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妹に聖女の座を奪われ極寒の地に追放されましたが、冷酷公爵様の不器用な溺愛と巨大もふもふ精霊王に囲まれ幸せです  作者: 黒崎隼人


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第6話「温かな夜と家族の形」

 カリスの瞳には、かつて見たことがないほどの強い緊張と警戒の色が浮かんでいた。

 彼の手は剣の柄を強く握りしめ、革の擦れる微かな音が静寂の中に響く。

 カリスの視線はルシエルではなく、彼女に甘えきっている巨大な銀狼へと固定されていた。

 北の領主であるカリスにとって、この銀狼が何者であるかを知らないはずがない。

 精霊の王ブラン。

 機嫌を損ねれば一晩で領地を氷の海に沈めると恐れられている、圧倒的な力の象徴だ。

 その恐ろしい存在が、ルシエルの膝の上で仰向けになり、無防備に腹をさらけ出している。

 ルシエルは状況が理解できず、カリスとブランを交互に見比べた。


「カリス様、どうかされたのですか」


 ルシエルの声に、カリスはわずかに目を丸くした。

 彼は剣の柄から手を離さずに、低く押し殺した声で尋ねる。


「ルシエル、お前は自分が何に触れているのか分かっているのか」


「はい、怪我をして倒れていたので、治療をしました。とても人懐っこい子です」


 ルシエルがブランの喉元を撫でると、ブランは後脚をピクピクと動かして嬉しそうな声を上げた。

 カリスはその光景を見て、深い深呼吸を繰り返した。

 張り詰めていた彼の肩の力が、ゆっくりと抜けていくのが分かる。

 カリスは剣から手を離し、額に手を当てて天を仰いだ。


「精霊の王を子犬扱いするとはな……お前の度胸には恐れ入る」


 カリスの声には、呆れと微かな安堵が入り混じっていた。

 彼は雪を踏みしめながら、二人のもとへと歩み寄る。

 ブランはカリスが近づいてくると、むくりと起き上がり、低い唸り声を上げた。

 精霊の王としての威厳を取り戻し、黄金の瞳でカリスを威嚇している。

 しかしルシエルが「だめですよ」と首の毛を軽く引くと、ブランはすぐに大人しくなり、再びルシエルの後ろに隠れるように座り込んだ。

 カリスはその信じられない主従関係の変化を目の当たりにし、言葉を失っているようだった。


「怪我は治ったようだな。城に戻るぞ、ルシエル」


 カリスが手を差し伸べると、ルシエルはそれにつかまって立ち上がった。

 カリスの手は今日も温かく、ルシエルの冷えた指先をしっかりと包み込んでくれる。

 二人が歩き出すと、背後からザクザクという雪を踏む大きな足音がついてきた。

 振り返ると、ブランが当然のように彼らの後を追ってきている。

 カリスは眉間にしわを寄せ、立ち止まった。


「お前もついてくるつもりか」


 ブランはカリスの言葉を理解しているのか、短い鳴き声を上げてルシエルのスカートの裾を軽くくわえた。

 その瞳は「置いていかないで」と訴えかけているように見える。

 ルシエルはカリスを見上げ、懇願するような視線を向けた。


「カリス様、この子も一緒に城に入れてはいけませんか。怪我の痕が痛むかもしれませんし」


 カリスは数秒間沈黙し、ブランとルシエルを交互に見つめた。

 やがて彼は短く息を吐き出し、前を向いて歩き始める。


「……勝手にしろ。ただし、城の物を壊したらすぐにつまみ出す」


 それはカリスなりの許可の言葉だった。

 ルシエルは満面の笑みを浮かべ、ブランの首に抱きついた。

 夜になり、公爵邸の応接室にはこれまでにない温かな空気が満ちていた。

 暖炉の火がぱちぱちと音を立てて燃え、部屋全体をオレンジ色の光で包み込んでいる。

 厚い絨毯の上には巨大なブランが丸くなって眠り、その規則正しい寝息が心地よいリズムを作っていた。

 ルシエルはブランの背中にもたれかかりながら、持参した古い本を読んでいる。

 カリスは少し離れた執務机に向かい、山積みの書類にペンを走らせていた。

 インクの匂いと、薪が燃える匂い、そしてブランの干し草のような匂いが混ざり合い、安心できる空間を作り出している。

 外の吹雪の音は分厚い壁に阻まれ、遠い世界の出来事のようだ。

 カリスがふとペンを置き、立ち上がった。

 彼はサイドテーブルに置かれていたティーポットを手に取り、新しいカップにお茶を注ぐ。

 そしてルシエルのそばまで歩み寄り、カップを差し出した。


「温かいものを飲め」


 ルシエルは驚いて本を置き、カップを受け取る。


「ありがとうございます、カリス様」


 カップを受け取る際、二人の指先が微かに触れ合った。

 カリスの指先の熱が、ルシエルの肌を伝って心の奥底まで届くような気がした。

 ルシエルが顔を上げると、カリスの青い瞳がとても優しい光を帯びてこちらを見つめていることに気づく。

 それは冷酷公爵という名とは結びつかない、一人の人間としての穏やかな表情だった。

 カリスはブランの頭を軽く撫でると、再び執務机へと戻っていった。

 ルシエルは温かいお茶を一口飲み、その甘い香りを肺の奥まで吸い込む。

 王都にいた頃、こんなに静かで穏やかな夜を過ごしたことは一度もなかった。

 常に誰かの顔色をうかがい、自分の存在意義を証明するために必死だった。

 しかしここには、自分を利用しようとする人間はいない。

 不器用だけれど優しい契約夫と、甘えん坊の精霊の王がいるだけだ。


『ここは、私の居場所なのかもしれない』


 ルシエルはブランの柔らかい毛皮に頬をすり寄せながら、心の中でそうつぶやいた。

 氷に閉ざされた北の城は、今やルシエルにとって世界で一番温かい場所になりつつあった。

 彼女の心の中で、カリスに対する感情が単なる契約相手から、もっと特別なものへと変わり始めている。

 ルシエルはカップを置き、カリスの広い背中を静かに見つめ続けた。

 窓ガラスを叩く雪の音が、まるで二人の新しい関係を祝福する子守唄のように優しく響いていた。

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