プロローグ - ここから受難は始まった - <2>
つい最近まで、俺にとって朝の情報番組はただの雑音に過ぎなかった。
【 モーニング・スクランブル 】には専属マスコット的なスタンスの奴がいやがって、珍妙な形の目覚まし時計 “ モニン君 ” とやらが五分置きに教えてくれる現在の時刻、それだけを無意識にその雑音の中から器用に聞き分けて拾い出す。
朝から生真面目なニュースに耳を傾ける気もねぇし、広げたスポーツ新聞を横目に飯を食うからスポーツニュースも必要ない。ましてや芸能人で誰と誰が付き合っているだとかなどのゴシップネタには毛ほどの興味も無い。
「今月オススメのヒット漫画はこれでーす!」
などと自分に興味のある話題が偶然耳に飛び込んできた時だけ、箸を片手に身体を大きく後ろに捻る、そんな毎朝だった。
だから 【 愛の十二宮図 】 なんていう、いかにも女子供のみが喜びそうな下らない星占いなんざ、まさに雑音中の雑音、一言たりと聞きたくない、……はずだったのに、今の俺は毎朝この五分間のコーナーを軽い動揺を抱えながらヘビーチェックしている。
九月十四日、月曜日。午前七時四十八分。
【 ミミ・影浦の愛の十二宮図 】が始まった。いよいよだ。
大きく後ろを振り返り、箸を止め、固唾を呑んで本日の自分の運勢を見る。
この占いはその日の内容によって発表前にBGMが変わる。いい占い内容の時はポップ調、悪い内容の時はベートーベンの運命の曲が流れる。
俺は十月十九日生まれなので該当星座は天秤座になるらしい。牡羊座から始まって七つ目、本日の天秤座の恋愛運命の発表がきた。
『さぁっ、占うよ~ん!』
と叫びながら毎回画面中央に飛び出てくる、この全然可愛くねぇ間延びしたおたふく顔の着ぐるみ天使だけは本気で勘弁してくれ。こいつを見る度に精神不快指数が軽く五倍に跳ね上がる。
……来た。
『さぁっ、次は天秤座だよ~ん!』
のアニメ声と共に聞こえてきたのは軽快なポップ調のメロディだった。
『にゅふふ~♪ とってもいいことがあるかもよ~ん!
異性があなたに急接近! 仲間の協力でさらに新しい展開が!?
流れに身を委ねれば、今日は一日超ハッピーディ! やったね♪ 』
……何が「にゅふふ」だ、何が「やったね」だ。
やたらと感嘆符が出まくりだった今朝の天秤座の占いを見た俺の機嫌はここで一気に悪くなる。
不細工なおたふく天使が先端に星のついた長ステッキを振り回し、『やったね♪ やったね♪』とドスドス足音を立てながらスタジオ内を所狭しと走り回っている。今すぐ飛び掛って本気でこいつの首を絞めたい。
しかめっ面で茶碗の残りをかきこむと乱暴に席を立つ。
今の予言は「超ハッピー!」どころか、俺にとっては「今日も大変なことが起きます」と公共の電波で宣言されたようなものだ。
浮かない顔で洗面所に行き、もう一度顔を冷水でザッと洗ってとりあえず気持ちを切り替えると、スポーツバッグを肩にかけ家を出た。しかし母親が「柊兵、お弁当忘れてるわよ!」と玄関で叫んでいるので慌てて一度家に戻る。
何やってんだ、俺。相当動揺している。
まさかあんたがお弁当を忘れて行こうとするなんてねぇ、と驚く声を無視し、再び外へと出た。
駅に向かって歩きながら、たった今宣告されたあの予言が今日こそ外れろ、と強く強く祈る。
……実は最近の俺は恋愛絡みで憂鬱なことがある。
だからこそ、本来の自分なら真っ先に情報遮断にいきそうなあんな恋愛占いに耳を傾けるようになったのだ。
そして飯を食いながらなんとはなしに耳に入ってくる天秤座の恋愛占い内容に、
( ……おい、もしかしてこの占い、ある意味当たってるんじゃねぇか?)
と俺が気付き出してまだ八日目だが、現在までこの占いの的中率はほぼ百%だ。
怖い。怖すぎる。
なぜなら運命のBGMが流れ、あのおたふく野郎が
『今日は異性とあまり進展がないかも……しくしく、ぐっすん』
と予言した時は俺を悩ますあの二名の元凶共は確かに側に来なかったし、
また、今朝のように、
『ウフッ、いいことがあるかもよ~ん♪』
とあのおたふくが激しく妙な踊りをかました時は筆舌に尽くしがたい凄まじい攻撃を喰らっている。しかも今朝の予言は恐ろしいことに、≪仲間の協力でさらに新しい展開が!?≫などとまでのたまいだしていた。
仲間……?
まさかあいつら、俺を売る気じゃねぇだろうな!?
一抹の不安が胸をよぎる。
とにかく最近のあいつらは少し態度がおかしい。
……いや待て。むやみやたらに仲間を疑うのは良くねぇな。
とにかくあの二名の元凶のせいで最近の俺はこんな風に疑心暗鬼の塊と化してしまっている状態だ。
つい最近まで現在の生活に特に不満は無かった。
勉強は面倒だが、学校はまぁ面白いし、それに学内でつるんでいる悪友もいる。家にも特に問題があるわけでもなく、父親、母親、小学五年の弟一人、という一家四人のありきたりの家族構成だ。
しかし極たまにだが、ふとそんな毎日の日々が退屈で空虚なものに感じ、自問自答することがある。いや、あった、というべきか。
── 俺は毎日こうして無味乾燥な日々をただ繰り返し続けていていいのか? と。
しかしそれで良かったのだ。
病に倒れてから初めて健康の有り難味を強く実感するように、波乱万丈な現在の日々の中に放り込まれて以来、今は安泰で平穏だったあの頃の日々が恋しく、ただただ懐かしい。凪いでいる海の良さが分からなかったのだ。後悔しても後の祭り。
それに引き換え、もし今の状態を例えるなら、大しけで荒れ狂う海の中に取り残され、渦の中に巻き込まれようとしているボート船が妥当な所か。
しかも救助信号に応えてくれる奴もいない。それどころか逆にオールを取り上げられている始末。漕げねぇじゃんかよ。
そんな孤立無援の哀れな一艘の難破ボート。それが現在の俺だ。
九月半ばの旋風が電柱脇に溜まった気の早い枯葉を巻き上げる。
スポーツバッグを右肩にかけ、スラックスのポケットに両手を突っ込んで背を丸めてひたすらに歩く。長身のせいで前かがみで歩く癖がなかなか治らねぇ。
遠くに銀杏高校が見えてきた。
……今の俺の願いはただ一つ。
あの恐怖の占いが今日こそ、今日こそ外れること──。