一日目
「アドラル領…?」
「の、分家だ」
「………なるほど。私はシーゼル領レルソン家の次男でアンドリューと言います」
間の空いた返事と、明らかに動揺の見える表情に、思わず苦笑が表に出るところだった。しかし、笑ってしまっては必死に取り繕っている青年に失礼であろう。何も気づかないふりで話を続ける。
「シーゼル…国境近くか。お互いかなりの地方だな」
「あー…。そう、ですね」
長い返事に他の領地の名前や場所を全て把握はしていないようだと推測する。
悪く言えば姿だけは大人の無知な子供。
しかし、これが近年彼らの年齢の標準であろうことは知っている。軍にでも所属しない限り全領地を覚えることはないだろう。特にここに集まっているのは当主になれない者ばかりである。
ウィーヴィング家に集まったのは総勢三十人。広間に集められ、滞在するにあたっての注意点と部屋決めの説明が行われている。
その間、それぞれに穏やかに話してはいるが、ほとんどの顔に野心が覗いている。
集まった貴族たちの出身は実にさまざまだ。服装からするとだいぶ南の者や、知っている家名もいくつかあったが、その家にこんな人物がいたのかと思うような顔ばかりだ。しかし、だからこそこちらの正体がばれることは少ないという安心材料にはなった。
治水を任されるウィーヴィング家は領地にも家があるが、任されている役柄上当然のように首都にも家があった。集められたのは首都の家で、田舎から出てきた者たちは物珍しさからか、かなり高揚している様子でキラキラとした瞳であちこちを見て回っている。
「貴方は首都の方ですか」
そう声をかけられたのはそんな周りと様子が違ったせいもあるのだろう。声をかけてきた人物を見ればどうやらこちらも首都出身のようである。
「いいえ。アドラル領からですが、学業は首都でしたので」
「なるほど。私はジェームズ・ハルクと申します」
にこやかに挨拶をする男に自己紹介と挨拶を返と、どこか小馬鹿にしたように「ほう」と頷く男は満足したか「では」とまた笑い去っていく。その様子だけ見ても、彼は今のうちから敵になりうるかどうかを判断しているのだと窺える。
「あからさまな奴もいるもんだ」
言葉にはせず頭で思っていた声が聞こえ思わず動きを止めてしまった。
「それだけ欲しい家柄なのか、家督を継がない上に能無しだとは思われたくないのか、あるいはウィーヴィング家の姫が魅力的なのか、どれだと思います?」
明るくぺらぺらと口にしながら隣に現れたのは随分と若そうな男だ。
少し気まずいと思いながら視線を合わせると、男は肩をすくめて笑った。
「オレは親父殿に言われて仕方なくやってきた口ですけど」
あまりにもあっけらかんと言われ思わず笑ってしまった。
「俺も似たようなもんだ」
「ウィーヴィング家の姫はすごい美人だそうですよ」
「そうなのか」
事前に娘の事は調べたが、容姿のことまでは調べなかった。ここに居るのは便宜上なのだから、必要もなかった。
「聞いただけですけど、奥様は確かにお綺麗な方でしたね」
「ああ、アストラル家のどこかの主と取り合ったって話だな」
「へえ。詳しいですね」
警戒心を抱かせない雰囲気にうっかり口を滑らせた。アドラル領はかなりの僻地であると言っていい。そんな場所の三男が知っている情報としては少し妙なはずだ。
「…母がそういう噂の好きな人でな」
「なるほど。女性はそういう話が好物だっていいますからね」
少しの間には気づかなかったのか明るく笑って頷いた。屈託の無い笑顔が、小柄なせいなのか、悪ガキといった印象を与える。
「シーリー殿」
先ほど声をかけてきたジェームズが不機嫌そうに声をかけてきた。どうやら隣に立っている人物の名前らしい。
「ハルク殿。またお会いしましたね」
「また?」
にっこりと笑ってさらりと出たその単語に、思わず口にすると、ジェームズがさらに不機嫌にシーリーを睨んだ。そんなジェームズの様子にまったく気がついていないのか、自分を指差して説明を始める。
「オレも含め、十人くらいは常連なんですよ。ハルク殿とは三度目ですか。ね?」
「シーリー殿」
低く唸るような声にどうやらあまり知られたくない事実だったようだ。それをこともなげに口にするシーリーを威嚇するように睨むが、全く意に介すことなく、どちらかと言えば面白そうに笑っている。
おそらくハルクより年下と推測されるシーリーがどうやら上手のようだ。
「お互い家督を継がなくていい身分なんですから、もう少し気楽にしましょうよ。では」
にっこりと笑って爽やかに立ち去ったシーリーの後姿に苦々しく視線をやり、こちらを一瞥して一応のように目礼をしてジェームズも去っていった。
「中々大変なんだな」
一応競争相手である彼らを見た最初の感想はそんなものだった。
その日の夜。ウィーヴィング家に集まった面々は再び広間に集められた。
「ようこそお越しくださった。私がウィーヴィング家当主、ウィルド・ウィーヴィング。こちらが妻のアメリア。
さて、ここにお集まりの方々はすでにご承知のことと思うが、一応説明させていただく」
現れた当主がウィーヴィング家に伝わる秘密を話し始める。
事前に聞いていた内容とほぼ同じで、このウィーヴィング家にはある呪いがかけられており、その呪いを受けた娘を助けて欲しいというものだ。その呪いというのがどういうものかは伏せられているが、その呪われている娘を助けたものに娘の婿となってもらうというものである。
副官の報告どおり、婿探しである。
「娘を助けて戴いたお礼として婿にというのではありません。口伝によれば呪いは娘を心から愛し口付けることで解けるということです。それはつまり運命の相手でしか成り立たない」
それを聞いて回りが少しざわつく。
なんともロマンチックなと言ったところか。
「それでは我が娘を見ていただこう」
当主がそういうと控えの間があるのであろう扉が開かれ、当主の妻に促されて出てきた少女に一同息を呑んだ。
「あれが、月影の姫」
誰かがそう呟いたのが聞こえた。
物憂げに視線を落とし、母親の手に手を乗せて歩く姿は楚々とした風情。細い首は妙に艶かしいのに、薄い唇が堅実な様子を見せている。まだ少女である年齢であるはずだが、大人の色気がそこはかとなく漂うようだ。金の髪は結い上げベールを被せ、身につけているドレスは宵闇を連想させる青い色。その対比が彼女の「月影の姫」という俗称にぴたりと当てはまる。
当主の側で立ち止まるまで、誰もがその姿に惹きつけられ言葉を忘れていた。
「これが我が娘のセレスティアです」
そう当主が紹介したところでようやく皆息をつく。どうやら呼吸も忘れていたようだ。
「セレスティアと申します」
父親に促されそう挨拶した声は落ち着いた声音で、彼女をよりいっそう清楚なものに印象付ける。
「方々にはこの娘の呪いを解いて戴きたく思います。期限は十五日。我が家に滞在できる期限が十五日と決まっておりますのでご容赦願いたい。今回のうちに解けない場合は何度でも来てくださって構いません。娘の将来がかかっております。どうぞ、よろしくお願い申し上げる」
当主がそう頭を下げる。
その様子を見ながらあのシーリーの言っていた言葉を思い出す。ジェームズが三回目だと言っていたが、毎回来ている人物もいるのだろう。副官のアンリの話では三年前に始まったと言う事だが、その間どのくらいの人数が集まったものかと思うと当主の焦りも分からなくもない。
「私からも一つ」
「セレスティア!」
「父上の言葉は公平ではありません」
話し出した娘の言葉に当主が声を荒げる。それに一瞥をくれた娘はどうやら見かけ通りの清楚な女性ではないようだ。
「私の受けている呪いについてですが…。ご存知の方もいるのですから隠す必要はないでしょう?」
当主に向かい呆れたように言うと、当主も渋々引き下がった。
「私が受けている呪いは姿を変えるものです。私が今の姿でいられるのは夜、それも月の無い間だけです。それ以外は姿を変えております。その私にキスをするというのが解呪の条件だという、口伝ですが」
意味深にそこだけ強調し、一度口を閉じた。
「公平ではないと言ったのはそこにあります。初めに言っておきますが、全て口伝ですのでそれが正しいものなのかは当方も存じておりません。それでよろしければ、どうぞ私を見つけてキスをしていただきたいと思います。私からは以上です」
凛とした様子で話を終え一礼して元の扉へ去っていく。その姿を初めて参加したものは呆然と見送った。
つまり、見つけてキスをしたところでそれが解呪になりえるのかは定かではないということだ。もしかしたら他の条件があるかもしれないと、そういうことだ。
にわかに周りがざわめく。以前の参加者に尋ねる者や、渋面を作りどうするかを悩む者、さまざまだ。
その様子に当主は頭を抱え、妻は少し青い顔をして立っている。どうやら当人よりも両親のほうが深刻に悩んでいるのだろうと窺える。
「期限は十五日か」
アンリはそれを知っているだろうか。とりあえず期限付きだと連絡はしたほうがよさそうだ。
十五日。今日が新月であるはずだから、ちょうど満月に一区切りつくわけだ。
「ウィーヴィング家の月探し、ね」
月の無い夜に現れる月影。その隠れた月を探せと、そういうことのようだ。
誰が言ったのか、乙女が好みそうな中々に詩的な表現だと苦笑がもれた。