柊兵くんの過激で追憶な週末 <2>
ポツリと呟いた美月に俺も思わず頷きそうになる。
今開かれているページは修学旅行のシーンを集めたページだ。修学旅行は小学校の六年間で最大級の行事のため、紙面は六ページも割かれている。しかしそのスナップ写真の中に怜亜の姿は一枚も無い。この修学旅行の直前に運悪く怜亜は発作を起こしてしまい、急遽旅行の参加を取りやめざるを得なくなってしまったのだ。
「あんなに行きたがってたのに、あの時はきっと怜亜もショックだったろうね……」
── そうだ。その通りだ。
当時、怜亜が相当な衝撃を受けたのは本当だ。そしてその事実を知っているのはたぶん俺だけだ。
……しかしもうあの時から五年近くも経つからと言って、今更当時の怜亜の気持ちをここで美月に話す気は無かった。だから沈黙を決め込む。
ふぅ、と美月の血色のいい唇から小さな吐息が漏れた。気持ちを切り替えたのか、急に美月は視線を上げて真剣な顔で俺を見つめる。
「そういえば柊兵。あたし柊兵に聞きたいことがあったんだよね」
「なんだ?」
「あのね、あたしが今週休んでいる間、怜亜、柊兵の所に来た……?」
最後の問いかけの時に美月の視線が揺れたような気がしたが、すぐにまた真っ直ぐな視線が俺に向けられる。ただの気のせいだったのかもしれない。
「あぁ一度だけ来た。一人だけ抜け駆け出来ないとかなんとか言ってな」
それを聞いた美月はプッと噴き出した。
「もう怜亜ったらそんな事言ってたの~!? ホント真面目っ子なんだから! せっかく一人だけのチャンス到来なんだからどんどん柊兵の所に行けば良かったのにさ!」
── なに? お互いの間で何か決め事をしているわけでもないのか?
「もしあたしが怜亜の立場だったらさ、休み時間にバンバン柊兵のクラスに突撃してたよ! でもきっと怜亜はあたしに悪いと思って遠慮したんだね。ホントそういう所っていかにも怜亜らしいよ」
カップに手を伸ばし、美月も紅茶を飲み込む。
「あ、そういえばもう一つ聞きたいことがあったんだ。柊兵、火曜日って怜亜に何かあった?」
「……火曜日?」
火曜は怜亜も学校を休んだ日だ。
「うん、あたし、火曜からずっと休んだでしょ? で、怜亜が昨日の夜にノートを貸しに来てくれたんだけど、火曜の分だけ取り忘れた、っていうか半分うたた寝しちゃってろくにノートが取れなかったっていうのよ。でもあの怜亜が授業中に寝るなんてちょっと考えられなくってさ」
一瞬だが返す言葉を失くす。
……そうか、怜亜の奴、美月を病院に連れて行く最中に発作を起こしかけて、次の日に休んだ事を話してないのか……。
たぶん美月に自分のせいで、と思わせないための怜亜の気遣いなのだろう。まったく、どこまでもあいつらしい。その気遣いに敬意を表して、ここは怜亜の為に俺も話を合わせてやることにする。
「あぁ、そういや、火曜に俺の所に来た時、あいつ、欠伸ばっかりしてたぜ?」
「へぇ~……、じゃあやっぱりうたた寝したっぽいね。でもあの怜亜がねぇ……」
怪訝そうな顔をしながらも俺の嘘のせいで美月は一応納得したようだ。
コクコクと紅茶を飲みながら次の獲物を物色し始めている。
「あれ? これは何?」
たった今、白樺小のアルバムを抜いた空間の奥にあった一冊の薄い雑誌に美月が気付き、それを手に取った。
── うわぁぁああぁぁっっ!! 美月ッ、それに触るなぁ――ッ!!
「わ……すっごーい……! 柊兵ってこういう女の人が好みなの!?」
美月が手にしている本。
それは俺が去年買った某女性モデルの水着写真集だった。
「見るな!」と言いたかったが動揺がデカすぎて咄嗟にその言葉が出てこない。
とにかく無言で奪い返す。
「すっごく胸が大きい人だね、その人! ちなみに何カップ?」
「し、知らんっ!」
「知らないわけないじゃんっ! そんなのまで買ってるんだからさ!」
「知らねぇったら知らねぇっ!」
「ふーん、どこまでもシラを切るか……」
さてどうしてくれようと言わんばかりの態度で美月が俺に視線を走らせる。そして何かをハッと思いついたような顔になった。
「そうだ柊兵! 実は私も結構胸大きいんだよ! 知ってた?」
……あぁそれはとっくに知っている。あの向坂のところの鬼瓦ババァのせいでな。
「ちょっと見て見て!」
美月が脱ぎ捨てたGジャンが華麗に宙を舞う。思わず口から「うぉっ!?」と声が出そうになった。
「ほらほらっ! 今の女の人には敵わないかもしれないけど、これだけあるよっ! どう?」
── バッ、バカか、こいつ!?
美月の奴、鳩尾の部分にぐいと手を入れて、ゴム鞠ツインズを突き出すように持ち上げて見せてきやがった!
こいつが着ているインナーはピッタリとフィットしているTシャツだったので盛り上がった胸の形がこれ以上無いくらいにまでくっきりと露になっている。その形状を見て瞬く間に顔面が熱くなってきた。こっこれで鼻血でも出たら洒落になんねぇぞ!?
「お、お前には羞恥心というもんが無いのかっ!」
「ん? いや、もちろんあるけどさー、あたしも胸はそこそこあるんだよ! ……ってとこを、ここでアピールしておこうかなーと思っちゃったりなんかしちゃったんだよねっ」
「すっ、するなっ! そんなもん!」
「ねぇ柊兵、その女の人って何カップなのー? 知りたーい! あっそうだ! その本の中にスリーサイズが載っているんじゃない?」
「のっ、載ってねぇよ!」
必死に写真集を背後に隠す。予想以上にかなりヤバい展開になってきた。
原田柊兵、久々の大ピンチだ。
「いいからちょっともう一度見せてよ!」
「ダッ、ダメだ!」
「後一回! 後一回でいいからっ!」
「ダメだっつーの!」
「みぃーせぇーてぇー!」
美月が立膝で俺の側に移動してくる。
危険を感じ、座ったまま後ずさる。
寄ってくる。
後ずさる。
寄ってくる。
その度に大きく揺れるゴム鞠MarkⅡ。
目がそこだけに行きそうになるのを何とか堪えながらとにかく必死に後ずさる。
するととうとう美月が強行手段に出てきた。
「いいからとっとと貸しなさっ……あやぁっ!?」
「おわっ!?」
強引に俺から写真集を奪い取ろうとした美月が立膝のバランスを崩して俺の正面にぶつかって来た。
右手を後ろに回していたので支えきれずに俺もその勢いであお向けにひっくり返る。
……いってぇ、もろ後頭部を打っちまった……。
「あたた~っ、ごめんっ、柊兵!」
カーペットの上に両手をつき、俺の上に覆いかぶさるような形になった美月が謝る。
その声に目を開けるとチカチカする視界の中央でまたしても二つの物体Xがゆらん、ゆらん、と振り子時計のように大きく揺れていた。
なんとも妖しいその動き。このまま無言で見続ければ、決して解けることのない催眠術にでもかかっちまいそうだ。
「大丈夫だった、柊兵?」
心配そうな顔で美月が俺の顔を覗き込んでいる。
「あ、あぁ」
……どうでもいいがこのシーン、久しぶりだな。約半月前にこれとまったく同じシーンを俺は銀杏高校の芝生の上で体験している。
「エヘヘッ、なんか、この間のあの時みたいだよね!」
どうやら美月も俺と同じ事を思っちまったようだ。急激に嫌な予感がしてくる。
俺の上であの時と全く同じ輝くような笑顔を見せ、美月が普段とは違う声で囁いた。
「……ね、もう一回してもいい……?」
── きっ、来やがったッ!!
来ると思ったッ!! 焦る。とにかく焦る。
美月が顔を寄せてきた。肩から落ちてきた美月の長い黒髪が俺の首筋にふわりとかかる。
「いいでしょ?」
おっ、落ち着け俺! 確かにあの時のシーンを再現しているようではあるが、シン達に嵌められた時とは大きく違う点が一つある! 俺の手足は自由だ! ということは、この美月の行動を阻止することは容易に可能だということだ!
「柊兵……」
うわわっ! 美月の奴、目を閉じやがったっ! 勝手に世界に入ってんじゃねぇよ!
まっ待て待て! とりあえず、退け!! ここはひとまず退いてくれっつーのッ!! パニくる思考の中で不意にあの女──、ミミ・影浦の顔が浮かぶ。
おっ、おいミミ! こっ、この場合の二者択一は、どっちを選択すれば一番最善の道になるんだッ!?
なぜか最近は急に当たらなくなっちまった「愛の十二宮図」だが、今日だけはあのおたふくとおかめの不細工カップルがのたまう運勢を知りたい。
しかし時は待っちゃくれない。ほんのりと紅に染まった唇はためらうことなく俺に目掛けて急降下してくる。ヤバい! このままだと後二、三秒後には……!
── その時だ。
「美月ちゃーん!」
と声がし、続けて階下から二階に向かって上ってくる足音が響いてくる。
その後の俺らの行動は早かった。
たちまち俺達の身体は磁石のS極同士に電磁化し、瞬時に分離、即座に起き上がる。
数秒後にノック音がし、間髪いれずに俺の母親が入ってきた。
「美月ちゃん、お母さんが用事があるのでもうお帰りになるんですって」
「あっはい、分かりました!」
そう返事をした美月は立ち上がると部屋の隅に落ちていたGジャンを手に取り、素早く羽織る。そしてにこやかな顔で俺に手を振った。
「じゃ、またね柊兵! アルバム見せてくれてありがとっ!」
美月はそのままさっさと一階に下りて行ってしまい、間抜けな俺は一人部屋に取り残された。
── しかし女という生き物はつくづく恐ろしい。
ついさっきまであんなモーションをかけてきやがったくせに、俺の母親が来た途端、シラッとした顔で何事も無かったかのようなあの美月の顔……。
……結局俺はこの後、外出をしなかった。
最近あいつらの特攻が無かったせいでようやく回復してきていた精神力のチャージメーターが、またしても一気に<RED>になっちまったからだ。畜生……。