七日目
明かりの灯される夕方近く、ウィーヴィング家の執事から一通の手紙を渡された。
内容はこちらの状況を案ずる内容と、兄たちからの伝言である。ここへ来るきっかけになった事件の解決はもう少しかかるようだ。
手紙を読み終え、応接間のまだ火の気のない暖炉に放りこんで火を付ける。それが燃え尽きるまで見ていると、後ろに人の気配があった。あえて振り向かずに暖炉の上にある銀製の、良く磨きこまれた飾り皿で確認する。
立っているのはスタンリーのようだ。こちらを見つめているが、声をかけるわけでもなく、かといって近づいてくるわけでもない。気づくのを待っているのか、あるいは別の意図があるのか。
どうするかと逡巡しているともう一人、飾り皿に人が現れる。
「フィルド殿。食事はまだですか?」
明るい声に振り向くとシーリーがスタンリーに話しかけているところだった。
「準備がまだのようです」
「ホーキンス殿も居たんですね。こんばんは」
「ああ、こんばんは。少し寒くなってきたな」
「明日は多分雨ですよ。風も冷たかったですから」
スタンリーに話しかけてからこちらに気がついたように話かけてくる。しかし、おそらく最初から気づいていたに違いない。彼はそれほど間抜けではないはずだ。
「お二人ともその後どうですか?」
シーリーが応接間の椅子の一つに腰掛けて月探しの経過を尋ねてきた。
「さっぱりだ。スタンリー殿はその後進展しましたか?」
「いいえ。こちらもさっぱりです」
苦笑してスタンリーも椅子に腰掛ける。それにならいこちらも腰をかけると、どこからか侍従がやってきて「お茶はいりますか?」と尋ねてきた。
「もうすぐ夕食ですよね?」
「はい。もうすぐ用意が整います」
「じゃあ、オレはいいや」
「俺も」
「私も食事まで待ちます」
「かしこまりました。では用意が整い次第お知らせいたします」
出来た侍従はきちんと礼をしてから部屋から出ていった。
「あの侍従がセレスティアかも知れないんですよね」
シーリーが侍従が完全にいなくなってからそう口にした。
「あまり笑えんな」
確かにその可能性はある。苦笑して返事をするとスタンリーはどこか厳しい顔をしていた。
「ミュゼル殿はセレスティア殿の本来のお姿をご存知ですか?」
その質問にシーリーがこちらに視線をくれる。いつかの話が思い出されたのだろう。その視線に少し肩を竦める。
「いいえ。知りません。知りませんけど、それがどうかしたんですか?」
「いえ。ご存知の方はいるのかなと思いまして」
「使用人たちには聞いたんですか?」
「はい。ですが、中々口が堅い人物ばかりで。そこはさすがと申しますか」
少し困った表情で笑うスタンリーに、シーリーは「ああ」と何かに思い至ったらしい。
「そういえば、噂が流れてますね。セレスティア殿は実は醜い姿をしているって。顔中に疱瘡があるとか、ひどい火傷の痕があるとか」
確かにここ最近そんな噂があちこちから聞こえてきて、帰るかどうかを検討している人間に大いに影響を与えていた。
「人は外見ではありません」
シーリーの言葉にスタンリーが少し嫌な顔をしてたしなめる。それにシーリーは肩を竦めて笑った。
「まあ、しかたないですよ。ほら、あれです。宝石の中から生まれた乞食と、ドブから生まれた貴人と、どちらがより尊いかって話です」
どこかの説教師が言っていた言葉を持ち出してうんうんと難しそうに頷いた。その様子がどこか馬鹿にしているように見えるのだが、それはスタンリーも同じだったらしい。
「何が言いたい?」
いつにない横柄な低い声に怒気があるのは当然といえた。
「今言いましたけど? オレはセレスティア殿の変化した姿が人間の姿をしていることのほうが奇跡だと思いますけどね。何年も見つかってないなんて、もしかしたら最悪ねずみやカエルなのかもしれないですから」
「生き物と限定されてないのだから、石像とかもありえる」
スタンリーの怒気などどこ吹く風で答えるシーリーに、分かってやっているのならすごいなと思いつつ口を挟む。するとスタンリーも罰の悪そうな顔をして「そうですね」と呟いた。
「そういえばミュゼル殿。ハルク殿が探していたましたが」
話題を変えるつもりなの、スタンリーがそうシーリーに向かってそう言うと、きょとんとしてから小首を傾げた。
「ハルク殿は…オレに、興味があってここに来るんですかねぇ」
「は?」
「…え?」
その言葉の意味するところに声を出す。スタンリーはいまいちわかっていないようだが、シーリーのどこか遠い目を見るに、おそらく考えは曲解ではないはずだ。
「言い寄られているのか?」
「彼の名誉のために発言は控えたいと思います」
それが一番の怪しげな憶測を呼ぶと分かっているだろう。どこか面白そうな笑顔に、こいつも相当な猫かぶりだと認識を新たにする。
「今日からセレスティア殿には会えないようだが、夜も捜索していいということなのか?」
なんとなく思いついて何度も来ている二人に聞いてみる。
「この時をチャンスだと思う人もいるようですよ」
「宴がある時は使用人たちも忙しそうに出たり入ったりで特定が難しいですけど、宴がなければ昼間とほぼ同じなわけですから」
「だが、条件は昼間よりは悪いだろう。使用人だって寝るんだぞ」
「そこですよ。別の姿になっているということは、その遅い時間でも彼女は母屋にいないということです。ですが、確実に月のない夜はやってきます」
つまり、夜中にこっそり母屋に出入りする人物が怪しいというわけか。
「使用人棟から母屋へ直接渡られたら分からないだろう」
この屋敷の構造と、こちらにかけられている制限を考えると確認するのは難しい。
「だから、寝ずに中庭で監視するんですよ。ご苦労様です。本当」
シーリーが応接の窓から見える中庭に視線をやってから目を閉じ、一つ頷くような仕草をする。小馬鹿にしているというか、無駄なことをと言外に言っているような。彼の立場を考えると苦笑しか沸かない。
ちらりと視線を移すとスタンリーがこちらを見ていた。
「なにか?」
「いえ。それはそうと、セレスティア殿と話をした感想はいかがでした? まだ感想をお伺いしていない」
どこか余裕たっぷりな微笑で尋ねられ、そう言えばスタンリーの言葉がきっかけで話をしたのだと思い出す。
「そうだな。魅力的な女性だった。また機会があれば話してみたい程度には」
「そう言えば、キスしていいかって聞いたそうですね」
あの時のやり取りはその場にいなかったシーリーの耳にも入っているようだ。
「姫にも好みがあるからダメだそうだ」
「あはは。乙女の発言は尊重するべきですね」
面白そうに笑うシーリーに、スタンリーが苦虫でも噛んだ様な顔でそっと視線を逸らす。
「お話中失礼します。ミュゼル様、玄関にお会いしたいという方がいらっしゃっております」
応接間に入ってきた侍従に夕食の準備が出来た知らせかと顔を向けると、一礼してシーリーに用件を告げた。
「オレに?」
「はい。それと、夕食の準備が整いましたので、食堂へどうぞ」
侍従の言葉に全員で席を立つ。
「では、オレはここで」
すぐそこの玄関と食堂の間でシーリーとは分かれ、隣を歩くスタンリーにふと思ったことを尋ねる。
「そういえば、貴方は使用人を連れてきてないんだな」
田舎貴族と違い名門家を本家に持つ人物なのだ、当然使用人が付いてきているのだと思っていたが、どうやらスタンリーは違うようだ。ハルクは部屋で食べているようで、食事の時間に食堂で遭遇した事はない。
「彼女に心惹かれなかったと断言できますか?」
こちらの質問の返答ではない言葉が返ってきて、一瞬何の話かと思った。
「それは断言できないな。言っただろう? 魅力的な女性だったって」
話しかけても、あの完璧な笑顔を向けられていた時は周りの反応のほうが楽しかったが、話していくうちにあの凜とした彼女が顔を出した。
呪いのことなど本人はさほど気にしていない印象だった。こちらの馬鹿げた提案に意外にも悪い反応は示さなかった。ウィーヴィング家を継いでもおそらく問題ないだろう思慮深さもある。
「もう一度くらいはここに来てみるのもいいかもしれない」
最後に見せたあの笑顔は歳相応で、もう一度見たいと確かに思った。
今がこんな状況でなければ積極的に話掛けていたかもしれない。結局あれから一度も話すことなく、彼女との逢瀬は終わってしまった。
「俺も中庭で粘ってみようか」
二人きりで話をしてみたいが、探す気もないのだから、それは叶うはずもないが。
半ば本気を混ぜて笑ってみせると、スタンリーはどこか真剣な表情で凝視してきた。
「私は貴方には負けたくないと思います」
「それは、どうも」
射殺すような視線で睨まれたが礼を返す。
スタンリーは間違いなく軍人だ。五回もここに顔を出しているのであれば、元軍人か。なんにせよ、他の貴族たちにない鋭さを彼からは初めから感じていた。おそらくスタンリーもこちらの背景になんとなく気がついているのではと思う。だからこその宣言だろう。
もとより受けて立つ気は無い。あまり深入りされるのも困る。