六日目
昨夜、セレスティアが辞する時に当主が現れ、皆の注意を向けて話し始めた。
「初めにセレスティアが申したように、娘がこの姿で居られるのは月のない夜になりますが、これから月のない時間は真夜中に差し掛かります。この宴も明日までにすることに賛同願いたい」
確かに宴を開くには遅すぎる時間である。これから月がない夜は日をまたぐような時間になる。さすがにまだ若い女性――年齢からすればまだ少女――が人前に出るには遅すぎる時間になる。当然、娘を思う親ならばそんな時間に、男ばかり集まる場所に娘を一人出すことはしないだろう。たとえここが自分の家であろうとも。
「皆さんが苦労して娘を探しているのは存じておりますが、どうか娘にも休息を与えてやっていただきたいのです」
当主の言葉にこの場にいる男たちは複雑そうながらも了承したようだった。
翌日になるとウィーヴィング家を去る人間がかなりあった。
これから期限の十日ほどは彼女を見ることはほぼないということだ。
それに落胆したという理由だけで帰るという事は、それほど真剣に探していない人間なのだろう。まあ確かに、一番の情報源となるだろう彼女と話しができないのでは探しようもない。
ゆえに探し出せる可能性を考え、最終的に帰るという選択をした人間がいてもおかしくはない。
街へと行く馬車に乗り込む様子を二階のテラスから眺めていると、後ろに人の気配を感じた。
「貴方は帰らないのか?」
振り返るとそこにはあまり印象のよくない男が一人立っていた。
「そういう貴方は諦めてないようだな」
質問には答えずに話しかけるとこちらに歩を進めてきた。
ジェームズ・ハルク。彼の家は確か首都貴族――領地は持たない貴族――で、父親が書記官だったと思う。書記官は沢山いるので顔は覚えてないが。
隣に来たジェームズはテラスの下に視線をやってフンと鼻で笑った。
「探す気のない人間は早々に退散したほうが身の為だと思わないか?」
「噂の美女を一目見ようと思うのは男の心理だろう?」
わざとふざけてやるとぎろりとこちらを睨んだ。
「貴方もセレスティア殿を探す気はないようだが?」
だから帰らない理由がわからないと言ったところか。
「昨日今日探して簡単に見つかるようなものでもないだろう。それと、あの呪いの解呪法が怪しいとも思っているしな。俺も長期戦は覚悟してる」
本当はそんな理由でここにいるわけではないのだが、全くの無関心では怪しまれるだけだ。変に怪しまれて追い出されても困る。
「解呪法に疑いを持っているのか」
また睨まれると思っていたがなぜかこちらの言葉に反応した。
「姿を変えるほどの呪いは相当高等な呪いだろう? それが口付けで解呪されるとは到底思えないんだがな。俺は」
呪いと言っても色々ある。子供のやる些細なものから、人を殺すものまで多岐に渡る。このウィーヴィング家の呪いはかなり長期に渡って施されているものである事は、その解呪法が口伝で伝えられているということからも分かる。そんなに長い間かけられ続けている呪いが、果たしてその方法で本当に解けるものか。
こちらの言いたい事がわかったのか、ジェームズは黙り込んでなにやら考えているようだった。
じっとその顔をよく観察してみれば、黙っていればわりと整っている。色は金髪に青目と同じようなのが沢山居るが、造作はそれほど悪くない。あのスタンリーも造作はいいが、このジェームズよりは男っぽいと、そんな下世話な感想を持つ。
そういえば、スタンリーのフィルド家は確か、名門バークヴィスタ家の分家だったか。
容姿も家柄もいい人物が競争相手となっているのだから、敵わないと思った人間がウィーヴィング家を去る理由もわからないでもない。
見つめるこちらに気がついたのか、はっとしてこちらを見て視線を逸らした。
「そういえば、シーリー殿を見なかったか?」
「シーリー?」
どうやらシーリーを探してここに来たらしい。そういえば以前もシーリーを追いかけていたのを目撃している。
シーリーは言わばウィーヴィング家の身内だ。あまり屋敷内で見ないのはこういう人間がいるからなのだろうと推測する。
「部屋にはいないのか?」
「いないから探しているのだろう」
少し不機嫌そうに言うジェームズはどこまで知っているのか。
「居留守を使っているのかもしれないだろう。部屋の中は確認したのか?」
「侍従がここで見たと言っていたのだ」
「そういえば、今朝から見てないな」
ここ二日はアンドリューと一緒にお茶を飲む一時を楽しんでいたのだが、今朝は来なかった。
まあ、彼が期間中にいなくなることはないわけであるが。
「そうか」
ジェームズはそう言うと、用は済んだとばかりに入ってきた扉から出て行った。
「月影の姫か」
今日で姫の姿は見る事はできなくなる。いや、見る事は可能だ。夜這いでもすれば。そこまでする人間がいるとは思えないが。
姫を探す側の行動範囲は限られている。さすがにウィーヴィング家の私的な空間には入れない。表玄関のあるこの棟は賓客を迎えるための公的な場所で、姫を探すのはこの場所と庭などに限られている。
「まあ、探せというからには、探せる場所にいるということだろうけど」
本当は目にしているのに気がつかないものになっているとか。そういえば一人、下働きの女性にキスを迫って殴られていた男を見たことがあった。
「問題は人の姿をしているかどうかだな」
下に見える帰り支度をしている男がしていた噂話では、姫は本当は醜い姿をしているというものだった。夜の美しい姿は偽りで、本来は醜い姿をしている。そんな相手とうっかりキスをして、解呪したのでは大変だと帰る決意をしたらしい。
まあ、あくまでも噂だが。
それを聞いてアンドリューがものすごい剣幕で怒っていた。その噂の根源が実はいつぞやの自分の発言が発端だとはさすがに言えなかった。
だが、思い返せば、姿を変えるとは言ってはいたが、それが人の姿であるとは一言も言っていない。つまり、どこかの物語のように蛙にでもなっている可能性もあるわけだ。
それに気がついているものは果たしてどのくらい居るのだろうか。
「なんにせよ、ご苦労なことだ」
喉が渇いたので食堂へ向かう。階段で数人にすれ違ったが、どれもあまり良いとは言えない顔色である。
「………!」
「ん?」
階段を降りきり玄関脇を抜けると何やら声がする。食堂とは逆方向の広間のほうだ。
「私は違います!」
今度ははっきりと聞こえた。どうやら女性が誰かに言い寄られているような、そんな雰囲気だ。聞こえた内容から想像するに、間違いなく助けたほうがいいかとそちらに足を向ける。
「一度でいいんだ」
「嫌です。そもそも何を根拠におっしゃるのですか。いや!」
赤毛の女性が貴族の男に腕を取られて出てきた広間に引きずり込まれている。
「おいおい」
あれでもしセレスティアだった場合、印象が悪すぎだろう。
兎にも角にも、強姦まがいの事はやめさせなければと広間へ入る。
「! っと」
入ったとたんにその貴族が倒れてきた。慌ててそれを避けると無様に床に転がった。
「お前それでも貴族なのか? 明日から蛮族と名乗ったほうがいいぞ」
次いで聞こえた声に視線をやれば、ジェームズの探し人が女性を背に庇って貴族を見下ろしていた。
呆れと軽蔑と怒りの混ざった視線は普段の彼から考えるとかなり冷たいものだ。
「貴様! 邪魔をするな!」
「犯罪者になりたいのか?」
「ぐえ」
根拠もなく襲っておいて邪魔はないだろう。とりあえず鳩尾に踵を落としておいた。
「お嬢さんは大丈夫なのか?」
「あ、はい。えっと、ありがとうございます」
庇われている女性を見れば目を涙で潤ませているが、とりあえず無事なようだ。
「ご当主に話して彼をここから追い出したほうがいいな」
シーリーが呆れたように言うのに頷く。
「そうだな。こういう自分の行動に責任をもたない奴は同じことを繰り返すからな」
「とりあえず、場所移そうか。大丈夫?」
「はい。本当にありがとうございます」
床に蹲る男はそのままにして、とりあえず必ず人が居る食堂へと向かう。シーリーが使用人に声をかけて水をもらってくる。それを女性が飲んでいる間にあの美形な侍従がやってきた。
「何がありました?」
「カルロ様、あの、助けていただいたのです」
すっぱりと「何から」が抜けていたが、侍従にはそれで分かったらしい。
「ほう。どなたです?」
心なしか、怒気を含んで聞こえる声に思わず苦笑してしまう。
「あれは、アルバデスト家の四男だ。まだ広間に転がってるかも」
シーリーが答えると侍従は「わかりました」と頷き、侍女に奥で休むよう言い置いて去って行った。
水を飲み干すと侍女も頭をもう一度礼と下げて去って行った。
「アルバデスト家はウィーヴィング家とあまり仲が良くないはずだな」
「それがもし運命の相手だったら、仲の悪い両家を取り持ったと世の乙女たちはこぞって喜びますね」
相変わらず他人事のようにあっけらかんと笑うシーリーに少し呆れる。
「あの侍女には気の毒だ」
「ああ、今頃あの侍従の制裁が下されていますよ」
どこか乾いた笑みに、何かあることだけはわかった。
「それにしたって、あそこまでするか」
「今夜が姫の現れる最後だから焦ってるんですよ。まあでも、まさか兄弟揃って同じ理由で追い出されるとは」
「兄弟? 兄たちも来てたのか」
二年前からここにきているシーリーの言葉だ、間違いないだろう。なんとも野心溢れるというか、嫌がらせというか。あの侍従の「制裁」とやらも頷けるというものだ。
「そういえば、ハルクが探してたぞ」
「知ってます。じゃあ、オレはこれで」
シーリーを誘ってお茶でもするかとも思ったのだが、そういえば探している人物がいたと思いなおして教えてやると、にっと笑って立ち去った。
彼も色々と大変そうだ。