訪れた二者択一 【前編】
あの摩訶不思議女の占いから六日が経った。
週の始まりの月曜ってやつはどうしてこういつもブルーな気持ちにさせるんだろう。
最近、『愛の十二宮図』を俺は真剣に見なくなっていた。
理由はまたしても単純で、六日前から占いがまったく当たらなくなったからだ。
ミミ本人に会い、タロットとはいえ直接占ってもらったせいなのかどうなのかは分からない。とにかくプレタポルテとやらの星占いは当たらなくなっていたのだ。
「つきまとわれて迷惑なの?」
六日前、エスタ・ビルの階段の踊り場でのあの質問をつい肯定しちまったのをテレパシーでも使って感じたのか、次の日から美月と怜亜は一切俺の前に姿を現さなくなっていた。
だからあの不細工なおたふく天使がいくら「今日はいいことあるよん!」とか「今日は全然ダメぴょん↓」などと騒いでも俺の毎日は全く変わらなかった。本来ならおたふく占いは運命のBGMを毎日流していなければおかしいことになる。
以前のような元通りの静かな毎日を手に入れ、俺の心は清々しさに満ち溢れている…………はずだ。
テレビ画面の中ではおたふく天使がいつも以上に騒いでいる。
なんでも今日からもう一人新しい着ぐるみキャラが増えるらしく、そいつは女の天使でおたふくのガールフレンドという設定らしい。チッ、着ぐるみのくせに色気づきやがって。
飯を食い終わって席を立つ時にチラッと画面を横目で見ると、げんなりするぐらいのおかめ顔の、これまたかなり不細工なピンク色の着ぐるみが画面上でタコ踊りをかましている。
おたふくにおかめか、お似合いだな。
そんな益体もない事を考えながらスポーツバッグを手に外に出る。
週の初めの今日はこの秋一番の冷え込みだと特大温度計の横でアナウンサーが叫んでいた。寒風に身を縮めながら学校へと向かう。
もちろん背中にも腹にもあいつらの突撃を喰らうことのないままで。
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「外で弁当を食うの、今日で終わりにしないか?」
シンが震えながらそう切り出し、全員がそれに同意する。
確かに今日は本当に冷えている。これでこのケヤキの木も半年先までしばらくは一人ぼっちだな。
「そういえばさ、最近、怜亜ちゃん達を全然見かけないよね」
ふいに尚人がそう言い出した。
非難がましそうな目でシンが俺を見る。
「柊兵があんなにつれない態度をとり続けるから、あの子達、こいつを見限っちまったんじゃないか? 俺さ、ここ数日、隣のD組を休み時間に毎回覗きに行っているんだけど、美月ちゃんも怜亜ちゃんも教室にいないんだよなぁ。他の女の子に聞いてみたら来ているのは間違いないみたいなんだけどさ。どこに行ってるのかなぁ……」
……こいつ、休み時間に度々姿を消していると思ったらそんな事をしていたのか。毎度の事ながら勝手な真似しやがって。
「なぁ、柊兵。お前、次の授業終わったら急いで見に行ってみろよ」
「なんで俺があいつらの様子を見に行かなきゃならねぇんだよ」
「気にならないのか?」
「やっと元通りの静けさを取り戻して喜んでいる所だ」
「はぁ~……。お前はこの世で一番の大馬鹿者だと今ここで断言するよ」
「勝手に言ってろ」
俺とシンのやり取りを聞いていた尚人が口を挟む。
「もしかして柊兵も年上が好きなの? 良かったら僕の知り合い紹介しようか?」
「い、いるか、そんなもん!」
「同い年、年上がNGなら守備範囲けっこう狭いよね。まぁ僕も人のことは言えないけどさ。あ、ちょっと待って。ということは柊兵はロリータ? まさか男色家じゃないよね?」
「んなわけねぇだろッ!!」
この発言が尚人ではなく将矢なら間違いなく制裁を加えているところだ。そこにその将矢がちゃっかりと名乗りを上げる。
「なぁなぁ尚人、じゃあ柊兵の代わりに俺に紹介してくれよ~! 俺、年上のお姉さんがすっごく好みなんだ!」
そんな将矢を横目で見ていたヒデがフッと鼻で笑う。
「よく言う。将矢は女なら誰でもOKじゃないか」
── どうでもいいが話題が俺から微妙にずれてきている。しかしいい傾向だ。しばらく放っておいて成り行きを見守ることにしよう。
「しかし嫌味だねぇ、ヒデのその笑顔! さすがこのメンバーで唯一彼女がいる奴は違うなぁと思うよ」
シンが肩をすくめ、ヒデの余裕を羨ましがる。
「確かに今彼女がいるのは俺だけだが、柊兵以外はただ彼女がいないってだけで普段女と色々遊んでいるじゃないか。特にシン、お前がな」
「おっとヒデ。悪いがそれは大きな間違いだ。一番は尚人ですよ?」
「失礼だなぁ、シン。僕は遊んでないよ、いつも真剣さ」
「俺も真剣ですが?」
「ははっ、毎日ナンパばかりしてるくせによく言うよ」
「お前だってしてるじゃんかっ!」
「最近してないよ?」
「どうせここ二、三日の話ってオチだろーが!」
「おいおい、ケンカはやめろよ」
この場に漂いだした不穏な空気を察したヒデが割って入る。
「大体最初は柊兵を責めていたはずなのになんでこんな展開になってるんだ?」
「何言ってんだ、ヒデ。元はといえばお前と将矢が俺達の会話に絡んできたのが発端だろ?」
「そうだよ!」
逆に責められ出したヒデと将矢は顔を見合わせた。
「おい将矢、俺らが原因だとよ」
「そうなのか? っていうかさ、元はといえば怜亜ちゃん達を毛嫌いする柊兵が悪いんだよ! 俺らのせいじゃないぜ? ……あ! そうだ! 俺、前から皆に聞きたかったんだけどさ、皆は怜亜ちゃん派? それとも美月ちゃん派?」
芝生に足を投げ出していたシンが突然ガバッと立ち上がる。
「おー将矢、それナイス質問! 実は俺もそれはかなり気になってたんだ! じゃあ言い出した将矢から元気に行ってみよー!」
「OK!」
シンの音頭で将矢、尚人、ヒデ、と時計周りに強制カミングアウトが始まる。
「へへっ、俺は怜亜ちゃんだ! ああいう守ってあげたくなるような子に俺は弱い!」
「お次は尚人!」
「僕も怜亜ちゃんだな。元々しとやかな女がタイプだから。怜亜ちゃんが四、五歳年上だったら柊兵を差し置いて絶対にさらいに行ってたね」
「しっかし尚人の年上好きは筋金入りだな……。さぁ次はヒデだ」
「なに俺か? 俺、彼女いるんだぞ?」
「例外は認めない。彼女がいなかったら、と仮定して答えるように!」
シンは右手をピストルの形にし、ヒデに向かって撃つ真似をする。指名をいう名の空砲をくらったヒデは目を閉じると静かな口調で答えた。
「…………美月だな。実は小学生の時、美月が好きだった」
「ヒデ、それマジッ!?」
「あぁ。まぁでも昔のことだ」
「へぇ……。あ、じゃあ次は俺か。なぁなぁ皆の衆、“ どっちも好み ” はアリですか?」
「それはズルイぜ、シン!」
「ダメだよ」
「認められんな」
三人に一斉にダメ出しをくらい、シンは照れ笑いを浮かべながらまた芝生に腰を下ろした。
「やっぱダメか……。でもまだあの子達のことよく知らないしなぁ。見かけはどっちも可愛いしさ、となるとやっぱ重要なのは性格とかフィーリングじゃん? でも今の時点で俺の直感がビンビンに反応しているのは美月ちゃんだな。あの陽気な性格、俺と合うような気がする。……ということはこれでちょうど二対二か。じゃあいよいよ残りは……」
全員の目が俺に集まる。
当然の如くフイと顔を背け、「答えると思ってんのか?」と吐き捨てた。全員が噴き出している。
「でもマジであの子達どうしたんだろうなぁ。顔見ないとなんか寂しいよ」
D組の窓を見上げ、シンが呟いた。
そこに昼休み終了のチャイムの音が高らかに鳴り響き、行くか、というシンの声で俺達はノロノロと芝生から重い腰を上げた。
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飯を食って眠気を催してきた。
ちょうどいい、次は気の弱い俺らC組の担任、毛田の古典だから思い切り寝てやろう、そう思いながらポケットに両手に突っ込み、グループの最後尾を歩いていた俺の腕がグイ、と後ろに引かれた。
あまり強い力ではない。振り返った俺の顔が固まる。
「柊ちゃん……!」
今にも泣きそうな顔で怜亜が俺の腕を掴んでいた。
細く白い指が紺のジャケットをしっかりと握りしめている。
「ど、どうした、怜亜?」
その顔に心配したのか、それとも久しぶりに怜亜を見たせいなのかは分からないが、自分でも驚いたぐらい俺の声は穏やかだった。
「美月が……」
目に浮かんだ涙で怜亜の瞳が揺らいでいる。
「美月がどうした?」
「お願い、一緒に来て!」
怜亜が俺の手を取り、走る。
走ると言っても怜亜の走る速度は俺には小走りでも遅いくらいだ。
「あ、怜亜ちゃんだ! おい柊兵、どこに行くんだ!?」
後ろからシンの声が追いかけてくる。
「先に行っててくれ!」
振り返りそう叫ぶと、怜亜に手を引かれるまま廊下を進む。
着いた先は一階の保健室だった。
「失礼します」
と言い、怜亜が保健室の扉を開ける。
中には銀杏高校一の美人で有名な、養護教諭の伯田加奈子さんが少々困り気味の顔で椅子に座っていた。
ウエスで眼鏡のレンズの曇りを拭いていたらしく、入ってきた怜亜を見て慌てて元通りに眼鏡をかける。
「森口さん、風間さんのお家の人に連絡はついた?」
「いいえ。美月のお母さん、お買い物に行っているみたいで電話は留守番電話になってました」
「そう、困ったわねぇ……。あら、原田くん、まさかまたケンカしたんじゃないでしょうね?」
長いポニーテールを揺らし、伯田さんが俺の方に目を向けながら強い口調で詰問する。
「いや」
返事はその二文字で事が足りた。
「……ならいいけど。去年のような鮮烈なデビュー戦はもう絶対に止めてよ?」
── 普段風邪一つ引かない丈夫な俺が、この美人教諭に何故名前を知られているのか。
答えは去年この銀杏高校に入学してすぐの頃、俺は乱闘事件を起こしたことがあるからだ。
……とは言っても別にこちらから仕掛けたわけではない。
当時三年だった数人の不良崩れが俺の目つきが悪いと難癖をつけてきたのだ。要は生意気そうな新入生の俺を締めたかったらしい。
その時ヒデもその場にいたが、「お前が売られたケンカだし一人でやれるだろ?」と言って先に帰ってしまった。一見薄情そうだが、でもそれは逆で “ その人数ならお前なら間違っても負けないだろ? ” という意味合いだ。
何人いただろう。四人か? 五人か?
覚えてないがとにかく全員叩きのめしちまった。
俺らが乱闘しているのを見かけた生徒が教師に通報し、伯田さんも救急箱片手に慌てて飛んできたのだ。そして一週間の停学になりそうになった所を、
「あの乱闘は原田くんが因縁をつけられて自分の身を守るために仕方なくやった正当防衛です」
と証言してくれた生徒がいたらしく、急転直下で俺は何とか無罪放免になった。
だがそれ以来、教師陣には素行を厳しくチェックされるようになっちまったがな。
そして俺はほとんど無傷だった分、伯田さんにはこってりと叱られた。当時の俺は激しく硬直し、その叱責に無様なオットセイのようにあうあう、と曖昧に返事をしていたのを覚えている。
「ちょっと、ちゃんと聞いてる? 原田くん」
「あ、あぁ」
「 “ あぁ ” じゃなくて “ はい ” でしょっ」
はぁ、と伯田さんのため息が漏れる。
一方、その伯田さんに久しぶりに対面し、話しかけられた俺は自分のある変化に気付いた。
女が苦手な俺が、つい最近まで半径一メートル以内で面と向かい合うと一番硬直していたのが実はこの人物だった。
しかし今の俺は伯田さんの前でも何とか平静を保てている。これは美月と怜亜の今までの度重なる激しい特攻で、俺にも女に対する多少の免疫がついたということか? いや、それとも…………。
「返事はきちんとしなさい。何度も言ってるのにホントに君って子は……」
うざったい小言が続く。だが、
「伯田先生!」
と怜亜が一歩前に出てその先を遮った。こいつにこんな強引なところがあったとは。少々驚いた。
「これから柊ちゃんに手伝ってもらって美月を病院に運びます。美月のお家には私がまた後で連絡を入れますから。いいですよね?」
そう怜亜に言われ、伯田さんは少し考えた末に同意した。
「そうね……あんなに熱があるんだから早く病院に連れて行った方がいいわよね」
「じゃあ柊ちゃんお願い!」
状況もまだ俺によく説明しないままで怜亜が俺の手を引っ張る。
どうやら美月は熱を出したらしい。ベッドの周りを覆っていた安っぽい白のカーテンが怜亜の手で大きく開け放たれる。
中のベッドで美月は目を閉じていた。はぁはぁと荒い息と真っ赤な顔で。
「熱が三十九度近くもあるの。体育の授業の後、いきなり気分が悪いって言い出して……」
美月を見下ろす俺の横で怜亜が沈痛な顔で呟く。その後ろで伯田さんが薬品庫から何かを取り出し始めた。
「もしかしてインフルエンザにかかっちゃったのかしら……? 流行にはまだ早いけど、急激に熱が出ているし、可能性も無いわけではないわね。でももしそうなら早く病院へ連れて行ってお薬を出してもらわないと」
「お願い、柊ちゃん、一緒に美月を病院まで連れて行って!」
「分かった」
素直に頷く。
いつもの元気さなんて微塵も感じさせず、こんなタコみたいに真っ赤な顔で苦しそうな息づかいの美月を放っておくことなんてさすがに出来ない。
「もしインフルエンザなら感染力が強いから、気休めだけどこれつけておくわね」
伯田さんの手で美月にガーゼのマスクがつけられた。両頬から顎までが白いマスクですっぽりと覆われる。
「さ、じゃあ原田くん、この子を背負って」
「美月、これから柊ちゃんが病院に連れてってくれるからね」
ぐったりとした美月は返事をしなかった。相当辛いようだ。
怜亜と伯田さんが二人がかりで美月にカーディガンを着せる。そしてその身体を起こすと、ベッドの端に座った俺の背に美月を乗せた。
「原田くん、大丈夫?」
返事の代わりに頷くと俺は美月を背負い、ベッドから立ち上がる。
前にこいつにいきなり背中に飛び乗られた時は少々重いと感じたが、きちんと背負うとその身体は意外にも軽かった。
自分もカーディガンを羽織ると怜亜は伯田さんの方を振り返る。
「じゃあ、先生。後は任せて下さい」
「頼むわね」
「はい」
俺と怜亜は校舎から外へと出た。
さすが今朝のテレビで今年の秋一番の冷え込みだと言っていただけのことはある。風がさらに勢いを増し始めていて、その日の木枯らしはかなりの冷たさだ。
だが美月の身体から発せられる高熱で、俺の背中だけは熱いくらいに温かった。