第12話「崩落の王都と満ちる春」
ルシエルの両手から放たれた黄金の光の柱は、天を貫くほどの勢いで赤黒い雲の渦の中心へと突き刺さった。
耳を劈くような甲高い破裂音が上空で響き渡り、空気が激しく震動する。
厚く重たい死の雲が、内側から膨張する光の熱に耐えきれず、次々と形を崩していく。
まるで黒いインクを水で洗い流すように、不気味な赤黒い色が空から急速に剥がれ落ちていった。
光の波紋は北の領地を越え、はるか南の空へと向かって一気に広がっていく。
黒い風は完全に凪ぎ、代わりに、温かく甘い春の風が城壁の上を通り抜けた。
ルシエルが限界を迎えて両手をだらりと下げると、空を覆っていた雲は嘘のように消え去っていた。
視界いっぱいに広がるのは、見事なまでに澄み切った青空だ。
さんさんと降り注ぐ太陽の光が、北の大地全体を優しく包み込んでいる。
ルシエルはひざまずきそうになる体を、カリスの腕に必死に預けていた。
乱れた呼吸を整えながら眼下の景色を見下ろすと、そこには信じられない光景が広がっていた。
城壁の外に広がる針葉樹の森の雪が、蒸気を上げて一斉に溶け出している。
分厚い永久凍土が音を立てて崩れ、地中から無数の緑の芽が爆発的な勢いで背を伸ばしていた。
茶色く枯れていた大地が、瞬く間に鮮やかな緑色の絨毯へと姿を変える。
領民の街の屋根から雪が滑り落ち、石畳の隙間からは小さな花々が色とりどりの顔を覗かせていた。
人々は家から飛び出し、天を仰いで歓喜の声を上げている。
誰かがルシエルの姿を見つけ、城壁に向かって深くひざまずいた。
それが波のように広がり、街のすべての人々がルシエルとカリスに向かって感謝の祈りを捧げ始めた。
ルシエルの目から、安堵の涙が静かにこぼれ落ちる。
「終わったのですね」
かすれた声でつぶやくルシエルの耳元で、カリスの深い声が響いた。
「ああ。お前が、この土地を救ったんだ」
カリスの腕の力がわずかに強まり、ルシエルは彼に体重を完全に預けてそっと目を閉じた。
隣ではブランが元の愛らしい姿に戻り、ルシエルの足首にすり寄って甘えた声を上げている。
死の恐怖は去り、北の領地は完全なる春を迎えていた。
それから数週間後、公爵邸の執務室に一つの報せが届いた。
ルシエルが放った黄金の光は、王都にまで到達し、マリアンヌが展開していた呪いの魔方陣を完全に破壊したという。
呪いを維持するために無理な魔力抽出を行っていたマリアンヌは、魔法の逆流を受けてすべての力を失った。
偽りの聖女としてのメッキが剥がれ落ちた彼女を、王都の民衆は許さなかった。
作物が育たず、飢えと混乱の極みにあった王都では、ついに大規模な暴動が発生したのだ。
事態を収拾できなくなった王太子フェリクスは、国王によって廃嫡され、地下の牢獄へと幽閉された。
マリアンヌもまた、国家反逆罪に問われ、身分を剥奪された上で辺境の鉱山へと送られたという。
自らの身勝手な欲望で他者を踏みにじった者たちは、その業の深さゆえに、自滅という形で哀れな末路をたどったのだ。
カリスからその報告を聞いたルシエルの心には、もはや憎しみも同情も湧かなかった。
彼女にとっての過去は、あの黒い雲と共に完全に浄化され、消え去ってしまったからだ。
今のルシエルの目の前には、ただ美しく穏やかな春の景色だけが広がっている。
執務室の窓からは、見渡す限りの緑と、色鮮やかな花々が咲き乱れる庭園が見えた。
小鳥たちが楽しげにさえずり、色鮮やかな蝶が花から花へと舞い踊っている。
かつて氷の墓標と呼ばれたこの城は、今や国中で最も美しく、生命力にあふれた場所となっていた。
カリスは報告書を机の引き出しにしまい、窓辺に立つルシエルの元へと歩み寄った。
彼は上着を脱ぎ、ゆったりとした白いシャツ姿になっている。
春の陽気が、彼からかつての冷酷な威圧感を完全に奪い去っていた。
「これで、お前を脅かす者はすべていなくなった」
カリスの静かな言葉に、ルシエルは窓の外から彼へと視線を移す。
カリスの青い瞳は、澄み切った春の空のように穏やかだったが、その奥底にほんのわずかな影が揺れているのをルシエルは感じ取った。
カリスは視線を少しだけ伏せ、低い声で言葉を続ける。
「この土地の冷害も完全に解決した。お前の仕事は、終わったということだ」
その言葉の意味を理解した瞬間、ルシエルの心臓がドクリと大きく跳ねた。
契約結婚の期間は一年。
その間に冷害が和らげば、十分な報酬を与え、自由の身を約束する。
それが、あの日交わした契約の内容だった。
冷害が和らぐどころか、完全な春が訪れた今、ルシエルをこの城に引き留める理由は契約上は存在しない。
カリスの不器用な誠実さが、彼自身を縛り付けているのだ。
ルシエルはカリスの大きな手を見つめ、静かに呼吸を整える。
王都から追放され、すべてを失った自分に、居場所と温もりを与えてくれた人。
共に困難を乗り越え、不器用ながらも深い優しさで包み込んでくれた人。
『私は、もうどこにも行きたくない』
ルシエルは自らの心の中に咲き誇る、決して枯れることのない強い感情を自覚していた。
窓から吹き込む温かい風が、ルシエルの髪を優しく揺らす。
髪に留められた青い鉱石の髪飾りが、陽光を反射してきらきらと輝いていた。




