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第三話「異世界」

 目覚めると、少女は自身が覚えのある場所にいることを知った。

 そこは彼女の寝室だった。黒く長い睫毛の先にある見知った天井をぼんやりと見つめてから、自分が滂沱と汗をかいていることに気付いた。それから、自身の身に起こったはずの出来事を思い出し、彼女はベッドから飛び上がった。

 途端に、眩暈を覚えるほどの疲労が彼女を襲った。筋肉どころか骨まで石のように重いことに呻き、弱弱しく寝具に身を沈めると、傍らに佇む人物が顔をあげた。金髪を肩まで流した軍服姿の青年だった。

「……なんで、いる」

 戦慄く舌を動かして、赤髪の少女は問う。

「どうして、こんなところに、いる」

 少女の問いかけに答えることなく青年は立ち上がると、机に置かれた呼び鈴を激しく鳴らした。鈴の音に、寝室の向こう側が俄かにざわめき始める。

「答えろ、ジャルグボールグ!」

「黙って寝てろ」

 青年の叱責に正面からぶつかり、少女が大きな漆黒の目を丸める。まるで可憐な、人形のように。

「……みんなは?」

 少女は寝具を握りしめて呟いた。

「みんなは、どうなったの?」

 青年は唇をきつく締めて、少女を見つめ返した。その瞳は冷たく、冷めきっていた。表情の意図が少女の小さな胸を貫き、心臓を抉る。

「私のせいだ。私が計画に従ったから……私の……」

 途中で擦れて虚空へ消失していく。小さく震えた、嗚咽を噛み殺した唇で、少女は伏せた。額も、頬も、蒼白だった。指の先まで悲壮で染まり、血の気を失っていた。

 悲観にくれる少女の細い肩に、青年は手を伸ばした。

「お前のせいじゃない。大丈夫だ。まだ手はあるって。沢山、なぁ……」

 しかし青年の手が少女の肩に触れることはなかった。青年は寸でのところで手を止めた。彼女の放つ思いが、異なると気づいて。

「……探す」

 少女の眉間には深い皺が寄っている。黒い瞳には涙の膜が浮かんでいる。しかしその眉根の、なんと鋭いことか。その口元の、凛々しいことか。

「…………私が彼らを、見つけて見せる」



     ◆



 暗闇に炎だけが浮かんでいる。親指の爪ほどの、何も照らさず誰も照らさない小さな炎が静かに燃えている。一筋の黒煙を天へと上る。

 朦朧としながらなごむは炎を見た。炎もまた、なごむを見つめているようだった。

『なごむ……』

 不思議と人を落ち着かせるような低い声が暗闇に響いた。年老いた男性のようであり、その一方で若い青年の声にも思える。

 声はなごむを呼んでいた。囁くようになごむの名前を何度も呼んで、それから。

『……君が望むのならば』

 そう言って、途絶えた。炎まで消えていた。


 暗闇に一人だけになり、なごむは怯えた。朦朧としていた頭が恐怖に冷えていく。

 次第に、感覚が戻ってきた。背中と尻に固いものがある。壁と、地面だ。やけに冷たい。自身が触れているものを理解すると、嗅覚や聴覚も目覚めてきた。靄が晴れていくようにすべてが鮮明になってくると、自分が土手にはいないことになごむは気付いた。どこからか聞こえる、お経のような音。くぐもっている。


 トンネル、という場所が頭に浮かんだ。

 身震いしながら、ゆっくりと瞼を開ける。視覚も、穏やかだが開けてきた。

 炎に巻かれたことを思い出し、はっと両手を伸ばすと、まっさらな皮膚が目に映った。焼け焦げた跡はひとつもない。

 身体に問題がないことを知って、なごむは頭をもたげた。

 トンネルではない。なごむが目覚めた場所、そこは洞窟だった。

「え、なんで……」

 信じられず、疑問を口にする。

「ここどこ……」

 目を擦り、再び三百六十五度、確認する。土手ではない、そればかりか来たことも見たこともない場所だった。湿った空気が舌に、苔と黴の匂いが鼻腔に乗る。なごむがいるのは洞窟、そして立っているのは、

「王座?」


 耳慣れない単語が浮かぶ。降りてから、まじまじと凝視する。石で出来た椅子に、囲むように墓石の様なものが置かれていた。祭壇のようにもみえる。脇に石でできた鉢が置かれており、中には紫色の果物の様なものが詰められている。あけびのようだが、皮が割れて覗く身の部分は緑色だった。

 地面にはところどころ、火のついた蝋燭が置かれている。それが幽かな明かりとなって、なんとか洞窟の中が見渡せるが、誰もいないし何もない。祭壇の他には、ぽっかりと、入り口なのか出口なのか穴があいているのみだ。


 お経のように鷹揚のなく讃美歌のように厳かな音が静かに反響している。聞いたことのない、恐怖を掻き立てるような……歌だろうか。歌は、穴から木霊している。

 恐い。不気味だ。何もかも気味が悪い。

 ぶるりと震える。肌寒さも手伝って、腕を抱えた。パーカーの下にはTシャツと七分丈のジーンズ、それにサンダルだ。備えらしいものは何もない。そういえば、ポケットに携帯電話があったかもしれない。


 ジーンズのポケットを探ると、携帯電話があった。鮮やかな黄色に安堵を感じながら画面を見やると、圏外だった。恐ろしくて足が竦む。焦りと心細さがふつふつと泡をたてる。自分はどうしてこんな場所にいるのか、全く分からなかった。

 炎に包まれて、それからどうしたのだろう。ここではない何処か。

「まさか、違う星とか、違う世界とか?」

 認めたくはないが、それならば説明がついた。自分はゲームのような世界に迷い込んでしまったのかもしれない。


 喜ぶべきところなのだろうか。しかしとてもではないが、おどろおどろしい光景に嬉々とは出来なかった。

 青ざめていると、ふいに歌が止んだ。代わりに、ざわめきが聞こえる。人がいるようだった。口々に様々なことを言っている。しかし、海外の言葉ではなかった。ひそひそとした、だが理解の出来る単語の数々。その中に、

「おかあさん……」

 どうやら幼い女の子がいるようだ。安心に心が和らいで、なごむはほっと肩の力を抜いた。

 宗教団体の施設か何かだろうか。自分は浚われてしまったのだろうか。

「でも、掴まってないんだよ、ね……」

 恐る恐る、なごむは穴へと向かった。1メートルくらいだろうか、くぐれば通れそうな大きさのそこから、顔だけ覗かせる。


 と、目が合った。フードを被った顔が、眼前に合った。掘りの深い皺だらけの顔に、瞳は緑色だった。白人の老女の出現に、なごむは悲鳴をあげそうになる。

「お、おお……おお!」

 体をひっこめる前に、なごむは腕を掴まれた。老女とは思えない力で引きよせられたかと思うと、老女は腕をなごむの足に絡めでそのまま平伏した。

「カケラが、我々のもとにティマトのカケラが生まれた!」

 そのまま老女はむせび泣く。狼狽し老女の頭をあげようとしたなごむだったが、硬直し叶わなかった。周囲に老女だけではなく多くの人間がいることに気付いたからだった。

 百人いるだろうか。老若男女、皆同じようにフードを被っていた。色は白く、まるでゲームに出てくる白魔道師のようだ。共通していることと言えば、白人に見えること。そして栄養状態が悪いのだろうか、皆頬がこけやせ衰えている。口々にカケラよ、カケラよ、そう叫びながら、地に額をつける人々。訳の分からない、カルトのようだったが、なごむを傷つける意思はないようだ。


「あの……ここはどこですか?」

 なごむの質問に人々はざわめき、

「聖ア王国は黒狼山脈の麓にあります、ジグにございます。私は村の長のジグシグアと申します」

 伏し拝む老女の説明に、なごむは耳を疑った。膝をつき、頭を傾げる。

「え?」

 日本語のはずなのに、聞いたことのない地名と名。カルトではないのだろうか、これは一体、どういうことなのだろう。


「まさか……」

 異なった世界。異世界。

 自分は、異世界に来てしまったのだろうか。

「あの」

「はい」

「この、世界は、なんていうんですか?」

「世界の、名と……。なんと深いお言葉でしょう。この世界の名を知りたいと。ティマトのカケラよ、しかしながら無知な私をお許しください。私に、世界は世界でございます。アレプとタウがワイミールを殺し、その血肉で世界と作り上げ、ティマトが封じられてしまってから、なにひとつ世界は変わりませぬ。ああ、望むべき答えでなければ、私を食べてくださっても構いません」


「いや、あの、その……、ありがとうございます。あ、食べるという意味ではなくて、その……」

 なごむは困窮した。どうやら世界の理が異なっているようだ。老女の話から推測するに、自分はティマトのカケラというもので、老女たちにとって神のような存在のようだった。

 魔法か何か、使えるようになっているのだろうか。思いついて、なごむは手のひらを天にかざしてみた。


「め、メラ……」

 ぼそりと、ヒットを繰り返すゲームで使われている炎の呪文を唱えてみる。が、何も起こらない。恥ずかしさがこみあげ、耳まで真っ赤にしながら俯くと、期待の眼差しが突き刺さった。

「メラ、と。それはどのようなものでしょうか」

「メラ……めらめらと燃えるような、その……」

 まるで趣向を凝らしすぎて伝わらなかったネタの、笑いのポイントを説明するお笑い芸人のような気分になり、なごむは口を閉ざした。穴があったら隠れたいというのはこのことだ。羞恥にもだえていると、老女がああ、と思いついたように目をパチパチとさせた。


「いまお持ちします。……これ、ロンチャーを」

 静々と一人の男が石の椀を持ってきた。片膝をつきながら、ずいとなごむに差し出す。

「どうぞ、お召し上がりください」

 手渡された椀を両手に持つ。ずしりと重いそれには、なみなみと何かが注がれていた。黒っぽい、重油に似た液体だった。嗅いでみると、錆びのような悪臭が鼻をついた。嗅いだことがある匂い。記憶を探って、怖気が走る。血の匂いだと、ピンと来た。

「これは、なに、なんの血ですか」

「何をと申されても。贄のロンチャーでございます」

 老女がつと指をさす。その指の先に、横たわる山羊がいた。いや、山羊ではない。毛がシマウマでのような縞、しかもピンクとライムの色の縞だった。ロンチャーという生き物は、首の部分がすっぱりと斬られていた。そこから鮮やかな血が流れている。舌をべろりと出し、泡をふいてロンチャーは死んでいた。


 思わず力が抜け、椀を落とした。転がり、中身が飛び散る。なごむの足元にかかり、

「わあ!」

 飛び退いたが遅かった。ロンチャーの血はべったりとなごむの足にかかり、つんとした匂いに異液がせり上がった。吐き気を飲み込みながら懸命に耐えていると、

「ティマトのカケラ……?」

 人々の表情が翳る。疑うような色に変わる。なごむの慌てようが彼らの意にそぐわなかったのは確かのようだった。

 不信の瞳にさらされ、なごむは浮足立つ。なんとかこの場を上手く切りぬけるにはどうしたらいいのか、息を詰めていると、突然老女がその場に倒れこんだ。足に老女の重みがかかり、なごむはその場に尻をついた。


「いたっ」

 目の前を何かが掠っていく。隣にいた男もまた、ばたりと倒れた。驚いて上半身を起こすと、老女の体に棒が生えていた。隣の男にも。

 ひゅん、ひゅんと何かが風を切るような音がした。途端に、次々と人々が倒れていく。地面に平伏し、呻く。何人かの人が倒れて、ようやくなごむにその正体が分かった。

 手のひらに温かい液体が滴る。赤い、錆びついた匂い。

 人々に突き刺さる木で出来た、

 ――――矢だ。


神兵しんぺいだああああーー!!」

 絶叫が洞窟を四散した。人々が悲鳴をあげながら逃げていく。人が波のように押し寄せ、ぶつかってくる。血しぶきが飛んで、人々が躓いたように倒れていく。人垣が砕ける。赤ん坊が泣いている。女性が甲高く絶叫し、息を止める。男の大柄な体がなごむに被さってくる。なごむは押しやられ、つぶされた。


 なごむの意識は鋭敏だった。ぐったりとした男の体におしつぶされながらも、阿鼻叫喚の中、人々が次々と倒れていくのを感じた。悲鳴がどんどんとその音を減らしていく。

 震撼する。おぞましい事態に心臓が警鐘を鳴らしているが、這うことも出来ずなごむは震えた。歯がかちかちと鳴り、汗が滂沱と噴き出す。

「ティマト……」

 ふいに、老婆の呻いた。生きていたのだ。しかし姿は将棋倒しになった人々のせいで分からない。地に腹をつけながら、なごむは耳をすませた。

「ティマトのカケラが助けて下さる……助けて、くださ……ル……」

 老婆の呻きは細糸が切れるかのように、ぷつんと途絶えた。侵食する死の恐怖に、なごむは絶叫した。死にたくなかった、あまりにも無慈悲な現実に、なごむは抵抗する。男の体を手で押し、蹴りあげる。重たくてビクともしない。パニックに陥り、動転し、号泣する。


 嗚咽が喉に絡んで、すすり泣くことしか出来なくなったなごむの体が、ふいに軽くなった。

「おい、生き残りだ」

 顔をあげると、皮鎧を纏った屈強な中年男がにたにたと笑っていた。既に死体となった男を片手に持ちあげ、もう片方には血まみれの短剣を握りしめている。血が滴り、なごむの頬に落ちた。

「この邪教徒、服が変だぞ。顔も、なんだろうな……」


 中年男が眉をあげた。同じように皮鎧を着た男達がなごむを覗きこむ。その中の一人に首を掴まれて、なごむは引きづりあげられた。

 力なく虚空を見上げる人々が目の端に映る。白かったローブは真っ赤に染まっていた。

「まさか。ティマトのカケラじゃないか?」

「おいおい。本当か。まだ子供だ、これなら殺せるぞ。殺すか」

「いや。まず上に指示を仰ごう。じゃなきゃ、俺らが邪教徒扱いだ」

 神兵と呼ばれた皮鎧の男達は哄笑しながら、茫然自失のなごむを皮のロープで縛り上げた。あまりにきつく縛られ呻くと、腹を蹴り上げられた。我慢できず、吐瀉物を吐き出す。

「きたねえな!」

 神兵の一人にかかったらしい。怒声を上げながら、神兵が短剣の鞘を振り上げた。鞘が落とされ、強かになごむを打ちつけんとした刹那、

『なごむ、目を瞑って、丸まって』


 言われたとおりに目を閉じ体を前屈させると、鞘がなごむの体をかすった。地面が揺れたのだ。

 驚いて瞠目すると石畳の床が割れ、轟音と共に炎が噴き上がり、なごむを包む。

 突風が巻き起こった。雷撃が走り、なごむを避けて周囲に弾ける。驚いた神兵達が群れを解いて蟻のように逃げ出した。逃げ遅れた神兵が数人、よろめいたかと思うと、足を風に絡みとられ枯れ葉のように吹き飛ばされる。

『目を瞑って。なごむ。お願い』

 謎の声。なごむはあまりのことに唖然と開いていた瞼をぎゅっと閉じ、頭を抱え込んだ。まるでなごむがそうするのを待ち構えていたように、突風と雷撃の力が増した。

 巨大な獣が噛み砕くようにありとあらゆるものがひしゃげる。圧倒的破壊が繰り返される。

 洞窟の床や壁どころか人間までも、暴れる混沌の被害者となった。

 老女も、神兵達も、女も、子どもも、塊は砕かれた。瓦礫と血と肉と骨の乱舞。塵と化し、霧と化し、あたりに飛散し舞い上がる。


 悲劇も悲惨も残酷も冷酷も超えた惨劇、いや殺戮。おぞましき光景を、だが炎の庇護を受け空を漂うなごむは見ていない。

『なごむ。……大丈夫』

 なごむを包む炎がひときわ強く輝き始めた。白にすべてが覆われる。

 炎は高まりマグマのように天へと噴き上がると、ふっと消えてしまった。

 粉々になった洞窟には瓦礫だけが残され、なごむの姿もまた、どこにもなかった。

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