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拾った猫が異世界産だった件

作者: 夜凪
掲載日:2026/10/31

 十歳の時、交通事故にあった。

 家族旅行の帰りの高速で、居眠り運転していたトラックが引き起こした追突事故に巻き込まれたらしい。


 両親は死亡。後部座席に座っていた私も大怪我を負い、意識が戻った時には両親の葬式どころか四十九日まで終わっていたし、目が覚めたのは奇跡だと言われた。

 全身打撲に両足の複雑骨折だったけれど、幸いというか身(・)体(・)的(・)に(・)は(・)後遺症は残らなかった。


 代わりに、私の脳みそからは個人情報が抜け落ちてしまった。

 自分の名前も十年間生きてきたはずの思いでもひとつ残らず……。


 担当医師が言うには、頭部に損傷は見られないから、事故のショックから自分を守る防衛本能が働いたのではないかという事だった。


 確かに、両親の死に対して申し訳ないほどに心が動かなかった。

 記憶のない私にとっては、不幸な事故に巻き込まれた夫婦という認識でしかないのだからしょうがないのだが、仲の良さそうな家族写真を見るとなんだかいたたまれない気持ちになった。


 実は、当時の担当医師には言えなかったのだが、元の記憶の代わりというように別人の記憶がよみがえっていたのだ。

 名前は思い出せないし、他にも穴ぼこだらけだが、成人して社会人として働くおそらくアラサーくらいの女性の記憶だ。


 私の認識では、ふと目が覚めたら、点滴と訳の分からない機械のコードだらけでベッドに寝かされていたのがすべての始まりだった。

 そして聞き覚えのない名前で呼びかけられ、身じろぎしようとして全身に走った痛みに悶絶することになった。おかげで不用意な言葉を出さずにすんだのだから、不幸中の幸いだったのだろう。


 痛みに悶絶しながらも、霞む視界で周囲を確認。

ついでに、自分の体のサイズ感がおかしいことも認識した。どうやら、自分は見知らぬ少女になっているらしい。

 あまりにも荒唐無稽のため、とっさに自分という存在を隠し、何も覚えていないふりをすることにした。混乱の中、とっさの行動としてはナイスだといまだに思っている。

 

 結果、解離性健忘症との診断がくだったというわけだ。

 強い精神的ショックや極度のストレス、トラウマなどが原因で、自分に関する大切な情報や特定の辛い出来事の記憶を思い出せなくなる状態、という点ではきっと間違いではないだろう。


 問題は、失った分、余計なものを思い出してしまった、という点だ。

 この記憶が、前世がよみがえったものなのか、少女の体に憑依してしまったものなのか、はたまた少女が防衛本能の一環で作り出してしまったものなのかはさっぱり分からない。


 ただ、どれほど心の中を探っても無くなってしまった少女の記憶は、どれほど時が過ぎようと欠片も戻ってこない。

 今では、少女はあの事故で両親と共に逝ってしまったのだろうと思うことにしている。


 とりあえず。

 この体の記憶がなかろうと、怪我も治り体は生きている以上、生活をしていかなかければならないわけで。


 両親亡き後、私は母親の妹という人の元へ身を寄せる事になった。

 父方の親族とは没交渉、母方の両親はすでに鬼籍に入っており、最も近い身うちは叔母だけだったそうだ。


 ところが本人は現在動ける状況にないらしく、依頼を受けたという代理人がもろもろの手続きにやってきた。

 入院中はその人と、遠い親戚だという老女一人だけが主な面会人という状況で、どれだけ人との縁が薄いかが分かるというものだ。


 そうして退院当日に迎えに来たのは、肩まで伸びた髪をひとくくりにした顔色の悪い女性だった。


「今まで見舞いにもこれなくて悪かったね」

 ぼそりと一言謝った後は、入院中に増えていた細やかな私物が詰め込まれた小さなカバンを私の手から奪い取り、サッサと歩き出してしまう。


「記憶がないって聞いたけど、今まで暮らしていた場所で生活するのと、一から人間関係構築しなおすのと、どっちがいい?」

 待っていたタクシーに押し込まれ、最初の台詞がそれだった。

 当時の私の立場を客観的に見れば、自己で両親を亡くしたばかりか記憶まで亡くしてしまった可哀想な少女だ。


(十歳児に何を聞いてるんだ、この人?)

 大人な意識があったからこそ、ドン引きである。


「……わからない、です」

 とりあえず、無難に返しながらも隣に座る女性を心の中で変人のカテゴリーにぶち込みながらそっと目をそらした。

 黙り込んだ私に何を感じたのか叔母も口をつぐみ、タクシーの中には気まずい沈黙だけが流れた。


 地獄のような時間を乗り越えようやくたどり着いた自宅には、急ごしらえの祭壇が置かれていた。

 その上にぽつんと並べられていた白い布に包まれた白木の箱にそっと手を合わせる姿を、なんだか不思議な気持ちで眺める。


 そういえば、刺激のためにと親戚の老女が持ち込んだアルバムの中に、その横顔があったことを思い出して、この人は姉を亡くしたばかりなんだなと気が付いた。

 いや、そういう意味では私も父母を亡くしたばかりなんだけど、どうにも実感が薄くてね……。

 それでも、純粋に両親の死を悼んでくれている姿を見るのは、なんだか感慨深いものがあった。


(悪い人ではないのかも。この人だって、きっと混乱してるんだろうし……)

 心の中で謝罪して、最初の認識を少しだけ改める事にした私は、その後すぐに自分の思いやりを後悔することになる。


 そんなファーストインパクトを乗り越えて共に生活してみれば、保護者に名乗り出てくれた叔母はやはり最初の予想にたがわぬ変人だったのだ。


 母親とは六歳違いの姉妹だった叔母は現在28歳で、友成夏樹(ともなりなつき)という名前だった。

 平凡な一族の中から突然現れた麒麟児というやつで、完全無料の奨学金を勝ち取って医師免許を取得した後は海外に飛び、アメリカの方で生活していたそうだ。


 丁度何かしらの研究に参加して佳境に入ったところだったため帰国できず、もろもろの後始末をつけてどうにか戻ってきたのが昨日の深夜。それは、多少くたびれていてもしょうがないだろう。


 と思ったのだが、そもそも叔母は生活能力が皆無だった。

 というか、興味のある事以外はすべて些末事(さまつじ)と適当になるのだ。


 洗濯機まで足を運ぶのが面倒だと靴下や脱いだ上着はそこら辺へ放り投げられる。

 ごみは遠方から投げられ、外れても気にしない。

 必殺技は「あとでしようと思ってた」。

 食器を洗うのが面倒だからと、作っておいていた料理を鍋から直にかき込んでいたのを見た時は殺意が沸いた。


 しかし、その適当さがいい方向に運んだものもあったのだ。


 一緒に生活する中で十歳児ロールプレイを続けるのは心が休まらないと判断した私は、早々に現状のカミングアウトをすることにした。

 これまでほとんど交流がなかったとはいえ、姪が別人に乗っ取られていると知ればどんな反応をされるだろうと戦々恐々としていたのだが、それに対する叔母の反応は非常にあっさりしたものだった。


「う~ん?ストレスによる解離性同一症の一種かな?私、精神医学は専門じゃないから詳しくないんだよね。知人に紹介する?」

「え? いや……、今のところは困ってないからいいかな」


「そう? まるっきり記憶ないよりは生活しやすいから、いいんじゃないかな。あれ? じゃあ、名前はどうする? あと大人扱いした方がいい?」

「名前はそのままでいいよ。覚えてないし。対外的にはともかく、普段の生活では子ども扱いしなくても大丈夫。後はそのつど相談ってことで」

 存在をそのまま受け入れられて、あっけにとられながらも返事をする。


「了解。じゃあ、改めてこれからよろしく」

「……え?それでいいの?」

 あげくの果てに、握手を求められてぽかんと口を開けた私はおかしくないはずだ。

 普通はそうはならないでしょ。


「う~ん。正直、私が真っ当に子供を育てられるとは思ってなかったから、現状はありがたい。多少中身が変わったとしても、生物学的には姪なのは変わらないし、とりあえず姉にはもう一人子供がいたんだって認識にしとくわ」

「え~~、え~~っと」

 戸惑う私の頭を、叔母はポンとなでた。


「悠里ちゃんがいなくなったのは悲しいけど、親を亡くして泣いてる子供を慰めるスキルなんて私にはないし、きっとこれで良かったんだよ」

 その言葉には悲しみが滲んでいて、彼女も「少女は両親と共に逝ってしまった」という、私と同じ結論に至ったのだと言外に感じ取れた。


「そう……だね。じゃあ、これからよろしく、夏希さん」

 だから、私もそれ以上何も言わず、差し出された手を握り締めた。


 こうして、私と夏樹さんの同居生活は始まったのだ。






 今までの自分を知る人の中で生活するのは精神的にきついだろうと、夏希さんは元居た町から離れた県へ就職先を見つけてきた。


 そこそこ栄えた地方都市の中規模の病院だった。

 ちなみに夏希さんの専門は心臓外科だそう。

 本来なら、小学生を夜中一人で留守番させるのはよろしくないだろうが、中身が私(成人女性)のため問題はない。


 そして、就業ひと月もしないうちに宿直も始めた夏希さんの生活は、不規則極まりなかった。

 忙しい。

 とにかく忙しい。


 通常業務に加えて、海外のチームにまだ名前を残しているらしく、そちらとのやり取りも多い。

 さらに日本でも何らかの研究を進めているようで、いつ寝ているのか心配になるほどだ。

 医師は高収入だという認識だったけれど、時給換算にしたらブラックなんじゃないかと思うほどだった。


 そんな中、私は私でマイペースに過ごさせてもらっていた。

 小学校に通うのは面倒だったけれど、登校拒否などして目立ちたくはない。

 ただでさえ、保護者が叔母一人で要注意チェックされがちな家庭環境なのだから、出来るなら無難に過ごしたいのだ。


 かといって十歳児ロールプレイはきついので、教室の隅でじっとしている大人しい子ポジションを取らせてもらっている。


 女子は男子に比べて、そこら辺の機微を読めるようになるのは早いため、目立たない限りは不用意な突っ込みは来ない。

 加えて、私の容姿が小柄で同級生に比べて幼く見えるのも功を奏した。

 黒髪ロングの小声で俯きがちな少女が、見事にはまっていたのだ。

 

え?結局ロールプレイしてるじゃないかって?

 無理のない方向なら処世術の一環だ。

 そんなわけで、教室の隅で大人しくしつつ、それなりに周囲とも交流を取ることで悪目立ちを避ける日々が始まった。


 夏希さんの収入と両親の遺産から経済状況には余裕があったので、いっそ自由度の高い私立にでも入ってはどうかとの提案は謹んでお断りした。

 別に勉強が嫌いなわけでもないが、好きなわけでもない。


 そもそも私の知力が周囲より高く見えるのは、単に比較対象が小学生であるからで、実際、高校の参考書を眺めてみればわからない問題もちらほら……。

 恐らく真面目に授業を聞いていなければ、現在のアドバンゲージも早晩尽きるだろう。


「まあ、やりたいことが見つかるまでは、のんびり今の生活を送らせてもらうよ」

「悠里がそれでいいなら、別にいいんだけど。それって、やらない人間の常とう句だよね」

「わお。私の保護者が辛辣~」


 なんて茶番めいた会話をしながらも、一応の保護者の許可は取り付けたので、問題はない。

 ……問題はないはずだ。


 ともかく。

 町のはずれの古びた一軒を借り受けての二人暮らしは、それなりに問題なく過ぎていった。


 放っておくと食事を十秒チャージの某栄養補助食で済ませようとする夏希さんに食事をとらせ、面倒だからとドライシャンプーとボディータオルで済ませようとする夏希さんを風呂に叩き込み、ガンギマリの眼でパソコンに噛り付き何かのレポートを書いている夏希さんをベッドへと追い払う。


 夏希さんの世話以外にも、食事を作って洗濯掃除をして、余った時間は図書館に通ったり庭を掘り返して家庭菜園をつくってみたりと趣味活動にいそしんだ。

 半年もそんな生活をしていれば、ルーチンワークが出来上がる。

 気がつけば、凸凹なりに互いのタイミングもなんとなく読めるようになり、居心地の良い平穏が板についてきた。


 そんな日々の中、夏希さんが唐突に一匹の犬を連れ帰ってくる。

 一歳になるジャーマンシェパードのミックスで思ったよりも大きくなってきて、マンションでは飼えないと飼育放棄された子だった。


「うちなら庭も広いし、悠里も一人だと何かと物騒だから丁度いいかと思って」

「……で、本当の所は?」

「知人が押し付けられて困ってたんだよ。後、探してた希書を譲ってくれるっていうしさ~」

「持参品目当てか~い! そんな事だろうと思ったよ!」


 どれくらいの間飼育放棄されていたのか、こぶのような毛玉をいくつもぶら下げたその子は、全てを諦めたようなうつろな目をしていた。


 どんな日々を送ってきたのか。

 胸糞悪くなる気しかしないので詳しく聞きたくはないけれど、機会があるなら元飼い主を一発殴らせてもらえないだろうか? なんていささか物騒なことを思いながらも、そっと鼻先に手を差し出した。


「……まあ、これも何かの縁だよね。よろしく」

 私の言葉にうつろな瞳が、戸惑ったように揺れた。

 しばらく待っていると、そっと鼻先を掌に押し付けてきたので、汚れでごわついた頭をそっと撫でてやる。最初は優しく、徐々に遠慮なくぐりぐりと。


 戸惑った瞳で、それでも逆らうそぶりも見せずされるがままになっている犬は、大人しい良い子だった。

 子供の拳じゃダメージも薄そうだし、やっぱり蹴りも入れよう。

 控え目に尻尾を揺しはじめた様子を見て心に決める。


「とりあえず動物病院と、行けそうならトリミングかな~? この毛玉は素人じゃ綺麗にするのは無理でしょ」

「すぐ引き受けてくれそうなところ、探してくる」

 所在なさげに隣にたたずんでいた夏希さんが、パッと顔を輝かせながら家の中に駆けこんで行く。


 あんな言い方してたけど、絶対、自分から手を挙げたに違いないと確信した。

 面倒くさがりだし、興味のある事以外は適当だけど、夏希さんは案外お人好しなのだ。


「大丈夫。ここでなら幸せになれるよ。夏希さんに拾われた者同士、仲よくしよう」

 その背中を見送りながら、私はポツリとつぶやいた。


 病院でもトリミング店でも非常に大人しくしていた犬は、アサヒと名付けられた。

 元の名前はもちろんあったのだけど、その名を呼ぶと犬がおびえた様子を見せたため、獣医さんに新しい名前を送ってはどうかと勧められたのだ。


 途中で名前を変えてもいいのかと問うと、悪い印象のついた名前で呼び続ける方が犬の精神衛生上よくないとの事で、遠慮なく改名させてもらった。

 二日もすれば振り返るようになったので、アサヒ的にも問題なかったのだと思う事にした。


 さらに、獣医からはおそらくアサヒの体格はもっと大きくなると忠告された。

「顔つきはほぼジャーマンシェパードだけど、体型にグレイハウンドの特徴も見られるんだよね。大人しいけど躾はあまりされていないみたいだし、きちんと訓練を受けさせることをお勧めするよ。体が大きいと、本人はそのつもりはなくても引きずりなんかの事故が起こりやすいから」

「……アサヒ、一緒に頑張ろうね」


 そうして、二人暮らしだった私達に、もう一人家族が増えたのだった。






 私の朝は、一時間のランニングから始まる。


 結局、体高73センチまで大きくなったアサヒは狩猟犬の血がうずくのか運動大好きなのだ。

 ストレスをためるのもかわいそうなので、適度な運動は欠かせない。ランニング+人気のない広い河川敷でのロングリードでフリスビーは日課だ。


 ちなみに夕方も同じくらいの距離走ってるため、私まで体力がついたのは思わぬ副産物だった。

 スピードはまあ、そこそこ? 体育で長距離を全力で走る趣味はありません。


 最初の頃は辛かったけど、5年も続けていれば体も慣れるってもんで。

 今では、逆に走らないとなんだか調子がでないくらいだ。

 おかげで修学旅行とかモヤモヤしたし。


 私が学校行事なんかで家にいない日は、アサヒはペットホテルにお泊りだ。

 勤務時間が不規則でいつ呼び出しがあるかも分からない夏希さんに任せておけるわけがない。


 そもそも、アサヒの運動に付き合ったら、十分でぶっ倒れる。

 お互いの幸福のためにも外注に頼るのがベスト、と判断を下したのは、初めてアサヒと二人で一泊二日を過ごした夏希さんだった。


 臨海学校から帰ってきたら、玄関で倒れていた夏希さんを発見してびっくりした。

 その後、筋肉痛で動けなくなっていただけと判明した時の微妙な気持ちは、どことなく申し訳なさそうなアサヒの表情と共に忘れられない思い出だ。


 そんなわけで、朝晩の散歩はという名のランニングは外せない日課なのだが、最近は平日夜の散歩時間のスタートが21時過ぎるようになった。


 夏希さんの行きつけの喫茶店で、臨時のバイトをするようになったからだ。

 老夫婦が二人でやっている小さな喫茶店なのだが、奥さんが腰を痛めて長時間立っているのが辛いと嘆いているのを聞きつけた夏希さんが、私に断りもなくバイトを安請け合いしてきたのだ。


「あそこのコーヒーが無くなったら、どこに癒しを求めたらいいの! 娘さんが後を継ぐために仕事を調整してるそうだから、半年だけでもお願い!」

「……マジで?」

 11時から15時までは奥さんが今まで通り頑張るそうで、私が頼まれたのは夕方17時から閉店時間の21時までだ。


「本当に半年だけだよね? 娘さんが来れるようになったら辞めるよ?」

「……もちろんだとも!」

 返事が来るまでの沈黙が少々気になったものの、夏希さんが厄介事を定期的に持ってくるのは仕様だとあきらめた。


「お留守番の時間が長くなっちゃうけど、ごめんね。アサヒ」

「ワン!」

 いいよ~というように尻尾を振るアサヒの可愛さに癒されながら、私のバイト生活は開始したのである。


 初の接客業にドキドキだったけれど、お客様のほとんどが常連客のご老人というのんびりとした喫茶店は意外に居心地が良かった。

 あとは、夏希さんの勤めている病院へのテイクアウト。

 どうも院長とマスターが幼馴染という事で、特別に配達をしているらしい。


 とはいえ、夫婦二人で賄っている小さな店だ。10時と17時の定期便でまとめて配達するのだ。

 夏希さんはポットで医局へと配達されるコーヒーで味を知って以来、マスターのコーヒーのファンとなり、隙間時間を見つけては店にも足蹴く通って、立派な常連と化していたそうだ。


 ちなみに、バイトに入った初日から17時の配達は私の仕事になった。まあ、マスターが店を離れるわけにもいかないししょうがない。

 16歳になると同時に取ったバイクの免許、大活躍である。

 私の愛車はホンダのスーパーカブなんだけど、屋根がついたフードデリバリー用のバイクもなかなか趣があって面白いよ。


 そんなわけで、夜のランニングは21時の終業後と相成ったのだ。

 中身はともかく、16歳の女子高生が、夜に一人でランニングとか危なくないのかって?


 ジャーマンシェパード引き連れている相手を、襲う強者はなかなかいないと思うよ?

 しかもアサヒって通常より大きいからね? 迫力三割増しだよ?

 まあ、過信はせずにちゃんと防犯グッズは持参してるし、人通りの多い所を走るようにはしてるけどね。


 自衛は大事。

 だいたい、これで散歩中に何かあったら、「自分たちのせいで」って喫茶店のマスター夫婦がショックで心臓麻痺起こしそうだし。





 その日も、早朝ランニングの後に真面目に学校へ向かい、常連のご老人たちに癒されながら労働をすませて、玄関で待っていたアサヒと共に再び外へと飛び出したわけである。

 黙々と一定の速度で河川敷まで走り切った後は、20メートルのロングリードでアサヒにその辺を探索してもらっている間に休憩する。


 いや。さすがに現役ワンコのペースでは動けないって。


 乱れた息を整えつつ、ウロウロと辺りを嗅ぎまわってフン活にいそしむアサヒを眺めていると、ピクリとアサヒが茂みの奥に視線を向けた。

 しばらく固まった後、迷うように私の方を振り返る。


「どうした?」

 じっと見つめてくる瞳に首を傾げながら、立ち上がる。

「ヒューン」

 珍しく鼻を鳴らしてから、アサヒは意を決したようにズボリと茂みの中へ頭を突っ込んだ。


「え? 本当にどうしたの、アサヒ?」

 ガサガサと茂みをかき分けて進んでいくアサヒの体は、すぐに見えなくなった。

 体が大きいからか、あまり草むらの奥へは入りたがらないアサヒのいつにない行動に困惑しながら、追いかけるべきか迷う。


 アサヒの進んだ跡が残っているから、追いかけようと思えば行けないこともないけど、暗い茂みの奥に四つ這いで潜り込むのはさすがに勇気がいるよね……。

 躊躇している間に、再びアサヒが姿を現す。


「あ、良かった。戻ってきてくれて……」

 何があったのか尋ねようとして、息をのんだ。


「ヒューン」

 鼻を鳴らすアサヒの口に、小さな黒い塊が咥えられていたのだ。

 だらんと力なくて足を投げ出したそれは、小さな子猫だった。


「うえっ?! 生きてる?!」

 反射的に手を伸ばすと、ポテッと渡された。


 両手のひらに収まるほどの小さな黒い毛玉はぐったりと目を閉じてはいたけれど温かく、微かに胸が動いているのが分かった。

 衝撃に固まる私を、アサヒがじっと見つめてくる。


「……とりあえず、家に戻ろう。夜間診療の病院は隣町にしかないから、車じゃないと無理だし」

 助けてくれるよね?と言いたげな瞳に、我に返って立ち上がる。


(ここから家まで走って20分。けど、怪我しているかもしれない子猫を連れていつものペースで走るわけにもいかないし、都合よくタクシーが捕まったらいいけど……)

 首に巻いていたタオルで小さな子猫を包むと、出来るだけ揺らさないように気をつけながら家路を急いだ。




「夏希さん! 良かった、家にいた!」

 駐車場にある車にホッとしながら、玄関に駆け込む。


「夏希さん、アサヒが怪我した子猫拾っちゃった!!」

「は?なんて?」

 叫び声に、奥から夏希さんが顔を出す。


「ぐったりして動かないの!怪我してるかな?」

「ちょっと落ち着いて。とりあえずリビングに行こう」

 タオルに包んだままの子猫を差し出すと、困惑顔の夏希さんが受け取って踵を返す。


「ワンッ!」

 あとを追いかけようとすると、アサヒに呼び止められた。

 外から帰ったら足を拭かないとアサヒはお家に入れない。


「そうだった、ごめん」

 出かけるときに用意していた濡れタオルでアサヒの足の裏を拭いて、二人で急いでリビングに向かった。


「どう?」

 ダイニングテーブルの上に子猫を置いて全身を観察している夏希さんを横から覗き込む。

「う~ん、たぶん見た目で分かる外傷はないし、心拍も呼吸も正常範囲だと思うけど……」

 自信なさそうに夏希さんが唸る。


「私は人間の医者なんだから、詳しくは無理だよ~」

 困り顔でぼやく夏希さんを横目に、改めて明るい所で見た子猫は、真っ黒と思っていたけどうっすらと斑紋があった。たぶん生後半年くらい? 体に比べて、手足のバランスが大きい気がするから、まだ成長途中なのは間違いなさそう。

 相変わらずぐったりと目を閉じたまま、荒い息をついている。


「大丈夫だよね?死なないよね?」

 そっと伸ばした指先で小さな頭を撫でると、ふいに子猫がピクリと動いてゆっくりと目を開けた。

 琥珀色の綺麗な瞳がきらりと光る。


「……にぃ」

 微かな声が響く。

 なぜかそれが、大丈夫と言っているように聞こえた。


「うん。そうだね。きっと大丈夫だよね」

 思わず返事をしながら、小さな子猫の全身をなぞるように掌を滑らせる。

 自分の体温を伝えるようにゆっくりと何度も何度も。

 子猫はパチパチと数度瞬きをしたと思うと、また目を閉じてしまった。

 けれど、先ほどよりも呼吸が穏やかに感じる。


「とりあえず落ち着いているように見えるし、今夜は様子見して明日にでも獣医に連れていこうか」

 夏希さんも何かを感じたように、静かに宣言した。


「うん。幸い、明日は土曜日で休みだし、私が見とくから夏希さんは休んでいいよ。明日も朝から出勤でしょう?」

「それは助かるけど、さすがにまだ起きてるから、とりあえず悠里はアサヒのご飯あげて、汗を流しておいでよ」

「……うん」

 滑らかな毛並みから手を放しがたかったけど、確かに汗が冷えてきて少し肌寒さを感じていた。


「アサヒ、おいで」

 こちらも子猫を気にしている様子のアサヒを呼び寄せ、水と食事を与えると、急いでシャワーを浴びる。

 リビングに戻れば、子猫はどこからか引っ張り出したらしい籠の中に、柔らかなタオルと共に入れられていた。


「一応、湯たんぽがわりにペットボトル入れてるから、様子見て入れ替えてあげて。何かあれば起こしていいから」

「分かった。ありがとう」

 あくびをしながら自室へ戻っていく夏希さんにお礼を言うと、振り返らないまま軽く手を振って、扉の向こうへと消えていった。


「……とりあえず部屋に行こうかな」

 子猫入りの籠を自室に移動して、ベッドの枕元へと置いた。

 後をついてきたアサヒが、ベッドに乗り上げるようにして籠の中を覗き込む。


「今日はアサヒも一緒に寝よう。私ひとりだと怖いし」

 見つけたのはアサヒなんだし、責任は半分こだよね。

 アサヒは、私を見上げた後、軽い足取りでベッドへ上ると籠の淵に顎を乗せるようにして体を横たえた。


「……まだ眠れそうにないし、ちょっと課題でもするか」

 薄目を開けて子猫を見守る体制になったアサヒにちょっと笑って、私は机に座るとノートを開いた。





「アサヒ……重い……」

 息苦しさを感じて、自分の体にのしかかっているなにかを押しのけようとした。


 アサヒがどんどん成長して私の身長まで伸びだして、シングルベッドでは一緒に寝るのが難しくなったため、セミダブルに変えたのは2年前だ。

 正確には、かなり高い確率で私に抱き込まれて動けなくなっているアサヒに、同情した夏希さんが買ってきた。


 それでも、お互いそんなに寝相が良くないのか、寝苦しさを感じて目が覚めるのはたまにあることだった。

 けれど、夢現(ゆめうつつ)に押しのけようと触れた感触がいつもと違って感じて、頭にかかっていた靄(もや)が少し薄れる。


(……なんか、すべすべしてる?)

 アサヒは短毛だけどダブルコートで、寒さが増してきたこの頃は特にモフッとしているのだ。

 それなのに……。


 違和感に眠気に抗って目をこじ開けると、目に飛び込んできたのは肌色だった。

 筋肉質な平たい胸に抱き込まれている。


(は?なんで?)

 人間驚きすぎると悲鳴もでないのだと初めて知った。知りたくなかったけど。


 目線だけを動かして、周囲を探る。うん。私の部屋だ。

 ねむっている間に、どこか別の場所へ連れ込まれたわけではなさそう。

 そもそも、私はともかく一緒に寝ていたアサヒが気づかないわけがない。


(いや、まって。そもそもこ(・)れ(・)が何かは知らないけど、なんでアサヒが騒がないの?)

 アサヒと暮らすことになって、最初に獣医に進められたとおり、最低限のしつけを教えるために速やかに訓練所に通う事になった。最初は一般的なしつけだけのつもりだったけれど、女性二人暮らしと知った訓練士さんが、防犯のためにと警察犬を目指す子たちが受けるコースを勧めてくれたのだ。


 どうも適性があったようで、たくさんの子たちを訓練していた先生が絶賛していたのはちょっとした自慢だ。うちの子、賢い!

 そのアサヒが、不審者が家に侵入して、騒がないはずがない。まして相手は同じベッドで横になっているのだ。

 ザッと血の気が引いた気がした。


(落ち着いて‼0距離から攻撃しようとしても、大したダメージは与えられない。どうにかこの状態から逃げ出さないと)

 幸い、と言っていいのかは分からないけど、抱き込まれているとはいえ腕は背中に回されているだけで力は入っていない。


(起きるなよ~)

 そろり、と身じろぎした時、ほほにひんやりとした感触が押し付けられた。

 毎朝のように押される鼻スタンプを、私が間違えるはずがない。

 アサヒの存在を認識した瞬間、私は全力で体をひねってベッドの上から転がり落ちた。


「アサヒ、押さえろ!」

 それと同時にコマンドを叫ぶ。

 ベッドから床へと逃れた私の飢えを飛び越えるように、アサヒがベッドの上に飛び乗るのが分かった。


 次の瞬間、グルルルルというアサヒの唸り声が聞こえてくる。

 その威嚇を耳に品ながら床を転がってベッドから距離をとったのは、危険から逃れようとする無意識の防衛本能だった。


「なに!? まって! 僕、何もしてない!?」

 次にあがったのは、情けない男性の声。

 バッと体を起こすと、男の背中に飛び乗って首を咥えているアサヒが見えた。


「動かないで! その子は訓練を受けているから、私を守るためならあなたに食いつくのも躊躇わないわよ!」

 震えそうになる体を耐えて、お腹の底から声を張る。


「何もしてないってば! アサヒもわかってるだろ!?」

 自分とあまり大きさの変わらない超大型犬に首元に牙を突きつけられれば、大の大人でも恐怖に震えるはずだ。


 しかし、アサヒに押さえつけられた男からは、情けない声は出るもののそこに恐怖の色はない。

 さらにいえば、コマンドに反射的に従ったアサヒからも、戸惑ったような気配が伝わってくる。

 男に、というより、男に対して制圧のコマンドを使った私に対して……だ。


「なんでアサヒの名前を知っているのよ!あなた、だれ?!」

 なにより、アサヒの名前を呼んだわよ、この男。

 なんで知ってるのよ?……って、コマンドの前に呼んだわね、私。

 アサヒの下で大人しくしている男の姿に、混乱していた頭が少しずつ落ち着いてくる。


「グゥ。ウルルルル」

 アサヒが男の首を咥えたまま威嚇とは違う声で鳴いた。

「くっついている面積が広い方が回復が早かったんだ。つい出来心で……。ごめん」

 それに、男の声がしょんぼりとしたものに変わる。


「ワウッ!」

「え?なんで?」

 男の返事を聞いた途端、一声鳴いたアサヒが、男の上から飛び降りると私の隣へと戻ってきた。

 コマンドを解いていないのに勝手に動いたアサヒに戸惑うと、落ち着いてというように頬をぺろりと舐められた。


 自由を取り戻した男が、ゆっくりと体を起こす。

 黒髪に琥珀色の瞳。整った容姿はまだどこか幼さを残していて、体は大きいけど同年代くらいに見えた。


(あの目……)

 光の加減では金色にも見える不思議な瞳だった。

 その色に既視感を覚えて眉をしかめていると、青年がガバリと頭を下げる。


「僕は昨日拾っていただいた幼獣です。あのままだと、魔力枯渇で命を落としていたと思います。本当にありがとうございました」

「は?」

 なんか訳分らない事、言い出したぞ?


「悠里、なんのさわ……」

 あまりに突拍子もない台詞にあっけに取られていると、バンッと部屋の扉が開いて夏希さんが飛び込んでくる。そして、部屋の惨状を見て目を見開いた。


 ベッドの上には寝具を巻き付けただけの全裸男。部屋の隅に張り付くように座り込む姪っ子とそれを守るように間に立っているアサヒ。なりふり構わず部屋を転がったしアサヒも飛び上がったりしたから、蹴り飛ばされたローテーブルやクッションがぐちゃぐちゃになった惨状。


「あ、夏希さ」

「ぎゃあああああ!変質者~~!!」

 声をかけようとした瞬間、チェストの上に置かれていたランプスタンドが悲鳴と共に空を飛び、全裸男の頭にヒットした。


「……あ、うん。正しい反応はこれだよね」

 ベッドに倒れた男に向かいなおもチェストの上の小物を投げつけている夏希さんの姿に、思わずこぼれた言葉は完全に気が抜けていた。


「ウォン! ウォンッ!!」

 ついには床にあった小さなローテーブルまで持ち上げようとした夏希さんを、慌てたようにアサヒが止めている。

 ローテーブルの上に両前足を乗せられてしまえば、成人女性の力では持ち上げることは不可能だ。


「止めるな、アサヒ! 変態は根絶しないと、やつらはG並みに湧いてでるんだぞ!」

「いや、その主張ももどうなの? てか、最初のランプの時点で動かなくなってるんだけど、生きてる?」

 あまりな言い草に思わず突っ込むと、流石に夏希さんの頭に登った血も下がったようだ。


「あ? まじで? 殺(や)っちゃった?」

 いろいろな小物が散乱したベッドの上、倒れた時にうまく布団が被ったのか男の姿は見えなくなっていた。

 夏希さんと顔を見合わせていると、アサヒが軽い足取りでベッドへと向かい布団を咥えて引っ張った。


「ちょっと、アサ……ヒ?」

 慌てて止めようとして、言葉が停まる。

 さっきまで確かに男がいたベッドの上には、昨日拾った子猫が目を回して倒れていた。


「へ? なんで? 寝不足で見た幻覚だった?」

 隣では、夏希さんもぽかんと口をあけながら目をこすっている。

 ふいに脳裏に男が言っていた台詞が蘇る。


『昨日拾っていただいたよ(・)う(・)じ(・)ゅ(・)う(・)です』

「ようじゅうって幼獣?」

 上手く変換できていなかった言葉の予測に凍り付いている間にも、一人冷静なアサヒが子猫をペロペロと舐めている。


「ウミュ……。ニーー」

 気が付いたらしい子猫から可愛い声がしたと思った、次の瞬間、ふわりと光が広がった。

「うぅ。今度こそあっちの世界に行っちゃうかと思った……」

 まぶしさに瞬いた後には、再び全裸男が出現していた。


「「は?」」

「驚かせて申し訳ないですが、怪しいものではないので物を投げるのは勘弁してください」

 眉を下げた情けない顔で、ぺこりと頭を下げる全裸男。


「「はああああああああ!?!」

 次の瞬間、今朝何度目かの悲鳴が響き渡り、うるさかったらしいアサヒの耳がパタリと倒れた。

 隣家と距離があって、本当に良かった。






 全裸男改め、イェリダーと名乗った男は、現在夏希さんがサイズを間違えて購入して箪笥の肥やしになっていたスウェットの上下という姿でお茶を飲んでいた。


「つまり、あなたはこことは別の世界の住人で、獣人って種族で、人と獣の姿を使い分ける事ができる。それで、出先から自分の家に帰る途中で暴漢に襲われ、転移魔法で逃げようとしたんだけど失敗。暴発した魔法が次元の壁を突き抜けてしまってこの世界に落ちてきた、と」


「うん、僕も魔術は専門じゃないからおそらく、としか言えないけど。少なくとも、僕の世界にない道具だらけだから異世界に飛ばされちゃったのは間違いないと思う」

 イェリダーは、キッチンを指さした後、視線をテレビへと向けて肩を竦めた。


 話を聞くために今は消えているけれど、夏希さんが食事をとるついでにニュースを見る急患があるためさっきまではついていたのだ。

 一緒に食事を始めていたイェリダーは、「箱の中で人が動いている」と目を丸くしていた。


 ちなみに、夏希さんはすでに出勤済みである。

 本日は手術の予定が入っているため休むわけにもいかないと、かなり後ろ髪惹かれながらも去っていった。責任のある立場はままならないものである。


「何かあったら迷いなく通報すること!いいわね?あと、いきさつ聞き出しておいて。で、帰ったらちゃんと説明してね!」

 片付けや、イェリダーが着れそうな服を探しているうちに時間ギリギリになっていた夏希さんは、言いたい事だけ言うと慌ただしく飛び出していった。

 で、残された私は、空腹が満たされて人心地ついたイェリダーに聞き取りをしていたのである。


「異世界とか信じられないけど、あなたが猫に変身したのは見ちゃったし、否定することもできないんだよね……。けど、事故で知らない世界に来たわりには、ずいぶん落ち着いているんだね」

 夏希さんと二人叫んだ後にも数回、イェリダーには変身してもらっていた。光と共に人間とネコの姿を行き来する様子は不思議の一言だった。


 夏希さんなんて、最後にはパチパチと手を叩いてたし。

 あれは、完全に種が分からない手品を見ている視線だった。

「信じてもらえてうれしいよ」

 同じように、夏希さんの反応を思い出していたのか、イェリダーが苦笑する。


「とりあえず、自分ではどうしようもない事をじたばたしても仕方ないし、僕ではどうにもできないけどきっと家の総力を挙げて探してくれてるはずだしね。僕程度の魔力で飛ばされた距離なら、時空を超えたとしてもきっと見つけてくれるよ。目印もあることだしね」

 イェリダーはおっとりとほほ笑むと、手を差し出してみせてきた。

 私よりも一回りは大きな手の甲には、薄紫のインクで複雑な模様が描かれていた。


「パトリヨット……我が国の最上級魔法使いなんだけどね。僕がしょっちゅう危ない目に合うから、業を煮やして僕の位置が分かる魔法陣を刻んでくれたんだ。魂に直に書き込んだから、最悪、中身だけ飛ばされても見つける事ができるって言ってたな。今回は体全部そろってるから、きっとそんなに時間かからないよ」


「いや、魂に刻むってなんか怖いんですけど」

 絶対に見失わないって執念を感じるわ。ていうか、GPSじゃん、それ。自分の行動二十四時間見張られてる状況を知ってて、良く笑ってられるな~。


「う~ん。パトリヨットは父上の親友で、託された責任があるからってちょっと心配症なんだよ。まあ、おかげで助かることも多いし、しょうがないね」

 いや、激重じゃん。笑ってしょうがないで済ませられるイェリダーが大物に見えてきた。


 というか、実際に良い所のお坊ちゃんなのかな?

 なんか物腰が柔らかくて品があるんだよね。

 

「じゃあ、お迎え来るまで家にいるといいよ。できれば週末でけりがつくといいけど……」

 帰れないとなるといろいろ手続きが面倒そうだけど、二~三日ならどうとでもなる。

 ほっとした気分で、食器の片づけをしようと立ち上がると、イェリダーが驚いたような顔でこっちを見ているのに気が付いた。


「なに? そのかお?」

「いや……、ここに置いてもらえるように誠心誠意頼むつもりだったから助かるけど、思った以上にあっさりと受け入れてくれたから……」

 少し迷うように視線を揺らしていた。

 これまでどこか泰然と構えているように見えていたイェリダーの、年相応に幼い表情に思わず噴き出した。

 そういえば、起き抜けでアサヒに押し倒されてた時は随分情けない声上げてたっけ。


「身寄りのない未成年を放り出すなんて、夏希さんはしないよ。立派な大人じゃないかもしれないけど、少なくとも自分の手が届くものくらいは守りたいって人だから」

 そうやって、伸ばされた手に護られているのが私でアサヒだ。


「……そうか。やっぱり僕は運がいいな」

 肩の力が抜けたみたいな笑顔は、さっきまでのどこか取り繕ったものよりもよっぽどイェリダーっぽかった。何て、まだそんな風に癒えるほど、何も知らないくせに何を考えてるんだろうね、私。


「じゃあ、とりあえずここで待たせてもらえるとして、一つお願いがあるんだけど」

 今度こそ、食器を洗うためにシンクに向かった私の背後に、いつの間に近づいたのかイェリダーが立った。


「何?これが終わったらでいい?」

 スポンジを手に振り返ったら、イェリダーがパチンと指を鳴らした。


「え?なに、これ?すごい」

 とたんにシンクに置かれていたお皿やカトラリーなんかの汚れが一瞬で綺麗になった。

 目を丸くした私の前で、笑いながらイェリダーが人差し指を立てる。


【あるべき場所へ戻れ】

 聞き取れない言葉で何かを呟くイェリダーが、まるで指揮者のように人差し指を小さく降ると、きれいになった食器たちがふわりと宙に浮かんだ。そして、食器棚や引き出しの閉まっていた場所へと飛んでいく。


「ふわぁ~。イェリダーも魔法使えるんじゃん」

 失敗しただの専門じゃないだの言っていたから、魔法使えないんだと思い込んでたよ。

「これくらいならね」

 空飛ぶ食器に見惚れていると、なぜかヒョイと抱き上げられた。


「え?なに?」

 あまりにも突然の事に、抵抗するより先にポカンとなった私を、イェリダーはさっさとソファーの方へ運んでしまう。


「この世界に飛ばされた原因が転移魔法の失敗だってのは話したよね。あれって、もともと魔力を馬鹿みたいに使うし、すごっく難しい魔法なんだよ。僕は、さっき言っていた魔法使いに、一回だけ使える魔法を閉じ込めたお守りみたいなものを持たされてたんだ。それの起動に、少しだけこめればいい魔力を焦って大量にぶち込んじゃったせいで、暴発したんだけどね」


 そのまま座り込んだイェリダーの膝の上に乗せられてしまった。

 降りようとするけどギュッと抱きしめられて阻止された

 抗議をする前にイェリダーが真面目な顔で話し始めて、動くタイミングを見失う。


「で、暴発した魔法が次元の壁をぶち破る事態になったんだけど、その際に魔力を根こそぎ奪われたせいで魔力枯渇を起こして飛ばされている最中に意識を失ったんだ。それで人型を保つことも難しくて、幼獣の姿に制的に変化したところをアサヒにみつけてもらったんだよ。僕たちにとって、魔力と生命力は直結しているから、人型を保てないほど魔力が枯渇していたあの時は、正直かなり不味い状況だったんだ」

 抱き込んだ私の頭に顎を乗せたイェリダーが小さくため息をつくのが分かった。

 予想以上に、ぎりぎりの状況だったみたいだ。


「僕たちの世界には大気の中に魔力が溶け込んでいて、極限まで魔力を使ってしまっても眠りにつくことで自然に吸収して復活するんだ。だけど、この世界の大気には魔力がなくて、枯渇した魔力を復活できない僕はそのまま命を落とすはずだった」

 アサヒが茂みの中から小さな子猫を連れてきたときの姿を思い出す。呼吸すらも微かに感じるほどで、今にも息絶えてしまいそうだった。

 だけど、一言モノ申したい。


「でも、元気になってるじゃん」

 確かに、あの時は死んでしまうんじゃないかって不安に感じるほどだったけれど、家についたころには呼吸は多少早いもののしっかりしていたし、一晩経ったらこの通りだ。


「そう。僕も目が覚めてびっくりしたよ。でも、本当に大気中から魔力は感じられないんだよ。だけど、別の方法があったんだよ」

 イェリダーがにっこりと笑った。すごく楽しそうないい笑顔なのに、なんだか背筋が寒くなるのはどうしてなんだろう?


「待って、聞きたくない」

「悠里にくっついてると、どうも魔力が補充されるみたいなんだよね」

「聞きたくないって言ってるじゃん!」


 思わず膝の上から飛び降りて逃げようとするけど、お腹に回っていた腕に力がこもって失敗。

 物腰柔らかな感じに騙されてたけど、そういえば寝ぼけ眼で見た上半身にはしっかりと筋肉ついてたじゃん。私の力で敵うわけがない。


「僕たちの世界の伝承で慈愛の聖女というものがあって、触れるだけで枯れはてた大地に緑を戻したり、力尽きた人々の魔力を復活させると言われているんだけど、こんな感じなんじゃないかと思うんだよね」

「いえ。私生まれも育ちも日本なので、魔力とか見たことも感じたこともないですし!」

 何その、体のいい充電器みたいなの。知らんがな!

 ぶんぶんと首を横に振るけど、イェリダーの腕が緩む事はない。


「そうだよね。不思議なんだけど、それでもこうして悠里にくっついているとどんどん魔力が流れ込んでくるのも本当なんだよ。昨夜も、悠里の手のひらに置かれた瞬間、魔力が流れ込んできて、意識が戻ったんだ。その後も隣で眠ってるうちにどんどん魔力が復活して人型に戻る事ができたんだし」

 スリッと頭のてっぺんに何かすりつけらる感触がするけど、顔を上げられない。

 ここで目を合わせたら、不味い予感がするんだよ。なんでだろうね?


「今ね、半分くらいは戻ってるから、出来ればしばらくこうしてくっついててもらいたいんだよね。くっついてる面積が多いほど、復活も早いみたいだしさ」

「いや、ちょっと距離が近すぎて私の心臓が持たないので遠慮したいんですけど」

 充電池扱いとはいえ、若い男の子とびったり抱き合ってるこの状況が耐えられない!

 いくら中身がアラサーだとしても、だからこそいたたまれないんだよ~。


「うん。でも魔力が増えると魔法陣に回す余裕も増えるから、見つけてもらいやすくなるんだけど。……だめ?」

 ションボリとした顔で懇願するのやめてもらえないだろうか?

 すごく自分が悪者な気分になる。理不尽を押し付けられているのはこっちなのに。


「分かった。くっついてても良いから、せめて子猫の姿になって! それなら諦めるから~」

 そして我が家に、本日何度目かの悲鳴が響き渡ったのだった。

 隣家と距離があって、本当に良かった。(二回目!)






 そうして、お迎えが来るまでの間、同居生活が始まったわけである。


 ところがだ。

 すぐ来るはずと言っていたお迎えはなかなか来ないし。

 なぜだか、今まで縁もゆかりもなかった妖怪だか幽霊だかの騒動に巻き込まれるし。

 暇を持て余したイェリダーが高校にお迎えに来て「イケメン降臨」とかちょっとした騒ぎになるし。

 

 さらに、ようやくお迎えが来たと思ったら、イェリダー同担拒否の厄介ファンだった最強魔法使い(笑)にウザがらみされた挙句、都合よい充電池として異世界に連れ帰られたり。

 実は王子様だったイェダリーの後継争いに巻き込まれたりするのたり。


 地味に穏やかにがモットーだった生活が散々にひっかきまわされることになるんだが、当然その時の私が知る由もなく。

 素直に獣姿になってくれたイェリダーのモフサラな毛並みを無心に堪能するのだった。


 あ、ちなみに幼獣姿は省エネスタイルだったようで、イェリダーの魔力ゲージが満タンになったら、立派なクロヒョウになったよ。猫じゃなかったんか~い!

お読みくださり、ありがとうございました。


子猫と寝たはずが目が覚めたら隣に裸の男がいたよ。

というシーンを書きたいがために出来上がった物語でした。

そこに至るまでが長かったけれど(笑)

書いていてとても楽しかったので満足です。

かなり長くなったので三話くらいに区切って投稿するか迷いましたが、そうすると連載化しちゃいそうだったので短編で投稿します。

流石にこれ以上書きかけを増やすわけにもいかないので(-_-;)

趣味をぎゅっと詰め込んだお話なので、少しでも楽しんでいただけたら幸いです。

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