第八章 兄の仕事場
I
理世はシルバーに話を聞いて街へと繰り出していた。屋敷内を歩き回ってから、目的があって外に出たのである。
シルバーは最初理世の話を聞いて渋っていたように見えたが、最後は何とか折れてくれて。深くため息をつきながらも、詳細を書いたメモを渡してくれたのである。
その時、シルバーがじとりとした目を向けながら「どうなっても知りませんぞ」と告げたが、理世はいまだにその理由がまったく分からなかった。
シルバーが言っていたことは、結局何だったんだろうなあ。
どうなっても知らない、その言葉はどこか覚悟を決めなくてはいけないようで、どこか残酷な言葉のように聞こえる。突き放しているようにも聞こえるし、心配しているようにも聞こえた。
……二人に関係あること、なのだろうか。
それにしても物騒すぎるな、そう思いながら理世は街の中を一人で歩いていく。誰かつけるか、そんなことまでシルバーに聞かれたが丁重にお断りした。それこそ自分にそんな人はいらないし、何より落ち着かなくて仕方がない。
珍しい街並みに目を走らせ、時折メモを見て場所を照合し、道を確認しながら先へと進む。
シルバーが記載してくれたメモには、地図とシリウスの働いている場所や役職などが細かく記載されていた。
理世はそれを見ながら、街中を歩いている。
――王国騎士団団長。
それが、シリウスの役職らしい。
ただ、理世にはそれが一体何の意味を持っているのか、どんな仕事をしているのかは想像がつかなかった。
想像がつかないのも無理はない。何せ、理世の国にはそんな役職を持つ者がいなかったのだから。
創作の世界なら、いるんだろうなあ……。俺はそういう話を読む機会が少なかったから詳しくは知らねえけど。
実際、理世が一人で生活していくことになって家事をするようになったら、あまり一人の時間が取れなくなった。慣れないうちは目まぐるしく生活が回っていって、疲労感に襲われたら何かしようという気力はなかったのだ。そうなると、だんだん趣味やら何やらが離れていってしまった。
昔は本も読んでいたし、アニメも見ていた気がする。だが、理世からそれが離れてしまってもう一〇年は優に超えているだろう。
理世が見なくなった後になって、アニメや漫画の流行が異世界ものや転生ものになったというのは小耳に挟んだ話だ。最近の流行りを耳にしたぐらいで、理世自身は読んでもいなかったし、見てもいなかったのである。
こんなことなら、多少なりとも目を通しておくべきだったか。
現状起きていること自体がありえない話ではあるのだが、実際に起ってしまっているからこそ、つい考えてしまう。
何かほかにできることがあったんじゃないか。
もっと行動することができたんじゃないのか。
なぜ、そのまま立ち止まっていたのだろうか。
考えても仕方がないことだ。そんなことは重々承知の上だ。
人間は未来に進むことはできても、過去に戻ることはできないのだ。未来だって、一瞬で望む先へと辿り着けるわけでもない。地道に一歩ずつ、時には戻ってしまうだろうがそれでも今日という日を真っ当に生きて記して、明日へと繋いでいくことが必要となってくる。
それは頭のどこかで分かりきっていること。今さら過去のことを言ったって仕方がない。うだうだ悩むことすら仕方がないことだとも分かっていた。
理世は肩を落とす。
「……止めだ。考えたって仕方がないことは止めるに限る。それにできることならまだたくさんあるはずだ。できることをする、それで良いだろう」
理世は誰にでもなく、自分に言い聞かせる。
今は自分のできることを。それが何かは都度見つけていけば良いのだ。
理世はそう決意して前を向くのであった。
Ⅱ
王国騎士団、シリウスが所属している場所自体に仰々しい名前がついているからか、理世が辿り着いた先はやけに仰々しい門構えの建物であった。
「……おお」
理世はどんと構えている門を見上げて、思わず言葉を零す。感嘆の声でありながら、どこか呆けている声でもあるなと自身で他人事のように思ってしまった。
シリウスたちの屋敷ですら相当立派なものだったが、これはまた……。
豪華なものだ、それぐらいしか言えなかった。理世の中では乏しい語彙力しかないため、それ以上の言葉が見つからない。
だが、目の前に建っているのは確かに豪奢な建物だった。創作物で出てくるような城とほぼ同じような作りなのではないかと見間違えるほどの大きく豪華で派手な建物。これが王様たちが住む城だと言われてもおかしくない。
城はここに来るまでに遠目で確認してきた。スマートフォンが使えたのなら一枚ぐらいは写真に収めたかったところだが、それは叶わなかった。しかし、見てきたこともあって、目の前にある建物が城ではないことを理解することはできていた。
スマートフォン自体は手元にある。ただ、この世界に来てから充電がなくなったのか、それとも何らかの影響を受けているのか、画面がつかなくなっていた。充電コードがない今、充電もできないし確認のしようもない。ただの板のようになっていた。
だが、この世界には電気はあるらしい。そう不便を感じていないことだけはありがたかった。
さて、場所に辿り着いたのは良いんだが、これからどうしようか。
何も決めていなかった理世は今さらながらに今後のことで迷ってしまって。外観だけ見て帰っても良いとは思っていた。元々はシリウスの仕事している様子ぐらい見てみたいと思ってはいたが、わざわざシリウスに迷惑をかけることもないだろう。
理世はただ知りたいと思ったのだ。自分が預かった幼子たちだからなのか、今何の仕事をしているのか気になっていた。
あの子たちが何をして、何を目標にして、何を夢としているのか。
それを直接目にしてみたいと思ったのである。
……とは言っても、中に入れるわけがないからなあ。
ただの思いつきで来ただけで、アポイントメントは取っていない。シリウスはきっと理世がここまで来ているだなんて知りもしないだろう。
もし、ここで誰かに不審がられたとしても何か証拠があるわけもなく。唯一言えることとしても、シリウスと顔見知りであるということだけ。
それでは門前払いどころか、もしかしたら厄介なことになるかもしれない。捕まるなんてことになれば、さらに彼らに迷惑をかけることとなる。
……ここはそのまま帰るとするか。
踵を返してシリウスたちの屋敷に戻ることにしたところで、背後から「あー!」と大きな声が耳に届く。あまりの声の大きさに思わずびくりと身体を跳ねさせた。
おそるおそる振り返ってみれば、見知らぬ男が駆け寄ってきた。
やべ、怪しまれたか……?
理世はそう思いつつ身体ごと振り返る。しかし、向き合ったところで、よく見てみれば男に見覚えがあることに気がついた。
どこで見たんだったか……。
まだこちらの世界に来てから日が浅いどころか、昨日来たばかりだ。出会った人数は限られているはず。ならば、何かしら思い出せるはずなのだがすぐには思い出せなかった。
とりあえず怪しまれる前にと理世が口を開いたところで。
「あー……、その俺は――」
「あなた、リゼさん、ですよね?」
男のほうから名前を出されて、思わず理世は固まってしまう。そして、しっかりと三拍を空けてから「……は?」と返していた。いや、その言葉しか返せなかったと言ったほうが正しいだろう。
どうして、俺の名前を……。
そう思いつつ男へと視線を向けていれば、目の前の男はニコリと笑って。
「覚えてますか? 俺、昨日団長を呼びに行った者なんですけど……」
そう言われて、記憶を呼び覚まして。
「……あ」
理世は思い出したとばかりに今度は言葉を零していた。
そうか、通りで見たことあると思った……。
理世は頭の片隅でそう思いながら、とりあえずと「昨日はありがとうございました」と礼を述べて頭を下げる。
すると、男はすぐに激しく手を横に振って。
「や、やめてくださいよ! 俺が団長に怒られてしまいますって!」
「……? そんなことで怒らねえだろ、シリウスは」
「……団長、絶対伝わってないじゃないですか。団長も大変っすね」
その言葉に理世は首を傾げる。目の前で男は肩をガックリと落としているが、理世にはその理由がまったく分からなくて。
というか、シリウスの何が伝わっていないんだ……?
聞いてみたいものの、それは何となくはばかられてしまって。
理世はそれよりもと男に告げる。
「……仕事の邪魔してすみません。その――」
「あ、敬語は不要です」
「……は?」
理世はまた固まってしまう。聞き返す理世に、男はまた困ったように。
「俺が団長に怒られますって」
「いや、だからな……」
「それで、どうしてここに?」
理世は男に尋ねられて、まあいいかと思いつつ目的を話すことにした。
「じゃあ、お言葉に甘えるとして。……いや、シリウスの仕事ぶりは少し気になっていてな」
「ああ、そういうことですか」
男はふむと頷いてから理世に笑いかけて。
「どうぞ、団長の元へと案内しますよ」
優しく告げるのであった。
Ⅲ
「良いのかよ? こんな無防備に中に入れて」
理世が怪訝そうに尋ねれば、前を歩いていた男――エルは笑った。中を案内しながら理世のことを気にしつつ、手馴れたように進んでいく。何度か誰かを案内しているのかもしれない、そう思った。
「知っている人じゃなかったらすんなり中に入れませんよ。門前払いするか、要手荷物検査してから念入りにって感じになりますね」
「俺は昨日会ったばかりなんだが……。しかも、そう会話をしたわけでもないし」
理世が言いにくそうにそう告げれば、エルは笑って。
「問題ないですよ。リゼさんのことは団長からもよくお話で伺っていますから」
「……あいつ、何を話してるんだよ」
理世はゲンナリとしてしまう。
あいつ、変なことを話していないといいんだが……。
変なことをシリウスにしたことはないはずだし、それこそ心配することはないとは思う。思うものの、自分のことを聞いていると聞かされれば、やはり気になってしまうというもの。
理世が考え込んでいれば、それを見越したのかエルはまた笑って。
「大丈夫ですよ。悪い話ではないので安心してください」
あ、安心できねえ……。
理世はため息をつく。安心してくれと言われてもそれは安心できない言い方だ。後でシリウスを問い詰めておかなければ。変な話をしているのであれば、口止めをしておかなくてはいけないし、さすがに困る。
まあ、そんなことはしていないとは思うがな……。
シリウスのことだ、変な噂とかを流すとは思えない。ただ、何か過大評価して話をしている可能性は無きにしも非ず。
気になって仕方がない。そう思っていれば、エルが慌てたように顔だけを振り向かせて。
「あ、俺がそう言っていたっていうことは黙っておいてくださいね!」
「……? 大丈夫だろう」
「俺が、怒られるんですっ!」
「……分かった」
必死すぎるエルの姿を見ていれば、理世は頷く他ない。
それにしても、と思う。
エルは怒られるとは言うが、シリウスのことを恐れているようには見えないんだよな……。
そう、怒られると必死に言うものの、恐れていたり怖がっていたりする様子がまったくないのだ。シリウスと話したくない、かかわりたくないといった雰囲気すらない。
むしろ、慕われているようだ……。
シリウスのことを話すたびに、エルは嬉しそうだ。怒られる理由については皆目見当もつかないが、それでもシリウスのことを尊敬しているのだろう。
来て良かったな……。
理世としては幼子であったシリウスが仲間から慕われていることを知れただけでも安心できる事実だった。つい口元が緩んでしまう。
たわいもない話をしていれば、目的の場所に着いたようで。エルが扉をノックする。それから、扉越しに話しかけた。
「団長、お客様が見えていますよ」
すると、中から不機嫌そうな「あ?」という声が聞こえてきた。
ぱちくりと目を瞬いていれば、エルはしーと人差し指を口元に当てて。そして、理世にここで待つように小声で伝えてから中へと一人入っていく。
「団長の重要で大切な人が来ていますから。その不機嫌さを何とかしてください」
「んな約束していねえだろうが。また変な婚約の話だなんだとか抜かしやがったら承知しねえぞ」
「そういうお話は団長自らキッパリとお断りしているじゃないですか。俺たちも団長の不機嫌を買いたくないからお断りするようにしていますし」
「ハッキリ言うようになったなあ、エル……?」
中から届く話に、理世は思わず驚く。
婚約……。
理世の中で妙にその言葉が頭に残る、だが、そうかと納得した。
シリウスもそんな年齢だもんな。しかも、貴族だと聞いた。そうなれば、そういう話が来てもおかしくないのか……。
妙に納得してしまった。シリウスの年齢は自分よりも上になっていて、二七歳だと聞いた。
ましてや、身分といい、外見といい、申し分ないだろう。狙う女性が数多にいてもおかしくはない。
――そう思った瞬間、少しばかり理世の胸が痛んだ。
……ん?
理世は首を傾げる。何故痛んだのかよく分からなかった。
今、何が……。
病気とかではないはずだ。シリウスに相手ができたとしても喜ぶところ。
ならば――。
ああ、親心かもしれないなあ……。
理世が突拍子もないことを考えていれば、中から「入って良いですよ」と声が聞こえてきて、思考は中断する他なかった。
理世が扉を見つめていれば、中でシリウスが文句を言っている声が飛んでくる。
まあ、シリウスが嫌がったら帰るか……。
とりあえず顔だけ見せておこう、そう考えてノックをしてから扉を開ける。
中では文句を言われているのに笑顔なエルが出迎えてくれて。
「すみません、お待たせしました」
「だから、俺は会うなんて言ってねえ――って、リゼ!?」
シリウスは中に入ってきた理世を見て目を見開く。予想外の相手に相当驚いたらしい。ガタッと椅子が大きな音を立てるのも気にせずに、勢いよく立ち上がる。
理世は眉を下げて。
「……すまないな、急に」
理世は一応謝罪してからシリウスの元へと歩み寄ったのであった。
Ⅳ
「……おい、シリウス。悪かったって、機嫌直せよ」
来客用のソファに案内され、シリウスと向かい合って座るが、目の前の彼は明らかに不機嫌な表情で。
やはり黙って思いつきで来たのはいけなかったか……。
理世は困ったと頭を抱える。そして、再度口を開いた。
「急に来て悪かったって。お前の成長ぶりを見たかったんだよ。働いている姿も気になったしな」
理世が理由を告げれば、シリウスは不機嫌ながらも納得したようで。ただ、まだ何か気になっているらしくチラリと理世を見てから、ポツリと尋ねた。
「……一人で、来たんか」
理世はそれを聞いて首を傾げてから。
「……? ああ、シルバーに聞いてな。手を煩わせるのも悪いと思って一人で歩いてきたが」
理世はそう肯定した。
シリウスは小さく舌打ちをする。
何をそんなに怒っているんだか……。
理世が呆れていれば、また小さく何か聞こえて。ただ、小さすぎて理世には語尾の「……たんか」としか聞こえなかった。
理世は首を傾げて尋ねる。
「シリウス? どうした?」
「……っ、だからっ、さっきの会話聞こえていたんかって言ってんだよ!」
「……? 会話って何の」
理世は思い当たる節がない。確かに話は聞いていたものの、シリウスの言葉が何を指しているのか分からなかったのである。
シリウスは尋ねられて、うっと言葉に詰まって。しばらく唸っていたが、やがて言いにくそうにポツリと呟いた。
「……婚約、のことだ」
理世はその言葉にああと納得する。
「聞いていた。シリウスの元にはそういう話も来るんだな。まあ、年齢とか身分のこととか考えればあり得ない話じゃねえかって思ったけどな」
理世がそう言えば、シリウスは鋭い視線を向けてきて。だが、その瞳には強い意志が宿っているように見えた。そして、ハッキリと断言した。
「断っているからな」
理世はその言葉に目を瞬く。そして、首を傾げた。
「……何故俺に言うんだ」
理世はキョトンとして。シリウスが何故釘を刺すようにそう言うのか、本当に理解できていなかった。
俺に言う必要はないと思うんだが……。
すると、その言葉にガックリと項垂れるシリウスと、笑い始めるエルがいた。
「だ、団長……、伝わってないじゃないっすか! ど、ドンマイっす!」
「しばくぞ、てめえ」
シリウスが唸るようにエルに威嚇しているのを見て、理世はやはり分からないと首を傾げる。
すると、シリウスは諦めたのか首を横に振った。
「まあ良い。……それよりも、リゼ。もう少し待っていろ」
「? 何かあるのか?」
理世が尋ねれば、シリウスはニヤリと笑って。
「せっかく外に出たんだ。飯、行くぞ」
シリウスはそう言って、理世に有無を言わせないまま、エルが入れた紅茶をすするだけであった。




