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妹に聖女の座を奪われ極寒の地に追放されましたが、冷酷公爵様の不器用な溺愛と巨大もふもふ精霊王に囲まれ幸せです  作者: 黒崎隼人


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第10話「決意の芽吹きと護るべき場所」

 重厚な木製の扉が、不快な音を立てて閉ざされた。

 王都からの使者が逃げ去った後の応接室には、薪がはぜる微かな音だけが残されている。

 暖炉の中で燃え盛る炎が、親書の残骸を黒い灰へと変えていく。

 ルシエルの瞳からは、せき止められていた水門が開いたかのように、大粒の涙が次々とこぼれ落ちていた。

 恐怖や悲しみの涙ではない。

 自分を道具としてしか見ていなかった故郷の冷酷さと、不器用なほどに真っ直ぐに自分を守ろうとしてくれる目の前の男の温かさが、あまりにも対照的だったからだ。

 カリスはゆっくりとルシエルに向き直り、その大きな手を伸ばした。

 厚いタコのある無骨な指先が、ルシエルの濡れた頬にそっと触れる。

 彼の指から伝わる熱が、冷え切っていた肌をじんわりと溶かしていった。

 カリスは親指の腹で、こぼれ落ちる涙の軌跡を静かに拭い去る。

 その動作は、壊れやすい硝子細工を扱うかのように、どこまでも慎重で優しかった。


「泣くことはない」


 カリスの低い声が、部屋の静寂の中に深く染み渡る。


「お前はもう、王都の道具ではない。俺の妻であり、この北の地に必要な人間だ」


 その言葉は、ルシエルの胸の奥底に空いていた暗い穴を、温かな光で満たしていくようだった。

 王都では誰一人として、ルシエル自身の存在価値を認めてはくれなかった。

 どれだけ大地に命を注いでも、賞賛はすべて妹のマリアンヌのものとなった。

 しかしこの氷に閉ざされた世界で、カリスはルシエルの隠された力を見抜き、そして何より彼女の心そのものを尊重してくれている。

 ルシエルは両手でカリスの大きな手を包み込み、その温もりを確かなものとして感じ取った。


「カリス様、ありがとうございます」


 ルシエルの声は微かに震えていたが、その瞳にはかつてないほどの強い光が宿っていた。


「私はもう、逃げません。王都の人々が何を言おうと、私が守りたいのはこの場所です」


 カリスはわずかに目を丸くし、やがてその凍てついた青い瞳に、柔らかな春の日差しのような光を浮かべた。

 彼はルシエルの手から静かに指を離し、窓の外で荒れ狂う吹雪へと視線を向ける。


「王都の連中は、己の無能を棚に上げて、すべての責任をお前に押し付けるつもりだ。力ずくで奪いに来る日も近いだろう」


 カリスの横顔は、領主としての厳しい表情へと戻っていた。


「だが、心配はするな。この城の壁は厚く、騎士たちの剣は鋭い。精霊の王もいる。何より、俺がお前を必ず守り抜く」


 その力強い宣言に、ルシエルは深く頷く。

 足元で丸くなっていたブランが、カリスの言葉に同意するかのように、短い鳴き声を上げて尻尾を床に打ち付けた。

 ルシエルの胸の奥で、静かに、しかし確かな決意の炎が燃え上がり始めていた。




 翌朝、空は鉛色の雲に覆われていたが、風はいくぶん穏やかになっていた。

 ルシエルはカリスから贈られた白い毛皮の手袋をはめ、分厚い外套を羽織って中庭へと足を踏み入れた。

 冷たい空気が肺を満たし、頭の芯を冴え渡らせる。

 彼女の後ろには、銀色の巨大な狼であるブランが、守護者のようにぴったりと寄り添っていた。

 中庭の半分はすでに雪が溶け、黒い土が顔を出している。

 ルシエルは土と雪の境界線に立ち、深く深呼吸をした。

 王都からの使者が残していった言葉が、脳裏をかすめる。

 王都の大地はひび割れ、井戸は干上がり、作物は一日として育たないという。

 マリアンヌの偽りの力では、広大な土地を潤すことなど到底不可能なのだ。

 かつて自分が命を削って守り続けた土地が枯れ果てていくことに、わずかな胸の痛みを感じないわけではない。

 しかし、今のルシエルには、それ以上に守るべき大切な場所があった。

 自分を受け入れ、温かい寝床と食事を与え、人間としての尊厳を取り戻させてくれたこの北の地と、そこに住む人々だ。

 ルシエルは手袋を外し、冷たい土の表面に素手を押し当てた。

 これまでは、枯れた大地に少しずつ水を注ぐような慎重さで魔力を練っていた。

 しかし今の彼女の心の中には、明確な意志と、守るべき者への強い愛情が満ち溢れている。


『この大地に、完全な春を』


 ルシエルが目を閉じると、みぞおちの奥で静かに脈打っていた魔力の源が、これまでとは比較にならないほどの激しさで熱を放ち始めた。

 それは小さな泉から、奔流となってあふれ出す大河のような勢いだった。

 淡い緑色の光がルシエルの体全体を包み込み、目にも鮮やかな光の粒子となって周囲へと舞い散る。

 光の粒が雪に触れた瞬間、分厚い氷の層が音を立てて崩れ去った。

 土の中に眠っていた種子たちが、ルシエルの強大な魔力に呼応して一斉に目を覚ます。

 黒い土の領域が、目にも留まらぬ速さで広がっていく。

 硬い土を突き破り、鮮やかな緑色の若葉が次々と顔を覗かせた。

 枯れ木のように見えていた木々の枝先に、一瞬にしてふっくらとした蕾がつき、そして薄桃色の花びらが弾けるように咲き誇る。

 周囲の空気が急速に温まり、冬の冷たい匂いが、むせ返るような花の香りと青草の匂いへと塗り替えられていった。

 ブランが天を仰ぎ、喜びの咆哮を上げる。

 その声は空気を震わせ、重く垂れ込めていた雲を真っ二つに引き裂いた。

 雲の切れ間から、眩いばかりの太陽の光が中庭へと降り注ぐ。

 光を浴びた植物たちはさらに勢いを増し、ルシエルの足元はあっという間に色鮮やかな花畑へと変わってしまった。

 ルシエルは荒い呼吸を繰り返しながら、ゆっくりと目を開ける。

 視界いっぱいに広がる春の景色に、彼女自身が一番驚いていた。

 これほどの広範囲を、ほんの数分の間に蘇らせることができるとは想像もしていなかったからだ。

 背後で、重い扉が開く音がした。

 カリスが中庭の入り口に立ち、呆然とした表情で目の前の光景を見つめている。

 彼の凍てついた青い瞳に、満開の花々と眩しい太陽の光が反射していた。

 カリスは雪が消え去った土の上を歩き、ルシエルの元へと急ぐ。

 その足取りは、いつもの冷静な彼らしからぬほどに急いていた。

 カリスはルシエルの前に立つと、無言のまま彼女の小さな体をその太い腕で強く抱きしめた。

 突然の抱擁にルシエルは目を丸くしたが、カリスの体から伝わる震えを感じ取り、そっと彼の背中に腕を回す。


「これがお前の、本当の力なのか」


 カリスの声は、深い感動と畏敬の念で微かに掠れていた。


「私にも分かりません。ただ、カリス様とこの土地の人々を守りたいと強く願っただけなのです」


 ルシエルがカリスの広い胸に顔を埋めながら答えると、カリスはさらに強く彼女を抱き寄せた。

 彼の外套から漂う革の匂いと、周囲を満たす甘い花の香りが混ざり合い、ルシエルの心を深い安らぎで満たしていく。

 この力が自分にある限り、王都の理不尽な要求に屈することはない。

 ルシエルはカリスの温かい腕の中で、確かな未来の光を感じ取っていた。

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