゃんのメイド服姿とかさ! きっと “ あぁ、生きててよかった! ” って心の底から思えるって! なぁ頼むよ兄弟ッ!」
「お前と兄弟になった覚えはない」
「じゃあ盟友でも朋友でもなんでもいい! だから頼む、説得に加わってくれって!」
「ねぇシン、あたし今ちょっと思ったんだけどさ」
自分の髪を人差し指に巻きつけながら美月が口を挟む。
「それなら別にお祭りに出なくてもさ、柊兵にだけコスプレを見せればいい話だと思うんだよね」
「ヘ!?」
呆然とするシンの横で薄笑いを浮かべたヒデが「なるほど。真理だな、美月」と呟く。
「でっしょー?」
とヒデに向かって笑みを見せた後、
「じゃじゃーん! というわけで柊兵っ! 柊兵は何か見たいコスプレある? あたし、柊兵のリクエストならどんな格好でもしちゃうよー!」
髪から手を離し、勢い込んだ美月が上半身に付属している例の特上メロン二玉をこっちにグイと寄せてきやがった。
「おっ、お前のコスプレなんて見たくねぇよ!」
「まーたまた遠慮しちゃってさー!」
「してねぇ!」
「場所どこにする? やっぱ柊兵の部屋? どうせなら生着替えも見たいでしょ?」
「バッ、バカか、お前は!!」
……しかしこいつは照れとか恥ずかしいとかの観念を持っていないのか……。
右から超接近してくる胸をかわすために大きくのけぞると、
「柊ちゃん……」
左隣の怜亜が俺の制服をそっとつまんできた。
「な、なんだ?」
「わっ、私……、フレンドシップ・フェスティバルに出てみようかな……?」
── おい、今頃きたか。
すると突然ダンッと激しい音が鳴り、白テーブルの表面が震える。
「ちッくしょうッッ……!」
俺らのやり取りを見ていたシンが拳を強く握り締め、テーブルを強く叩いた。
「どうしてっ、どうして柊兵くんばかりが……っ! よしっ! 俺、やっぱりこれから真実の愛を探すことに決めましたッ!!」
……だからシン、お前のその台詞は一体何度目なんだ。