二日目
次の朝、視界に映りこんでくる部屋の様子に見覚えが無いことに違和感を覚える。
「ああ、そうか」
ここは滞在先の屋敷の一室であると寝起きの頭で思い出す。
与えられた部屋は高級な宿よりは質素なつくりであるが、一般家庭よりはさすがに豪華だ。寝室と応接間があり、浴室なども寝室に隣接されている。元々治水を任されている家なので、会議やら宴会やらで人が集まることが多いのだろう。広間も男ばかり三十集まっても随分余裕があった。
支度を済ませて部屋を出る。昨日の説明では食事は食堂に出されるといことだ。希望があれば部屋に運んでくれるそうだが、逆に部屋に入られるのは避けたいのでありがたい。中には身の回りの世話をする人間も連れてきた人物がいたようだったが、ほとんどは一人のようだった。
時間的に早いためか、他の滞在者たちを見かけないまま食堂へとたどり着く。
「おはようございます。少し早いですが、お食事になさいますか?」
「いや。お茶をもらえるか?」
「はい。どの席でも自由におかけ下さい」
応対に出てきた侍従に頼んで窓に近い席に座る。今朝は少し雲が多いが、青空が見えているので天気は晴れるだろう。視線を向けた窓からは木々と下草を手入れする庭師が働いている様子が見える。
「どうぞ」
「ありがとう」
目の前に置かれたお茶に礼を言うとにこりと笑い一礼して去っていく。濃い茶色の髪をした背の高い、中々の美形だなとなんとなく思う。
昨夜見たウィーヴィング家の娘、セレスティアはかなりの美女だった。周りの話では「月影の姫」と呼ばれる、実は有名な美女なのだそうだ。三年前に始まったこの集まりの時から知れ渡っているらしい。
その話を聞いて、そう言えば同僚や部下が一度は拝んで見たいとかなんとか言っていたような気もする。この滞在が終わったら自慢してやろう。
それにしても、あの美女が受けている呪いとやらを思い返す。
月の無い夜の間だけあの姿で現れるらしいが、それ以外ではどんな姿なのか。そう言えば、この屋敷内にちゃんといるのかどうかも言っていなかったが、花婿探しでもあるのだから屋敷内にはいるのだろう。
少し焦り気味のウィーヴィング夫妻と、少し冷めた様子の娘を思い出し苦笑する。
ウィーヴィング家の子供は彼女だけだという事だから、夫妻の焦りは分からないでもない。だが、確かセレスティアはまだ十七だと聞いた。それほど焦ることもないのではと思わなくもない。普段どんな姿になっているのか知らないが、それでもあの美しい女性としての姿もあるのだから、そう悩むことでもないと思うのだが。
「早いんですね」
ゆっくりお茶を味わいながら考えていると気安く声を掛けられる。この時点で屋敷の使用人たちではない事が分かる。視線をやれば少々小柄な青年。
「おはようございます。オレにもお茶をもらえますか」
こちらに挨拶をして、近づいてきた侍従に注文をして向かいの席に腰を下ろした。目の前の姿を見て名前を思い出す。
「確か、ミュゼル殿」
「はい。抜け駆けですか?」
にやりと口の端を上げて面白そうに笑う顔はやはり悪ガキである。
「そういう君は?」
お茶を持ってやってきた侍従に「ありがとう」と礼を言ってから肩をすくめる。
「オレは早起きなんですよ。朝仕事があるんで体が勝手に起きるだけですけど」
「朝仕事?」
「ええ。馬の世話や銃の手入れなんかを」
銃という単語に思わず凝視する。
「使えるのか」
「はい。貴方もでしょう?」
銃火器の扱いが出来るということは、目の前の男は軍に所属しているのか? そうなるとあまり親しくはしないほうが良さそうだが。
「君はいくつだ?」
どうみても年下だろう。もし軍にいたとしても下っ端なはずだ。こちらの質問に何を聞きたいのかを敏感に察知したようで、銃を扱える経緯を話してくれる。
「十七です。軍には属してません。父が元軍人で、田舎の領地だから銃を扱える人間が一人でも多いと助かるとかで教えられました」
「なるほど。俺も似たようなものだ。使える人間が血縁関係のほうが遠慮がないとかなんとか」
「お互い面倒くさい父を持ちましたね」
はは、と屈託無く笑う彼は確かに軍人とはほど遠い感じがする。
それにしても悪ガキだと思っていたら本当に少年だったのか。それにしては世慣れているというか、なんというか。
話が一区切り付いたところで食堂に他の人間たちがやってきた。それを見てシーリーが立ち上がる。
「親しくするのも目立つので。また機会がありましたら」
「ああ」
軽く頭を下げて少し離れた場所に座ると朝食を用意すると侍従が告げた。
その後はそれぞれ思い思いに過ごす事になる。
もちろんセレスティアを探すために色々聞き込む人や、周りの人間を観察する人、何度か来ている人物たちは馴れ合うのを嫌ってか、シーリー同様にさっさとどこかへ消えた。
「あの」
ここに居座るのも変に思われるかと、席を立とうとしたところに控えめに声を掛けられた。
「ああ、えーっと、レルソン殿だったか」
「はい」
立っていたのは昨日最初に自己紹介をした青年だ。
「何か用か?」
特に親しくしたわけでもないし、そもそもここにいる男たちは全て敵である。情報収集に声をかけてきたのだろうか。そうだとしても初参加の身としては提供できる情報はない。
「あ、いえ。用というほどのものはないのですが。あの、皆さんあまり話をしてくれなくて」
少し恥ずかしそうに告げるのに「ああ」と頷く。別に歓談をするために集まったわけではないのだから当然ではあるが、彼はどうみても田舎から出てきたばかりの好青年である。
他の貴族たちの対応にどうしていいか分からないのだろう。
「君はいくつだ?」
シーリーにもした質問だが、だいぶ意味合いが違う。
「十八です。ここにいる皆さんは年上の方ばかりのようで」
「いや。一人十七のやつがいる」
「え。そうなんですか?」
「丁度いい。俺も暇してたところだから、座ったらどうだ」
「はい。ありがとうございます」
今いる食堂に人がいなくなってきたこともありそのまま居座ることにした。こちらの誘いに青年アンドリューは嬉しそうにして素直に椅子に座った。一つしか違わないのに、どこか食えないシーリーとはだいぶ印象が違う。
そのシーリーの話をしてやると、少し首を傾げて記憶を辿っているようだった。
「君より小柄で、金髪青目。話した印象だと十七には思えなかったな。昨日は濃い茶色のシングルスーツだった。今日はベストだけだったな」
「彼か…。今日会われたのですか?」
どうやら該当する人物がいたようだ。
「ああ、早朝にここで」
「朝食まで部屋にいなくていいんですね」
その言葉に彼もどうやら早起きのようだと推察する。
「俺はあまり周りに声をかけてないが、他の人間はどんな印象だ?」
一応の情報収集に話を振ってみると気まずいような苦笑が返ってくる。
「そうですね。皆さん必死というか。何度かいらしてる方もいるそうです。僕はかなり田舎の人間なので首都に住んでいる方には印象が良くないようで」
「ああ、いるな。俺も昨日小馬鹿にされた」
あの印象の良くない人物は食堂にはこなかった。おそらく使用人を連れてきているのだろう。
「君は親に言われてここに?」
昨日のあの男を思い出して聞いてみる。どうもこの青年には野心などありそうにない。
「ええ、まあ。あわよくば、ウィーヴィング家と姻戚関係になれるわけですから。貴方はご自分で?」
「決めたのは俺だが、実はあまり興味は無い」
ここは正直に答える。まさか事実を言うわけにもいかないが。
「でも、すごい美人でしたよね」
控えめな言い方にピンとくる。
「そうだな。君と歳も近いし、がんばってみたらどうだ? 彼女もあまりに歳が離れている相手では可哀想だし」
心にもないが発破をかけてみる。あれだけの美女を田舎で見る事はそうないだろう。
「え、あ。そう、ですね」
案の定、好青年のアンドリューは少し動揺して頬を染めた。
ウィーヴィング家の財産だけでもこの話は美味しい。それに加えてあの美女が手に入るかもしれないのだ。俄然やる気を出した人間は多いだろうし、何度も来ている人物がいるのも頷けた。
それゆえに、あの凜とした彼女が少しだけ気の毒だとも感じた。