柊兵くんの過激で追憶な週末 <4>
「今日はポカポカしていい天気ですねっ」
願いを聞き入れてもらえてよっぽど嬉しいのだろう、果歩は勝手に俺の腕に自分の腕を絡め、ニコニコと歩いている。だがさすがに小学生と腕を組んでも微塵も硬直はしないので好きにさせておいた。おそらく傍から見れば仲の良い兄妹あたりに見えているに違いない。
「あのですね柊兵ちゃん」
「あ?」
「今こうして私と柊ちゃんが腕を組んで歩いていることをもしお姉ちゃんが知ったら、どんな顔をするのかすっごく興味あります! 柊ちゃんはお姉ちゃんがどんな反応をすると思いますか?」
……知るか。
だが俺の知っている昔のままの怜亜なら、あいつはニッコリ笑って何も言わないような気がした。
怜亜は嫌なことがあっても決してそれを表面に出さない。そして必ず自分が一歩身を引いちまう。慎み深いといえば聞こえはいいが、小学生の頃、俺はあいつのそういう所にイラつくことがあった。
相手を思いやるということも確かに大事なことだとは思う。だがその結果が自分の気持ちを押し殺してばかりいることになるのなら、それは間違いだ。
「……なぁ果歩」
「はい?」
「怜亜は中学の時、発作を起こしたことがあるのか?」
「エッ?」
予想もしていなかった質問だったのだろう、眼鏡の奥の瞳が大きく見開かれる。
「は、はい、中一の時に一度だけありますけど……?」
「……それ以降は無いのか?」
「はい、ありません。それにその時も薬を使ったらすぐに治まりましたから」
「ならいいんだけどよ」
「柊ちゃん、そんなに心配しないで下さい。お姉ちゃんの喘息は小さい頃に比べるとすごく良くなってきているんです」
良かった、怜亜が俺に言った事は本当だったんだな。
美月に嘘をついたように、あの時俺にも嘘をついたんじゃないかと下衆な勘繰りをしたが、どうやら杞憂のようだ。俺にも嘘をついていたのなら正直かなりショックだったので安心する。
「そうだ! 今日帰ったら柊ちゃんがお姉ちゃんのことを心配してたって話しちゃおうっと! きっとお姉ちゃんとても喜びますよ!」
「いっ、言うな!」
「なんでですか?」
「わざわざそんな事言うんじゃねぇ!」
「本当のことだもん、いいじゃないですか。それとも今の質問はお姉ちゃんのことを心配しているからしたものじゃないんですか?」
ぐっと言葉に詰まる。
こいつ、親父の本の件といい、さっきからなかなか鋭い突っ込みをしてきやがる。怜亜とそっくりなのは見かけだけと考えた方が良さそうだ。ここは強引にでも話題を転換させる必要があるな。
「と、ところで果歩。お前が買おうとしている服は少々値が張ると思うぜ? 小学生がそんな高価なものを男に上げようなんて俺はあまり感心しないがな」
俺のこの意見に果歩の表情がわずかに曇った。
「でも先生よくそのブランドの服を着ているんです。せっかくプレゼントをするなら喜ぶ物をあげたいじゃないですか」
「……何を買うつもりなんだ?」
「ウールのモックニットにしようかな、って思ってます。これからもっと寒くなるから……」
果歩がどこか遠くを見ているような目で呟く。これが “ 恋わずらい ” ってヤツか。
「そ、それでですね柊ちゃん、実は今日が先生の誕生日なんです」
「なにっ!? 今日だと!?」
俺の驚きように果歩はうつむく。
「今までなかなか買いに行く勇気が出なくて……。だから今プレゼントを買ったらすぐに先生の家に渡しに行こうと思ってるんですけど……」
恐る恐る、といった様子で果歩が俺を見上げる。その目を見ただけで果歩が次に何を言いたいのかが分かっちまった。
「おい、まさかそれを渡しに行くのにまで付き合えっていうんじゃないだろうな?」
「ダメですか……?」
「告るなら一人で行けよ」
「で、でもプレゼント買っても渡せなかったら意味が無いですよね? だから柊ちゃんが一緒についてきてくれたら、勇気が出るっていうか、もう絶対後に引けなくなるっていうか……」
やれやれ、果歩のこの頼みまでもOKしたら今日一日はたぶんこれで潰れちまうのは間違いない。どうするか……。
「私はお姉ちゃんじゃないから、いくらお願いしたってダメですよね……」
果歩は両肩を落とし、しょんぼりとうな垂れた。そのあまりにもストレートな落胆の様子に、柄にもなく憐憫の情が湧く。
「そういう可愛げのない物の言い方をするな。行くよ、行きゃあいいんだろ」
「本当ですかっ柊ちゃん!?」
「あぁ」
「わぁっ! ありがとうございますっ!」
果歩が無邪気に抱きついてくる。
「柊ちゃんっ! 私っ、お姉ちゃんが柊ちゃんのことを大好きなのが分かるような気がしてきましたっ!」
── 調子いいなお前……。
「じゃあとっとと買っちまうぞ。時間が無い」
「はいっ!」
その後、俺達は果歩の行きたがっていた店に行き、予定していたモックニットを無事に購入した。ニットのカラーは相当悩んだ末に落ち着いたプラムの色を果歩は選択する。
ところが目的の品を手に入れ、さらに浮かれるかと思ったら、段々果歩の表情が固くなってきていることに気付いた。
「緊張してきてるのか?」
俺の言葉に果歩は神妙な顔で頷く。
「わっ私、男の人に告白するの初めてですし、しかも先生とはだいぶ年齢も離れているから、私なんて相手にもしてもらえないかもしれないと思うと……」
俺の腕に掴まっていた手が少し震えている。
こういう時、なんて言ってやれば果歩の緊張を解きほぐしてやれるんだろうな。女に告白した経験なんて無いからよく分かんねぇ。当たって砕けろ、っていうのも無責任っぽいし、成るように成るだろ、っていうのも興味が全然無い感じが表れているようだしな。なんて言おうか……。
「余計な事を考えずに、真面目にお前の気持ちを伝えればそれでいいんじゃねぇの?」
うわ、なんだか恋愛マニュアル本のテンプレみたいな言葉が出ちまった……。
つくづく自分のセンスの無さを痛感する。しかしまだ十二歳になったばかりの果歩にはこんな言葉でも充分だったようだ。
「そ、そうですよね、私、頑張りますっ!」
そうそう、後は恋愛の神様が何とかしてくれるだろ。
── ただ憂鬱なことが一つだけある。
俺の直感ではまぁ間違いなく果歩は失恋するだろう。十四も年下の、しかも小学生の教え子と付き合おうとする教師なんているとは思えない。だから果歩が失恋したら、その後のフォローも引き続き俺がやるってことだよな……。チッ、厄介事のレベルがどんどん上がっていきやがる。これから向かう五十嵐って奴がどこかに出かけていてくれれば助かるんだが……。
五十嵐とやらのアパートは駅前から三駅先の近くにあった。
店で服を選ぶのに意外と手間取ったので時刻はもうすぐ午後四時になろうとしている。陽光はもう西日へと変わり始めていた。
「あのアパートの二階の左端なんです」
果歩が扉の一つを指差す。
今年の正月にクラスの仲間達と年始の挨拶がてら遊びに行ったことがあるらしいので、すでに場所は知っていたようだ。
「じゃあ俺はここで待ってるから行って来い」
「えっ! 一緒に来てくれないんですか?」
「当たり前だろ。横に保護者を立てて告る奴がどこにいるんだよ」
「そ、それもそうですよね……」
果歩はモックニットが入っている包みを胸の前に抱えて深呼吸をする。
「じゃ、じゃあ行ってきます!」
「おう、頑張れ」
……だが恋愛の神様って奴は結構残酷な奴だったんだな。この時舌打ちしたいほどにそう思った。
まだ十二歳の幼い女が一生懸命小遣いを溜めて買ったプレゼントを、初めて好きになった男に渡すチャンスすらも与えてやらないのかよ。
果歩がアパートの真下に行くと目指していた扉が急に開いた。
中から二十代後半の若い男と、セミロングの髪の女がもたれかかるように腕を組み、談笑しながら一緒に出てくる。女はかなりの美人だ。
たぶんこの男が五十嵐という教師だろう。そいつは扉の外に出るとすぐに果歩に気付いた。
「あれ? 森口じゃないか? こんな所で何してんだ?」
どう見たってこの二人の関係はただの関係じゃないのは果歩にもよく分かったようだ。
果歩が胸の前で抱えていた包み紙がくしゃりと押し潰される音が小さく聞こえる。
五十嵐は軽い身のこなしでアパートの階段を降りてくると果歩の前に来た。
「どうした? 一人で来たのか?」
果歩は返事をしなかった。
……ここまでだな。俺はもたれかかっていた電柱から身を起こすと果歩の後ろに近寄り、その肩に手を置く。
「行こう、果歩」
果歩は頷いた。無言で。
「君は?」
まだ状況が飲み込めていない様子で五十嵐が問いかけてくる。
「こいつの兄だ」
それだけを告げると俺は果歩を引き寄せ、背を向けて歩き出した。
五十嵐は追って来なかった。きっといまだに意味が分からずに戸惑っているのだろう。
「……」
横で果歩が小さく震えている。
せめて告白してから振られれば、辛い気持ちは同じでも思い残すことも無くなったのだろうが、今のはあまりにもタイミングが悪すぎた。
駅に戻る途中で小さな公園の横を通りかかる。
このまま家に帰す前に少し落ち着かせた方がいいだろう。そう思った俺は公園の中に果歩を連れて入り、ベンチに座らせた。
「飲み物買ってきてやる。何がいいんだ?」
果歩は下を向いたまま返事をしない。そうだよな、今は何が飲みたいかなんて考えられる気分じゃねぇよな……。
待ってろ、と言い、果歩のベンチに残すと自販機を探す。少し離れた場所でちょうどオートセンサーが作動し、ライトが点いたばかりの自販機を見つけた。『HOT』の欄から緑茶を買う。
転がり出てきた缶はかなり熱かった。時々手から放り投げながらベンチに戻ってきた俺は、果歩の五メートル手前で足を止める。
泣いていた。