柊兵くんの過激で追憶な週末 <1>
次の火曜日、美月は学校を休んだ。
怜亜も休んでいる。
「柊兵閣下、戦況報告です! 天使ちゃん達は本日発見できません!」
隣のD組を覗きに行く行為が習慣化してきたシンが、あいつらの出席状況について俺にまくし立てている真っ最中だ。
「あ~あ、それにしても俺はマジで心配ですよ! 美月ちゃんと怜亜ちゃんのことがさ」
また例の芝居がかった大げさな身振りで教室の天井を見上げた後、シンが媚びたような流し目を俺に向ける。
「俺、二人のお見舞いに行きたいなぁ~。……というわけで行ってもいいでしょうか?」
「……なんで一々俺に訊く」
「柊兵閣下の了解を取らないと後が怖いからです!」
「勝手に行けばいいだろ」
「あ~らら! そうきましたか!」
待ってましたとばかりにシンがニヤリと笑う。
「冗談で言ってみたんだけど相変わらず素直じゃないですねぇ~! 昨日たった一人で二人の天使を助けた騎士のお言葉とはとても思えないのですが?」
昨日、怜亜に手を引かれて消えた以降の状況を当然のことながらこいつらが訊いてこないわけがない。朝から代わる代わる繰り返ししつこく尋ねられ、結局一部始終を白状させられちまっている状態だ。
「……シン、お前のその減らず口を今すぐ閉じろ。でないとそのうざったい長髪を全部引っこ抜いてスキンヘッドにしてやるぞ」
「ちょ、止めてくれよ! 俺、この髪に命かけてんだぜ! これで中々大変なんだぞ、この美しい張りとキューティクルを保つのがさ。これから俺は真実の愛を探さなくちゃいけないっていうのに!」
「じゃあ黙れ」
「了解……」
渋々とシンは口を閉じ、代わりに窓枠によりかかって腕組みをしていたヒデがしみじみとした口調で語る。
「しかしあの丈夫な美月が風邪を引くとはな……。だが一度折れた骨が再び接がれると強度が増すように、美月も復活したらさらにパワーアップしてるかもしれんな」
「……恐ろしい事を言うんじゃねぇ、ヒデ」
しかし、確かにそれはありえそうだった。
昨夜、今の状況を拒まずに受け入れるとは決めたが、あいつらの特攻が激化するのだけは勘弁してほしい。
── そして水・木・金と、平穏だが平坦でもある三日間が過ぎる。
美月は今週一杯休んだようだ。
結局インフルエンザではなく、少々重い風邪だったようで、普段滅多に風邪など引かないから今回の高熱が堪えたのだろう。
怜亜は水曜から学校に来た。
そして「一人で抜け駆けはできないから」、と言って俺の所に一度礼を言いに来ただけでその後は来なかった。どうやらお互いの間で色々と俺に関する誓約があるらしい。その事実を知り、また少々ビビッている俺。
事件はその最後の金曜日に起きた。
「柊ちゃん!」
体育を受けるためにグラウンドへ移動中、D組の前を通ると怜亜が飛び出して来た。
跳ねるように飛び出してきたので膝上十五センチのスカートがふわりと大きく持ち上がる。白く細い生脚がかなりの部分まで見え、脳裏をあの救心のパッケージが凄まじいスピードでよぎっていった。
「あのねっ、美月、ほとんど良くなったみたいだから月曜から学校に来るって!」
「そ、そうか。良かったな」
動悸を沈めながらそう返答する。
怜亜の顔色もいい。お前も大丈夫そうだな。
だが内心で一安心した次の瞬間、また新たな恐怖に襲われる羽目になる。
「あ、それとね柊ちゃん、来週からお昼は皆で一緒に休憩室で食べようって、楠瀬さんから昨日誘われたの!」
「なっ、何いッ!?」
愕然とする。
……あの野郎、また裏で糸を引いてやがるのか……っ!
覚悟を決めたとはいえ、結局また荒れ狂う海の中に飛び込まざるを得なくなりそうな展開に慄く俺に、怜亜が極上の笑顔で笑いかけてくる。
「だから柊ちゃん、月曜からよろしくねっ」
軽く握った右手を口元に添え、輝かんばかりの笑顔だ。そのあまりの眩しさについ目を逸らしちまった。
……いや、それよりもこいつらが元気になって良かった。今は素直にそう思っておこう。
というか、そっちに意識を集中させないと平静を保てない。
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週末は結構ヒマしていることが多い。
一年前まではヒデとお互いの家を行き来して下らない話をしたりしていたのだが、ヒデに女が出来て以来、ヒデの週末はその女の為に存在するようなものになっちまった。
ヒデがダメならシン達とつるめばいいのだろうが、シンはいつでもどこでもすぐにナンパに行こうとしやがるし、尚人は尚人で綺麗な年上女探しの旅に出かけることを好む。付き合ってられねぇ。
将矢はというと、あいつの家は蕎麦屋を営んでいて、一人息子の将矢は跡継ぎとして親から過大な期待をかけられている。だから将矢の週末は蕎麦打ち修行でほとんど潰されていた。
今日は土曜日で外は晴れ渡っている。
こうして部屋で一人篭っていることが、とてつもなく不健全な事のような気がしてきた。
……駅前でもぶらぶらすっか。そう考えて出かける支度をしていた時、下で話し声が聞こえてきた。
「あらいらっしゃい! お待ちしてましたわ! お久しぶりですわね~! わざわざお出で下さって申し訳ありませんわね。お元気でした?」
かなり仰々しい、よそ行きの大声が下から聞こえてくる。
普段俺ら家族に話す時とは全然違う、母親のまともな口調とその声色。誰か知り合いが来たらしいな。
「柊兵~! ちょっと来なさ~い!」
なんで俺を呼ぶんだ? 親戚でも来ていてとりあえず挨拶だけはしておけってことか? しゃあねぇな……。渋々部屋を出て一階に降りる。すると玄関で千切れんばかりにぶんぶんと手を振る長い髪の女が視界に入った。
「柊兵~っ!! この間はありがとうね~っ!!」
……げっ! 美月ッ!?
な、なんでお前が俺の家に来ているんだ!?
「柊兵くん、美月を病院にまで連れて行ってくれたんですってね。本当にありがとう。ちょっと見ない内にあなたも大きくなったわね」
美月の母親が俺に話しかけてきたのでとりあえず生返事をする。
「風間さん、せっかくですからどうぞ上がっていって下さいな。久しぶりですし、積もる話もありますから」
「えぇありがとうございます。では少しだけ……」
やっぱり上がるのか……。で、でも俺には関係ねぇ。今出掛ける所だったしな。
ここはさっさと退散するに限る。とりあえずは一時自分の部屋へ退避だ。
「ねぇ柊兵! アルバム見せてよ! 中学の時の!」
上着を取りに二階の自室へ戻ろうとした俺の背に向かって美月がどデカい声で叫ぶ。
「あらそうね、見せて上げなさいよ柊兵。じゃあ美月ちゃんは柊兵の部屋でアルバムを見るといいわ」
── げげっ!! 何だって!?
「お、俺、悪ィけど今から出掛ける所だから……」
そう断ると、母親が俺をギロリと睨む。
「柊兵っ! あんたはせっかく美月ちゃんが久しぶりに遊びに来てくれたってのに何冷たいこと言ってんの! いいからそっちの用事は後回しにしなさい!」
「いぇーい!! やりぃ!」
目の前で美月が元気にガッツポーズをする。
「柊兵の部屋に入るのって久しぶりだぁ~っ!」
と騒ぎながらさっさと二階に上っていく美月の後ろを、ゴルゴダの丘に向けて重い十字架を背負うキリストのような足取りでついて行く。
……そういや、今日は土曜だから『モーニング・スクランブル』は無かったもんな。
ということは、本日の俺の運命は “ 神のみぞ知る ” ってやつか……。
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「わぁ~っ!! ねぇねぇ柊兵っ! これって学校祭の写真でしょーっ!?」
うるせぇ……。 通常時の三倍増しのそのハイテンション。俺の中学時代のアルバムを見ている美月のはしゃぎっぷりにはほとほと参っていた。
美月の大声が左の鼓膜から右の鼓膜へと一直線に突き抜けていく中、しかめっ面で「あぁ」と一度だけ頷く。“ 復活したらさらにパワーアップしてるかもしれんな ” と昨日ヒデが言っていた事が冗談ではなくなっていることを、俺はすぐ横でリアルに体感するはめになっていた。
「あーっ!! この柊兵の黒装束写真、かっこいいーっ!! ねっ、この写真貰っちゃってもいい!?」
「あ? 印刷してあるものを剥がせるわけ……」
「切り取ればいいじゃんっ!」
美月の右手にはいつの間にか鋏が握られていた。間髪を容れずにジョキッ、と小気味良い音が鳴る。
「かっ、勝手に切るな!」
アルバムの裁断を始めようとしていた鋏を奪い取ると、美月がふくれっ面で抗議してくる。
「いいじゃん一枚くらいー! もうっ柊兵のケチーッ!!」
拒否をされた美月の両頬が膨らむ。お前は水揚げされたトラフグか。
しかし傍若無人なこのフグは意外と素直に毒気を抜いて元の顔に戻った。
「まっ、いいや! この間シンにあのラブラブ写真焼き増ししてもらったしー!」
……それを聞いて一気に気が重くなる。
美月が言っている写真とは、先週の昼に俺があの中庭で生贄にされた時のものだろう。将矢が撮ったあの羞恥写真をシンが焼き増ししてこいつらにやったに違いない。
「よーし! じゃあ次は小学校の時のアルバムに行ってみよー!」
……ちなみにもうこの場の主導権はとっくにこいつに握られている。
本棚の一番下に無造作に押し込めてあった白樺小の卒業アルバムを美月が勝手に取り出すのを、俺は為す術無く見ていることしか出来なかった。
俺らが映っているページを覚えているのか、美月は最初の数ページをまとめて掴み、一気に飛ばす。
「懐かしい~っ! ホラ見てよ、柊兵! 皆まだちっちゃーい! 柊兵もあたしも怜亜もヒデも! ……でもさっきの中学のアルバムを見て思ったけどさ、柊兵の写真ってどの写真見ても不機嫌そうな顔してるよねー。たまには笑えばいいのに!」
美月が指をさした場所に小学校時代の俺らが映っている。美月と怜亜が前に、俺とヒデがその後ろに立っている構図だ。昔から写真を撮られるのが嫌いな俺は確かに仏頂面をしていた。
その写真をまじまじと見ていた美月がふと呟く。
「うーん、こうしてみると、あたし結構感じが変わったような気がするなぁ……」
その呟きに、ついアルバムを見ていた視線が反射的に上がっちまった。
カーペットの上にきちんと正座をし、アルバムに目を落としている美月の横顔。
長い睫が何度も瞬きを繰り返している様子が視界に入ってくる。
── そうだな、確かに変わった。
昔は男と変わらないくらいにまで短かった髪も今は背中を覆い隠すくらいになっているし、身長も伸びている。身体の凹凸も立派なもんだ。
だが四年半の歳月で変わったのは見た目だけだ。コイツ自身はたぶん変わっていない。何も。なんとなくだがそんな気がした。
「怜亜と柊兵はあまり変わってないよね。でもさ、一番変わってないのは断然ヒデだよ! そう思わない?」
そう尋ねられた俺はふとある事を思い出す。
「おい美月、ヒデの中学の時の仇名、知ってるか?」
「知らなーい! なになにー?」
インパクトを与えるためにわざと一拍置いてから答えた。
「……若年寄だ」
「あはははっ! なにそれ~っ!!」
前のめりになって美月が笑い転げ始めた。ほぼ予想通りの反応だ。
仇名の由来は年齢不相応なその落ち着きと少々老け気味の顔からきていたらしい。
「ヒデ、ショックだったんじゃない!?」
「いや、全然だ」
当時その仇名を知った俺がその事をヒデにあっさり教えてやると、当人は至って平静に「上手いこと言うな」と呟いただけだった。昔から、からかい甲斐の無い奴だ。
「おっかしー! 月曜日にヒデに会ったらあたし笑っちゃいそうだよ!」
爆笑の余韻を残しながら次のページを美月がめくる。そしてまたデカい声で叫んだ。
「出ました─っ!! 六年の時の運動会で最後のクライマックス! 『六年男子リレー』だぁ! この時さ、柊兵はリレー選手に選ばれたんだよね、しかもアンカーで! アンカーは二周走れるから、結局柊兵は三人抜いて一着でゴールして! あれは興奮したよ!」
「……お前よくそこまで詳細に覚えてるな」
「へへ~、そりゃあもうっ! 柊兵に関することなら何でも覚えてるよっ!」
美月は大きく笑い、またそのデカい胸を張る。
今は服でしっかりとコーティングされているが、向坂のジジィの病院で見た二つの特大マスクメロンを思い出しちまったので慌てて目を逸らす。
「お、お前だってその前の女子リレーでアンカーだったじゃん」
「うん! ちなみにあたし、何人抜いたか覚えてる?」
赤のたすきを右肩にかけ、必死にトラックを疾走していたこいつの姿を思い出した。
「……一人だったか?」
「ちが~う! 二人だよ! ゴール直前のギリギリのところでまた一人抜いたの! もうっなんで覚えてくれてないのよ~! 最後あんなにスリリングなレースだったのに!」
顔を紅潮させ、美月が文句をつけてくる。
「じゃあね、じゃあね! 前半のプログラムのハードル競争、あたしは何位だったでしょー?」
「んなもん覚えてるかよ」
「二位だってば! 三つ目のハードルでうっかり足ひっかけちゃったんだよね。この時は怜亜と一緒の組で走ったんだけど怜亜はビリだったよ」
「あいつは体育が苦手だからな」
「では続いて次の質問です! この午後一番のプログラムの『六年女子のリトミックダンス』、あたしは何に扮して踊っていたでしょうー?」
「知らん」
「冷たぁ~い! ちゃんと覚えててよー! あたしはイチゴだよ! イ・チ・ゴッ!! 」
「そんな昔の下らねぇことまで一々覚えてねぇっつーの」
……質問続きで疲れてきたので母親が持ってきた紅茶をごくりと飲む。
しかしさっきから感じていたが、こいつとは会話がスムーズに進むな。幼馴染とはいえ、女とこれだけ普通に話したのはいつ以来だろうと考える。…………まったく記憶に残ってねぇ。
「あ! これ、柊兵達の『六年男子の棒倒し』! これもすごく熱い戦いだったよねっ!」
一方の美月のハイテンションはまだまだ続行中のようだ。
「あぁこっちにはヒデがいたからな。あいつに棒持ちを任しておけば安心して敵地に攻め込めた」
「当時のヒデの腕力に叶う男子なんていなかったもんね! 柊兵はすばしっこいから、敵地に攻め込んで上に駆け上って棒を倒す役にうってつけだったし! 怜亜と二人できゃーきゃー応援してたの覚えてる! ホント懐かしいよね~!」
そう言いながら次のページをめくった美月の手が止まった。そしてそれまでマシンガンのように喋っていた口を閉じ、黙り込む。その開かれているページを見て、なぜ美月のテンションが急激に下がったのかを俺は悟った。
「……あたし、今までの人生の中でこの修学旅行ほど楽しくない旅行は無かったよ」