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妹に聖女の座を奪われ極寒の地に追放されましたが、冷酷公爵様の不器用な溺愛と巨大もふもふ精霊王に囲まれ幸せです  作者: 黒崎隼人


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第3話「凍てつく玉座と春の契約」

 暖炉の火がパチリと爆ぜ、オレンジ色の火の粉が暗い暖炉の中で舞い上がった。

 部屋の空気は少しずつ温まり始めているが、窓の外の狂乱する吹雪の音は一向に収まる気配がない。

 ルシエルは毛布を握る手に力を込め、カリスの言葉の意味を咀嚼しようとしていた。


「私の力で、この北の大地を……」


 ルシエルはぽつりとつぶやき、自分の手のひらを見つめた。

 王都の土は比較的柔らかく、わずかな魔力を注ぐだけで芽吹かせることができた。

 しかし、この北の地は違う。

 永久凍土と呼ばれるほど深く凍りつき、生命の気配を完全に拒絶している。

 自分の力が通用するのか、ルシエル自身にも確証が持てなかった。


「不安か」


 カリスが静かに問いかける。

 彼の青い瞳は、ルシエルの内面を見透かすように深く澄んでいた。


「はい。私は自分の力がどれほどのものなのか、本当はよく分かっていません。ただ、枯れた花を見ると悲しくて、無我夢中で魔力を注いでいただけなのです」


 ルシエルは正直に打ち明けた。

 飾る言葉も、強がる理由も、ここにはない。

 カリスはふっと息を吐き、再びルシエルの向かいの椅子に腰を下ろした。


「それでいい。最初から完璧な結果を求めているわけではない。少しでも、この氷を溶かすことができればそれでいい」


 カリスの言葉は不器用だが、確かな誠実さを含んでいた。

 彼は懐から一枚の分厚い羊皮紙を取り出し、低い机の上に置く。

 そこには、精緻な文字で何かが書き連ねられていた。


「これは……?」


 ルシエルが首をかしげると、カリスは羊皮紙を指先で軽く叩いた。


「契約書だ。お前には、一年間俺の妻としてこの城に滞在してもらう」


「妻、ですか!」


 ルシエルは思わず声を上げた。

 毛布が肩からずり落ちそうになり、慌てて引き寄せる。

 カリスは表情を変えずに頷く。


「そうだ。罪人として領地に迎え入れれば、領民たちからの反発は避けられない。しかし、公爵夫人という立場であれば、誰も手出しはできない。お前が安全に力を振るうための防波堤だ」


 カリスの提案は、あまりにも理にかなっていた。

 彼はただルシエルの力を利用するだけでなく、彼女の身の安全まで考えてくれている。

 王太子フェリクスの身勝手な振る舞いとは、天と地ほどの差があった。


「もちろん、形式だけの偽装結婚だ。期間は一年だ。その間にこの土地の冷害が少しでも和らげば、お前には十分な報酬を払い、自由の身を約束する」


 カリスは淡々と条件を告げていく。

 その声には感情の揺らぎがなく、事務的な取引のようにも聞こえた。

 しかし、ルシエルは彼の言葉の端々に、領地と領民を救いたいという切実な思いを感じ取っていた。


『私を、道具としてではなく、対等な契約相手として扱ってくれている』


 ルシエルの胸の奥で、じんわりと温かいものが広がっていく。

 誰かに認められ、必要とされることの喜びが、凍りついていた心をゆっくりと溶かし始めていた。

 ルシエルは机の上の羊皮紙を見つめ、静かに息を吸い込む。


「分かりました。私の力がどこまで通用するかは分かりませんが、精一杯やらせていただきます」


 ルシエルが顔を上げると、カリスの青い瞳がわずかに見開かれた。

 彼の冷たい表情に、ほんの一瞬だけ、安堵のようなくつろいだ色が浮かんだのをルシエルは見逃さなかった。

 カリスは引き出しから羽根ペンとインク壺を取り出し、ルシエルの前に置く。


「サインを頼む」


 ルシエルはペンを手に取り、震える手で自分の名前を書き記した。

 黒いインクが羊皮紙に染み込んでいくのを見つめながら、彼女は自分の運命が大きく変わり始めたことを実感していた。

 サインが終わると、カリスは羊皮紙を丁寧に折りたたみ、懐にしまう。


「これで契約は成立だ。今日からお前は、この氷雪の城の女主人だ」


 カリスの言葉に、ルシエルは深く頭を下げる。

 緊張が解けたせいか、急に強い眠気が襲ってきた。

 何日も続いた過酷な旅の疲労が、温かい部屋の中で一気に吹き出してきたのだ。

 ルシエルの体がふらりと傾き、椅子から落ちそうになる。

 しかし、床にぶつかる前に、力強い腕が彼女の体をしっかりと受け止めた。

 カリスの分厚い胸板の感触と、微かな獣の毛皮の匂いがルシエルの鼻をかすめる。


「……無理もない。今日はもう休め」


 カリスの声は、先ほどまでの硬い響きを失い、驚くほど優しかった。

 ルシエルは抵抗する気力もなく、彼の温かい腕の中で静かに目を閉じる。




 翌朝、ルシエルが目を覚ますと、そこは豪華な天蓋付きのベッドの中だった。

 ふかふかの羽毛布団に包まれ、部屋の暖炉には赤々と火が燃えている。

 窓からは、雪に反射した眩しい朝の光が差し込んでいた。

 ルシエルは体を起こし、周囲を見渡す。

 王都の自室よりもずっと広く、そして何より温かい部屋だった。

 扉が軽くノックされ、昨日の初老の執事が数人のメイドを連れて入ってくる。

 彼女たちの手には、湯気が立つ熱いお湯を張った洗面器や、厚手で上質な生地で作られたドレスが抱えられていた。


「奥様、おはようございます。お着替えの準備が整っております」


 メイドたちの一人が、明るい声で告げる。

 その「奥様」という響きに、ルシエルは頬を赤らめた。

 契約とはいえ、本当に自分がこの城の女主人になったのだという実感が湧いてくる。

 着替えを済ませ、温かいスープと焼きたてのパンの朝食をとった後、ルシエルはカリスの執務室へと向かった。

 今日から、自分の仕事が始まるのだ。

 執務室の扉を開けると、カリスはすでに山積みの書類と格闘していた。

 彼はこちらに気づくとペンを置き、立ち上がる。


「体調はどうだ」


「はい、おかげさまで。あの……これから、私は何をすればよろしいでしょうか」


 ルシエルが尋ねると、カリスは静かに歩み寄り、窓の外を指さした。

 そこには、城の裏手に広がる広大な中庭が見える。

 しかし、そこは分厚い雪と氷に覆われ、枯れ果てた木々が墓標のように立ち並んでいるだけだった。


「まずは、あそこからだ。城の結界の内側であれば、風の影響も少ない。お前の力が発揮しやすいはずだ」


 カリスの目には、かすかな期待の色が浮かんでいる。

 ルシエルは強く頷き、カリスと共に中庭へと向かった。

 扉を開けると、冷たい空気が肌を刺す。

 しかし、不思議と昨日ほどの寒さは感じなかった。

 ルシエルは厚い雪をかき分け、中庭の中心へと進み出る。

 彼女は目を閉じ、深く息を吸い込んだ。

 冷たい空気と一緒に、大地の微弱な鼓動を探る。

 深く、深く凍りついた土の奥底に、まだ消えずに残っている生命の火種を見つけ出すために。

 ルシエルは両手を雪の表面にかざし、自分の中にある温かい魔力をゆっくりと解放し始めた。

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