未来を見通す “ 稚い淑女 ” <2>
…………何をしているんだろう、俺は。
ついさっきも同じようなことを言ったような気がする。
場所は変わってここはエスタビルの七階から八階へと続く階段の踊り場だ。屋上扉は施錠されているようだし、この階段は従業員専用なので今のところ周囲には誰もいない。
── 俺とミミ・影浦らしき女以外は。
「久しぶりだったわ! あれだけ無遠慮に男の子からジロジロ見られたのって!」
女の声の表現法の一つに “ 鈴を転がすような ” というのがあるが、こいつの声はまさにそれだった。聞いていると心臓の裏側を軽く撫でられているような、妙なこそばゆさを感じる。
年齢はたぶん俺より年下だろう。なのになぜか目上を気取った口調にカチンとくる。
先ほど占いを終えたこの女は七階のフロアで俺に向かって妙なことを呟いた後、側にツツッと近寄って来た。そして強引に手を取り、「ちょっとこっちへ来て」と言うと俺の承諾も得ずにこの踊り場まで半ば強引に引っ張ってきたのだ。
こんなチビっ子にこれ以上舐められるわけにはいかない。不機嫌さを露にした声で牽制する。
「あんたさ、なんで俺をこんな所に連れ込んだんだ?」
「連れ込んだ? 嫌な言い方ね」
そう言いつつもチビ女は楽しそうに笑う。細い首にかけていた大小様々なペンダントがその笑い声に合わせてしゃらしゃらと軽快な音を立てた。
「だってあなた、私に会いに来たんでしょ?」
「だ、誰がだ!」
「嘘をつかないでっ。目を見れば分かるんだからっ」
意志の強そうな切れ長の目が俺を射抜く。その強烈な炯眼で思考を勝手に見透されそうな気がして、わずかだが身を引いちまった。
「本当はもう今日の占いは終わりなんだけど、特別に見てあげるわ。あなたが今日最後のお客様よ」
「いらねぇよ!」
「どうして? あなた悩みがあるんでしょ?」
「無い!」
「じゃあどうしてあのベンチから私の事をずっと見ていたの?」
「そ、それは……」
下から問い掛けてくる涼やかな声に上手く返せる答えが思いつかなかった。
……俺は何をしに、ここに来たんだろう?
「……ふぅん、なんだか最後に大物さんが来たようね。ちょっと待っててくれる?」
チビ女は俺の返事を待たず、下の階に下りて行ってしまった。七階の従業員通用口の扉が開いた音がしたかと思うと、またすぐに閉じられた音が鳴る。
やがて、よいしょ、よいしょ、という声が一段下から聞こえてきた。
踊り場の手摺から下を覗いてみると、折り畳んだパイプチェアと商売道具が入っているらしい大きな黒鞄を抱えてチビ女がよろよろとふらつきながら昇ってくる。何やってんだ、あいつ。
やがて俺が上から身を乗り出して自分の様子を見ていることに気付いたチビ女は、階段の途中で足を止めてパイプチェアーを差し出した。
「ねっ、これをそこまで持って行ってちょうだい! あなた、レディにこんな重い物二つも持たせて平気なの?」
冗談じゃねぇ、なんで俺がそんなことをしなきゃなんないんだ。その椅子はあんたが勝手に持ってきたもんじゃねぇか。そう思ってそっぽを向いた瞬間、
「ほらぁーっ! 早くしなさぁーいっ!!」
「ぐわっ!」
慌てて両耳を押さえた。
場所が場所だけにデカい声を出すとそれが大きく反響しやがる。こいつの声があまりにやかましいので仕方なく要求通りに椅子を踊り場にまで運んでやった。すると早速チビ女は屋上に続く階段の方角に向けてパイプチェアーを広げる。
「はい、じゃあなたはそこに座ってね!」
「なんで俺がここに座らなくちゃいけないんだよ」
「だって立って話してたら話しづらいでしょ? あなたと私はこんなに背が違うんだから。だからこうやってずっと上を見て話していると首が疲れるの。分かる? あなたも男の子ならもう少し女性に気を使うべきね」
「……なぁ、俺に何の用なんだ?」
「え? あなたが私に用があるんでしょ? 占って欲しいんでしょ?」
「だからさっきも言ったろ? あんたに占って欲しいことなんて無……」
「あぁ、もういいわっ! まずはとにかく座りなさあああぁーいっ! 首が疲れるのおおおぉーっ!」
「うぉ!?」
またしてもこの空間に鼓膜直撃の破壊音がガンガンと響き、俺は顔をしかめた。
次の雄叫び口撃に備えてまたこいつが小さな口を目一杯開けかけたので、忌々しいが渋々パイプチェアーに腰を落とす。
「そうそう、それでいいの!」
座った俺を見届け、チビ女は屋上に続く三段目の階段に座る。しかしまだ俺との目線がいい位置に来なかったのか、慌ててもう一段上に上がった。少し上から俺を見下ろす位置に座り、やっと満足そうな顔を見せる。
「さぁ、まずあなたの名前は?」
「だから、占って欲しくないって言ってるだろ」
「…………」
いつまでも頑なに占いを拒み続ける俺に、チビ女は少し気難しそうな顔になってとうとう黙り込んだ。明らかに気分を害しているその顔を見て、自分があまりにも冷たい態度を取りすぎていることに気付き、少しだけ後悔の念が起こる。
「……あんた、ミミ・影浦?」
勝手に決め付けていたが、そういえばこの小さな女がミミ・影浦かどうか確かめて無いことに気付く。こんなにちびっこいし、もしかしたら助手とか弟子の可能性もある。
すると階段に座っていた女は口を尖らせたままで頷いた。やはりこいつがミミ・影浦で間違いないようだ。予想と全然違ったな。
「俺は原田柊兵。……言っておくが占って欲しいわけじゃないぞ? ただ、こっちだけ名を言わないのも礼に失すると思ったから名乗っただけのことだからな」
「ふぅーん。はらだ、しゅーへい君かぁ……」
君付けで呼ばれてムカついたがグッと堪える。さん付けで呼べよ。
「ねぇどうして占って欲しくないの? 私の占い、インチキだと思ってる?」
一段上の場所からミミが俺の方にグイ、と身をかがめてくる。お互いの鼻の頭が今にもぶつかりそうになったので慌てて後ろにのけぞった。
「あら、もしかして照れちゃってるの? キミ、今時の男の子にしては珍しくシャイなのねっ」
ミミはクスリと笑うとそのちっこい手で俺の鼻をツン、とつついた。
途端に心臓をガツンと一発殴られたかのような衝撃。
……何っ!? 鼓動が早まってきてるだと!? たっ、確かに女とはいえ、なんでこんなチビっ子に……。
動揺を必死に押し隠す。
と、とりあえずこいつに何か言わねぇと……。でも何を言えばいいんだ?
“ 占いはまったく信じてねぇけどあんたの星占いはなぜか恐ろしいくらいによく当たって、正直かなりビビッている所なんだ ”
……とでも言えばいいのか?
そんなみっともねぇ事、口が裂けても言うわけにはいかない。考えあぐねている内にミミがまた口を開く。
「だってあなた、私が占った女の子達の付き添いで来ていた訳でもなさそうだし、どうしてあのベンチから私の事を熱い眼差しでじっと見ていたの? ……あ、そっか! もしかして私のファン?」
「違う!」
どうでもいいが論理が飛躍する女だ。
「それもそうよね……。私、メディアにまだちゃんと顔を出したことないし……」
―― 訪れる沈黙。
何か言わないと帰るにも帰れなさそうな雰囲気に、仕方なく話題を振る。
「……あのさ、『 モーニング・スクランブル 』 のあんたの星占いって、的中率は高いのか?」
「エ?」
切れ長の目を瞬き、ミミは唐突に不機嫌な顔を止めた。
「そうね、なんて説明すればいいかしら……。あの占いは万人向けの占い、プレタポルテなの」
「な、何?」
ヤバい、こいつの言っている意味がいきなり分からん。
だがそれは俺の反応を見たミミにも伝わったようだ。ミミは少し考える素振りを見せた後、俺が理解し易いよう、優しく噛み砕くように詳しく説明を始める。
「つまりね、あれは多くの人に当てはまるように作られた占いなの。ただの吉凶判断で、服で言えば高級な既製服。だからその日、その日であつらえた既製服はたくさんの人が身に着けることができるけど、既製服故に日によってはどうしてもそれが身に着けられない人もいるわ。だから占いが当たる日もあれば当たらない日もあるでしょ? でももちろん私があつらえている服が毎日のようにとてもよく似合う人も中にはいるのでしょうけどね」
ミミは一段上の場所から笑った。
切れ長の目のせいで冷たい印象を与える顔が、一瞬和らいで見える。
「でもね、既製服だけじゃなくて特別にあつらえた高級注文服もあるのよ? いわゆるオートクチュールね。それが個人的十二宮図。これはその人の運勢だけを占う、独創的な占いよ」
「オリジナル?」
「そう。ねぇ柊兵君、この世の中には何十億っていう人々が存在しているでしょ?」
「あぁ」
「でもそれだけの数の人間がこの地球上に存在していたとしても、柊兵くんも私も、その何十億分の一の中でちゃんと独立した一個の生命体だわ。だから柊兵くんの運命も、私の運命も、それぞれ違ったものでなくてはならないの」
優しく教えてもらっているのに早速混乱してきた。
……要は 『 モーニング・スクランブル 』 のおたふく占いは万人向けの占いだから信憑性はイマイチだと言うことが言いたいらしい。少々乱暴な解釈かもしれないが内容は概ね合っているはずだ。
「だからね、柊兵くん個人のもっと詳しい未来を占うには出生天宮図を作成しなくちゃいけないの。これを作るには柊兵くんの生年月日、出生時刻、出生地のデータが必要なのよ。柊兵くん、今それが分かる?」
「だっ、だから、いいって! 占ってくれなくても!」
「あなたの悩みは何?」
「悩みも無い!」
「嘘っ!」
ミミはまた先ほどと同じ炯眼をまた容赦なく俺に浴びせる。
「最初にあなたの顔を見た時、すぐに思ったわ。あぁ、この人何か悩みがある。それを私に取り払って欲しがってるって。あの朝の占いを気にしているってことはもしかして恋愛絡みの悩み?」
「あのなぁ……」
「いいから最後まで言わせてっ!」
ミミは鋭く言い放った。こんなちびっこい女なのになぜか言い返せない。
“ 歯向かう敵の気力を一瞬で無効化しちまう強者のオーラ ” というものがあるのだとすれば、こいつは間違いなくそれを持っている。
「柊兵くんが占って欲しくない、って言うならもう無理には言わない。その代わり教えてよ。じゃあ占っても欲しくないし、私に興味があるわけでもないのに、どうしてあなたはあそこにいたの?」
「そ、それは……」
どもり、黙り込んだ俺をミミも同じく黙って見つめる。
またしばらく続く沈黙。
……しゃあねぇな……。
根負けした俺は意を決して本音をぶちまけることにした。
「……あ、あのさ、気を悪くしないでほしいんだけどよ」
「うん」
「俺から見るとさ、占いなんてやつはどうにでも解釈できるようなあやふやで不確かな言葉で適当なことを言って、ただ相手を煙に巻いているようにしか見えないんだよな。占いなんて胡散臭いもんの代名詞だと思ってんだ」
ミミは不思議そうな顔でおとなしく聞いている。
「だけど、あのあんたの星占いがさ、毎日すげぇ当たり続けてるんだよ。今日で九日目……、いや途中で土日を挟んでいるから正確には七日間、ピタリと当たってんだよ。で、たまたまあんたが今日このビルに来るって知って、なんだその、ちょっとあんたがどんな占い師か見てやろうかって野次馬根性が出たんだと思う」
的中し続けるこいつの占いにビビッていることはもちろん伏せておく。当然のプライドだ。
ミミは納得したようなしてないような微妙な顔で膝の上で頬杖をつき、しばらく俺の顔を穴の開くほどじっと見つめていた。 そしてようやくおもむろに口を開いたかと思うと、
「あなた、可愛いわねっ! 私のタイプかもっ!」
とまた鼻をチョンと軽く突つかれた。
な、なんだとっ!?
一瞬絶句した後、本気で頭に血が昇り出す。
年下のくせに男に向かって “ 可愛い ” だーぁ!?
ちっくしょう、いくら占い師だからってもう許せねぇっ!
ミミに向かって一発怒鳴りつけてやろうとした時、この摩訶不思議な空気を持つ女は転がる鈴の声で一言、俺に向かってこう言った。
「ねぇ柊兵くん、私と付き合ってみる?」